k-lazaro’s note

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ミケランジェロ「最後の審判」と聖骸布の秘密の関係【後編】

16世紀の画家ジュリオ・クローヴィオの絵画(聖骸布がどのように作られたかが分かる)

 前回に続き、「ミケランジェロ最後の審判』と聖骸布の秘密の関係」の後編を掲載する。

 

 本文に入る前に、聖骸布についてまた補足説明をしておきたい。それは、聖骸布に関連すると思われる伝説についてである。

 マンディリオンというものがある。イエス・キリストパレスティナで活動していたとき、古代都市エデッサ(現在トルコ領)にアブガルという王がいた。この王は病気となり、その癒しを求めて、イエスの下に使者を送った。するとイエスは、自ら布に顔を押し当て、そこにイエスの顔を写しとった。そしてその布を使者に持たせ、王のもとに帰らせた。その布の姿を王が見ると、奇跡的に病気が癒され、これに喜んだ王は、一族もろともキリスト教に改宗した、アブガルは、最初にキリスト教徒になった王となった、という。その布が、マンディリオン(麻布)である。

 また、王は、これを記念し、エデッサの城門にこのイエスの顔を写し取ったタイルを掲げたという。

 さて、このマンディリオンは、確かに、今回のテーマの聖骸布とは異なるものである(マンディリオンはイエスの生前にできた)が、研究者の中には、これと聖骸布には、何らかの関係があるのではないかと主張する者もいる。全身像の聖骸布を折りたたみ、顔のみ見えるようにすれば、まさに顔のみのマンディリオンとなるからである。

 また、東方のイコンを含め、古代以来、作成されてきたイエスの肖像はどういうわけか、その容貌がみな類似しており、これは、まさに聖骸布(あるいはマンディリオンやエデッサのタイル)がその原型となったからではないかという仮説もあるのである。

 

  さて、ここで今回紹介する論考にもどるが、エデッサの城門に掲げられたイエスの顔を写し取ったタイルをケラミオンという。今回紹介するヨス・フェルハルスト氏の論考のきっかけとなったフィリップ・デイヴォールトPhilip E. Dayvault氏の主張は、彼がこのケラミオンをトルコで発見した、それはまさに聖骸布の顔がそれの原型になっているというもので、彼は、その主張を『ケラミオン、紛失と発見 THE KERAMION,LOST AND FOUND』という本にまとめて出版したのである。

 しかし彼は、考古学者ではなく、前歴はなんとFBIの特別捜査官及び物理化学技術者なのだ。だがそれゆえ、犯罪捜査で使われる顔認証技術を駆使してケラミオンと聖骸布の顔の同一性を確認したとするのである。

 ただ、そもそも彼の発見したイエスの顔のタイルは本物のケラミオンではないとする指摘もあるので、氏の主張をそのまま受け入れることは出来ないのだが、彼のケラミオンの発見が誤ったものであったとしても、顔認証の知識・技術をもっていることは間違いないようなので、最後の審判聖骸布との類似の指摘を否定する必要はないだろう。

 

 以下の後半では、デイヴォールト氏の主張をふまえつつ、さらにフェルハルスト氏独自の視点で、「最後の審判」に込められた聖骸布の顔との関係が明らかにされていく。

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ミケランジェロの『最後の審判』におけるトリノ骸布の顔の埋め込み

デイヴォールト仮説の実証(後編)

 ヨス・フェルハルスト著

 

ε字型の血痕と「元々の折り目」の表現

  図5は、聖骸布上の「元々の折り目」の位置(左、オレンジ色の線)と、フレスコ画上の対応する仮想線(右、オレンジ色の線)を示している。どちらの画像でも、この襞の線と目(または眼球)の位置関係が同じであることに注目してほしい。

 聖骸布では、元々の折り目は偶然にもε字型の血痕をかすめている。デイヴォールが指摘したように、このε字型の輪郭は、最後の審判の上に座る預言者ヨナの横顔に模倣されている。この預言者は、望まれる輪郭を作り出すために、普通とは異なる、かなりぎこちない姿勢をとっている(図5)。聖骸布では、ε字型の血痕は小さな突起を示しており、それはちょうど元々の襞に接している。この小さな突起の位置と方向は、図5の緑色の矢印で示されている。明らかに、ミケランジェロ(あるいは彼の情報提供者)は、この小さな突起の存在と、元々の襞との空間的な関係を認識していた。ε字型の血痕から発した小さな突起に対応する人差し指が伸びている、預言者の手の非常に珍しい位置は、画家がこれらの細かい要素をすべて絵の中に表現したいと願ったからだと説明される(図5のA)。

 

14 キリスト教の秘教的伝統によれば、これは磔刑の日付である。コリン・ハンフリーズ(最後の審判の秘密. イエスの最後の日々を再構築する 2011, Cambridge: Cambridge U.P.)は、福音書の一見矛盾する要素をすべてこの日を中心に調整することが可能であることを示している。システィーナ礼拝堂のヘンドリック・ファン・デン・ブルック(アリゴ・フィアミンゴ)作のフレスコ画には、33年4月5日(日)が復活の日として符号化されている。西暦33年4月3日と4月5日の日付は、アントワープの聖母大聖堂にあるピーテル=ポーウェル・ルーベンスの絵画にも埋め込まれている(J.Verhulst De Rubens Code 2011; Antwerp: Via Libra, p.109-111; オランダ語参照)。

 

図4:トリノの聖骸布の顔(Enrie 1933年)。オレンジ色の矢印は、いわゆる「元々の折り目」15の位置を示す。赤の矢印は、元々の折り目とともに左眼窩内に十字を作る小さな襞を示す12。緑色の矢印は、右12眼球領域上の縦帯パターンを示す。青い矢印は、いわゆる「中心襞」の位置を示す。

 

15 この元々の折り目は、中心褶曲が位置する聖骸布の実際の正中線とは一致しない。可能性のある説明については、César Barta (2010) Le Pli Primitif in: Revue Internationale du Linceul de Turin n° 33-34. p.4-10.

 

図5:聖骸布と「最後の審判」に見られる元々の折り目(オレンジ色の線)。この折り目は、額(A)にあるε形の血痕の小さな突起(緑色の矢印)をかすめるだけである。聖骸布画像の左目内では、この折り目は十字架の縦の梁を作り出している。フレスコ画の対応する縦の梁は、左の遠心性の十字架をかすめるだけである。フレスコ画の対応する垂直線は、左の円形部の十字架をかすめるだけである。さらにその下で、折り目は口ひげの像を横切り(B)、次に叉ひげの左側部分を横切る(C)。ここでミケランジェロは、復活した魂が上方に向かうV字型の群れを描いている。この細いV字型は、襞の線を中心に正確に配置され、元々の折り目の襞の鋭さと薄さをイメージしている(一方、中央の襞はもっと鈍い)。「頭部のない四角形」の位置は赤で示されている。

 

図6:垂直の元々の折り線(図5)と、聖ペテロの鍵を通り、混紡の打撃を表す線(図2参照)のそれのぞれの位置を示す「目印の人物達」 聖アンデレ(2)(キリストの最初の弟子としてキリストの近くに立っており、十字架を背負っていることで認識できる)と洗礼者ヨハネ(1)(この聖人の識別は不確実)の後ろにいる緑色の服を着た女性の聖人(A)は、左手の人差し指で元々の折り目を表す仮想の線を指している。この線はまた、彼女の「ティラカ」16を貫いている。聖ペテロ(3)の鍵によって示されている平行線は、伸ばした右腕に沿い、右上隅の無名の男性聖人(B)のティラカを通っている。この男性聖人も緑色の服を着た女性聖人も、絵の中に埋め込まれた秘教的な意味を持つ線を識別するのに役立つ「目印の人物」である。作品に秘教的な内容が潜んでいることは、聖ヨハネと聖ペテロの足の後ろに四つん這いでしゃがみ込んでいる二人の隠れ人物(CとD)によって、極めて直接的に表現されている。実は、ミケランジェロは、左手の聖アンデレと洗礼者ヨハネの後ろ(AとC)と、右手の聖ペテロの後ろ(3)に、相補的な緑と赤のコンビを描いている。聖ペトロの鍵は、福音書記者聖ヨハネ(4)(聖ペトロの背後; 同定は不確か)の赤い服を背景に見えるが、その下の緑色の服を着てしゃがんでいる人物(D)の背中を、銀の鍵に沿って走る線がほとんどかすめている(図2も参照)。左手では、元々の折り目を表す線が、洗礼者(1)の後ろに隠れている人物の顔をかすめ、「目印の聖人」(A)の緑色のドレスに沿って上方に伸びている。ひざまずいている人物も隠れている人物も、「自分の」線から後退しているか、身をひそめているように見える。

 

16 ここで言う「ティラカ」とは、額の中央の後ろにある特別な点を指しており、目覚めている人間はそこに「自己」があるという感覚を持つ。ヒンドゥー教では、ティラカはこの点を示す額の目立つ印である。キリスト教美術では、多くの芸術家(ラファエロ、カラヴァッジョ、ルーベンスなど。Verhulst 2011 14参照)ミケランジェロもまた、この秘教的な慣例を利用しているようだ。例えば、メシュベルガーの仮説3が成り立つなら、アダムに命を授ける神の腕はティラカをとおるように指している。ゴンサレス6が提唱した仮説が成り立つなら、聖ペテロの鍵(図2)によって定められた線は、ダンテのティラカを通っていることになる。図10も参照。

 

 預言者ヨナの下肢は、多くの著者によって指摘され、聖骸布の顔の主な「ヴィニョンの印」17のひとつに数えられる、いわゆる「頭部なしの箱」あるいは「頭部なしの四角形」に対応している(図5、赤い印)。多くの場合、人間の顔にはその場所に2本の縦溝が見られるが、聖骸布では織物自体の小さな欠陥に起因するようだ18

 

 メヒティルド・フルーリー=レンベルクが元々の折り目を「...しっかりと刻まれたV字型の溝」、「...非常に顕著な折り目」と表現したことはすでに述べた。この特殊な襞の輪郭は、フレスコ画では、襞の線の基部にある、復活する魂の群れによって示されている。集団の輪郭は鋭いV字形をしており、ε形の血痕から垂直に落とされた部分が、その対称的な軸と一致している(図5、C)。このグループの上にある小さな雲(図5のB)は、聖骸布の顔の口ひげのイメージに対応しているようだ。聖骸布では、元々の褶曲線が左目の十字架の垂直部分を作り出している。フレスコ画では、十字架は、掲げられ、斜めになっていおり、その線は、右端を通っている襞に対応している(図5)。

 特に興味深いのは、それぞれ折れ目の線と聖ペテロの鍵を通る線に関連する目印の人物である(図6とキャプション参照)。これらの副次的な人物、特にしゃがんでいる二人の人物の奇妙で不可解に見える位置は、フレスコ画の秘教的な内容を考慮に入れると理解できるようになる。

 

髪の毛の血痕の表現

 聖ペテロ(一対の鍵を持つ)とキュレネのシモン(フレスコ画の右端、十字架を持つ)の間に、二人の男性の姿が見える。一番右の人物は、驚くべき半分かがんだ姿勢で描かれている(図7)。彼は仲間の手を頭上に伸ばしており、まるで守っているかのようである。この奇妙な構図を説明しうる特殊性を求めて聖骸布を調べたところ、この人物と聖骸布の顔の右側に見られる細長いZの形をした血痕とが全体的に似ていることに驚かされた(図8)。聖骸布上では、この血痕は、髪の毛の像の上に重なっているように見える。しかし、この血痕とこの像とは異なる条件下で形成されたものであり、聖骸布の血痕を作った傷は実際には顔の上にあった19

 

17 「頭部のない正方形」は、ポール・ヴィニョンによって「le carré supranasal」と呼ばれている("Le Saint Suaire de Turin" Paris: Masson & Cie.1939, p.137)。例えば Ian Wilson (1998) "The Blood and the Shroud" New York: free Press (pl.39).

18 Roy DolinerとBenjamin Blech ("I segreti della Sistinaシスティーナ礼拝堂の秘密" Milan: Burr 2008; p.284)は、預言者の脚にはヘブライ語の「彼」(これ)の字הが暗号化されていると提案するが、この.解釈では、預言者の左脚全体と右脚の下部のみが考慮されることになり、これはほとんど意味をなさない。

19 Alan D.Adler (2002) 『孤児となった原稿 トリノの聖骸布に関する出版物集』 Turin: Effatà Editrice; p.63-66.

 

 明らかにミケランジェロは、このZ字型の血痕を興味深いものと考えたようだ。彼は、自分の絵に取り入れたかったそのディテールを、トリノの聖骸布に描いた。しかし、血痕を絵の範囲内に収めるためには、血痕の位置を変形させなければならなかった。この変形は、図8(Aからaへ)に示されているように、血痕の位置を元の距離の50%以上、鼻筋の特定の点に向かって移動させることによってもたらされることが、少し調べればわかる。もちろん、このような単一の血痕の変位の仮説は完全に後付け的なものである。

 しかし、この仮説はチェックし、改良することができる、というのも、髪の下部にはまだ他の血痕が残っており、そこにも同じ変換が適用できるからである。目の上や目以外のシミの大半は除外する。なぜなら、それらは額や目に投影されるからである。しかし、図8でBとCと表示されている2つの主要なシミを調べることができる。

 まずBの血痕から見てみよう。Bの血痕はAの血痕と同じ顔の側面にあり、豆のような形をしている。驚くべきことに、提案されている変形は、この血痕ともう一組の人物、聖ブレーズと聖カトリーヌとの関連を示唆している(図7)。このカップルを包む輪郭は、この血痕の特徴でもある切れのない「C」の形をはっきりと示唆している。したがって、この第二の血痕を調べることは、私たちの当初の直観を強く支持するものである。いくつかの描画実験によって、投影中心Pの位置を非常に正確に決定することができる。その結果、聖骸布では、この投影点は鼻梁のよく知られたV字形の最下点、額の「四角い箱」の真下に位置することが判明した。

 

 投影の形状が正確にわかったので(投影中心の位置と縮尺係数の値は固定されている)、今度は3番目の血痕に目を向けることができる(図7)。そして、この3つ目の血痕の中心は、フレスコ画の左端にある、ひざまずく女性信者を守る教会を表すとされる一番手前のカップルの上に投影されることを発見する。より正確には、C点は信者の背中の手の上にある。ここでも、聖骸布上の血痕の形とフレスコ画上の表現との間に、おおまかな対応関係を見ることができる。

 このように、検討中の3つの血痕はそれぞれ二人の人物に対応しており、そのうちの一人がもう一人に対して守る、あるいはかばう仕草をしているように見える。これは血痕Bに対応する二人組にも言えることだが、後者の場合、ミケランジェロは悪戯の意図もあったかもしれない(彼の批評家ビアージョ・ダ・チェゼーナ肖像画-アウレリウスのロバと彼の性器を噛む蛇が描かれている-を『最後の審判』に取り入れたときのように。)

図7:上:聖骸布の男の髪にあると思われる3つの血痕(位置については図8を参照)。血痕Aの主な部分は「Ż」(上に点があるZ)の形をしており、ミケランジェロによって、屈伸して屈んだ姿勢の裸体男性として描かれ、頭上には同伴者の手がある。血痕Bはあいまいな感じの文字'C'の形をしており、フレスコ画では、オリジナルがミケランジェロによって描かれた聖ブレーズと聖カタリナの二人組で表されている(中央;1549年にマルチェッロ・ヴェヌスティによって模写されたもの。ナペルスのカポディモンテ美術館。わいせつ行為とみなされたため、システィーナ礼拝堂のオリジナルは変更されてい。) 血痕Cは、しばしば「信者を守る教会」と解釈される二人組によって表されている。

図8:髪の下の部分にある3つの主要な血痕の位置の変形(髪の下の部分にある)。シミの位置はA、B、Cと表示されている(図7と9を比較;エンリーの写真)。これらの位置は、投影点Pに向かって元の距離の50%以上移動させることによって変換される: Aをaに、Bをbに、Cをcに、Pa = 0.5.PA、Pb = 0.5.PB、Pc = 0.5.PCとする。この変換は、三角形ABCを同型の三角形abcに対応させ、3つの血痕の位置を、ミケランジェロが「最後の審判」の隠しテンプレートとして使用した顔の中心部分に投影する。

 

図9:ミケランジェロ最後の審判聖骸布(図8)で得られた形状の重ね合わせ。点Pはフレスコ画の対称軸の最も高い位置にある。眼球に関しては、この点は、両目に対して、聖骸布の点Pよりもやや低い位置にある。点aが、Ż字型の血痕を模倣していると思われる膝を曲げた人物の頭の真上に位置するように、縮尺が取られている。図8では、点AはŻ字型の血痕の上に置かれており、この血痕の上には、絵の上で膝を曲げている男の頭の上にある手と対応していると思われる小さな印が冠されていることに注意されたい。こうして点Pと点aの位置を固定することで、フレスコ画幾何学的構造を転写するための位置と縮尺が完全に決定した。点bとcは、他の二つの血痕(図8のBとC)の「中心」から導き出されたもので、それぞれ聖ブレーズ(b)と教会を象徴する女性(c)がした庇う仕草と一致する。

 

 仮説も変容の詳細も、最初の2つの血痕を考察することで完成するため、3つ目の血痕について得られた正確な一致は、仮説の非常に正確な確認と考えることができる。ミケランジェロはこのようにして、額にあるε形のマークとは別に、聖骸布に見られるさらに3つの血痕を符号化した。そのために彼は、図8に示すような単純な幾何学的操作を用いた。血痕を表現するために画家が用いたイメージは、フレスコ画全体の文脈の中で意味をなす。キリストの顔に描かれた打撃の再現が、ミケランジェロの『最後の審判』の中心的な要素であることはすでに述べた。その打撃を中心に、キリスト自身による防御のしぐさ、聖ペテロを囲む聖人たちによる憤慨して振り上げた手、そして3つの血痕を象徴する3組のカップルが見せる庇護の仕草は、すべて同じシーンの一部なのである。

 

聖バルトロメオと聖ローレンス

 ミケランジェロの『最後の審判』(図10)において、皮膚とナイフを持つ聖バルトロメオと鉤爪を持つ聖ローレンスは、目立つ位置を占めている。両者の背後には、正体不明の黄色の服の「補助聖人」がいる。両者とも、前景のキリストの足元に置かれ、それぞれが雲の上に座っている。キリストとその母とともに、彼らはフレスコ画の中心的なグループを構成しており、それは聖骸布の顔の鼻に対応している。ミケランジェロがなぜこの二人の聖人をこのような目立つ位置に配置したのかは、これまで説明されていない。聖バルトロメオと聖ローレンスが選ばれたのは、ミケランジェロトリノの聖骸布への示唆を絵の中にさらに封じ込めるために、彼らの図像的特性を必要としたからである。

 聖バルトロメオによってもられた皮が、聖骸布の中央の折り目の位置を示していることは疑う余地がない11(図4)。絵に描かれたぶら下がっている皮の位置と、聖骸布の中央の折り目の位置は完全に一致している。さらに、フレスコ画に描かれたバルトロメオの皮膚が示唆する中央の溝を囲む二重の折り目は、エンリーの写真にはっきりと写っている二重の隆起を持つ中央の折り目のイメージと見事に一致している。聖バルトロメオとその背後の黄色い服の聖人の目は、聖アンデレと聖ヨハネの背後の女性聖人の人差し指に向けられた同じ視線(図10の青)を共有している(図6,A参照)。預言者ヨナ(図5右上)と同じように、この女性聖人は聖骸布の元々の折り目を表す仮想線を指し示している。どうやらミケランジェロは、中央の襞を描いているバルトロメオの皮膚を、聖骸布上で中央の襞の左側に数センチメートル離れて平行に走る元々の襞(図4)をも示唆するようにしたかったようである。

 

 聖バルトロメオの持つアトリビュート聖骸布の織物の重要な側面を示唆しているという事実は、聖ローレンスがこのような独特な持ち方をした格子も、同じ織物に関連する何らかの隠された意味を持っている可能性を示唆している。

 コンポジションの中央部分を調べると、格子はより広範な暗号化複合体の一部であることがわかる、すなわち、左手の洗礼者ヨハネとロレンスの黄色い「助祭」のティラカ、右手の聖ペテロと聖バルトロメオのティラカを線で結ぶと、V字型になるのである(図10、オレンジ色の線、角度は約66度)。

 このV字型にはどのような意味があるのだろうか。私たちはすでに、聖バソロミューの持つ皮膚が聖骸布の主要な折り目を指していることを知っている。したがって、聖骸布の布地を考慮するのは論理的だと思われる。そうなると、このV字型は聖骸布の魚の骨のような形をした織り模様のことを指しているに違いない、と考えるのが自然だろう。実際、この模様(図11)は聖骸布の顕著な特徴である。例えば、よく知られているプレイ手稿の絵にも描かれているように見える。

図10 : ミケランジェロの『最後の審判』における聖骸布の布の構造の符号化。中央の折り目の位置は、聖バトロメオが持つ皮によって示されている。聖バルトロメオは、背後にいる黄色い服を着た「補助聖人」とともに、関連する元々の襞の位置を指し示す緑色の服を着た聖人の人差し指を見ている(青い線)(図6参照)。聖ローレンスの格子の対称軸は、聖ヨハネ、聖ローレンスの「助祭」である黄色の聖人、聖バルトロメオ、聖ペトロのティラカ(紫の点)とともに、聖骸布の布のヘリンボーン模様(オレンジの線)に対応するV字形を形成している。このV字形の中央軸(緑色の線)はキリストの手によって示されている。聖ローレンスは、聖骸布の織物構造(図11)を反映する非常に独特な方法で格子を保持している。ちょうど聖骸布の布地で縦糸が3本の横糸に重なっているように、彼の腕は、鉄板の3本の横棒を越えている。

 

 V字の最下点は格子の最下部の横木の中点と一致する。V字は垂直に対してわずかに傾いている。キリストはV字の中央軸(図10の緑色の線)を両手で挟んで微妙にバランスを取っているように見え、それを見ている聖ローレンスもそれに応じて格子の向きを合わせている。キリストの身振りは、左下の呪われた者たちを拒絶しているという通常の解釈は別として、また、受難の際に受けた打撃の再現(図2)に対する防御反応という第二の(秘教的な)解釈とは別に、聖骸布の布の織り構造を示唆する、さらなる意味層にここで出くわすことに驚かされる。この示唆は多かれ少なかれ戯れ的な性質を帯びている。あたかもミケランジェロの主要登場人物は、隠された内容が作品に埋め込まれており、キリスト自身がショーをリードしていることで、驚いているかのようである。このような軽妙な遊び心は、秘教的な芸術作品にしばしば見られる。

図11:トリノの聖骸布の織り構造20。I-IV:縦糸、1-8:横糸。左:隣接する8本の緯糸の方向から見た図、隣接する4本の経糸の絡み合った位置。右:出来上がったパターンを上から見た図。セント・ローレンスの腕が3本のクロスバーを越えているのは、3本の横糸を越えている縦糸を模している。

 

20 Piero Vercelli (2010) "La Sindone nella sua struttura tessile" Cantalupa (TO): Effatà Editirice; p.28; 若干脚色。

 

 私たちの解釈を検証するには、2つの方法がある。第一に、V字で作られた角度と魚の骨模様に見られる角度の一致を確認することができる。Vercelli (2010, p.36)によれば、魚の骨柄の針峰は縦方向に対して32~33度以上傾いている。したがって、V字の角度は64~66°と予想される。聖骸布の写真を使った私たち自身の測定では、64~66°をやや上回る値が出る傾向がある。全体として、対応関係は非常に良好である。私たちは、この一致が偶然の産物である確率を1:3と見積もっている。

 

 次に、針峰が、格子に対応している方向に傾いているかどうかを確認することができる。これは確かにそうであることがわかる:鼻の部分の対称軸(格子がそれに達している)とそのすぐ左側では、針峰は格子と同じように左上から右下に向かっている。鼻の右側、中央のひだが走っているところでは、針峰の方向が逆になり、これは「V」に対する聖バルトロメオの位置(図10のオレンジ色の線)が示唆する方向と一致する。この対応が偶然に起こる確率は1:2とすることができる。

 観察された一致の全体的な推定確率は1:6であり、有意ではない。

 しかし、ミケランジェロが本当に聖骸布の織り構造をコード化したことを証明する、さらに非常に驚くべき詳細がある。

 ミケランジェロの絵の中で、聖ローレンスは極めて異例でぎこちない方法で格子を手にしている。このような格子は、この聖人の標準的なアトリビュートである。しかし、ミケランジェロの「最後の審判」を除けば、聖人ローレンスが腕を、いわば格子の間を縫うように持っている姿は描かれていない。よく見ると、右腕、手、指は、格子の連続する3本の横木を越えているのである。

 聖骸布のリネンでは、縦糸は聖骸布の像の主軸と平行に、絵画の垂直方向と対応する縦方向に走っている。もちろん、横糸は縦糸と直交している。したがってその方向は、フレスコ画における水平に対応する。実際、絵画上では厳密に水平である格子縞の横木は、一連の横糸を表している。聖ローレンスの腕は、格子の中を縫っているように見え、連続する3本の横木を越えているが、これは3本の横糸を越える縦糸を表している。実際、聖骸布に見られる顕著なフィッシュボーン(魚の骨)模様は、縦糸が横糸の三つ組を越えるたびに、四つ目の横糸の下を通るという、非常に特殊な織り方のパターンから生まれている(図11)。

 一方では格子縞、他方では聖骸布の布地構造の間に、偶然の産物だけでこのような多面的な同型性(魚の骨模様の角度や方向と、その下にある織り模様の構造との組み合わせの表現)が生まれた可能性は、明らかに非常に低い。さらに、聖ローレンスの格子の意味に関するこの解釈は、元々の折り目や中央の折り目など、生地の他の詳細も同じ絵の中で暗号化されているという観察とうまく一致する。明らかに、ミケランジェロ聖骸布のこれらの非常に特殊な性質を知っていたのである。彼は、自身でこの対象について深く研究していたか、あるいはそうしている他の人々と接触していたのだろう。

 

結論

 ミケランジェロトリノの聖骸布最後の審判のテンプレートとして使用した。彼がトリノの聖骸布を本物のイエスの埋葬の骸布と考えていたことは疑う余地がない。彼はこの絵の中に、その対象から、そのイメージから、そしてその生地から得た多くの要素を封じ込めた。そして明らかに、彼はこの物体に関する非常に広範な知識を持っていた。ミケランジェロトリノの聖骸布フレスコ画のテンプレートとして、また非常に多くの絵画的ディテールの隠れたソースとして使用したという事実は、キリスト教美術における秘教的側面の重要な例を構成している。

 フレスコ画を構成する隠されたソースとしてトリノの聖骸布を使うという決定は、ミケランジェロの気まぐれではなかった。聖骸布を使ったのは、彼が最後の審判の本質と信じているもののゆえである。彼の考えでは、最後の審判ではすべての人間が、キリストの受難を、前に見たように、言わば、キリスト自身の目を通して振り返る。そして、こうして振り返って、人間存在が、自分自身の最終的な審判者となるのだ。ミケランジェロは、トリノの聖骸布をこのキリストの受難-それは最後の審判の核心に置かれることになるもの-の際だった遺物と考えていたのは間違いない。それゆえ、聖骸布に描かれた顔をテンプレート、そして絵画のインスピレーションの源とすることは、彼にとって論理的なことだった。

 また、預言者ヨナがフレスコ画の上に描かれたのは、それに関連した理由からではないかと推測できる。ヨナはマタイによる福音書(12:38-41)で言及されている。この箇所では、ファリサイ派の人々が、キリストがご自分について語った主張の証拠として、キリストからのしるしを求めていると語られている。キリストは答える: 「邪悪で姦淫な世代は、しるしを求める!しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、だれもしるしを与えられない。ヨナが三日三晩、巨大な魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中心heartにいる21」【訳注】。つまり、キリストが約束した「しるし」とは、キリストの死と復活なのだ。確かに、聖骸布に描かれた像はキリストが約束した "しるし "とは考えられない。しかし、ミケランジェロの目には、トリノの聖骸布が「キリストのしるし」の第一のしるしであったことは明らかである。

 

【訳注】ヨナは、三日三晩、巨大な魚の腹の中にいて、その後それを抜け出した。これは、キリストが、磔刑の後に埋葬され、その後復活したことを予示するものでもある。

 

21 「地の中心heart(言わばmidpoint)」から見ると、常に昼と夜が同時に存在する。地球の片側で12時間の昼があるごとに、反対側では12時間の夜がある。つまり、「三日三晩」という表現は、「地球の中心で」という指定と組み合わされ、地球の自転の1.5回転、あるいは約36時間に相当する時間の経過を指している。これは、33年4月3日(金)午後15時のキリストの死から、33年4月5日(日)未明の復活-その時、空に広がっていたイースターの十字架の星空の下を、最初の弟子たちが丘の斜面を登り始めた-までの時間間隔に相当する。

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 以上のフェルハルスト氏の分析は、単に形態的共通点だけを示すのではなく、ミケランジェロ最後の審判は、それについての彼の神学的理解・解釈から構図が構想されたとして説明しており、結構説得力のある内容ではなかろうか。聖骸布を下敷きにするということは、ミケランジェロの考える最後の審判の意味から導かれたものなのだ。

 ここで特にこの論考から学ぶべきことの一つは、ルネサンス期の芸術家達は、キリスト教(場合によっては秘教的キリスト教)の知識を十分に備えており、その思想をその作品に盛り込んでいたということである。

 ミケランジェロが「二人の子どもイエス」の考えを同じシスティーナ礼拝堂の天井画に盛り込んでいたことは既にこのブログで取り上げている。

「二人の子どもイエス」とは㉓」https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2022/04/26/082626

 ここでは、特に、信仰の本拠地の壁画を描くという大事業を行なうというものである。ミケランジェロは、自己の持てるすべの能力や(秘教的なものも含めて)知識をそこに全て傾注したであろうと想像できる。結果して、芸術史に残る大傑作が生まれたのである。

 それゆえ、その作品は、そうした知識がなかったとしても、見る者の心に訴える力を有しているのだ。

 しかし、そこに密かに込められた秘密を知ると、一層その作品の偉大さを感じるのである。

 

 さて、本文の最後にヨナの話が出てきたが、ヨナが魚の体内に三日三晩いたというのは、彼の秘儀参入を意味しているという説がある。新約聖書にでてくるラザロの復活も実は秘儀参入であったとするのがシュタイナーの主張である。大きな意味では、キリストの埋葬から復活までもこの文脈で捉えることが出来るようである。ポイントは、「三日三晩」という表現である。通常秘儀参入には「三日三晩」を要するというのだ。

 フェルハルスト氏の、キリストの埋葬から復活までが約36時間とする解釈は、なるほどと思わせるものがある。単純に「三日三晩」とすると丸々3日間となるが、それではキリストの埋葬から復活まで、3日の午後から5日の朝までの時間と合わなくなってしまうが、フェルハルスト氏の説明のように解釈すれば、両者は合致するのである。

 今回、フェルハルスト氏の上の論考を訳すにあたり、改めて彼の他の論考も眺めてみたが(ネットから無料で取得できる)、色々面白いものが見つかった。また、以前購入した本に(まだ未読だったので気づかなかったのだが)フェルハルスト氏の著作があったので、見直したところ、これも大変興味深いものであった。いずれこれらも紹介していきたいと思う。