k-lazaro’s note

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ブラザーフッドとダブル(ドッペルゲンガー) ②

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 前回に続き、シュタイナーの、左腕の兄弟団(利己的ブラザーフッド)とダブル(ドッベルゲンガー)に触れた講義シリーズの第2講義を以下に紹介する。

 社会の様々な動きの背後には、霊的な力が働いている。一方は、人類の霊的進化を進めようとする力、もう一つはこれに対抗し、別の道に引き込もうとする力である。左腕の兄弟団は後者に属する。そしてその背後には、キリストの再臨に対抗しようとする霊的存在が隠れているのだ。人類の霊的進化は、いかにキリストリを認識するかにかかっているからである。

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個々の霊的存在と世界の不分離の基礎 その2

 兄弟団に影響を与えている、肉体に受肉しておらず、霊界に身を置いている存在がいる兄弟団には、異なる派閥が存在する。ある高次の真理を絶対的に秘匿する派閥の他に、特に19世紀の中頃から、ある種の真理は慎重かつ適切に人類に明らかにされなければならないと主張する他の兄弟団も存在した。そしてこの二つの間に、ニュアンスの異なるグループがまた存在したのである。このことから、このような兄弟団が人類の進化への衝動として意図したもの、植え付けたものは、しばしばある種の妥協を反映している。

 

※ 絶対的な秘匿を主張する組織は、それにより他の人々を支配するという利己的目的があるのだ。これに対して、霊的真理の公開を主張したのは、人類が再び霊的認識を獲得すべき時代が訪れたことを知っていたのでらる。それは、シュタイナーも同様であった。

 

 人類の進化に有効な霊的衝動を熟知していたこれらの兄弟団は、1840年代の初めに重要な出来事の接近を察知した。この出来事とは、ある種の霊と高次の霊との間の闘争であり、ミカエルが竜を征服することによって象徴的に表されている、1879年にある種の天使の霊、闇の霊が、打ち破られた闘いである。時代の要請を考慮すること望んだ兄弟団のメンバーたちは、ある程度、善意に満ちていた。物質主義を考慮しようとする当時の誤った衝動を引き受けたのは彼らであった。しかし、当時の唯物主義への接近の仕方において誤っていたのである。物理的な道だけで物事を知ろうとする人間に、霊的な世界の何かを、物質的な方法でもたらすことが望ましいと考えたのである。このように、1840年代に彼らによってスピリチュアリズムが世に押し出されたときの意図は善意であった。

 

※ 1841年~1879年に、天界で大天使ミカエルとアーリマンの戦いがあり、アーリマン(その霊的一族とともに)は地上界に落下したという。それにより唯物主義的傾向が世界的に強まり、より多くの人がアーリマン的霊に憑依されることとなったようである。ミカエルの勝利の結果、地上において悪が栄えると言う逆説的な展開であるが、悪と対決することが、現在の人類の、霊的進化の上での課題なのである。
 19世紀におけるスピリチュアリズム勃興の背景には、善意の兄弟団が存在したのである。しかし、心霊や自然霊等の存在を物質世界への「召喚」のような形で示すことは、誤った認識をもたらす危険もあったのである。

 

 この闘争の時代、知性が純粋に外界に向けられていた時代には、少なくとも、人間を取り囲む霊界があるという経験、感覚を人間に植え付ける必要があったある種の霊的真理を全面的に拒否する兄弟団は、いわば多数派に負け、それに同意せざるを得なかった。

 このように、善意ある兄弟団は、霊媒を使うことによって、自分のまわりに霊的世界が存在することを確信させることができる、そして、その確信に基づいて、より高い真理を人間に授けることができると信じていたのである。しかし、まったく違うことが起こった。霊媒によって明るみに出たものを、降霊に参加した人たちは、死者からもたらされたものと解釈したのだ。したがって、霊能者を通じて明らかにされたことは、本質的にすべての人にとって失望をもたらすものだった。善意ある進歩的なイニシエーターたちは、死者について語られるとはまったく思っていなかった。彼らは、普遍的なエレメンタール世界について言及されることを期待していたのである。

 

※ エレメンタール存在とは自然の背後にいる、いわゆる妖精と言われる霊的存在(自然霊)である。そのアーリマン的霊も存在し、人間の姿をとって現れることもあるらしい。

 

 左手の兄弟たちも、霊言を通じてさまざまなことが明るみに出ることを期待していた。死んだ人間の魂を利用する段取りをしたのは、ほとんどこのような左手の兄弟たちであった。彼らにとっては、このような降霊から何が出てくるかは切実な関心事だった。彼らは次第にこの分野全体を掌握するようになった。善意のイニシエーターたちは次第にスピリチュアリズムへの関心を失った。なぜなら、当初からスピリチュアリズムに反対していた人たちが、今ではスピリチュアリズムから何も生まれないことは初めからわかっていたはずだ、と言ったからです。これによって、心霊主義は左手の兄弟たちのいわば勢力圏に入るようになったこれらの降霊では、左手の兄弟によってある程度悪用された魂がまさに姿を現すことができた。

 世界においては、あたかも世界の分割されていない基礎から生じたかのように、すべてが矛盾なく説明されるに違いないと考える人は、世界とその経験に偏見なく直面したとき、多くの失望を経験する。この世界観では、すべてのものが分割されていない、神的な、根源的な基礎に導かれる;すべては神から生じており、したがって統一体として理解されなければならない。

 しかし、今はそうではない。経験している私たちを取り巻くと世界は、分割されていない根源的な基盤に由来するものではないむしろそれは、互いに異なる霊的個体に由来する。経験される世界のすべてには、異なる個体が一緒に働いている。私たちは、霊的世界の敷居をまたぐと同時に、個体はある程度--実際には高度に--互いに独立したものであると考えなければならない。そうすると、現れているものが、分割されていない原理によって説明可能であるとすることはできない。これが(下図)、模式的に表すと、ある経験(私に関する限り、1913年から1918年までの経験)であると想像してほしい。

 

               図7

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 人間の経験は、当然ながら両方の向きに続いていく。歴史家は常に、このプロセス全体に分割不可能な原理を想定したくなるものだ。しかし、これは事実ではない。霊界への敷居を越えるや否や-それは上からも下からも越えられる(図面参照、赤)、同じものである-様々な個体が協力して、互いに比較的独立しているこれらの事象に影響を及ぼすのである(図面参照、矢印)。ある程度、事象の波や流れ、互いに協力したり反対したりする様々な個体を考慮に入れて初めて、これらのことを正しく理解することができるのだ。

 この問題は、まさに人類の進化の最も深い謎と結びついている。一神教的な感情だけが、何世紀、何千年もの間、この事実を覆い隠してきたが、人はこのことを考えなければならない。個別存在が互いに独立して働いている世界では、抽象的な矛盾がないということはありえない。

 

※ 一神教は、神は唯一存在であるとし、他の「神的存在」を認めない。しかし、実際には、この至高の存在のみで現実の世界の動きを説明することはできない。キリスト教であれば、三位一体、天使群、悪魔など、多くの多様な霊的存在を本来は認めており(他に霊的存在にはエレメンタル存在(妖精)もいるが)、これらの互いに独立した、異なる意識、意図を持った霊的存在(個体)の様々な働きの上に現実の世界は成り立っているのである。

 

 人間が自然と呼ぶものは驚くべき仕方で物質化している。その中には、異なる個体が一緒に働いている。しかし、現在の人類の進化の段階では、幸運なことに、人間は、分割されていない導きに関係させる概念で自然を把握することができるのである。それに依存するもののみが、人により、自然として感覚により知覚されうるからである。自然というタペストリーの背後には、まったく別の方向から影響を受けている、まったく別のものがある。しかし、人間が自然を知覚するとき、これは遮断される。人間が自然と呼ぶものは、結果的に分割されていないシステムであり、それはふるいにかけられているからにほかならない。その中で矛盾するものはすべてふるい落とされ、自然は分割されていないシステムとして私たちに伝わってくる。しかし、私たちが敷居を越えると現実は異なっていることがわかる。私たちが扱っているのは、互いに闘い、あるいは支え合い、強化し合う個体の影響なのである。

 

※ 人間が認識している客観世界、自然界の背後には様々な霊的存在がして、世界に様々な作用を及ぼしている。極端に言えば統一性がないということであろう。しかし、人間の感官のフィルターにより違いは捨象され、統一体として、あたかも一つの基盤の上に存在するように認識されるのである。

 

 エレメンタル世界には、ノームのような土の精霊、ウンディーネのような水の精霊、シルフのような空気の精霊、サラマンダーのような火の精霊が存在する。しかし、それらは統一された連隊を形成してはいない。さまざまな領域が、ある意味で独立した存在なのだ。お互いに戦っている。彼らの意図はそもそもお互いに何の関係もないのだが、その後に生じるものは、最も多様な意図の協働によって発展していくのである

人間の魂の中に生きるものも同様である。考える命、感じる命、意志する命など、魂は統一体であり、共通の体系に属するに違いないと考えるのは誤りである。分析心理学が発見した人間の生活における強い矛盾は、敷居を超えて、思考、感情、意志の生活に他の個体が影響を与える全く異なる領域へと私たちを導かない限り、生じないのでものである。

 もしこれが人間で(図参照)、人間の中に思考、感情、意志の生(図、T、F、W)があるとすれば、思考の生は一つの世界(W1)へ、感情の生は別の世界(W2)へ、意志の生はさらに別の世界(W3)へつながっている。

 

                図8 

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 人間の魂があるのは、一時的に人間以前の世界で3重だったものの統一を形成するためである。

 

※ 物質世界同様に、人の心魂の活動である、思考、感情、意志の源は、霊的世界としては別々にあり、一つのものから出ているのではない。しかし、人の心魂は、一つの人格の中にそれらが統合されているのである。

 

 ポスト・アトランティス時代の各時代には、それぞれ固有の課題がある。ポスト・アトランティス時代の第5期の課題は、世界の進化における衝動としての悪と向き合うことである悪とは、間違った場所に現れた力である。それらは、第5期の人類の努力によって、人類のために征服されることができる。そうすれば、これらの悪の力によって、全世界の進化の未来のために何か良いことが展開される。そのため、ポスト・アトランティス第5期の課題は特に困難なものである。悪の力が次第に現れてくると、人間は、悪と闘うよりも、あらゆる領域でこの悪に屈服する可能性が高くなる

 しかし、悪はある程度、世界の進化における善のために置かれなければならない。それなしには、ポスト・アトランティス第6期に入ることは不可能である。悪に対抗するという課題は、人類にとって、ある種の個我の暗黒化の新たな可能性と結びついている

 1879年以来、人間に最も近い闇の霊、天使の国に属する霊が人間の世界の中をさまよっている。彼らは霊界から人間の国に放り出されて、今や人間の衝動の中に存在し、人間の衝動を通して活動しているからだ。そのために、知性による霊的なものの認識から遠ざけられているのだ。ポスト・アトランティス第5期には、これによって暗い幻想などに身を任せる機会が多く与えられる人間はこの時代に、知性で霊的なものを把握することにある程度慣れる必要がある1879年に暗黒の霊が克服されたので、霊界からどんどん霊的叡智が流れてくるようになったもし闇の霊が霊界の上に残っていたら、この流れの障害になっていただろう

 第5期に、人間が、悪の力を良い意味で具現化することを達成できれば、人間の魂が霊的なものに近づこうとする力とエネルギーを強化され、この第5期は、他のどのポスト・アトランティス期よりも他のどの地球上の進化の時期よりも偉大なコンセプトを、人類の進化のために、得ることになる。例えば、キリストは、ゴルゴダの秘儀を通じて、第4期に現れた。しかし、この神秘を人間の知性によって自分のものにできるのは、第5期の時代だけである。第4期においては、人間は、キリストの衝動の中に、魂を死の彼方に導く何かがあることを把握することができた。このことは、パウロキリスト教を通じて十分に明らかになった。

 それは、人間の魂が、悪の力を善に変える助け手をキリストのうちに持っていることを認識するようになることである。第5期には、人間は霊的なもののために戦う者でなければならない。霊的世界の獲得のために絶えず自己の力を抑えておかなければ、それが弱まることを経験しなければならない。第5期において、人間は最高度の自由を与えられているのだ!もし、人間の力が弱まれば、すべてが悪い方向に向かうかもしれない。この時代、人間は子供のように導かれる立場にはない。しかし、ある種の兄弟団には、第3期と第4期にまだ導かれていたように、人間を子供のように導くことを理想とするものがある。このような兄弟団は、人類の進化のためになすべきこと、すなわち、人間を霊界に導き、霊界の受容と拒絶を人間の自由に任せるということを全くしていないのである。

 

※ 第5期の人類は、自由を持ちつつ悪と対決しなければならない。自由は個我があってこそえられる。人の個我が時の経過と共に成長していくように、人類史においても、かつて個人の個我は明瞭ではなく、時代が進むにつれて次第に成長してきたのである。悪の兄弟団は、今後も人類を、個我の未熟な子どものように扱いたいのである。また自由とは、悪と対決しないことも選択できるということである。

 

 アイルランド島は、特別な特徴で、地球の他の地域と区別される。地球の各地域は、その特徴によって他の領域と異なっている地球全体が本質的に一つの有機体であり、その内部から様々な力が様々な領域の住民に流れ込んでいるのである。この流れは、「ダブル」に特別な影響を及ぼす。昔、アイルランドに親しんだ人々は、アイルランドの特徴をおとぎ話や伝説の中に表現した。かつて楽園でルシファーが人類を惑わせたために、人類は楽園から追い出され、世界の他の地域に散らばったという秘教的伝説がある。しかし、残りの世界は、人類が楽園から追い出されたとき、すでにそこにあったのである。したがって、この伝説的表現では、ルシファーがいる楽園と、人類が追放された残りの地球を区別している。なぜなら、ルシファーが楽園に足を踏み入れる前に、楽園のイメージが地上に形成され、そのイメージがアイルランドとなったからである。

 アイルランドは、ルシファーと関係のない地球の一部である。切り離されなければならなかった楽園のその一部が-それによりその地上的イメージが生まれた-、ルシファーが楽園に入ることを妨げていたのである。この伝説によれば、アイルランドは、ルシファーが楽園に入ることを妨げていた楽園のすべての部分の最初のものである。アイルランドが楽園から切り離された後、初めてルシファーは楽園に入ることができた。

 

※ シュタイナーによれば、旧約聖書で述べられている「楽園追放」(原罪)の出来事においてエヴァを誘惑したのはルシファー(ルチファー)であるという。

 

 聖パトリックがアイルランドキリスト教を伝えたとき、その状況は、キリスト教がそこで最高の敬虔さへと至るようなものだったのだ。ヨーロッパのキリスト教の力が、その最高の衝動を直接アイルランドから、愛情を持ってキリスト教を教えられたアイルランド人から発した時代に、ギリシャではイエルネ、ローマではイヴェルニアと呼ばれたアイルランドが、聖人の島と呼ばれるようになった。それは、地上から昇り、人間のダブルを支配下に置くこれらの地域的な力が、アイルランド島で最も良い状態にあるという事実と関係がある。

 それなら、最高の人間はアイルランドにいると言えるかというと、そうではない人間が単に自分が立っている大地の産物であるということはない。人間の中で本当に発展しているものを、ある特定の地域における地上の有機体の特徴と混同してはならない

 アトランティス後第3期のある時期、ある兄弟団が小アジアからアイルランド島に多数の植民者を送る手配をした。彼らは、地球からアイルランド島の土を通って上昇し人間に働きかける力が、人間が知性、エゴ、解決する能力の発展の方向には、ほとんど影響を与えないことを知っていたイニシエーターたちは、特定のカルマの素因によって、まさにアイルランドのこうした影響を受けるのに適していると思われる人々を選んだ彼らは、少なくとも知的さ、知性、決心する能力ではなく、代わりに感じる(Gemuet)魂の特別な資質が発達するようになるはずであった。

 

※ シュタイナーのいう第3期とは、エジプト・カルデアの文化期である。

 

 これによって、そこからヨーロッパのキリスト教化の流れが生まれる、キリスト教の輝かしい進化、キリスト教の平和的普及が、アイルランドでずっと前に準備されたのである

 それがポスト・アトランティス第3期、第4期、第5期と続いていった。この自由への衝動が、アトランティス後の第5期を支配するすべてのものの中で、牽引しているのだ。敵対者、ダブルが企んでいるのは、それはまさに人間の感情の自由に反対することである。もし人がこのダブルに直接影響受ける状況にあるならば、すでにアトランティス後の第5期に、出現しうるあらゆる種類のものが出現するかもしれない。しかし、この時代には、人間に自分の任務を達成する完全な可能性を与えることは適さない。この課題は、悪との闘い、悪を善に変えることにある。

 

※ 人類が進化の過程で獲得する能力は、その時期に応じたものでなければならない。早すぎる進化もまた悪い結果をもたらすのだ。

 

 テイラーという男がいて、彼は進歩という意味での人類のために勝ち取るべきもの、アトランティス以後5番目の時代に人類の精神のために勝ち取るべきものよりも、このダブルに重きを置いていた。これにより労働者の休憩時間を割り出したのだが、この休止の間に力を回復することができない他の労働者は、ただ捨て去られたのである。ダーウィンの理論を労働者の生活に応用したのであるこうして選ばれた人たち、つまり生存のための闘争に最も適した人たちが、淘汰によって選ばれたのである。しかし、不適合者は飢えで死ぬかもしれないのだ。

 

※ フレデリック・テイラーは、20世紀初頭に工場生産の科学的管理法(テイラーシステム)を提唱した。時間研究,動作研究から,労働者の標準作業量を科学的に決定することや、この作業量を基準として賃金を決める差別出来高給制を導入すること等を内容とする。

 

 これは原理の始まりである! 今日、人間の生活に適用されるのは、自然科学の誤った考えだけである。その衝動は存続し、ポスト・アトランティス第5期の過程で到来する秘教的真理に適用されることになるだろう。ダーウィニズムには秘教的真理は含まれていないが、その適用は、このダーウィンの見解の人間への直接の実験への適用という怪物を導くだろう。これに秘教的真理が加わると、それはポスト・アトランティス第5時代の過程で明らかにされるだろうが、常に適合者を選ぶことによって、人間に対する信じがたい力が確実に得られることになるのである。しかし、単に適合するものが選択されるだけでなく、適合するものを常により適合させるためにある種の秘教的な発明をしようと努力がなされ、それにより途方もない力が獲得されるが、それはポスト・アトランティア第5期の良い傾向に逆らうものである。

 

※ シュタイナーは、人類の進化に資するあるべき社会を構築するために、社会3層化運動を提唱した。それが理想とするのは、「精神生活における自由」「法律上の平等」「経済生活における友愛」という、社会の3層でそれぞれ異なる原則に基づいて運営される社会である。またシュタイナーは、労働は売買されるものではない、労働と報酬は分離されるべきであると考えた。このようなことから、人智学派の社会運動において「ベーシックインカム」が唱えられてきたのだが、「グレート・リセット」においてもこれが提唱されているようである。その真意はどこにあるのだろうか。

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 第2講義は以上である。

 シュタイナーは、第一次世界大戦を準備してきた英米ブラザーフッドが存在していると語っている。その動きを阻止するために、社会3層化運動を進めたのだが、結局それは成功しなかった。その結果は、第2次世界大戦へとつながり、そして現在に至っている。
 シュタイナーの、他の社会的活動には、シュタイナー(ヴァルドルフ)教育がある。なぜシュタイナーは、このような社会運動を推進したのだろうか? それは、人間が社会的な存在でもあるからである。またその中でこそ、今後の霊的進化が可能となると考えたからである。
 キリストが「隣人を愛せよ」と語ったように、地球期のもう一つの課題は、地球を愛の星にすることである。それは、感情的な倫理観と言うより、今後の霊的進化には、人間関係において生まれてくるものがあるからである。
 また、健全な肉体の形成も重要である。「健全な精神は健全な肉体に宿る」というのは真実で、肉体の悪化は精神(霊)の悪化につながる(これが今、ブラザーフッドに意図されていないだろうか?)。そのためには、健全な心身をつくる教育が必要なのだ。

 一人、瞑想にふけり、自己の霊的資質の向上を図ることのみでは、人類全体の進化は得られない。シュタイナーは、現実主義的なイニシエーターであった。