k-lazaro’s note

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シュタイナーの「ウイルス」観 ②

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トーマス・メイヤー著『霊的観点からのコロナ・ワクチン』

 引き続き、シュタイナーの言葉を『霊的観点からのコロナ・ワクチン』から引用する。

 人々が、中世の迷信の幽霊について嘲笑するなら、次のように言うこともできる。それについて、何が変わったと言えるだろう?今日、人々は、あの時代よりも幽霊を恐れているのではなかろうか?それは、今はまだ始まったばかりなのであるが、健康の領域において、恐ろしい権威への盲信に人々を引きずり込む恐怖を作り出す原因とするには、今日の病原菌の幽霊は、あまりにも小さく、いかがわしい幽霊と言わねばならない。

 ①で見たように、ウイルスが病気の真の原因ではないとすると、ウイルスはまさに実体のない幽霊であろう。後半部分の指摘は、その幽霊に対する恐怖が医療の「権威」に対する盲信を生み出すという警告である。今、新型コロナを取り巻く現状を見るとき、まさにそれが現実化していると思わざるを得ない。病気の原因、対処の仕方、ワクチンについて、実際には様々な学説、意見があるにもかかわらず、恐怖が支配し、議論が封じられ、「権威」者や当局により一方的に「対策」が押しつけられていないだろうか。

 医療に関係するものはすべて、すさまじく、唯物主義という意味ですさまじく促進されていくだろう。人は、ある種の物質とある種の処置の治癒力への洞察を直感的に得るだろう。そしてそれにより(実際は)害を受けるのだが、人はその害を有用であると言うだろう。病気を健康であるというのである。人は、利己的な動機で病気を作り出し、あるいは作り出さないことができるようになるだろう。

 「医原病」という言葉があるが、特に先進国で主流の現代医療は、本当に病気を治癒しているのかという疑問が常に提起されている。勿論、実際に有用なものもあるが、化学的に合成された薬品に代表されるその治療法の多くは、人の病を根本から治癒するものではなく、対処療法に過ぎない場合が多い。人を直すのは、結局、人の本来持っている自然治癒力である。対処療法によってむしろその治癒力を害していないだろうか。ほとんどの医療者は、患者を治したいという善意により医療行為を行っているだろうが、隠れたところで、「利己的な動機で病気を作り出し」たいとする存在が活動しているとすれば、実に恐ろしいことである。

 唯物主義的時代には、ある集団により、人類のあらゆる霊的発展を麻痺させ、不可能にしようとする動きが強まる。単に気質により、性格によりすべての霊的なものを拒み、愚かなものと見なすように、人々を導くのである。その様な流れは-今日個々の人に見られるが-、ずっと深化していく。霊的なもの、精神的なものを愚かなこと、精神異常と考えることが一般的になることが切望されるだろう。

   唯物主義は、ある意味、人類の霊的、精神的進化において必要なものであったが、やがて克服されなければならない。しかし、世界には、利己的目的から、人類をこの唯物主義の暗闇にとどめておきたい勢力があるのである。上の文章には、そのための手段が語られる文章が続く。それは次回に譲ろう。