k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

地球の内部と悪の根源


 英科学誌ネイチャージオサイエンス(Nature Geoscience)に1月23日、掲載された論文によれば「地球の中心部に存在する高温の鉄などでできた“内核”の回転が止まり、逆回転している可能性がある」という。

 「地下約5000キロに存在する内核は、液体金属層の“外核”に浮かんでいるため独自に回転できるが、内核がどのように回転しているのかについては研究者の間で議論されてきた」のだが、北京大学の研究者が、「過去60年間に発生した地震波を分析した」ところ、今回の結論に至ったということだが、異論も出されているという。(AFPBB News

 地球の深部までは今の人間の技術では到達できないので、地球の内部は、地震波を使う研究が行なわれてきた。従って、そうした研究により地球の内部の構造や物質は、理論的に想定されているものの、ごく表層以外、依然として未知の領域であるといえる。

 地球物理学にはプレートテクトニクスという理論がある。地球表面が十数枚のプレートに分割されており、この厚さ100 km程度のプレートが互いに動くことで大陸が移動したり、地震が発生するというのである。今は主流となっているが、20世紀初頭に提起された比較的新しい理論である。


 そして最近は、さらに、プルームテクトニクスという理論が唱えられている。1990年代以降に生まれたものである。マントル内の大規模な対流運動をプルーム (plume) と呼び、これによりプレートの動きや火山活動等を説明するものである。マントルは半径約6,357kmの地球の中で、深さ数十km - 約2,900kmまでの範囲を占めているが、その中を下降するプルーム(コールドプルーム)と上昇するプルーム(ホットプルーム)が存在するというのだ。上の図は、このプルームを図式化したものである。

 よく地球内部については、タマネギのようにいくつかの層がきれいに重なっている図式が描かれるが、実際には、この絵のように、その層を超えて物質あるいは熱や力の移動が行なわれているのである。

 

   さて、シュタイナーは、地球の内部についてどのように説明しているのだろうか。

シュタイナーは、やはり、地球内部はいくつかの層をなしているとしている。しかし、「地球は、一連の層により構成されているが、完全に分離されているのではなく、次第に、相互に融合していっていると考えなければならない」と語っている。

 シュタイナーに基づき地球内部の問題を論じた『地球の内部の生命』で、デイヴィッド・S・ミッチェル氏は、シュタイナーは、プルームによる内部の層の間の相互融合(貫入)と同じようなイメージで地球の内部について語っているとしている。シュタイナーの説明は、上のような図でイメージされるのではないかというのである。

  ミッチェル氏は、この本で直接触れていないが、地球内部について語る講演で、シュタイナーは、火山などの地表の活動に地球内部の層が関わっているとして、次のような図式を示したようである。内部には全部で9つの層があり、その第6層から地上に何かが吹き出している。これが、シュタイナーが霊視した地球の内部なのであろう。勿論、上のプルームとは別のものであろうが、イメージ的類似が感じられると思う。

 しかし、更にこれらの地球の内部の各層についてのシュタイナーの説明を読むと、我々は、ショックを受けざるを得ない。シュタイナーは、地表近くの殻(地殻)以外は、心魂的、霊的性質のものであるというのである。そしてそれは、「悪」の性質を持ったものであると。 まさに「地獄」が地底にあるということだろう。

 「心魂的、霊的性質のものである」とはいかなる意味であろうか?地球の内部はやはり物質でできているのではないのか?これまでもシュタイナーの「奇想天外な」説明をいくつも見てきたが、これはいくらなんでも・・・

 私も正直、これについては理解に苦しんでいるのだが、実際、地球内部の問題は、オカルト的には、もっとも難しい問題に属するのだという。理解を深めるには、一度のみならず、何度か触れていかなければならないだろう。

 

 このテーマに関して今回取り上げるのは、シュタイナーのこの問題について概説した、シュタイナーの高弟の講演である。それは、名をアドルフ・アーレンソンADOLPH ARENSONといい、神智学協会時代からシュタイナーの元で学んだ方である。

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ルドルフ・シュタイナーの研究に基づく地球の内部

 

1914年に行われた講演会

アドルフ・アーレンソンADOLPH ARENSON著

 

 

 山上の垂訓(訳注)に関する考察[アドルフ・アレンソンによる講演(人智学協会発行)]において、私たちは新約聖書の聖性を損なうことなく、その考察に近づこうとしました。そして、まさにこのように対象に近づいたとき、これらの聖典に眠っている知恵と美の宝の真の評価に到達できるのです。

 

(訳注)「山上の垂訓」とは、『マタイ福音書』第5章から7章と『ルカ福音書』第6章にある、 イエスが山の上で弟子たちと群集に語った教えのこと。以下に述べられるが、その一つ一つが、地球内部のいわゆる悪の克服を示唆する教えでもあるとするのが、シュタイナー及び講演者の主張である。

 

 さて、今日は全く別の分野の話をしたいと思います。この考察では、地球の内部を支配している力について、霊的な探求者によって与えられた説明を、私たちの理解の範囲内に収めることに努めたいと思います。これらの力について私たちが知っているのは、その悪い影響を及ぼすものであり、生命のあらゆる領域に破壊と荒廃をもたらすということです[ここと次のページでは、ルドルフ・シュタイナー博士の好意的な許可を得て、博士が行った講義、場合によっては私的なサークルで行われた講義を参照しています]、さらに私たちが通常の生活でその事実に気づいていないとしても、これらの力が私たち自身の性質に著しい影響を与えていることも知っているのです。したがって、私たちは、オカルト研究が伝えることに耳を傾けるだけでは不可能な方法で、これらの力についてより知ろうとするのは正当なことなのです。

 

 オカルト研究者の発表によって、霊的世界とわれわれとの関係についてまったく新しい理解がもたらされた日以来、われわれを取り囲み、感覚的に知覚できる対象との関係もまた変化してきました。地上のものはすべて霊的なものの表現にすぎないという考え方は、すでに私たちになじみがあったかもしれませんが、その考え方は、実は純粋な抽象的なものでした。シュタイナー博士が過去10年間に発表した数多くの著作や講演の中で、人間と地球の成長と進化が生々しく描写されるまでは、この考えは私たちにとって生きた現実にはなりえなかったのです。霊についての一般的な漠然とした概念から、私たちは感覚知覚の世界のすべての出来事の背後の生きている存在についての理解を深めていくのです。現代人を知らず知らずのうちに支配している偏見から少しでも解放された人なら、現在の人類の表面的な思考がいかに事実に即していないかに容易に同意することでしょう。一歩一歩、私たちを待ち受けている世界の驚異は、自然の力の働きによるものとされています。このような抽象的な用語が、私たちに知識の光明さえ与えることができるかのように!オカルト研究者は、私たちに例証を与えます。オカルト研究者は、このような抽象的な表現が不適切であることを示す例を挙げています。もし、ある人が時計の機構を説明するのに、「これは自然の力によって作られ、その力が働いている」と言ったら、普通の生活では何と言うでしょう。そのような説明から得られる満足感は、実にわずかなものであり、ナンセンスだと突き放すことでしょう。私たちは、文明の産物が存在するのは、人間がそれを発明し、構築したからであり、そのような物体はすべて、その最終的な原因を知性または意識的存在にたどることができることを知っているのです。

 

 この数年間、私たちが学んだことは、この健全な論理を大胆にその結果まで追及することです。私たちは、「ある目的の追求」を示す物体や出来事に直面したとき、その最終的な原因を知性または意識のある存在にたどることができると認識することを学びました。このことを確信した私たちは、それらの存在とその行いについての知識以外に、私たちの住む世界を正しく理解し、自らの行動を進化の目的と調和させることを可能にするものがないという事実を理解しました。この目的のために、10年の間に十分な資料が提供されました。霊的・地上的事象の最も多様な領域から、高次の世界と感覚的に理解できる事実との関係を確立するのに役立つ情報が届いているのです。

 

 確かにこれらの情報は、一見すると互いに関連性がないように見えるような性質のものが多く、時には直接的な矛盾、つまり公然の矛盾をもたらすことさえあります。しかし、私たちはしばしば、明らかに欠けているリンクが実際には存在しており、すべての矛盾がより高い調和へと調和することを知る機会がありました。私たちの仕事は、これらのリンクをたどり、私たち自身の努力でこれらの矛盾を解決することにあることを発見したのです。

 

 この研究計画に従って、私たちは次のような驚くべき経験をしました。それは、提供された資料を適切に収集し、整理することに成功したとき、これらの接続リンクが、あたかもそれ自体で、私たちの前に立ち上がり、矛盾が努力なしに解決されたのです。この体験と同時に新しい確信が生まれました。それは、このような情報がなされること自体が強力な教育的要因であり、この接続の痕跡を自分で追跡し、矛盾を自分で解決することによって、オカルト学者の発表を自分の知識に変えることができる、ということです。このような知識は、個人の作業によって獲得されるものであり、それがなければ、私たちに宣言されたすべての知恵は、ほとんど価値がないでしょう。自分で獲得した知識によって、私たちは、普遍的な進化において私たちに割り当てられた使命を引き受けるために自分自身を適合させるのです。

 

 このような観点から、以下の解説を検討していただきたいと思います。その意図は、おそらく他のどのテーマよりも、私たちの理解に困難をもたらすテーマを、私たちの手の届くところに持ってくるのを助けることです。

 

 1906年にシュタイナー博士がシュトゥットガルトで行った講義の中で、初めて地球と人類の進化の図式が私たちの前に展開されました。この講義は、神智学の世界観への入門がどのように行われるべきかの古典的な例であり、事実、それ以来、神智学の学生によって行われたいわゆる入門コースはすべてこのコースに基づいています。さて、この講座では、ほとんど最後まで、人間の本質からさまざまなイニシエーションの方法まで、進化の段階的な過程が説明されていますが、最後の講義では、まったく新しい、予想外のことが描かれています。この講義では、地球は、現代の自然科学が想定しているような、巨大で生命のない球体であり、内部も外部も同じで、ただ内部の物質が流動的な状態にある、のではなく、地球はその中心まで、互いに異なる一連の層で構成されていて、すべてが地表の物質とは比較できない性質を持つことが説明されたのです。そして、これらの層について、簡単に、しかし特徴的に説明されました。地震や火山の噴火についての講義がいくつか行われましたが、その中でも地層について言及されませんでした。私たちが期待していたような説明はなかったのです。

 

 しかし、最初の伝達から7年が経過し、このテーマをより徹底的に研究するための資料を手に入れた今、私はこの資料を利用し、それを適切に整理することによって、最初に与えられた説明に光を当てることが許されるかもしれません。そのためには、地球内部の層について語られていることを思い起こす必要があります。もちろん、詳しく説明することはできませんが、それぞれの層に特徴的なことを、少しばかりの含蓄のある言葉で明らかにすることはできます。それはこうです。

 一番上の層は、内部と比較して、卵に対する殻のようなもので、"鉱物の地球 "と呼ばれています。その下はいわゆる "流動的な地球 "です。しかし、この層は物理的な意味での流動性ではなく、その実質はここから霊的な性質を持ち始めます。このことは、この実質が生きているものに接触すると、その生命を一度に排除し消滅させるという状況から明らかです。

 第3の層は "蒸気の地球 "です。この実質は、感覚をその反対側に変えてしまいます。第二層で生命が消滅するように、感覚も、その形では消滅するのです。

第4層は「水または形の地球」で、デヴァチャン[霊界]で霊的に起こるすべてのことを物質化する物質で構成されている。ここでは、たとえば立方体の塩が破壊されるが、そのネガ(陰画)が発生するのです。この層は、地球上の物質の中に存在するすべてのものの源です。

 第5の層は、「種子または成長する地球」であり、豊かな成長力に満ちています。この層は、先の第4層の形態の、その背後の生命としての奉仕者です。次の層は「火の地球」であり、感覚と意志を持ち、完全に情念で構成されていると言ってもよいものです。この層は、欲望という性質の中にあるすべてのものの乗り物であり、すべての動物の喜びとすべての動物の苦しみの源泉です。

 7番目の層は、"地球反射鏡 "です。その実質は、すべての性質をその反対に変えます。人間の本性で道徳と想像できるものはすべて、ここでその反対に変えられます。

そして、次が「爆発地球」です。この層は、道徳的な性質も含めて、すべてを分裂させます。この層が地表に放つ力によって、争いが起こります。すべての不調和の原点はここにあり、形のすべての破壊はここで実質的に準備されるのです。

 最後に、"地球の核 "です。実質的に、その影響によって世界に黒魔術が発生します。地球のこの部分から、霊的な邪悪さの力が生まれるのです。

 

 これらの説明は、さまざまな講演から引用されており、これらの層のそれぞれの特徴を述べています。私たちは、地球の内部に関するこれらのデータに光を当て、これらの新しい事実が、私たちがすでに知っている宇宙と地球に関するすべてのことの中に位置づけられるようにすることが、今課題となっているのです。この目的のために、私たちは入手可能な資料をまとめる努力をしましょう。

 

 重要なのは、この事実をすでに強調したように、議論中のテーマに関連して、適切なタイミングであのオカルティストの言葉を思い浮かべることです。ここで鍵として役立つかもしれない言葉は、次のようなものです。「宇宙で何らかの力が働き始めると、同じ瞬間に、前者の力と対立する別の力が発生する。世界で達成されるすべてのことは、極性の法則に従う。」この言葉は、私たちがよく理解できるもので、通常の思考の中でさえ、この種のことが観察されるからです。例えば、「善」という観念は、その反対の「悪」という観念を知らなければ、決して形成できません。同じことが、「大きい」と「小さい」、「長い」と「短い」についても言えます。どのような場合でも、一方の概念が、それに対立する他方の概念を条件づけるのです。極性の力の存在は、私たちの思考の中にさえ、いたるところに見出すことができるのです。これに基づいて、我々は次のような考察をすることができます。地球の内部で働く力を理解することはできないが、それでも、私たちの知らないこれらの力と対立する、極性の法則にしたがって確実に存在すると分かっている別の力を、しかし、宇宙の中に見つけようとすることはできる、と。おそらく、私たちは、これらの極性または反作用の力をよりよく理解しています。それゆえ、その助けによって未知の力を理解することができるようになるのでしょう。

 

 このような知的作業は、そのすべての段階を説明することはできません。ここでの思考の網は、単純にまっすぐに編まれたものではありません。しかし、実際に追求された研究路線をたどった結果をその本質的な部分で説明するならば、次のような形で皆さんにお見せすることができるかもしれません。

 私たちは、1909年のデュッセルドルフの講座[The Spiritual Hierarchies and their Reflection in the Physical World.]で示された、太陽系の発生に関する記述を思い起こします。その絵から、私たちは三位一体の中に原初的な力が蠢き、計画が生み出されるのを見ることができます。高位の存在がそれを受け取り、英知をもって実行します。「王座」または「意志の精霊」は、宇宙の計画の外的な現れとなる実質を捧げます。そして、常に新しい存在が世界プロセスに力を注ぎ、地球は常に新しい条件へと進化し、ついには人間が自分を皮膚の中に閉じ込めて、「自我」意識(エゴ意識)を獲得する時代に到達すのです。

 

 これらは、人間が地上での使命を果たすために必要なすべてのものを与えてくれる、善良で進歩的な力でした。今、私たちは、進歩的な力の最初の駆動と同時に、それに対抗する力の活動も始まったことを知っています。人間をその地上的運命において進歩的な意味で導いてきた存在を理解しようとするとき、その敵対勢力である他の存在がどのようなものであるかを調べることも私たちの義務になるのです。

 

 そのような存在、そのような力はどこにあるのでしょうか。彼らは、地球の内部から外部に働きかけているのです。比喩的に言えば、「地球が冷えて固まるとき、これらの力は地球の中に逃げ込み、いわば地球の中に追放されたのです」。これは言葉のあやですが、地球内部の力の活動と、高次の世界の進歩的な存在から受けた恩恵とを比較すると、これは至極まっとうなことです。この二重の活動を一方と他方に並べてみましょう。

 

 現時代の人類の進化の現場である、いわゆる第一層、鉱物地球について考えてみましょう[The Spiritual Hierarchies and their Reflection in the Physical World. (脚注p1)〕。] この層に最も密接に関係する助力は何か、最も直接的に影響を及ぼすのは何か。生命力、つまり私たちのエーテル体や生命体に働く力です。形がなく、生命のない鉱物は、生命力が結びつくと、形と生命を備えた存在になります。生命力が生命のない物質と結合するところでは、生命が発生します。これに対抗して働く力は、どのような性質でなければならないでしょうか。その性質は、生命あるものと結びつくたびに、その生命を排斥し、破壊するようなものでなければなりません。第二の層、すなわち鉱物に最も近い「流動地球」がどのように記述されているか、もう一度見てみましょう。「流動地球の実質は、生きているものと接触すると、直ちに生命を排除し、破壊してしまう。」続けましょう。まず第一に、生きているものに影響を及ぼす力は、感覚に関するもので、感覚を可能にします。植物にはこれらの力がないので、植物は感覚を持ちません。しかし、動物の場合はそうではなく、感覚の体を備えています。これらの力は、感覚を呼び起こすことを可能にすると表現してもよいでしょう。第3の層、蒸気地球は、感覚の力の反対極として対応していると言われていますが、どのようなものなのでしょうか?「感覚をその反対極に変える実質であり、生命が第二層によって消滅するように、感覚はどのような形であれ、ここで消滅すると言えるだろう。」

 

 この二つの例は、すでに私たちが正しい道を歩んでいることを示しています。では、次の高次の力に進みましょう。

 

 これまで私たちは、鉱物地球と、それに生命と感覚を与えている2つの力の領域についてだけ考えてきました。しかし、鉱物が生命に、生命が感覚に浸透されているように、感覚もまた、思考に浸透されているのです。私たちは、オカルト研究の成果から、地球の表面に現れるすべての現象が、霊的なものに対応していることを知っている。原型はその霊的な対応物であり、それらは "霊の国 "にあるのです。書籍『神智学』[Theosophy: 世界と人間の運命に関する超感覚的知識への入門。ルドルフ・シュタイナー博士著。)には、この霊の国自体が人間の思考と同じ実質で編まれており、この霊の国にはさまざまな「領域」があると書かれています。まず、「下層デーヴァチャン」の三つの領域です。- 純粋に物理的なもののすべての原型がある大陸領域、生命の原型がある海洋領域、感覚の原型がある大気領域です。

 

 今、霊的な原型がその力をそこから送り出す領域まで研究を進めると、それらの領域で活動している力が、地球の内部から邪悪な活動を展開する他の力と対応するかどうかを、もう一度検証することが我々の仕事になるでしょう。私たちは、霊の国の最初の領域、すべての物理的なものの原型から始めますが、これらの原型は「霊的」であることを忘れてはなりません。なぜなら、そこで霊視者が見る、物体や存在に対応している空の空間は、それらが物理的に現れるとき、ある程度、物理的実質で満たされているからです。

 

 この意味を理解するために、私たちは短い余談をしなければなりませn。シュタイナー博士の「イエスからキリストへ」という私的な講義の中で、肉体それ自体は一種の力の体であるために見えないこと、私たちが感覚によって知覚するものは、この見えない肉体が充填された物理的実質であることが語られています。私たちはこの肉体を満たしている鉱物を見ているのであって、肉体そのものは見えないのです。これは、ルシファーの影響によって変化した現在の人間の肉体は、実際には二つの異なる要素から構成されていると言っているに等しいのです。それは、霊の国の第一領域にある霊の原型と、それに組み込まれた下位の「充填物」から構成されているのです。そして、霊の国の第1領域に対応する第4層「形の地球」が、地球上の「物質」または「実質」の性質のすべての源泉であると言われることの意味が理解できるようになりました。ここには二つの極があります。霊の国には肉体の霊的な原型があり、形の地球には、下層の物質的要素のアストラル的原動力があり、問題の講義で説明されているように、「最初の層である地球の表面の物理的実質へと」いわば「高密度化」したのです。

 

 霊の国の第二領域には、霊の世界を液体の要素として流れ、統一体を形成している生命の原型、すなわち物理的世界に現れる生命を授かったすべての生き物の創造的原動力があることがわかります。地球の内部の第5の層、「種」あるいは「成長する地球」には何があるのでしょうか。ここにも生命がありますが、その生命は第4層の劣った実質に成長に相当する特徴を与えているのです。「種子の地球は、豊かな成長エネルギーに満ちており、第4層の形態の根底にある生命として機能しているのです。」

 

 同じような関係で、第3の領域である霊の国から地球に働きかける力と、第6の層である火の地球に起源を持つ力があります。そこでは、魂に関わるすべてのもの、感覚として存在するすべてのものの原型が、その霊的な側面において、霊の国に見いだされるのです。地球内部のこの6層には、低次の本性のすべての熱情の源泉があります。これは、すべての欲望の衝動の乗り物であり、動物の喜びと動物の苦しみの源です。

 

 そして、霊の国の第4の領域、それはすべての純粋に創造的な作品のモデルを含んでいます。ここでは、人間特有のすべてのものの霊的な原型に出会います。さて、何が人間らしいと言えるのでしょうか。その最高の表現形式は何でしょうか。他の自然の王国と区別して、人間に、そして人間だけに特有なものは何かと問うことができます。道徳的な感情、道徳的な思考です。道徳は人間だけが持っている性質です。次に、地球内部の対応する層、「地球反射鏡」について言われることを見てみましょう。「その実質はすべてをその反対に変える。」「人間の本性に道徳として想像できるものはすべて、ここではその反対に変えられる。」

 

 霊の国のより高い領域では、形として現れない力が働いています。そのため、この領域は「アルパ」と呼ばれます。 -形のないという意味です。これらは原型自身の創造的な力であり、霊の国の低い領域で思考実体として形をとる生きた胚です。地球の内部、8番目の層に、反対の極の力、前者に対抗して働く力を見出すことができます。地球上のすべての争い、すべての不和の源はここにあります。霊の国には原型に向かう衝動があります。それは、「思考実体の最も多様な形態をとる用意できており」、ここでは、「すべての形態を破壊する要素が実質的に準備されています。」

 

 そして最後です。それは、我々の思考が到達しうる最高のもので、我々の理解にはまだ封印されており、それゆえ我々はこれに「第一原因」、「原初の子宮」、「神格」という曖昧な名称を与えているのです。霊の国の最高領域にある胚の思考主体が実際の生命の種を包んでいる、しかし、その種はさらに高い世界からやってくると言われると、その高い世界から、成長を指示し進化を有益に見守るすべてのものの最初の刺激が与えられると、おぼろげに推測できます。私たちはこれを "白魔術 "と呼んでいます。地球の進化を守る至高の霊的力は、ここに起源を持ち、「地球の核」がこれに対抗する力を形成しているのです。「黒魔術が発生するのは、実質的に、その影響によってなのです。この領域から邪悪な力が発生するのです。」

 

 以上、地球の内部に存在する力と、宇宙を支配する力との関係を指摘しました。その結果、それらの力をその性質に応じて理解することができたわけではありませんが、以前は孤立し、断絶しているように見えたものに、世界の有機的組織におけるその場所を割り当てることができたのです。さらに、私たちが真理として認識したものは、私たちの知識としてのこります。決して忘れることはできません。たとえ記憶が異なる層の名前を失い、細部を保てなくなったとしても、一つのこと、それも本質的なことは、決して我々の知識から消滅することはないのです。どんな関係であれ、進歩的な神々の活動に心を打たれると、自然と、地球の内部のさまざまな層から力を送り出す妨げの力が、私たちの中で姿を見せはじめるのです。そして、善い力の支配に関する理解が私たちに生まれるのに比例して、私たちは、進化の正常な過程を妨害し、一見破壊し消滅させますが、まさにその対抗するエネルギーのために、人間の魂の最も隠れた能力と力を、魔法にかけられたかのように呼び起こすそれらの存在の働きをますます理解するようになるのです。

 

 他のあるもの、つまり地球の内部における存在の活動の根底にあるものが、私たちに明らかにされるかもしれない。そしてそれらが理解されるようになるのだ。それは、善良な神々の活動と比べて、新しい異質な要素ではありません。それは後者とコントラストをなすが、後者と同じラインにあります。しかし、それは限界を超え、低次の力になり、奈落の底に引きずり込まれているのです。善良な神々は、人間の形姿が構築されるように、私たちを保護しながら物質の世界へと導きますが、妨害する存在の活動は、これらの力を過剰に働かせるのです--これらの存在は、物質を、干からびた鈍感、無感覚な枯れた状態へと引きずり込みます。生命が、霊界から降り注がれる一方で、その力は、地球の内部において等級が引き下げられています。私たちは、善良な霊によって感覚と感情の能力を授かっていますが、この能力は逆に欲望と動物的欲望の能力へと拡大されています。そして最後に、人間に自由の可能性が与えられている一方で、「自我」、エゴの孤立を経験する特権を与えられている一方で、下向きの勢力は、自己の本性の限界を超えて、対立、各々がすべてに対抗する戦争に自己存在を誘惑しようとします。

 

 地球内部の地層を、それぞれに特有の活動に関して単独で考察してみると、別の関連性が見えてきます。次のような結論となります。鉱物地球は低次の実体性を表している。流体地球は生命を消滅させる地層を表しており、それは生命と関係がある、大気的(蒸気)地球は存在する形でのすべての感覚を消滅させるが、それは感覚と関係がある。これは三位一体です。これは人体の、肉体、エーテル体、感覚体という三位一体に対応するもので、これまで名付けられた地球の層の実質はこれらと敵対的な姿を示しています。

 次に、すべての実質の原初的な源である「形-地球」、すべての低次の生命の原初的な源である「種-地球」、低次の情念で完全に構成される「火-地球」が続きます。再び、物質、生命、感情の三位一体であり、人間におけるその対応物は、感覚魂、知的魂、自己意識のある魂で、それらは、「バラ十字の神智」と題する講座の第二講義の説明と図によれば、肉体、エーテル体、感覚体が変容したものです。

 最後に、「反射地球」、「爆発地球」、「地球の核」があり、これらは物質、生命、感情に対してのみエネルギーを向けるのではなく、生命、道徳、調和、白魔術における霊的要素に対しても戦争を仕掛けているのです。これに対応するのは、人間の高次の本性の原理である、霊我、生命霊、霊人です。

 これ以上議論するまでもなく、私たちがここにいるのは、これ以上追求すれば人間性の深い謎に私たちを導くかもしれない関連の前であることは明らかです。しかし、講演会では、概略を述べるにとどめなければならないので、今日は、このすべてをほのめかすことしかできません。なぜなら、世界のプロセスにおける対極性の法則の働きを観察するとき、さらに別の問いが私たちに迫ってくるからです。この問いは私たちを不安でいっぱいにするかもしれませんが、すべての進化の中心点に影響するため、退けることができないのです。

 もし、すべての進歩的な力が反対する力を条件とし、妨害する力がすべての有益な活動に直ちに反対する立場にあるとすれば、終わりはどこに、ゴールや救済はどこにあるのでしょうか?この問題にもっと接近するために、もう一度、この世界のプロセスがその最も深い意味において本当に意味するものを私たちの前に呼び出そうではありませんか。

 私たちは、霊的な存在と力が働いているのを見ます。それは、人間が自分に割り当てられた任務に適うように、最も多様なものと能力を贈り物として人間に与えているのです。彼らは、人に、人の本性の原理を授け、物理的な世界で生きることを可能にし、思考の能力を授け、最後に自己意識の能力を授けたのです。その結果、今や、人間は進化の過程で独立した存在になることができるようになったのです。(オカルト研究者は、それらの存在の特徴を説明することによって、それらの存在をより人間の理解の範囲内に収めようとするのである)。一方、私たちは働いている他の存在を見ます。しかし、これらの存在は前者に対抗しており、特徴的な方法で私たちに描かれています。そして、これまで見てきたように、高次の存在のどのグループも、対応する地球の内部のグループの対立にあっているのです。

 いわばその中間にあるのが、地球の表面、つまり鉱物面であり、この領域では、異なる対立する力の間で衝突が起こっているのです。この地球の表面で、この極性の産物と見なすことができる存在が徐々に発達してきました。人間は、善良な神々によって、地球の経験を霊界のために役立てるよう任命されたのです。もし、この神々の力に何も対抗するものがなかったら、人間は意思を持たず、ただ善い神々の命令を果たすだけの存在になっていたでしょう。しかし、進歩的な神々の働きと対立するのが破壊的な神々の働きなのです。両者とも、その活動は人間の魂に向けられ、そこで出会いが起こるのです。

 

 ここで私たちは重要な真理に到達します。対極の力は、最も低い力も最も高い力も、人間の魂を通して働くのです。キリスト自身、人類の使命を成就させるとき、人間の魂を通して働かれるのです。キリストは、物質的実質の世界を霊化し、救済しようとします。救済の仕事を成し遂げるためには、人間の魂はキリストの力を自らに取り込まなければなりません。魂は自らをキリストの力で満たすこともできるし、その力に背を向けることもできます。したがって、上からの力と下からの力が出会う場である以上、すべては魂自身の成長の仕方にかかっているのです。人間の魂の中にある二つの相反する力の衝撃から、その人間を自由で神聖な存在、つまり、救済の仕事を成し遂げるために最高の力を意識的に自分の中に吸収する存在に変える閃光が飛び出すかもしれないからです。

 再び、別の視点から、地球が誕生して以来の宇宙の計画の中で人間に割り当てられた任務を理解し始めましょう。上からも下からも力が働き、その極性が互いに調整し合ってきた。新しい力が生まれると、それに対抗する力も生まれる。その争いは終わりがないように見える。その両者の中間に、その両側で彼を攻撃する両者の力を吸収する存在が生まれつつあります。一方と他方で対立する2つの力、その真ん中にいるのが人間である。そして、人間は、キリストの助けによって、一歩一歩、自らを自由に高め、より高い領域の力を自らに浸透させるとき、より低い領域を征服し、救済するのである。人間において、彼自身がそれにより創造された両極性が調和されなければならないのです。これにより、進化の意味は、人間の思考と理解にとって理解しやすい形で、私たちの前に置かれているのです。つまり、新しい、創造的な、宇宙的な活動が起こるように、人間の中で両極が均等化されるのです。

 しかし、結論として、どのようにして、これは達成できるのでしょうか?このことは、オカルト研究者の言葉によってさらに強く確認されます。彼は、キリスト教の入信におけるすべての段階、すなわち、足を洗うこと、鞭打ち、茨の冠をかぶることなどは、地球の内部における対応する地層に対する勝利につながると語っています。つまり、キリスト教の秘儀参入の体験は、地球の内部への侵入を意味するのです。このことが、私たちに道を示してくれのるかもしれません。

 もしキリストがその力によって、私たちに地球内部の力を贖う能力を与えてくださるなら、私たちは、キリストが道を示してくださる言葉、私たちがその道をどのようにたどればよいかを示してくださる言葉を探さねばなりません。オカルトの教師から聞いた話をもとに、それを探してみましょう。

 

 惑星の進化に関する講義の中で、オカルト研究者は私たちに未来の絵を提示しています。人はいつか、現在は人間の意思によらずに、生命のない鉱物の中に、形をとる力、生命活動を示す力を呼び起こしている生命力をマスターします。人間が鉱物を支配し始めたように、生命のない物質から自分の創造力で芸術作品や機械を作ることがすでにできるように、遠い将来には、生命を自由に発生させるこの能力が彼のものになるのです。それは、大地に種を植えることによってではなく、彼自身が生けるものの創造者となるのです。

 しかし、この目的のためには、彼は、肉体から霊的次元へと人を導く進化を経なければなりません。鉱物王国の支配者となり、地球の物質を支配するために、彼は自分の献身をその地球に向けることを余儀なくされました。彼は、霊的なものから自分自身を切り離し、地球に彼の思考と関心を向けて、物理的な次元に付着して成長することを余儀なくされました。今、彼自身の自由な選択で、彼はそこを去り、霊的な領域に向かう必要があります。なぜなら、そこでは生命を与える力が支配しており、その力と、彼は、生命を消滅させる存在たちを救済するために、一体化しなければならないからです。自分の存在の真の核心に相当する霊的な生命への憧れは、地球が与えるものすべてを放棄する用意があるほど、彼の中で強くなければなりません。この憧れこそが、彼に霊的領域、すなわち天の王国を開かせる鍵なのです。だから、霊的な研究とキリストの言葉が結びついたのです。"霊を乞う者は幸いなり 天の国は彼らのものである"

 そして、その時、人の中に、私たちに感覚を授けてくれた存在と自分を一体化させる力が生まれます。蒸気地球には、感覚を消滅させようとする勢力の存在が残っています。このような存在に打ち勝つためには、人間はあらゆる力を吸収し、使いこなすことを学ばなければなりません。最も強力な感情、最も強烈な悲しみに耐えることを学ばなければなりません。これは途方もない仕事です。この道を一歩一歩進むごとに、下に向かおうとする力の解放者にふさわしい存在に自らをますます整えていくとのだという知識から得られる霊的な慰めに支えられなければ、人間はこれを果たすことができないでしょう。「悲しむ者は幸いである、彼らは慰められる」

 しかし、その源が次の層にある「形」または「水地球」の低次の実体を打ち負かそうとする者は、霊界の第一領域を支配する力と一体化しなければなりません。この霊の国に入るには、人間の意志を力強く行使しなければならないことを私たちは知っています。死後の生活についてオカルト教師が与えてくれた説明から、個人が強制的に、法に従って霊の世界へ導かれるとき、彼を地球に縛り付けているすべてのもの、まだ彼を拘束しているすべての克服されていない欲望がまず脱ぎ捨てられなければなりません。この第4の層の克服に進むならば、彼は自らの自由意志の行使によって、低次の情念を魂の平静へと変容させなければならないのです。このようにしてのみ、彼は今自分の所有物であるものをアーリマンから奪い取ることに成功することができます。アーリマンは、低次の実質の領域の支配者だからです。したがって、もし人間が地球の下位の実質的な王国を霊化するためにその支配者になろうと望むなら、彼は優しさと平静さを獲得しなければなりません。「柔和な者、平静な者は幸いである、彼らは地を受け継ぐだろう」。

 こうして人間は、そこですべての生命の統一が経験される霊界の第2の領域である大洋へと向かうために前進します。低次の実質に生命を与える存在と対決するためには、この領域の力に身を浸さなければなりません。ここで彼は、カルマの中で働く法則について、新たな、より高い理解を獲得します。今、彼は、運命の法則が報酬と罰を意味するのではなく、人類を再び生命の統一に引き上げることを知ります。分離した生命の混沌から抜け出す道を提供する、調整し均衡化する力を認識し、人間同士のこの統一を、魂のすべての力で切望するようになるのです。この熱烈な憧れから新しい力が生まれ、その力は地球の暗黒の力に勝利して対抗することができます。その憧れ、その望みは、彼にとって征服の力となるのです。「正義のために飢え渇く者は幸いである。満たされるであろう」

 そして、人間は霊界の第3の領域である「大気圏」に到達し、そこで「火地球」の存在に対抗することができるようになります。火地球は、欲望という性質のすべての乗り物であり、低次の情念だけで構成されています。彼は解放のために、あらゆる生き物の喜びと悲しみに没頭できる魂の性質の霊的原型から力を引き出さなければなりません。低次の情念の原初的な源を克服しようとする者は、自分の感覚を脱し、他人の感情を共有できるようにならなければならないのです。彼は、同胞の魂に愛を注がなければなりません。「慈悲深い人々は幸いである、彼らは慈悲を得るだろう。」

 このように、人間はどの段階においても、解放の仕事を達成するために、新しい力を克服しなければなりません。第7層では、人間の魂にある人間進化の花、すなわち神聖な純粋さへの感情、道徳的完成を求める感情をすべて破壊しようとする存在に出会います。霊の国の第4領域に住む存在からも、彼は、ここで征服を可能にする力を得ることができます。これらの力の助けを借りて、彼のハート、彼の「自我」の表現、彼のエゴ、道徳的完成の力に浸ることができ、神を見て、純粋に生き、行動することができるようになります。「心の清い人は幸いである、 彼らは神を見るであろう。」

 そのような心において、神の平和は、すべての争いの第一原因である「爆発地球」と戦うことになります。人間は、自分の魂の不調和を調和させなければなりません。「平和を作り出す人々は幸いである、 彼らは神の子と呼ばれるであろう。」

 これらの人々は、最後の犠牲を払うために自らを適合させたのです。地球の核から霊的な悪の力が発生し、その影響によって黒魔術が生み出されます。人間は自らを捧げ、神と一体となることで、地球のハートを救済するのです。「正義のために迫害される者、私の名のために迫害される者は幸いである。」

 

「山上の垂訓」の講義では、聖マタイの福音書と聖ヨハネ福音書の間に霊的な関連性があることがわかりました。ここで、地球の内部を考察してみると、新たな一致が見えてきます。霊的研究者の発言は、二千年前に救済者が語った言葉と一致しているのです。

 このような一致は、苦労して探し出した成果ではなく、言葉そのものから生じているように思われます。孤独な瞑想の中で「山上の垂訓」の言葉をオカルト研究者の発表と結びつけて読む人は、自分の経験から、このようなつながりがあらゆる場面で自分に出会うことに気づくでしょう。というのも、それらは確かに存在するのです。表面的な視線から逃れているだけだからです。

 

 これが私の講演の目的でした。オカルト教師の言葉に基づいた勉強の仕方について、もう一度注意を喚起するためです。ルドルフ・シュタイナー博士の著書『神智学』には、そのような作業に対する力強い言葉が書かれています。「思考は生きている力である。霊で見たものを直接表現するものである。」

 この言葉を真に理解する者は、霊的教師の発言は、我々にとって、自然人にとって外的な自然がそうであるようなものなのかもしれません。それが彼を創造し、彼を支えているのです。私たちの魂に流れ込む霊的な泉は、私たちの中に真の人間を創造し、維持しているにちがいありません。しかし、この目的のためには、私たちの思考が変容しなければなりません。それは低次の情念の世界で燃え上がったのであり、それ自体が低次であり、欲望に仕え続けているのです。思考は自らを清め、生け贄として捧げられなければなりません。これが思考のたどるべき道です。たゆまぬ努力の末に自らを清めることに成功したとき、私たちはその入り口に立ちます。それが、供物、炎に変わるとき、それは地上の炎のように、そこでそれが燃え上がった場所、それの起源である低次の要素を消滅させ、霊の高みへと高く舞い上がるのです。

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 地球の内部が物理的に見て均一の構造や物質でできているのでないことは明らかであるが、秘教的にも、様々な性質をもっているということになるようである。中心に近くなるほど言わば悪の力は強まり、より霊的性質を帯びるということだろう。ただ、そうであるなら、そもそもその様な性質を持った地球内部を構成する実質は、地上の物質と同じものと言えるのだろうか。
 その様なものが、この宇宙内に、人間を含めた地球という物理的世界の中に存在するというようなことがあるのだろうか。

 霊界がどこにあるのかと考える時、簡単なのは、「別の次元にある」とすることである。次元が異なるので、普通の人には見えないし触れることができない、とすれば済んでしまうのだ。しかし、実は、これは極めて安易な思考ではなかろうか。霊界はどのように物質的世界に影響を与えているのだろうかという別の問題が起きるように思うのである。

 秘教は、霊界や超感覚的世界も階層的に考えており、アストラル界やエーテル界などが純粋な霊界と物質的世界をつないでいるとする。実際には、それらは互いに浸透して影響し合っているという考えである。人間は、まさにミクロコスモスとして、その様な存在なのである。

 地球内部の一定の層まではそれとのアナロジーで考えることができるように思うが、内部にはやはり、それ以上に、非物質的で逆に霊的な層が存在するのではなかろうか。これを理解するには、そもそも物質とは何か、空間とは宇宙とは何かから考えなければならないだろう。

 一つ言えるのは、地上においても、実際の自然界はみな一様ではないと言うことである。いわゆる霊地やパワースポットといわれる場所、あるいはレイライン、龍脈などが存在しており、明らかにそこは霊界に近いと考えられるのではなかろうか。実際には、地上においても、場所により霊界への感応力の濃淡があるということである。 
 地上界と霊界は、「地続き」なのかもしれない。

 このテーマについても、引き続き考察を進めていきたい。