k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

ジョン・ラスキンの夢と世界政府

ジョン・ラスキン

 ガザでは虐殺がまだ止まない。イスラエルの軍や政治家の姿勢を見ると、初めからパレスティナ人の命を軽視し虫けらのように扱っているのが分かる(もちろんこれは今回に限ってではない)。しかし、それを見ながら欧米諸国の政治家はイスラエルに正義があるとしてこれを止めようとしない。ブラジルなどがイスラエルと断交しようとしているが、全ての国がこれに見習うべきなのだ。

 欧米の民主主義や人権尊重とは口先だけだったのか?

 ウクライナでの戦闘も、既に多くの者がロシアの勝利を確信してきているのに、やはり欧米の政治家は、これを止めようとしない(その権限がゼレンスキー大統領にないのは明らかだろう)。

 ゼレンスキー大統領は、ウクライナの死者31,000人と、最近表明したという。これを信じる者がいるだろうか。国内にいるウクライナ国民は、その嘘を身にしみて知っているだろう。現役予備役合わせ116万人の軍隊と言われていたのだ。その損失がその程度なら、女性や高齢者、病人が戦地に出されるはずはない。実体としては、100万人に及ぶ死傷者がでているという指摘もあるのだ。

 ウクライナは、既に1つの世代全体が抜け落ちてしまっているのである。必要なのは、「ウクライナ支援」ではない。停戦である。

 このような中で、ロシアが、5~10年の内にウクライナの次にNATO諸国に攻めてくるという論調がNATO事務局や加盟国の軍事筋から声高に叫ばれ出している。実際に、軍事費の増額が予定され、NATOのロシア周辺での軍事演習も活発化しているらしい。

 しかしこれも明らかに欺瞞の論調であろう。ロシアに他国を侵略する理由が全く見当たらないのである。あえてひねり出すなら、プーチン大統領の「妄想」であろうか?

 それに、NATO諸国の軍備は、ウクライナ支援で底をついており、復元するには何年もかかるという。またその装備が、ロシアの最新兵器には全く太刀打ちできないこともウクライナの闘いで明らかになっているのだ。つまり、ロシアにそうした野心があるなら、実行するのは、何年も先ではなく「今すぐに」こそがベストな時期なのだ。

 このように、今、欧米の政治的リーダー達の欺瞞は際限を知らないようだ。それは、これまで実際に世界をリードしてきたことからくるおごりかあらくるものもあるだろうが、異常なロシア敵視を見ると、これまでこのブログで見てきた背景をぬきには理解しがたいと思われる。

 ところで、今、EUで好戦的な主立った政治的リーダー達には、かつてのナチス関係者の血筋に当たる者がいるという。私が言いたいのは、やはりそんな血筋だというのではない。ナチスの主な首謀者は第2次大戦後、もちろん処罰されたが、それによりナチスの流れが完全に絶たれたのではない。アメリカは対ソ連政策に活用するため、その残党を引き取ったのである。これは、欧州でも同じではなかったのか。ドイツでも!

(日本でも、旧軍の亡霊が依然として自衛隊に残っているように)

 これには、確かに、ソ連に対抗するという大義名分があるが、私には、それ以上に、もともと欧米のエスタブリッシュメントナチスには親和性があったからではないかと思うのである。

 欧米のエスタブリッシュメントが支援している今の、ウクライナ(ロシア人への無慈悲な態度)、イスラエルパレスティナ人への無慈悲な態度)に現われているように、今も人種差別は生き続けているのである。というか、彼らの他民族蔑視は彼らの体質そのもなのではなかろうか。

 ここで更に妄想を膨らませるなら・・・シュタイナーは、自分を含め当時の人智学協会の主だったメンバーが、その死後、時を余りおかず、つまり21世紀には戻ってくると言うようなことを予言したという。これは21世紀が人類にとって大変重要な時期となることを示唆しているが、そうであるなら、当時、人智学協会に敵対していた勢力、例えばナチスの指導者達にもその様なカルマがあるのではなかろうか。
 今、欧米で国民にロシア憎悪を煽り、戦争による滅亡の淵に人類を立たせようとしている政治的リーダー達の魂に、あるいはその様な魂がないのだろうか?・・・


 さて、欧米の政治的エリート達の構築した戦後の世界秩序、国際機関の多くが、口当たりの良い理想を掲げるが、その内実が伴っていないことは散々指摘されてきている。それは本来、誰のための、何のための組織であったのだろうか?

 今回は、おなじみの『ヨーロッパ人』誌(2024年2月号)から、いわゆる「陰謀論」でよく語られている「世界政府」に関する論考を紹介する。

 中身は、色々な場所でこれまで語られてきているWEFやビルダーバーグ等の組織が実質的な影の世界政府の役割を果たしているというものだが、そのイギリスにおける思想的起源について語られているのが珍しいと思われる。

 著者は、それをジョン・ラスキンとしている。

 私は、名前は聞いたことがあるが、これまで余り知らなかった人物である。ウィキペディアによれば次のようである。

 ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819年2月8日 - 1900年1月20日)は、19世紀イギリス・ヴィクトリア時代を代表する評論家・美術評論家である。同時に芸術家のパトロンであり、設計製図や水彩画をこなし、社会思想家であり、篤志家であった。ターナーやラファエル前派と交友を持ち、『近代画家論』を著した。また中世のゴシック美術を賛美する『建築の七燈』『ヴェニスの石』などを執筆した。

 

 現在の国際秩序は、欧米主導というが、さらに詳しく見るなら英米中心であることがわかる。英米は、もともと運命共同体である。そこにあるのは、やはりアングロサクソン系のエリートの妄執なのであろうか?

――――――――

ジョン・ラスキンと世界政府

ビルダーバーグ、ダボス会議、そしてヴィクトリア朝イングランドの衝動

『ヨーロッパ人』 Jg. 28 / Nr. 4 / Februar 2024

 

 今日の社会生活は、遠心力に支配されつつあるようだ。個人的な人間関係の不調和が増大し、信頼関係を築くこと、あるいは自分を理解してもらうことさえ難しくなっている。人々はよりイライラするようになり、人々の注意の閾値は下がり、容認できない意見が表明されれば、友人関係はますます早く解消されるようになっている。ある面では、生活は「万人の万人に対する闘い」というネガティブなユートピアに向かって流れているように見える。

 その一方で、政治には驚くべき、時にはほとんどファンタスティックな統一や合意も存在している。例えば、コヴィド19のパンデミック-しかし、判明している事実は、そのような方向を示しているようにはまったく見えなかった-との闘いにおける世界のほぼすべての政府の統一的なアプローチを考えてみよう。また、ウクライナ戦争における、少なくとも西側諸国による絶対的な統一戦線を見てみよう-しかし、ここでも私たちは非常に複雑な状況に直面している。結婚生活を維持することはほとんど不可能になったが、西側諸国は固く団結している。このような事態は、この団結にはもう一つ、別の源があるに違いないという人々の印象を強めるだろう。そしてこのことは、どこかに世界を統一する何らかの組織があるに違いないという考え、明らかに目に見えない世界政府、世界の影の政府があるに違いないという考えを強めている。このような考えは、「陰謀論」という非難的な言葉とともに、猛烈で非常に攻撃的な拒絶にさらされる。

 しかし、「咬まれた犬は吠える」というドイツの諺によれば、そこに間接的な確認もできる。この防衛は、精神分析で使われる意味での防衛であり、潜在意識に長い間存在していた知識から意識を守るものである。それは意識と潜在意識の間の膜が不透明のままであるように保つことを意図しているのだ。

 そのような予感を持って世界を見れば、あなたがすでに知っているかもしれないが、これまではあまり注目していなかった機関が、今や大きな疑問符を周囲に広げ、世界の影の政府の候補となるにふさわしい性格を示しているのに出くわす。

 

世界の影の政府

 ここで特に目立ち、いつも名前が挙げられる組織には、ダボス世界経済フォーラム、ビルダーバーガー、外交問題評議会などがある。世界経済フォーラム(WEF)1の構造は、「企業の世界政府」という考えに最も近い。そのメンバーである「パートナー」は、今日の世界経済で最も重要な企業である。世界経済フォーラムのモットーは、「政治、ビジネス、市民社会が一体となり、世界をより良い場所にする」ことである。WEFは「ヤング・グローバル・リーダーズ」ネットワークを運営しており、WEFが注目し、将来の人類をリードする能力があると思われる40歳未満の人々に、WEFの適切なコネクション、行軍装備、羅針盤を提供している。WEFのヤング・グローバル・リーダーズ・プログラムを経た現在の政治家には、マクロン現フランス大統領、ゼレンスキー・ウクライナ大統領、クルツ前オーストリア首相、ベアボック・ドイツ外相などがいる。WEFは、スイスの山間の村ダボスで毎週開催される会議で最も有名であり、会議、セミナー、ネットワーキング会議、裏話などが混在している。ダボス会議は、国際的なエリートが毎年集まる最も重要な会議である。これらのグローバリストは、故郷がなく、大陸を渡り歩く歴史のないジェット族、機械化と人間生活世界の平準化という顔の見えないアジェンダのために働く人々であり、英語で、「ダボス・マン」は呼ばれている。

 ビルダーバーグ2 は、年に一度、半分秘密に開催される一連の会議である。一連の会議には、財界、政界、ヨーロッパ貴族、ジャーナリズム、学界から数百人の参加者が、通常聖霊降臨祭の週末かその前後に、ヨーロッパかアメリカのどこかの高級ホテルに集まる。そのホテルは、このイベントのために他の訪問者を完全にシャットアウトし、きわめて厳重に監視されている。ビルダーバーグ会議は1954年に初めて開催された。その名称は、最初の会場となったオランダのホテル・ビルダーバーグに由来する。その目的は当初、ヨーロッパとアメリカのエリートたちが互いに意見を交換し、調和を図るためのフォーラムを提供することだった。

 1919年にニューヨークで設立された外交問題評議会3は、おそらく米国で最も強力な外交ロビイング組織であり、多くの場合、米国大統領が自国政府の外交政策担当者を集める中継拠点でもある。長い間、世界で最も重要な外交政策雑誌であった『フォーリン・アフェアーズ』を発行し、独自のシンクタンクを維持している。もしアメリカの政策が一種の世界政府および西側の実際の政策と見なされるなら、CFRは、他方で、コントロールセンター、つまり命令基地であり、このアメリカの政策の実際の頭脳と見なされるだろう。そうなると、CFR自体が一種の世界影の政府ということになる。

 これらの組織は、系統的な関係であれ、重複するメンバーや個人をとおしてであれ、提携関係であれ、相互につながっている。例えば、外交問題評議会は長い間、それぞれのビルダーバーグ会議の議題を準備してきたし、WEFの創設者であるクラウス・シュワブは、ハーバード大学ヘンリー・キッシンジャーの教え子だった。1973年から77年まで米国務長官を務めたキッシンジャーは、数十年にわたりビルダーバーグの最も重要な中心人物の一人であり、同時にCFRがそのキャリアにおいて重要な役割を果たした人物でもある。ビルダーバーグ会議には多くの大企業のオーナーやトップが出席するため、世界の大企業のほとんどすべてをネットワークに持つWEFと重なる部分が多い。

 これらの組織はすべて、一般的に大西洋横断的、親西側的、親米的と言える方向性を持っている。英語が支配的な言語なのだ。これらの組織は、アングロサクソン英語圏の国々が世界システムの中で持つ特別な機能と結びついている。彼らは「西側」、「西側価値共同体」の最も内側の核、最も内側の輪を形成している。このことは、「ファイブ・アイズ」と呼ばれる、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド英語圏5カ国による緊密な諜報・スパイ活動の協力体制を見れば一目瞭然である。つまり、西側の真の中心国であるアメリカが本当に信頼しているのは、この4カ国なのだ。西側諸国の他の国々はすべて、程度の差こそあれ、自身の信念でそこで活動しているものの、この共同体に押し込められた多かれ少なかれ不安定なカントニスト(少年兵)である。そのため、内なる反抗心や静かな離脱運動の危険性が常に存在する。西側とそれの構築したグローバリズムは、それゆえ、「アングロサクソン的世界」--ヘーゲルがこのような表現を使っている意味において--とも言える。あるいはアングロ文明化と表現することもできる。

 WEF、ビルダーバーグ、CFRを、アメリカの世界システムの重要な民間組織として、また経済力が政治力よりも究極的に基本的な影の世界政府として言及するならば、今日、これには更に異なる組織の巨大で見通すことのできないネットワークが含まれる。例えば、CFRの姉妹組織として、西側世界システムに属するすべての重要な国々で外交政策研究所が設立され、民間企業によって支援され、独自のプログラムや機関誌を持つシンクタンクとして政策形成に貢献している。たとえばドイツでは、ドイツ外交問題評議会(DGAP)がその機関誌『国際政治』を発行している。ドイツ側では、DGAPは1950年代半ばに、ローズ奨学生で元CDUの外交専門家であったパウル・レヴァーキュンによって創設された。今日、この衝動は多くの機関、シンクタンク、財団、大学の講座などに波及し、実際に遍在するようになった。その権威、威圧力、カリスマ性は非常に大きく、今や欧米の知的生活のほとんどすべてが、この衝動に支配されているように見える。このような制度は膨大な数にのぼるが、それらはすべて共通の基本的衝動によって結ばれており、究極的にはすべて共通の系譜を持っている、

ネットワークの起源

 これらの制度の起源をたどると、その系譜は19世紀末にさかのぼり、1891年にイギリスの植民地政治家セシル・ローズ(1853-1902)によって設立されたイギリスの秘密結社に行き着く。世界大戦の時代、世界の守護者、世界の警察官、世界の支配者としてのアメリカの外交政策がイギリスの世界政治から引き継がれたように、アメリカの世界システムの制度も、もともと大英帝国に奉仕しようとしていたものから引き継がれた。しかし、セシル・ローズは当初からアメリカをその巨大な計画に取り込もうとしていたのだから、このことに奇妙さや矛盾はほとんどない。

 ローズは1902年に亡くなり、莫大な遺産をローズ・トラストに残した。 この奨学金制度は、主にアメリカや英連邦からの学生をオックスフォードに呼び寄せ、数年間オックスフォードで学ばせ、大英帝国英米世界システムの考え方を教え込ませるために使われた。ロードス奨学生はそれ以来、この衝動を広めるのに少なからぬ役割を果たしてきた。

 ローズ・ソサエティのオリジナル・メンバーには、ジャーナリストのウィリアム・T・ステッド、銀行家のロスチャイルド卿、植民地政治家のアルフレッド・ミルナー(1854~1925年)らがいた。ローズの死後、1899年から1902年にかけて南アフリカボーア戦争を起こしたミルナーは、協会の指導権を引き継ぎ、イギリスの政策に長期的な影響力を行使しようと有能な若者を集めた。「ミルナーの子供衛兵」と呼ばれることもあるこのグループから、雑誌『ラウンドテーブル』が生まれた。いわゆる「円卓会議グループ」は、英連邦諸国やアメリカにも設立された。第一次世界大戦前後の数年間、これらのグループは特に、英語圏諸国民の団結とドイツの危険という話題に熱心だった。彼らは1914年から1918年の世界大戦につながる政治の一因となり、その影響力は戦争によってさらに強まった。ミルナー自身は1916年に英国政府の大臣となり、中央列強が無条件降伏するまで戦争遂行のキーマンとなった。その間に、彼の若い戦友の多くも重要な政治的地位に上り詰めた。1918年から19年にかけてのヴェルサイユ講和交渉は、英米両陣営でミルナーのネットワークに何らかの形でコミットしていた人々によって決定的な影響を受けた。

 この交渉の雰囲気は、英米間の濃密な友情を育んだ。最終的に、この和平交渉の結果として、円卓会議の支持者たちはロンドンとニューヨークに初の民間外交政策機関、王立国際問題研究所(ロンドンのトラファルガー広場に本部があったことから「チャタムハウス」と呼ばれる)と外交問題評議会を設立した。第二次世界大戦後、このローズ・ミルナーの衝動は、アメリカの世界システムとイギリス世界文明の中心的な衝動となった。事実、第二次世界大戦中、CFRは国務省から戦後秩序の立案を任されていたため、それは、1945年以降、CFRのメンバーがそこに再び見出される、実際にはCFR自身の秩序だった。

このような出来事については、アメリカの歴史家キャロル・クイグリー(1910-1977)の研究によって知ることができる。彼の著書『英米エスタブリッシュメント』には、第二次世界大戦までの「エスタブリッシュメント」の発展が詳細に描かれている。

ジョン・ラスキン

 クィグリーによれば、セシル・ローズに大きなインスピレーションを与えたのはヴィクトリア朝の知識人ジョン・ラスキンであり、ローズは1870年にオックスフォードの美術教授に就任した際のラスキンの講義録を、亡くなるまで常に携帯していたという。それ自体では、ラスキンダボス会議やビルダーバーグの資本家オリガルヒや世界指導者/世界思想家の先祖とは思えない。

 ラスキン(1819-1900)は、ヴィクトリア朝時代を代表する知識人の一人であり、今日でも英語圏でかなりの影響力を持つ人物だが、その域を超えることはあまりない。一方、例えばマルセル・プルーストラスキンを高く評価していた。彼はアミアンの大聖堂に関するラスキンの本を翻訳し、中世建築への愛と知識を深め、発展させるためにこの本を利用した。ラスキンは卓越したヴィクトリアンであり、それが意味する人間的な奇妙さをすべて備えていた。

 美術愛好家、美術評論家として執筆活動を始め、ウィリアム・ターナーの名声の創始者となり、『現代の画家たち』でその名声を強調した。その後、特に中世の美術と建築に関心を向け、ヴェニスの建築に関する3巻の著作『ヴェニスの石』(The Stones of Venice)を著した。彼は、トマス・カーライルを文学の模範であり導き手として選んだ。ラスキンの執筆や講演のスタイルは聖書の影響を強く受けており、成長するにつれて預言者としての特徴も身につけた。1862年、彼は、近代経済と近代国家経済に関する3つのエッセイを書き、資本主義とそれに関連する科学が促進する貪欲さと、それが喚起する利己主義を激しく非難した。本質的に保守的な視点から書かれたこの作品は、聖書的なタイトル『Unto this Last(この最後のために)』とともに、イギリスではある種のスキャンダルとなり、ラスキンは多くの人々から狂人扱いされた。この作品は後に、レオ・トルストイマハトマ・ガンジーといった重要人物に多大な影響を与えた。そして1870年、ラスキンはオックスフォード大学に新設された美術学講座に任命され、イギリスの美学文化の刷新を図った。

 ラスキンは、人として完全に「正常」であったわけではない。精神病理学的な特徴--おそらく体の構成要素【肉体・エーテル体・・】が緩んでいたのだろう--を持っていたことは間違いない。彼の人生が進むにつれ、内面のバランスを保つことが次第に難しくなり、怒りの爆発はより過激になっていった。彼は早くに結婚したが、ラスキンが女性の陰毛を見るのが怖くて嫌悪感を抱いたため、妻は、自分に手を出さなかったという理由で離婚した。人生の最後の10年半、彼は次第に一種の精神錯乱に陥っていった。その一方で、彼の存在の構造がこのように緩んでしまったことが、彼の文学が興味深い分野にまで広がっていった原因であると同時に、彼の作品にある種の統一性や一貫性が欠けてしまった原因でもあるのかもしれない。

 

 もしこの貴重な伝統がこの2つの大きなマジョリティーに広がらなければ、少数派のイングランド上流階級はやがてマジョリティーに圧倒され、伝統は失われてしまうだろう。もしこの貴重な伝統がこれら2つの巨大なマジョリティに広がらなければ、少数派のイングランド人上流階級はやがてこれらのマジョリティに圧倒され、伝統は失われてしまうだろう。これを防ぐためには、伝統を大衆と帝国に広げなければならない」4。

 したがって、伝統を世界中に広める必要があり、それは当然、世界征服を目指す帝国主義的、帝国主義的な意図を意味していた。

 1877年に書かれたセシル・ローズの最初の遺書(当時、ローズはまだ24歳だった)には、秘密結社の設立が記されていた。この結社の目的は

「イギリスの支配を全世界に拡大すること、イギリスからの移住制度を完成させ、エネルギー、労働力、事業によって生計を立てることが可能なすべての国々をイギリス臣民によって植民地化すること。(そして最終的には、戦争を不可能にし、人類の最善の利益を促進するほどの大国を樹立することである」5。

 これらには、イギリスとアメリカの統一や、必ずしも世界国家の樹立が含まれているわけではないが、他のすべての国を十分に威嚇し、彼らの同意なしに何かをすることを望まないようにするのに十分なほど偉大な大国の樹立が含まれている。

 ラスキン、ローズ、そして英語圏帝国への衝動

 クイグリーは、ローズとその一派がラスキンから受けたインスピレーションを次のように語っている:

ラスキンはオックスフォードの学生たちに、特権的な紳士階級の一員として語りかけた。ラスキンはオックスフォードの学生たちに、教育、美、法の支配、自由、良識、自己規律といった偉大な伝統の所有者であることを告げた。しかし、もしこの伝統がイングランド自体の下層階級や、世界中のイングランド以外の下層階級に広がらなければ、この伝統は生き残ることはできないし、生き残る資格もないだろう。もしこの貴重な伝統がこれら2つの巨大なマジョリティの間に広がらなければ、少数派であるイングランドの上流階級はやがてこれらのマジョリティに圧倒され、伝統は失われてしまうだろう。これを防ぐためには、伝統を大衆と帝国に広げなければならない、と。」4したがって、その伝統は世界中に広がらなければならず、それは当然、世界支配を目指す帝国主義的、帝国主義的な意図を意味する

 1877年に書かれたセシル・ローズの最初の遺書(当時ローズはまだ24歳だった)には、秘密結社の設立が記されている。この結社の目的は

「イギリスの支配を全世界に拡大し、イギリスからの移民制度を完成させ、人々がそこでエネルギーと労働力と事業によって生計を立てることが可能なすべての国々をイギリス臣民が植民地化すること。(中略)最終的には、アメリカ合衆国大英帝国の不可欠な一部として再獲得し、帝国全体を強化し(中略)最終的には、戦争が不可能となり、人類の最善の利益を促進するほどの大国を樹立することである。」5

 これらは巨大な権力のビジョンである。それには、米国と英国の再統一、絶対条件ではないが、世界国家の樹立、他国を十分に威圧し、自分たちの同意なしに何もしたくないと思わせるのに十分な大きさの権力、言い換えれば、一種の世界の警察官となりうる権力の獲得が含まれる。

 ローズは、ラスキンの1870年の就任演説を生涯持ち続けたと語っている。それは彼にとって、中心的なインスピレーションであり、中心的な信念であったに違いない。この就任講演(1870年2月8日)の中で、ラスキンは当初、イギリスの芸術水準と芸術感覚をいかに向上させるかについて長々と述べている。そして最後の方で、彼はまったく唐突に、もっと広い別の話題に移る。彼は生徒たちに世界を征服するよう促しているのだ。:

「今、われわれの目の前に可能な運命がある。私たちはまだ人種として退化していない。私たちはまだ気質が凶暴ではなく、統治するための堅固さと服従するための優しさを持っている。われわれは純粋な慈悲の宗教を教えられてきたが、今それを裏切るか、あるいはそれを自覚して守ることを学ばなければならない。そしてわれわれには、千年にわたる高貴な歴史によって受け継がれてきた名誉という豊かな遺産がある。これを日々、貪欲に増大させ、イギリス人が名誉を欲することが罪であるとしても、生きている中で最も攻撃的な魂となるようにしなければならない。ここ数年の間に、自然科学の法則は、その明るさに目がくらむほどの速さで、われわれにその姿を現した。そして、われわれに、居住可能な地球を一つの帝国に統合する輸送手段と通信手段が開かれた。帝国......しかし、誰が王になるべきなのか?それとも王など存在せず、誰もが自分にとって正しいと思えることをすればいいのだろうか?それとも、恐怖の王と、マモンとベリアルの猥雑な王国だけでいいのか?それとも、イングランドの若者たちよ、君たちの国をもう一度、王たちの王座にするのか。全世界の光源となり、平和の中心となる笏の島を作るのか; 学問と芸術を愛し、不遜で儚い幻影の中で偉大な思い出を忠実に守り、僭越な実験と淫らな欲望の誘惑にさらされながらも、長い間試行錯誤されてきた原則に忠実な奉仕者であり、あらゆる国の残酷で騒々しい嫉妬の中で、人に対する優しさという類まれな勇気において栄誉を受ける国である。

「Vexilla regis prodeunt」[王家の旗が叫ぶ。]しかし、どちらの王が?2つの旗がある。遠い島に立てるのはどちらか?天の炎にはためくものか、それとも地上の金の汚れた布で重く垂れ下がるものか。私たちの前には、死すべき魂を持った哀れな集団がかつて経験したことのないような栄光の道が確かにある。“支配するか、それとも死ぬか。”そして、いつの日かこの国について、'Fece per viltate, il gran rifiu- to'(ダンテ『インフェルノ』3./60)6と言われる日が来るならば、この王位拒否は、歴史が語る中で最も恥ずべき不適切なものであっただろう。

 そして、次のようになるに違いない。そうでなければ滅びる: できるだけ早く、できるだけ遠くまで植民地を築き、最も立派で精力的な国民が定住するようにしなければならない--足を踏み入れることのできる肥沃な空き地は、すべて無料で手に入れなければならない; 遠く離れた土地に住んでいても、遠く離れた海を航海するイングランドの艦隊の船員と同じように、祖国の一部であると感じるべきである。(...) 」7

 

 これが、ローズにとって偉大なインスピレーションとなったに違いない。ラスキンによるイギリスの若者たちに呼びかけた世界征服である。そしてそれは、略奪的な征服ではなく、文化的で神聖な義務としての世界征服である。科学、通信、輸送を通じて世界はひとつになり、ひとつの世界には「王」と呼ばれる権力の中心が必要だった。これが、ローデスの秘密結社、そしてそれから100年以上後のビルダーバーグ、WEF、CFRが花開く種となった。イギリスの世界帝国と広範囲に及ぶ植民地化事業はとうの昔に終わったが、世界支配への衝動は残っている。この帝国に対するラスキンの高邁な理想が実現されたのかどうか、私たちは自問自答しなければならないだろう: その実現が2度の世界大戦や今日に至るまで数え切れないほどの戦争の対象となった帝国を「平和の中心」とは呼ぼうと人は思わないだろう。「光の源」は、蔓延する嘘と解き放たれた汚れたメディアに支配され、永久に暗くなり続ける公共の生活と調和させるのは難しいように思われる。「人々に親切にする稀有な勇気」?ローデスやミルナーでさえ、人々を独立した個人としてよりも、目標を実現するための歯車としてしか見ていなかったと言われている。そして、この帝国は、ラスキンに反して、その幻想的な貨幣の蓄積と貨幣の移動で、その中心には大企業がある、マモンの帝国になってしまったと言わざるを得ないのではないだろうか?  絶え間なく、以前よりも速く、この帝国は、どこかで打ち負かされ、破壊されなければならない「恐怖の王国」であることを示しているが、それはとうの昔に、空から、そして遠く離れたところから、突然の死により世界中を脅かしている恐怖の帝国そのものになしまっているのである

  アンドレアス・ブラッハー

 

1     ウェブサイト: www.weforum.org

2     ビルダーバーグに関するウィキペディアの記事は、すべての警告(常に適切)を付した上で、簡単な情報とトピックの紹介としてとらえることができる:ビルダーバーグ会議https://de.wikipedia.org/wiki/Liste_von_Teilnehmern_an_Bilderberg 会議、https://de.wiki-pedia.org/wiki/Liste_der_Bilderberg-Konferenzen https://de.wikipedia.org/wiki/

3     ウェブサイト: www.cfr.org

4     キャロル・クイグリー『カタストロフィと希望 私たちの時代の世界の歴史』 参照:アンドレアス・ブラッハー著、ペルセウスバーゼル、2009年、94ページ。

5     キャロル・クイグリー『英米エスタブリッシュメント』フォーカスNY 1981年の本、S.33。(フォン・A・ブラッハー)

6     ダンテの場合、これは教皇セレスティヌス5世、フランシスコ会の霊的修道士ピエトロ・モローネの元隠遁修道士を指しており、1295年、彼の選出の数週間後に、彼の教皇職に耐えられず、辞任した。そうすることで、彼は歴史上最も権力に飢え、横暴な教皇の一人である後継者ボニファティウス8世への道を切り開いた。

7     ジョン・ラスキン「芸術に関する講義」学位論文:ジョン・ラスキンの作品、エドワード・タイアス・クック、アレクサンダー・ウェダーバーン編集。Vol.20:芸術とアラトラ・ペンテリチの講義。ジョージアレン、ロンドン1905年、hier: 41-42頁

――――――――

 セシル・ローズの名はこのブログでも時々登場してきたが、そのイギリスの植民地主義の元祖の師が美術評論家ラスキンとは意外な気がするが、そのヒントは、文中に出ていた、ラスキン精神病理学的体質かもしれない。

 著者は、明確に述べていないが、体の構成要素がゆるんでいるというような表現がこれを示唆していると思われる。構成要素がゆるんでいるとは、通常現代人では、肉体、エーテル体、アストラル体はしっかりと結びついているのだが、例えば、肉体とエーテル体が緩むというようなことである。それがいわゆる臨死体験なのだが、彼の場合は、逆にこのような状態が普通にあったと言うことだろう。実はこのような状態は、かつての、神霊存在を身近に感じていた古代の人々の普通の状態でもあった。今で言えば、霊媒体質と言えるかもしれない。

 つまり、ラスキンは、その体質により、霊感を受け取り、それを弟子達に伝えたのだ。ラスキンの主張は、必ずしも文明的優位性の話で、軍事力による世界征服ではないようであるから、その霊感の主が人類に敵対する霊的存在ではなかったのかもしれないが、それを受け取った側は、明らかに、力による支配に転換してしまったようであり、結果的には、敵対する霊的勢力の思惑の中にあったと見るほかないだろう。

 

 もとより欧米文化を否定するものではない。欧米の先人は、人類史にとって必要な優れた文明を築いたのは間違いない。ただ全てには、適した時期というものがあるのだ。それを無視して過去の栄光を引きずり無理に延命を図ることに問題が生じるのである。

 時代は変わっていくのだ。人類は今、新しい時代に向けた産みの苦しみの中にいるのだろう。