k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

三人の王と太陽の悪魔

 ディーガル(あるいはディーゲル)の世界人口予測というものがある。ディーガルというのはアメリカの軍事関連のシンクタンクのようなのだが、この組織が、2020年に、2025年の世界各国の人口(とGNP)の予測をだしたのた(今は削除されている)。ところが、これが驚愕の内容であった。欧米主要先進国が大幅な減少となっていたからである。アメリカで言えば、3億人を超えていたものが、1億人を割り込んでいるのだ。
 当然、当初は、ありえない予測であり、何かの間違いかとも思われたが、それが、コロナ・パンデミックを経て、各国の超過死亡の状況から、それが現実化するのではないかと(陰謀論界隈で)評判になってきたのである。この辺は、よく「イン・ディープ」さんが取り上げておられる。 

ディーガルの世界へようこそ - In Deep

 これについて、最近、新しい情報を得た。スピチュアリー・「謀論系」のアメリカのあるメール配信のニュースに出ていたものである。それによると、ディーガルの背後には、CIA、国防総省ロックフェラー財団が存在し、その数字は、予測と言うより目標であるということで、それを述べている「The Expose」というホームページが紹介されていたのである。

expose-news.com

 勿論、その真偽は確認できないのだが、最近、新型コロナやワクチンとアメリカ国防総省の関係が議論されるようになっているので、一概に否定できないようにも思えるのである。「The Expose」の記事は、公表されているデータ、情報が元になっているらしく、今回の記事でも、公表されている国防総省の契約関係情報が一つの根拠となっている。それによると、コビッド-19と正式に命名される3カ月前に、その名での契約がなされていたというのだ。
 コロナワクチンにも、実は、そのパンデミックのずっと前から研究・開発が始まっていたという話もある。事実は、実に陰謀論的なのかもしれない。

 さて今回は、最近テリー・ボードマン氏のホームページに掲載された新しい論考を紹介する。

 現在、新型コロナによる「パンデミック」は終わったが、mRNAワクチンは今後さらに拡大される動きとなっており、「ワクチンパスポート」の導入も控えているようである。つまり、これまでの「パンデミック」は、これらへの導入部であったようなのである(そしてある種の社会実験であった可能性も)。またウクライナ問題も、軍事的にはウクライナの敗北が決定的になっているが(ウクライナ、欧米側の文字通りの弾切れも指摘されている)、ウクライナ及び欧米はそれを認めず、「支援」が継続されおり、第3次世界大戦の危機は去っていない。

 このような世界情勢は、明らかに「黙示録的」雰囲気を漂わせていると言える。今回のボードマン氏の論考は、これまでの人類史の要点を、日本の天皇を含む3人の王を軸に振り返りながら、こうした現代の情勢の背後に見える「太陽の悪魔」の働きについて論じている。

 

 論考に入る前に、予備知識としていくつか述べておきたい。

 以下では、悪魔ソラトとアーリマンが出てくる。アーリマンは同じ悪魔であるルシファーの対極にいる悪魔であるのに対して、ソラトは、キリストの対極に位置づけることができる。キリストは太陽神であるが、ソラトは太陽の悪魔なのである。シュタイナーは、以下の論考にあるように、ソラトとアーリマンが黙示録にでてくる「獣」であると語っている。

 しかし実は、ソラトとアーリマンは混同される場合がある。反キリストというのはソラトこそふさわしいが、アーリマンも反キリストと呼ばれることがあるのだ。

 アーリマンは、地上世界に受肉することが予言されているが、ソラト自身は受肉することはない。ただアーリマンなどの霊的敵対勢力を背後から支えているのだ。そのためアーリマン=ソラトという考えも出てくるのである。

 また以下では、現代がどういう時代であるかについて人類史を俯瞰した考察がなされる。その要点の一つは、上のソラトに関するもので、キリスト誕生後において、666年(666はソラトを表わす数字である)の周期性を持って、ソラトが人類に対して大きな攻撃を行なってきたということである。ということは、現在はその3回目の(666×3=1998)時期が既に過ぎているのだが、ボードマン氏は、ソラトの働きは、666の倍数の年だけでなく、その前後の時期に及んでいるとして以下の論考を進めている。

 また、時代は、繰り返すと言うことである。キリストの誕生を軸として、それ以前の時代がそれ以後の時期に再び影響を与える、鏡像のように再び姿を現わすのである。これによれば、現代は、シュタイナーのいうエジプト文化期の影響下にあるとされる。シュタイナーは、後アトランティス時代を7つの文化期に区分しており、キリストが誕生したギリシア・ローマ文化期をその中心(4番目)とすると、キリスト以前の3番目がエジプト(・カルデア)文化期となり、それが5番目の文化期である現代に反映しているとするのである。

 「エジプト人は、物質的身体を精神・心魂の表現と考察し、ミイラを製造した。・・・今日の唯物論は、エジプト時代のミイラ製造の結果である」が、「ミイラ製造は、現代の個人意識を用意した」という(『シュタイナー用語辞典』)。

 また歴史の鏡像は、ユダヤ民族の3人の神話的人物であるアブラハムモーセ、ソロモンに代表される時代が、キリスト後において繰り返されるという関係にも現われると、ボードマン氏は以下で述べている。

 

 2030年は、人類史において大きな節目となる年である。国連やWEF(欧米日の各政府も)が自らの行動の目標とする年に定めているが、ボードマン氏は、キリスト霊が地上に受肉してから2000年後に当たると指摘している。キリストは、イエスが30歳の時にその身体に降ったからである。

 人智学派は、キリストの出来事やそれに関する年数を基本にした歴史観をもっている。イエスが誕生した西暦元年、それからキリストが降るまでの30年、そしてキリストが地上に生きた3年、合計としての33年間という年数、これらが時代を画する基準の年数となるのだ。

 一方でソラトによる666の年数があり、これら両者が、歴史の中で交錯しているのである。

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三人の王と太陽の悪魔

Posted by Terry Boardman on Jul 15, 2023

 

 ヴィヴァルディの「四季」組曲の「夏」には2つのムードがあり、太陽が夏至に昇る真夏の2面性を最も的確に音楽で表現している。・・・私たちは皆、太陽の持つ2つの側面をよく知っている。生命を与え、維持する太陽であると同時に、特に砂漠では死をもたらす太陽でもある。ルドルフ・シュタイナーは、太陽について、巨大な原子力発電所のようなひとつの「ポジティブ」なものとしてではなく、数多くの霊的存在たちの「住処」である「空洞」あるいは、「ネガティブ」な空間として、数多くの霊的存在達-霊的なランクで下から上に、伝統的な名前をあげると、天使、大天使(特にミカエル)、アルカイ、エクスシアイ(エロヒム)、ディナミス、キリオテテス-の「住処」であると語った。西洋の秘教的知識(例えば、ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(1486-1535)はまた、太陽には他にも2つの特別な存在が宿っていることを認識していた。それは、有益なナキエル(Nachiel)、すなわち「太陽の知性」【訳注】であり、その数は111である、また邪悪なソラト(Sorath)、すなわち「太陽の霊」であり、その数は666であるとアグリッパは記している。

 

【訳注】天体の動きと生命を制御する精霊、「知霊」。(『オカルトの事典』フレッド・ゲッティングズ著、青土社刊)

 

 今年2023年の5月5日、BBC世界保健機関(WHO)がコヴィド19はもはや「世界的な健康上の緊急事態」ではないと宣言したと報じた1。WHOとBBCという2つの組織は、2020年から2022年にかけて、多くの人々に致命的または有害であることが証明された有害な封鎖と注射プログラムを推進する上で大きな役割を果たしたが、これが「危険が去った」ことを意味することを認めたがらず、「状況が変われば緊急事態のステータスが復活する可能性がある」と言うことを好んだが、このニュースは事実上、過去3年間のパンデミックの大惨事が本当に終わったことを知らせるものだった。 2020年、主要メディアが、製薬会社がSARS-Covid-19に対する「ワクチン」の開発に「かつてないスピードで」取り組んでいると報じたとき、私たちは、それが世界中の人々に提供できるようになるのは2023年になるかもしれないと聞かされた2。英国では、例えば、「(ファイザーアストラゼネカ、モデナの)3つのワクチンはすべて、第3相臨床試験(数万人の参加者を含む)の安全性と有効性のデータ分析が、ランセット(英国)やニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(米国)などの医学雑誌の査読付き論文で発表されている。長期的な保護データと安全性データの収集は今後数年間継続されるため、試験の終了日は2022年と2023年である」3(強調 - TMB)。 こうして2023年が、コビッド-19「ワクチン」の臨床試験終了日として決定された。私たちは今、それが、このような巨大な規模で行われた、間違いなく史上最大の強制的プロパガンダ実験である、この世界的な3年間の実験全体の終了日になったことを目の当たりにしている。【訳注】

 

【訳注】政府もマスコミもあまりこうした事実を伝えてこなかったが、そもそも今回のコロナ「ワクチン」は、治験段階のものが、それが終わる以前に実施されたものであった、治験が終わっておらず、安全性が保証されていない「ワクチン」であったのだ。治験の終了と共に、「パンデミック」も終わったということであろう。

 

アジェンダ2030

 私たちは、7年後の2030年から始まる、もう一つの非常に重要な3年の期間に急速に近づいている-シュタイナーの精神科学によれば、2000年前にキリストがナザレのイエス受肉し、ヨルダン川での洗礼から復活の40日後に昇天されるまでの3年間の記念日(2030-2033)である。また、国連や世界経済フォーラム(WEF)のような様々な著名人や世界的な組織が、ここ数年、特に2030年と2030年代の10年間に世界の人々の関心を向けていることにも注目したい。例えば、2019年6月13日、民間の非民主的な組織であるWEFと、同じく非民主的な組織である国連は、「2030アジェンダの戦略的パートナーシップ枠組みに関する国連とWEF間の覚書」という前触れ的な名称の覚書に署名した。このアジェンダは、1992年にリオデジャネイロ-その都市には、高さ2,300フィート(約700m)のコルコバードの頂上に立つ救世主キリスト像(1922-1931年建造)の巨像が立っている-で開催された地球サミットで初めて打ち出された国連のアジェンダ214をさらに発展させたものである。2015年9月25日、国連総会の193カ国は、加盟国の国民の許可を得ることなく、「私たちの世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」と題する2030年開発アジェンダを採択した52019年10月、ニューヨークのジョンズ・ホプキンス大学で「イベント201」と呼ばれる「卓上演習」-コロナウィルスのパンデミック(世界的大流行)を想定し、それに世界がどう対応すべきか、それに対して世界はどのように対応すべきなのか。特に、公共情報の「ゾーンに溢れる」(このイベントで繰り返し使われたフレーズである)単一の物語によって、世界はどのように対応すべきなのかを、3カ月前からシミュレーションしたイベント-が始まったのと同じ月に、WEFは2030年までに達成すべき30の目標を示したペーパーを発表した。2020年1月23日には、WEFと経済協力開発機構OECD)の間でさらなる「戦略的パートナーシップ枠組み」が締結された。

 コビッド・パンデミックとされるものが始まった直後の2020年6月、当時のチャールズ皇太子であったチャールズ・ウィンザー(上)とクラウス・シュワブは、「グレート・リセット」プロジェクトである開発目標(=アジェンダ2030/アジェンダ21)を共同で立ち上げた。それは、第四次ポスト産業革命」、「A.I.革命」、気候変動アジェンダの「ゼロ・カーボン」目標、国連の17の持続可能な開発目標(すなわちアジェンダ2030/アジェンダ21)の名の下に、我々の文明全体、そして人間性そのものの全面的な変革の提案に他ならない。繰り返すが、焦点は2030年から始まる10年間である。シュタイナーが「ゴルゴダの秘儀」と呼ぶもの、つまりイエス・キリストの死と復活から2000年後のこの特別な時期に、選挙で選ばれたわけでもない世界のエリートたちが強い関心を寄せているのは明らかだ。しかし、彼らの壮大で野心的なプロジェクトに、イエス・キリストは登場するのだろうか?そうではない。

 

太陽の悪魔

 3年間の「コビッド19の大流行」と、2030年代のこれらの計画やプロジェクトとの間には、どのようなつながりがあるのだろうか?少なくとも15世紀後半にさかのぼる秘教的知識によれば、1879年7から私たちが生きている太陽の大天使ミカエルの時代の、必然的でコスモポリタンな、したがって肯定的な付随物であると彼らが信じている「グローバリゼーション」のさらなる例として、1992年以降のこれらすべての動きを-私の見解では、それは誤っているが-見る人々がいるかもしれない。私は、その答えは、アントロポゾフィー人智学)に詳しい人なら知っている2つの言葉にあると考えている: アーリマンとソラトである。

 

 ほとんどの場合、人間の肉体が、それに関係する霊的存在をもっており、私たちはそれを「自己」あるいは「自我」と呼んでいるように【訳注】、地球や太陽などの惑星にも、霊的な存在が存在する。地球が現在、約80億人の人間の霊的存在と結びついているように、太陽もまた、霊的存在の共同体全体と結びついている。そして、人間が、人生の一部または大部分に影響を与えたり、憑依したりする闇の霊的な力を持つことがあるように、天体もまたその霊的な圏内に宿る闇の力を持つことがある。太陽も例外ではない。太陽に宿る闇の存在はソラトと呼ばれる8

 

【訳注】ここで著者が「ほとんどの場合」と添えているのは、自我を持たない例外的人間が存在するからであろう。他のブログ記事参照。

 

アジェンダ2030

 シュタイナーは、ソラトを、唯物論9と黒魔術を強力に鼓舞する存在、「太陽の悪魔」と呼んでいる。ソラトは人間として歴史において受肉することはないが、これまでのキリスト教時代において、人類史に3回大きな介入を行った。1回目は666年頃、2回目は1332年頃(666×2)、3回目は1998年頃である10。シュタイナーによれば、最初の介入は、西暦7世紀半ば、アラブがペルシャのサーサーン朝を征服した頃、サーサーン朝ペルシャのゴンディシャプール・アカデミーの重要な教師に対するソラトの影響によってもたらされた。そのアカデミーの中心は医学部だった。ソラトの目的は、人類の科学的・技術的知識を、その発展段階にある人類、特に当時のヨーロッパの人々が、そのような知識に関わるための道徳性を持たなかったであろうまさにその時点に、時期尚早的に進歩させることであった(例えば、バイオテクノロジーA.I.に関連して、今日、我々は危険なほどそのような地点にまた近づいている)。この努力は、紀元7世紀のイスラム征服の宗教的熱狂によって押し流され、大部分が阻止された。しかし、この時期尚早の知識はイスラム教によって完全に抑圧されたわけではなく、その一部はゴンディシャプールからいわば「脱出」し、バグダッド、そしてイスラム圏の北アフリカやスペインを経由して西ヨーロッパに伝わり、やがて17世紀に近代自然科学の基礎を築いた。こうして1000年前の666年頃、「暗黒の太陽」の「科学的」影響力は、イスラム教の三日月の「宗教的」影響力によって鈍化したと言うことができる。【訳注】

 

【訳注】受け入れる準備ができていない人間に、特に道徳性が育っていない状況で、時期尚早の知識が与えられると破滅的な事態を生む恐れがある。ゴンディシャプールでは、もっと未来において与えられるべき科学的技術的知識の導入が進められようとしたのだ。それは進歩を先取りすると言うより、それにより人間の進歩を歪める目的をもっていた。こうした動きを抑えるものとして、当時、イスラム教が台頭したのだ。しかし、その影響は残った。それが現在のコンピュータ技術に至ったと主張する人智学派もいる。

 

 2度目の介入は666年後の1332年頃に起こった。シュタイナーはこれを、フランス王フィリップ4世(「フェア」)によるテンプル騎士団の破壊と関連づけた。テンプル騎士団は道徳に基づく国際的な銀行業務-つまり、彼らが扱う金は騎士団に帰属するものであり、騎士団個人に帰属するものではなかった-を営んでいた。フィリップは金に貪欲で、テンプル騎士団の金を奪おうとした。彼はまた、ヨーロッパ初の中央集権的な近代国家の萌芽を築き、その中で公務員はほとんどが世俗的で彼に忠実であった。つまり彼らは教会に忠誠を誓う聖職者ではなかった。この効率的な中央集権システムが、1307年10月13日にフランス全土のテンプル騎士団を24時間以内に逮捕できた理由である。この第二次のソラトの介入の特徴は、強力な中央集権的政治国家体制であった。

 1332年は、私がキリスト教時代における第二の「ソラトの窓」と呼ぶもの、すなわち1307年-1332年-1357年の真ん中にあたる。ソラトの介入は1332年という一年だけでなく、1307年(フランスのテンプル騎士団が逮捕されたとき)から1357年まで、この窓の中で起こった: 1307年と1357年は、1332年の軸の両側の25年である。私自身の研究により、ソラトが介入した最初の時間の窓は641年から691年までであり、666年はその期間の真ん中にあたる。第二のソラトの時代の窓は1307年から1357年で、1332年がその真ん中である。 第3のソラトの窓は1973年から2023年で、中心軸は1998年(3×666)である。この時間の「窓」は、レムニスケートの中心を軸とするレムニスケートのように見ることができる:

 

  641 - 666 - 691

1307 - 1332 - 1357

1973 - 1998 - 2023

 

 この第3の時期における重要な出来事は、ソビエト連邦の終焉とグローバル資本主義経済における中国の台頭、インターネットの発展、テロリズムと西側諸国とイスラム諸国との闘争、9.11、アーリマンの受肉の始まり(200011年頃)、第二次冷戦の始まり(2014年)、2030年代に「新しい世界秩序」をもたらすためのグレート・リセットの国連/WEF計画との関連性を持つ2020年から2023年のコヴィド-19「パンデミック」である。根本的には、これらの問題のほとんどは経済的なものであったが、2020年から2023年にかけて、7世紀以来の3つのソラトの窓のすべての側面が組み合わされて、この時代は幕を閉じた。コヴィド期は、「健康危機」12 が仕組まれた期間であり、多くの国で従順な国会議員によって議決された後、世界中の人々に思い切った医療的・政治的措置が強要された。これは、WHOとその主要な資金提供者であるビル&メリンダ・ゲイツ財団に後押しされた、いわゆる「民主的」国家政府によって実施された協調的かつ集中的な世界的行動であった。各国政府は、自国民に課した冷酷でまったく不必要な封鎖措置の影響から納税者を補償するために、何十億もの税金を費やした。このことは、恐ろしい経済的(そして社会的)結果をもたらし、今後何年にもわたって私たちを苦しめることになるだろう。1973年頃に開かれたこの3つ目の「ソラトの窓」は、2000年前に起こった「ゴルゴダの秘儀の3年」の記念年2030年の7年前、今年2023年に閉じられる。

 

終わりの時?

 多くの人々は数十年前から、私たちがエゼキエル書、ダニエル書、聖ヨハネの黙示録(いわゆる黙示録)によって預言された聖書の「終わりの時」を生きていると確信しており、多くのグリーンの世俗的な無神論者も同様に、私たちが抜本的な改善策を講じない限り、「気候変動」によって絶滅に直面する、そのためには民主主義を終焉させ、新たな「グリーン」な世界的権威主義--実際には世界政府--あるいは婉曲的に「グローバル・ガバナンス」と呼ばれる--を導入する必要があると確信している。実際、2020年から2023年にかけて起こったことは、その権威主義の一種の「テストラン」だったと見ることができる。私はどちらの意見にも納得できない。霊学によれば、聖書の「終末の時代」は、私たちが知っている物理的な地球が、その発展の次の段階に入る時である13、少なくともあと4千年は訪れないとされている。

 今日、終末の時のように見えるものは、実際には、シュタイナーによれば、人類の進化の中で一度だけ人間として受肉する霊的な悪の二大勢力の一つであるアーリマンの受肉(西洋-北米で)が作り出す雰囲気である可能性が高い。アーリマンは、シュタイナーによれば、2000年前のイエスにおけるキリストの場合と同じように、また5000年前の中国におけるルシファーという宇宙的悪のもう一つの霊的な力の場合と同じように、人類の進化の中で一度だけ人間として受肉する。人類の進化において、キリストはルシファーとアーリマンという両極の力のバランスを保っている。1919年、シュタイナーは、スイスでの講演で、アーリマンは第三千年紀の一部さえも経過する前に、肉体(fleischliche)的人間(彼の言葉を借りれば「肉体を持ったアーリマン」)として現れるだろうと述べた142030年代15にアーリマンが大人の人間として現れようとしていることが、多くの人々が経験している抑圧と暗闇の加速の背後にある可能性が非常に高い。歴史には、いくつかの非常に暗い時代があった。1930年代はそのような時代であり、私たちはその時代を生き、当時より敏感な、あるいは目覚めた魂の多くが感じていた暗くなる影に気づいていたかもしれない。

 

フィリップ4世(端麗王)

 アーリマンは自分自身を、オーウェルの『1984年』に登場するビッグブラザーのような暗黒の暴君としてではなく、むしろ人類をあらゆる苦難から救う慈悲深い積極的な救世主として、また、ソラトに感化された偉大な教師がゴンディシャプールのアカデミーで教え子たちに間違いなくそう見えたように、また、長身でハンサム、宗教的に道徳的で正統派に見えるフランスのフィリップ王(後述)が宮廷やその役人たちに見せたように、途方もない知識を持つ人物として見せるだろう。フィリップは独裁的で断固とした、鉄の王(le roi de fer)として知られていた: 「彼は人間でも獣でもない。"彫像 "である。」この王家の "彫像 "は、教皇庁との対立の後、教皇を逮捕し、教皇庁をフランスに移し、フィリップがよりよく管理できるようにした君主である。教皇の "バビロン捕囚 "は1309年から1376年まで続き、ヨーロッパ中の教皇庁に対する尊敬を著しく損なう結果となった。ジュリアン・テリーは、キリスト教テンプル騎士団を迫害し、残酷に破壊することで、その資金を奪い、自らを団長とする新しい軍事教団を設立するために、フィリップ4世はフランスに一種の「王族の宗教」を建てようとしたと論じている: 「カトリック信仰の究極的な擁護者である王は、キリストのような権能を与えられ、ローマ教皇よりも上位に置かれた。テンプル騎士団の裁判で問題となったのは、"王家の神権政治 "の確立であった」16

 イギリスのヘンリー8世より約200年前の「第二のソラトの窓」において、政治と宗教の領域を国王という人物に統合し、中央集権化しようとする試みがここにあった17。フィリップの苦難の多くは、経済的苦境に起因するもので、数々の戦争による資金不足と、フランスの通貨を操作して切り下げようとしたことにあった。パリのノートルダム寺院の近くでテンプル騎士団のグランド・マスターとノルマンディー地方テンプル騎士団のマスターが火あぶりにされてから1年も経たないうちに、フィリップと、テンプル騎士団を破壊するために不本意ながら彼に協力したローマ教皇の両方が死去した。その後、フィリップの死後14年のうちに、3人の健康な成人した息子が相次いで王位を継いだが、いずれも嗣子がなく死去した。フィリップの娘イザベラを母に持つイングランドエドワード3世は、自分こそがフランスの正当な統治者であると主張した。フィリップの生涯における行動は、フランスに災いをもたらすことものであった。

 

後醍醐天皇

 同じソラトの窓、1330年代、地球の反対側では、別の支配者が歴史の流れを変えるために、宗教と政治を結びつけようとした状況が並行して起こっていた。14世紀初頭、日本の天皇は実権を握っていなかった。彼らは2世紀前に、有力な一族が支配する新興の武士階級に権力を奪われていたのだ。天皇は無力で、単なる象徴的な人物になっていた。

 しかし、後醍醐天皇(1318-1339)は、日本の他の天皇と同様、自らを天照大御神の直系の子孫とみなし、日本の天皇が高度に中央集権的で絶対主義的な中国モデルに基づいて統治していた8-10世紀に有していた権力を皇室に取り戻したいと考えた。彼は1331年と1333年に反乱を組織し、最終的に鎌倉(現在の東京近郊)の将軍家の武家政権を倒し、はるか南西の京都の古都に権力を戻した。しかし、彼の短命に終わった建武の改革(1333-1336)は、後醍醐が時代の変化を認識できず18、大武家の真の権力と野心、あるいは小武士や町人、農民の生活の現実を理解できなかったために失敗に終わった。彼のかつての武士の盟友であった足利尊氏は彼に反旗を翻し、後醍醐の忠実な軍勢を打ち砕いた。尊氏は京都に新天皇を立て、後醍醐は京都の南の山岳地帯に逃れ、そこに敵対する朝廷を立てた。後醍醐が創設した南朝北朝に降伏する1392年まで、14世紀の大半、日本を二分した北朝南朝の内戦の時代が始まった。こうして後醍醐は1332年頃、日本を古代の太陽神「王権神授政治」の時代に戻そうとしたが、大失敗に終わった。現在の日本の皇室は、後醍醐の系統ではなく、北朝天皇の子孫である。

 

アクエンアテン

 後醍醐とフィリップ4世より2600年ほど前に、両者よりも有名なもう一人の支配者が、既存の秩序に挑戦する絶対的な権力の座に、自分自身と、自分の王国に対する価値観と欲望を確立しようとした。それがアメンヘテプ4世で、彼は名をアクエンアテン(紀元前1351年頃~紀元前1334年頃)19と改めた。彼は、ツタンカーメン(本来の正式名はツタンカーテン)の父であると主張する者もいるが、これには異論がある。多くの人々は、アクエンアテンはエジプトの宗教と文化をより良いものに変えようとした「進歩的な改革者」であり、ユダヤ教キリスト教一神教の先駆者であり、啓蒙的な夫婦関係の先駆者であったなどと考えている。ジークムント・フロイトに始まり、彼をモーセと同一視し、聖書の出エジプトは彼の治世中、あるいは治世直後に起こったと考える者さえいる。しかし、こうした見方は、アクエンアテンを近代的なレンズを通して見ることが多く20アクエンアテン自身に焦点を当て、それ以前のファラオの文脈でアクエンアテンを見ないことが多い。もしそうするなら、アクエンアテンが自分の神である太陽球アテン21を見ていたし方は、他のエジプト人がアトゥム、アメン、ラー/レ、オシリス、ホルスなどの神々を見ていたのと大きな違いがなかったことに気づくだろう。古代エジプトのそれぞれの大都市、たとえばメンフィス、テーベ、エドフ、ヘリオポリス(イウヌ/オン)、ヘルモポリス(ケムヌ)、アヘタテン(アマルナ)には、独自の崇拝と主神があり、その主神は他のすべての神よりも優れた神とみなされていた。例えば、アクヘナテンのよく知られた「アテンへの賛歌」と、カイロのエジプト博物館に保存されている「アメン=レへの賛歌」には、大きな違いはない22。アクヘナテンと異なるのは、狂信的で寛容さに欠け、伝統的な神々を排除して自分たちの神々を優先したことである。まず、神廟のための財産を取り除き、その後、実際に神像やカルトゥーシュ(建物に刻まれた正式な名前)を汚して、エジプト人の記憶から神々を追放した(これは、死後、彼の名前にも起こったことである。)

 彼の父アメンホテプ3世は、より「包括的」なファラオであり、伝統的な神々をすべて受け入れていたが、一方でアテンの崇拝を歓迎し、肯定していた。エジプト学者のウォリス・バッジは、「アメンホテプ(4世、すなわちアクエンアテン)は、アテンに、古い神々、テム(アトゥム)、ラー、ホルス、プタ、さらにはアメンの属性を与え、アテンが "唯一 "で "一人 "であることを宣言した」と指摘している。太古の昔から、エジプトのあらゆる偉大な神々の崇拝者たちは、自分たちの神が「唯一」であると宣言していた。「一体性」は、エジプトで崇拝されるすべてのものの属性であった。バッジはまた、アクエンアテンは「断固とした意志と非常に明確な宗教的信念を持ち、大胆不敵な性格の持ち主」であったが、「反対を軽んじることはなかった。国王として国や国民に負うべき義務の本質を理解することもなく、人生の現実を理解することもなかった。彼はファラオの王術を学ぶこともなく、戦士だけが戦士が自分のために勝ち取ったものを保持できることを理解できなかった......半狂乱の男以外には、国の社会的(経済的)生活全体が中心となっているアメンとその崇拝を打倒しようとするほど、事実に盲目であったようである」。23 記の特徴は、後醍醐とフィリップ4世にも共通するものであった。偉大な意志力と確固たる宗教的信念を持ちながら、ある種の狂信者であり、彼らが統治した土地と人々の現実に対する無知であった。

 古代エジプトで最も有名でありながら、最も取るに足らないファラオの一人であったツタンカーメンが、アクエンアテンの息子なのか、弟なのか、継子なのか、それとも全く血縁関係がないのか、エジプト学者たちはいまだに論争を続けている。しかし、はっきりしているのは、このファラオ、ツタンカーメンが紀元前1323年頃に亡くなった時、わずか19歳であったということだ。その墓は、1922年11月4日にイギリスの考古学者ハワード・カーター(1874-1939)によって発見されて以来、エジプト学上の最大のセンセーションであり続けている。カーターに資金を提供したのは、考古学愛好家の第5代カーナーヴォン伯爵ジョージ・エドワード・スタンホープ・モリニュー・ハーバート(1866~1923年)だった。カーナーヴォンの妻の金、すなわちロスチャイルドの金があったからこそ、ハワード・カーターはカーナーヴォンのために16年間も働き続け、ツタンカーメンの墓を発見することができたのである。 ロスチャイルドとのつながりのほかに、カーナーボンのもうひとつの注目点は、彼がエドワード・ハーバート・オブ・チャーバリー公(1583-1648)の子孫であることだ。シュタイナーは、彼の歴史症候学コースの講義9で、チャーバリー卿について語っている25。チャーバリーは、イギリスにおけるフリーメーソンの事実上の「宗教」となったイギリス理神論の創始者である。理神論は至高の存在に対する合理主義的な信仰であり、チャーベリーはそのために5つの命題を提唱したが、その中にはキリストについての言及はない。フリーメイソンの象徴と儀式は、エルサレムのソロモン神殿と古代エジプトのカルト的な形式に大きく基づいているが、イングランドフリーメイソン(ロンドンに本部を置くユナイテッド・グランド・ロッジ)に受け入れられるためには、至高の存在を信じることを確約しなければならない。 「思弁的な」(すなわち象徴的な)フリーメーソンそのものが、シュタイナーが「ポスト・アトランティス(エジプト-バビロニア-カルデア)第3時代(紀元前2907-747年)の文化の側面が、現在のポスト・アトランティア第5時代(1413-3573年)の中で復活した」と呼ぶものの一例である。理神論の「近代的な」神の抽象的な超越的「スピリット」と、アクエンアテンの太陽神アテンとの間にある種のつながりを感じるのは無理からぬことである。カーナーボンとツタンカーメンが結びついたのは、本当に偶然ではなかったのかもしれない。 カーナーボンは発掘に携わった一人で、墓が開かれて間もなく亡くなった(墓は1922年11月に発見され、彼は1923年4月にカイロで亡くなった)。

 なぜ、エジプトのファラオの中で、取るに足らないツタンカーメンの墓が、これまでのエジプト学で最もセンセーショナルな発見となったのだろう?そして、なぜちょうどその時期に発見されたのか?これらの疑問に対する明確な答えは見つからないかもしれないが、例えば、ツタンカーメン26の時代にカーナーヴォンとカーターが前世で生きていた可能性など、輪廻転生に関する憶測のほか、1822年にジャン=フランソワ・シャンポリオン古代エジプト象形文字を解読してからちょうど100年後に発見されたという事実もある。紀元前1332年〜1323年)の墓が発見されたことで、アクエンアテンの時代(紀元前1353年〜1323年)と、アクエンアテンが彼の王国に押し付けようとした重大な、しかし短命に終わった宗教改革に注目が集まったという事実もある。学者たちは、ツタンカーメンの在位期間は9年で、彼がファラオになったのは紀元前1332年頃、つまり2×666年であると断定している。・・・

 

歴史の軸

 このすべてにおいて重要なポイントは、アテン神宗教の時代は、イエス・キリストの後である西暦1330年代と同じくらいイエス・キリストの前である時代(紀元前1330年代)に終焉を迎えたということである。その軸の両側にある年月は、不思議なことに互いに関連しているように見える。シュタイナーは、1910年に別の観点から、パレスチナのキリストの出来事の両側で発生するこの歴史のミラーリングを議論したとき、彼は、紀元前3101年の闇の時代(インドではカリ・ユガとして知られている)の始まりからイエス・キリストの時代までの3000年間が、それぞれ約1000年の3つの期間、アブラハムの時代(紀元前3000年頃~紀元前2000年頃)、モーセの時代(紀元前2000年頃~紀元前1000年頃)、ソロモンの時代(紀元前1000年頃~キリストの出来事まで)に分けられると話した。そして、これら3つの時代の性格の何かが、キリスト後の3000年の間に、いわば鏡のように逆の順序で繰り返される。第一のキリスト教千年期-ソロモンの時代、第二のキリスト教千年期-モーセの時代、第三のキリスト教千年期-アブラハムの時代である。キリスト以前のアブラハムの時代(すなわち、紀元前3000年から2000年)には、自然な霊視能力は衰え、人類は肉体の頭脳に依存するようになり、唯一神の概念が現れ始めた。紀元前のモーセの時代(紀元前2000年~1000年)には、人類はさらに物質界に下降し、唯一神は自然の物理的形態(風、嵐、燃える柴など)や十戒のような外部からの命令を通して、自分を外部に現わした。紀元前ソロモンの時代(紀元前1000年~紀元前1年)になると、人間は自分の頭で考えるようになり、哲学や政治が生まれた。しかし、紀元後ソロモン期(西暦1年~西暦1000年)の時代は、キリスト教の秘教的な知恵が発達した時代であると同時に、不毛で硬直した知的神学や教条主義が発達した時代でもあった。紀元後モーセ期(西暦1000年~西暦2000年)の時代は、キリスト教神秘主義や魂の内面性が発達した時代であった; 紀元後アブラハムの時代(西暦2000年~3000年)は、人類が肉体的な脳から徐々に解放され、肉体的な存在としてではなく、地球を取り囲む霊的な生命圏におけるキリストのビジョンを含む、自然な霊視能力が発達する時代である。このように、3つの時代のそれぞれの「しぐさ」は関連しているが、時間の中で鏡のように映し出されている。キリストの出来事にまつわるこの鏡のような出来事のもう一つの例は、仏教が紀元前6世紀後半に、イスラム教が紀元後6世紀後半に出現したことである。さらに、紀元前6世紀、597年から538年にかけて、ネブカドネザル王がユダ王国を滅ぼした後、多くのユダヤ人がバビロニアに追放された。紀元6世紀には、ビザンチン帝国皇帝ユスティニアヌスが多くの反ユダヤ法や制限を制定し、6世紀初頭にはバビロニア・タルムード(ラビ派ユダヤ教の中心的テキスト)が完成した。歴史を理解する上で、キリストの出来事以前の歴史的出来事と、キリストの出来事以後の同時代に起こった歴史的出来事を比較することは非常に重要である。例えば、この記事の文脈では、紀元前1330年代と紀元後1330年代を意味する。

 

1330年代から今日まで

 西暦1328年、フランス王シャルル4世がわずか6年の在位で死去した。彼はフィリップ4世(「妖精」)の3人の不運な息子の最後の一人であり、10世紀以来フランスを支配してきたカペー朝の本家の最後の一人であった。父と同様、シャルルもまた「端麗王」として知られていた。1328年、フィリップ4世の娘イザベラは、恋人のロジャー・モーティマーと共にイングランドに君臨していた。1328年にシャルル4世が死去すると、フランスの貴族たちはイザベラやその息子エドワード(エドワード3世)をフランスの統治者として受け入れることを拒否し、代わりにフィリップ・オブ・ヴァロワをフランス王として戴冠させた。彼はフィリップ4世(1314年没)の弟であり、カペー朝(以後ヴァロワ朝)のカデット分家の当主であった。フィリップ4世の3人の息子の死後、1330年代からフランスに新しい王朝が誕生した。フィリップ4世は、自らを「アテンの子」と見なしたアクエンアテンが約2660年前のエジプトで試みたように、また前述のように後醍醐天皇も1330年代初頭に中世の日本で同じようなことを試みたように、「神の代理人」としての自らを中心とする「王権神政」を築こうとした王であった。3人に共通する「しぐさ」は、それぞれの国において自らを「太陽のような存在」とみなし、自らを中心に回るようにしたいと願ったことである。アクエンアテンは、西暦666年頃のゴンディシャプールのソラトのように、自国民をあまりにも早く前に押し出そうとした。一方、後醍醐は、自国を9世紀か7世紀まで時間を逆行させようとした。フィリップ4世は他の2人ほど時代錯誤ではなかった。彼は自国を、少なくとも貴族や聖職者たちを多少は理解していたが、それにもかかわらず、強情で判断力に欠け、頑固な決断によって自国と国民に大きな苦しみを与えた。

 

 ツタンカーメンの墓が発見されたのは1920年代だった。1917年にロシアでボリシェヴィキが政権を握り、1922年にソビエト連邦が正式に樹立され、1924年レーニンの死後スターリンが政権を握り、1922年にイタリアでムッソリーニが政権を握り、1920年初めにドイツでナチ党が結成され、1年後にヒトラーがその指導者となった。これらの全体主義に共通する点は、唯物論的な基盤に加え、社会の文化的、政治的、経済的領域を国家の管理下に置いたことである-“ワンネス "というテーマ。これら3つのはすべて、万能の指導者による独裁と、それらの指導者による、しばしば巨大で儀式的な見世物を通しての、ほとんど宗教的な方法での大衆の統制という点で、エジプト的な含みをもっていた。この第二の時代、モーセの時代(紀元後二千年)において、これらの体制は、それ以前の「モーセの時代」(紀元前)がそうであったように、まさに「命令社会」であり、絶対主義的な神権国家であった。特にドイツでは、新体制のカルト的なシンボリズムとスタイルは、例えば、遍在する鉤十字に見られるような、太陽のモチーフの反転であった27

 1922年11月26日、カーナーヴォン卿と娘のイヴリン・ハーバートがエジプトに到着した後、ハワード・カーターはカーナーヴォンとイヴリンとともに、アクエンアテンツタンカーメンの生死から33世紀を経て、数千年ぶりに墓の埋葬室に入った。実際、ツタンカーメンの埋葬室に入ったのは、小柄なイブリンが初めてだった。1923年、墓の内部の作業はゆっくりと慎重に進められた。1922年にすでに大病を患っていたカーナーヴォン卿が1923年4月に亡くなり、カーターはその年の秋に墓の作業を再開した。しかし、1924年2月12日、エジプト当局の干渉に抗議して作業を中断し、墓での作業を再開したのは1925年1月25日のことであった。注目すべきは、シュタイナーが1924年9月末に重い病に倒れ、1925年1月になっても病床にあったことである。カーターと彼のチームがツタンカーメンのミイラから、今では伝説的で世界的に有名な黄金の葬儀用マスクを取り出し、ついにファラオの顔を見つめたのは、墓の最初の発見からほぼ3年後の1925年10月のことであった。その頃、シュタイナーは6ヶ月前(1925年3月30日)に死去しており、アドルフ・ヒトラーは出所してほぼ1年が経過し、1925年2月に、彼の断固とした命令の下にナチ党を再興していた-自分を「総統」と呼んで。ヒトラー国家社会主義者については、(通常の話し声を除けば)固く堅固なイメージが強い。彼が世界に示した「運命の人」の厳格な顔のイメージは、エジプトのファラオに似ていた-もちろん口ひげは別として!ナチスの建築は、ある点では古代エジプトの建築に似ていた。黒い鉤十字(それ自体は古代ヒンドゥー教の太陽のシンボル)は、血のように赤い地の中央にある白い円盤の中に描かれていた。古代エジプトは黒と赤の2つの国として知られていた。パルジファルの姿を偶像化したヒトラーは、あたかも地上における太陽の代表であるかのように表現され、ナチスのイデオローグたちはヒトラーをそのように語った。アクエンアテンは自らをアテンの息子、太陽の息子とみなした。古い神々のすべての祭司に代わって、彼は事実上、ルイ14世でさえ主張しなかった、地上の太陽であると主張した。ヒトラーが権力を握ったのは1933年(1833年のカスパー・ハウザーの死からちょうど100年後)であり、1999年の66年前である。【訳注】

 

【訳注】カスパー・ハウザー(1812年4月30日? - 1833年12月17日)については、日本でも書籍が出されているが、16歳頃に保護されるまで長期にわたり地下の牢獄(座敷牢)に閉じ込められていたとされるドイツの孤児で、その生い立ちからしばしば「野生児」に分類される。しかし、実は、人智学派にとっては重要な人物である。彼は、バーデン大公家の世継でとあったする説があるのだが、実際に、彼は、本来であれば、中欧に優れた精神的文化国家を建設する役割を担っていたが、敵対勢力により地下牢に幽閉されてしまったというのである。もし彼がそれを実現していれば、その後のヨーロッパ及び世界の歴史は変わっていただろうとされる。暗殺でなく「幽閉」したのは、この期間に、彼が直ぐに再受肉するのを阻止するという狙いであったようである。

 

 シュタイナーは1910年に、一部の人類は1933年から地球のエーテル圏(霊的生命圏)でキリストを知覚し始めるだろうと述べ、1924年には「エーテル圏のキリストを正しい方法で理解する前に、人類はまず奈落の底から甦る獣との遭遇に対処しなければならない。これは、黙示録の言葉が私たちに伝えていることだ......」29と述べた。 1933年、天界ではなく地上の人間の魂に、霊的存在である太陽の悪魔に触発されて、別の種類の獣が実際に出現した。太陽の悪魔は、キリスト教時代におけるその活動の第三の「窓」30において、大きな介入を行った-それは、その時、その時代の3つの領域すべて、経済的、政治的、文化的な出来事に、そして最近ではコビド危機における健康と医学の分野に、攻撃を行なった-

 WEFを創設したドイツの実業家クラウス・シュワブと、WEFの「宮廷哲学者」であるイスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリは、『ホモ・デウス』や『止められない私たち-人類はいかにして世界を征服したか』といった「控えめな」タイトルの本の著者であるが、コビッド19は来るべきグレート・リセットと密接な関係があると信じていた。シュワブの2020年の著書には『コビッド19:グレート・リセット』というタイトルまで付けられており、コビッド19がグレート・リセットであることを示唆しているかのようである。しかし、シュワブにとってグレート・リセットとは、我々の文明がAI主導のトランスヒューマニズム的な、つまり、少数のエリートの利益のために運営されるグローバル資本主義の形態を意味している「ステークホルダー資本主義」へと完全に変貌することを意味する。これは、アーリマンが人間界に本格的に活動するであろう2030年代に向けて彼らが計画していることである。しかし、前世紀の2つの世界大戦がそうであったように、間違いなく今世紀の残りに深く影響を及ぼすであろうその重大な出来事の前に、アーリマンによるグレート・リセットのための「地盤」は、太陽の悪魔ソラトによって過去50年間(1973年から2023年、3番目のソラトの「窓」の間)に準備されたのである。これらの年月は、国連・世界保健機関(WHO)、世界経済フォーラム(WEF)、ビル・ゲイツ、アンソニー・ファウチ、アメリカの疾病管理予防センター(CDC)、イギリスの緊急事態科学諮問グループ(SAGE)、そしてこれらの機関や個人の「助言」や厳格さに疑うことなく従った数多くの各国政府や報道機関による欺瞞に基づく大災害の3年間で頂点に達した。それは、この重要な21世紀、この新しい第3の千年紀の初期の数年間における、科学的(「医学的」)、政治的、経済的大惨事31であり、そして太陽悪魔ソラト(ヨハネの黙示録第13章の「二本の角を持つ獣」)の第3の介入の最後の3年間に、恐ろしいとされる世界的な病気から「私たち全員を救う」ために、疑似パンデミックが作り出されたのだ。高齢者から乳幼児まで、何億人もの人々が欺瞞に満ちた "予防接種 "を注射された。この「ワクチン」は、予防接種ではなく、工学的な生物兵器32であり、健康で体力のある人間、特に若いスポーツマンたちを着実に殺している-ある者は突然死し、ある者は重病に倒れている。それは、妊娠に失敗する女性の数や、増加する過剰死亡率により暗に示されているが33 、これらはすべて、主要メディアがほとんど無視している。ソラトの魔法にかかり、コビッドと「予防接種」に関する公式のシナリオに従った政府、メディア、エンターテインメント業界の人々は、最初は慰めの言葉やあらゆる種類の励ましや誘惑で語りかけたが、最後には脅迫、侮辱、そして注射を拒否する人々に対して「龍のように語る」悪質なプロパガンダで語りかけ、監禁、抑留、公民権の否定などを要求した。

 一方、シュワブ、WEF、メディア、各国政府は「危機」を利用して、「コビット・パス」、「ヘルス・パス」、「グリーン・パス」、「ワクチン・パスポート」など、スマートフォンのアプリやQRコードに依存した監視と管理の新技術を押し進めた。私たちは、自宅で仕事をし、移動を減らし、自宅から15分圏内のライフスタイルに慣れなければならないと言われた。いわば、あらゆるものが「手の届く範囲」にあるような場所で、「ウイルスを撒き散らさない」ように、そして「炭素排出量を減らす」ように、「ゼロ・カーボン」の経済社会を目指すのだ。炭素は憎悪の対象になっている......私たちの体のほとんどが水と炭素でできていることを、人々は忘れているようだ。ソラトの第3の介入期間(1973-2023年)には、スマートフォンQRコード、自動決済システム、社会的信用監視システムとともに、動物と人間の両方にマイクロチップを埋め込む技術が出現しただけでなく、私たちは、1970年代後半の「地球寒冷化」の恐怖から、1990年代の「地球温暖化」の恐怖、そして2010年代以降の「気候変動」の恐怖へと押し流されてきた。Covid-19への恐怖を頂点とする、1970年代初頭からのこうした恐怖を煽る動きはすべて、アーリマン(ヨハネの黙示録第13章に登場する「第一の獣」)と太陽の悪魔ソラト(第二の二本角の獣)のサインを帯びている。

 第2の獣は、

「地上に住む者たちに、剣で傷を負ったが生きている[第一の]獣の像を造れと言った。

そして、彼(第二の獣、ソラト)は、[第一の]獣の像に命を与える力を持ち、[第一の]獣の像が語り、[第一の]獣の像を拝まない者が多く殺されるようにした。

そして,小さき者も大いなる者も,富める者も貧しい者も,自由な者も束縛された者もみな,その右の手または額にしるしを受けるように仕向けた。

そして、獣[ソラト]の印、すなわち獣[ソラト]の名、またはその名の数を持つ者でなければ、だれも売り買いできないようにした。

ここに知恵がある。それは人の数であり、その数は六百三十三と六である」34ヨハネの黙示録)。

 

 今はまさに暗黒の時代であり、文明として物質的には多くのことを成し遂げたが、倫理的、精神的には大きく堕落した時代である。ニカノール・ペルラスは、2018年に出版した著書『人類最後の抵抗(邦題:AI 分岐点に立つ人類)』の中で、私たちの時代について印象的かつ有益に書いている。 私自身は、「最後の砦」は誇張されていると感じているが、それでも、2000年前のゴルゴダの秘儀に言及したシュタイナーの「基礎石の瞑想」の第4節で言われているように、大きな闇との遭遇を通してのみ、多くの人々が起きていることの霊的現実に目覚め、闇の後には夜明けの光が待っていることに気づく時代であることは事実であろうと思う。: 「夜の闇は過ぎ去った。夜の闇は終わりを告げ、昼の光が人間の心に差し込むようになった......」。キリストを信じる人々は、闇の霊的な力が2000年前にすでに全般的に打ち破られていたこと、そしてそれ以来、それらの力は巨大で複雑な後方での行動に限定されてきただけであり、その行動には彼らの側からの大規模な攻勢も含まれていたが、結局はすべて無駄であったことを決して忘れてはならない。この21世紀は、人類の未来にとって重大な時期である。 平静を保ち、見守り、祈り、観察し、理解し、行動するなかで、私たちは、自分でこの時代に生きること、そして人類の未来のために役割を果たすことを選択したことを、心に刻まなければならない

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 ボードマン氏が語るように、時代はまさに黙示録的雰囲気を漂わせてきている。

 彼が言うように、最近の数々の異常な出来事は、アーリマンの受肉(ボードマン氏は既に終わっていると考えている)とその本格的活動に向けた下準備に過ぎないのであろうか。

 私は、現在の政治的、経済的、文化的指導者達の多くは、通常の意識ではないように思えてしょうがない。彼らは、コロナといいウクライナといい、客観的なデータや事実が一方で明らかにされているにもかかわらず、それを無視、あるいは顧みず、誤った道をどんどん突き進んでいるように見える。確信犯的に嘘をつき通しているのか、あるいは単に判断力が鈍っているのかは分からないが、そのもたらす結果を考えると、いずれにしても、通常のリーダーとされる人間の行いには見えないからである。

   シュタイナーは、第一次世界大戦前の政治的指導者は、やはり判断力が鈍らされていたと主張している。今また、ソラトにより彼らの精神が歪められているのではないかと思うのだ。

 ソラトの影響は、コロナ「ワクチン」の霊的影響を論じた記事でもよく現われていた。

k-lazaro.hatenablog.com

 多くの人智学派が主張するように、アーリマンの出現に向けてソラトが背後から力を及ぼしているのであろう。今、二匹の獣が暴れているのだ。

 

 これは霊的な戦いである。それは人類と地球の未来を決するものである。

 ボードマン氏は、最後に、私たちは「自分でこの時代に生きること、そして人類の未来のために役割を果たすことを選択した」と述べている。即ち、私たちは、自分のカルマによって、ということは自分の高次の自我の選択により、この時代に生きることをあえて選んだのである。それは、少なくとも、人智学やシュタイナーを学ぶ人間にとっては、この時代の悪と闘う決意をもって地上に降ったということであろう(それは勿論、自分と自分の縁者そして人類の未来を守るためである)。

 ボードマン氏は、このことを心に刻めというのである。