k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

プーチンとは何者か? ①

 現在、世界で最も悪魔化された人物と言えば、それはロシアのプーチン大統領だろう。ただし、「世界」と言っても、それは主に欧米と日本の意味である。これまで欧米特にアメリカにより虐げられてきたそれ以外の諸国においては、プーチン氏は欧米の横暴と戦う勇気ある政治家とみられているようだ。

 勿論、ロシア国内においてもその人気はまだまだ高い。かつてソ連が崩壊した後のエリツィン大統領の時代に、ロシアの富は欧米によって収奪され、ロシアの人々は苦難を強いられた。それを改め、人々の生活を安定させてきたのがプーチン氏であることが第一だろう。

 その人柄はよくわからないが、もともと親日家ではあるらしい。またロシア正教の信徒であり、信仰心が深いようにも見える。世界中の要人が集まったノルマンディー上陸の記念式典で、日本への原爆投下の映像が流れた。その時に、アメリカのオバマなど多くの要人は拍手したが、プーチン氏は拍手することなく胸の前で十字を切ったビデオを見たことがある(上図)。確かに、公衆の前であるので、そのようなあえてふるまったのかはわからない。(しかし、公式において日本への原爆投下をどのようにアメリカとロシアが評価しているかは、これでわかるだろう。)

 

 さて、プーチン氏の実際の基盤はどこにあるのだろう。彼が、旧ソビエトKGB=国家保安委員会に所属していたことから、様々なことが語られている。今も、自分の周辺を昔のそうした仲間で固めているとも言われている。ただ、彼自身は、ソ連におけるクーデター事件の最中にKGBを辞めている。彼は、明らかにソ連の旧体制に批判的であるように思う。

(ちなみに、今のウクライナ侵攻も、かつての「ソ連の勢力圏の回復」が狙いなどとする主張もあるが、それは、ソ連の亡霊を未だ見ている「専門家」の戯れ言に過ぎないだろう。そもそもソ連とロシアは断絶しているのである。革命は英米の支配層により画策された一面があり、それによりロシアが苦しんだ歴史がある。ソ連時代を評価できる面も一部にあるにしても、プーチンにとって、その継続はあり得ないだろう。確かに、ユーラシア大陸全体を視野においた思想はあるようだが、それは軍事力で従属国を従えるというような考えではなく、文化的な問題なのである。ソ連を持ち出すのは、今のロシアを危険な国として悪魔化するためであろう。)

 その後プーチンは、「民主派」の一員となり、サンクトペテルブルク市の第1副市長・国際経済担当に任命され、以後、頭角を現していく。エリツィンに見いだされ、ついにはその後継者として、2000年に大統領に就任したのである。

 彼はエリツィンの後継者と見なされていたが、実際には、その後、大統領として任期を重ねる内に、エリツィンの親欧米的、売国的な政治姿勢から離れていく。これが、基本的に欧米がプーチンを嫌っている根本の理由であるようだ。

 

 以上がプーチン氏の簡単な略歴であるが、勿論、これだけで氏の実相がわかるはずもない。公で語られることのない姿があるはずである。

 私は、ロシアでプーチン大統領が誕生したとき、ロシアという国では、指導者がずいぶん唐突に現れるものだ、国内的には既に有名だったのかもしれないが、やっぱり縁故が優先される社会かとも思った。KGB出身と言うこともあり、ロシアの裏側の社会に通じていて、隠れた力をもっているのかとも思った。

 その後、プーチン氏を見ていくと、確かに強権的に見えるが、実際に行なってきたのは生活の安定も含めてロシアの復興ということに尽きるように思われた。それが、アメリカの逆鱗に触れていることも知った。
 これまで欧米の妨害を受けながらもロシアを復興させてきた実績を見ると、政治家としては有能な人間と言うことであろうが、それだけであろうか。いくら有能でも、あれだけの国を個人が一人で舵取りできるとは思われない。KGBの人脈がある言われるが、それ以外にも表には出ず密かに彼を支えている者達、あるいはグループが存在するのだろうか?

 ここに興味深い本がある。『The New Age of Russia: Occult and Esoteric Dimensions ロシアの新時代:オカルトとエソテリックの次元』という本で、2012年にドイツで出版された。この本は取得していないが、その一部とブックレビューを読むことができた。この本の目的は、「ソ連時代にオカルトの伝統が断絶されたという考え方を再検討することにある。それどころか、革命前の時代からソ連時代を経て現代のポストソ連ロシアに至るまで、秘教・オカルトの豊かな伝統が存在することを各章で明らかにしている」本なのである。

 この本には、何人かの著者の論稿がまとめられているのだが、そこにマルクス・オスターリーダという方の「シナーキーからシャンバラへ:ニコライ・リョーリフの活動における政治的オカルティズムと社会的メシアニズムの役割」(「シナーキー」とは、19世紀にフランスのジョゼフ・アレクサンドル・サン=イヴ・マルヴェイドル侯爵によって創始されたオカルト的政治運動)という論稿がある。オスターリーダ氏は、「ミュンヘン生まれの歴史家、作家、講演者」とアントロウィキにあるので、人智学につながりのある方のようである。

 さて、そこに次のような一文があるのである。

 「1970年代以降、リョーリフ夫妻の活動はソビエト連邦で着実に認知されるようになり、1997年5月14日にクレムリンでスヴャトスラフ・ロエリヒとミハイル・ゴルバチョフ、ライサ夫妻が会談したことが頂点となった。これにより、MTsRはモスクワ中心街のロプーヒンの豪華な敷地に設立されることになった。オカルト政治と秘密結社に関する事実、嘘、噂の豊富なレパートリーは、1990年代初頭に、増え続けるネオ・ユーラシア運動の信奉者の間で再確認された。この運動で傑出しているのは、前述のアレクサンドル・ドゥーギンであり、彼はヨーロッパの右翼と「秘教的伝統主義者」(サン=イブ、パパス、エボラ、ゲノンの信奉者ら)の両方とかなり密接なつながりを持っており、GRUロシア連邦軍参謀本部情報総局のランクに秘密の兄弟団アガルタが存在しているという噂を広め始めた。フランス系ルーマニア人の作家ジャン・パルヴレスコ(Pârvulescu)は、ウラジーミル・プーチンはこの教団の使者と見なされなければならないとまで付け加えた。

 

 先ずここに出てくるアレクサンドル・ドゥーギンであるが、彼は、 1962年生まれで、ウィキペディアでは、「ソビエト連邦(現・ロシア連邦)モスクワ出身の政治活動家地政学 政治思想家哲学者2008年から2014年までモスクワ大学で教授を務めた。クレムリンに影響力を持つ存在とされ、レフ・グミリョフに始まるネオ・ユーラシア主義の代表的な思想家の一人とされる」とあるが、実は、秘教主義者であるようである。
 GRUとは、帝政時代からソ連を経て今のロシアまで続いている軍部の情報機関である。同じ諜報関係であるプーチンの所属していたKGBとはライバル関係にあるとされているようだ。しかも上の文章では、「噂」とされているので、そもそもその信憑性はわからない。

 しかし、情報機関というものは、その性格上、秘密結社と親和性が強いようで、その奥の院で両者がつながっている可能性もあるだろう。実際、アメリカのブッシュ親子大統領は、共に、イェール大学出身者を母体とする「スカル・アンド・ボーンズ」という秘密結社に属していた(る?)とされるが、父親のブッシュは、CIA長官という経歴があるのである。

 ロシアの2つの情報機関も、互いにライバル関係にあるとされるが、共に同じ秘密組織が関わっているとは考えられないだろうか。そして、プーチンはそのメンバーの一人であったということも。

 もしそうだとすると、シュタイナーは、英米の政治が、アングロサクソン系の秘密結社の影響を強く受けていることを指摘しているが、ロシアにも同じような図式があり、プーチンも秘密結社の影響下にあったのだろうか、また今もあるのだろうか?

 ところで、引用した文中に、「リョーリフ夫妻」「アガルタ」という名前が見える。リョーリフ夫妻とは、ロシアの有名な秘教主義者であり、アガルタとは夫妻が探し求めた「シャンバラ」が存在する国の名である。リョーリフ夫妻にはある霊的潮流の影響があるとされ、ソ連崩壊の背後にその動きを指摘する人智学者もいる。今回は、これにこれ以上触れないが、このこともふまえて、今後更にプーチンの背後を追ってみたい。

  なお参考に、主流マスコミでは報道されないような、ソ連崩壊から現代ロシアまでの経過、プーチン批判の背景に関する情報がコンパクトにまとめられている論稿があるので、以下に紹介する。これは、「New Dawn Magazine新しい夜明け」という雑誌の記事である。この雑誌は、いわゆるオカルト・陰謀論系の雑誌のようなので、客観性には欠けるだろうが、読む限り、ある程度核心を突いているように思われる。

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ロシアに対する大いなる陰謀ープーチン反対運動の背後にあるものは何か?

ケリー・ボルトン博士著

 New Dawn Magazine特別号 Vol 8 No 5 (Oct 2014)より

 

 ワシントンで国家や政治家に対して戦いの太鼓が鳴り始めると、「新世界秩序」に対してどんな違反があったのだろうかと考える権利が与えられる。過去数十年の間、私たちは次々と国家が財政的な誘惑に屈し、それが失敗すると、長い間計画され、十分な資金が投入された「自然発生的」な革命、そして最後の手段として爆弾に屈するのを見てきた。旧ソ連圏の国家は、全米民主化基金(NED)、USAID、その他多くの基金NGOと連携しているソロスのネットワークによって組織された「カラー革命」に大きく屈したのである。

 ミロシェビッチセルビアカダフィリビア、サダムのイラクは、ジハード主義者への地上支援によって爆撃され、服従させられた。グローバリストの狙い通り、世界を「絶え間ない紛争」の状態に保つために役立つなら、グローバリストはジハード主義者に何の異議も唱えない。アメリカは、「イスラム教徒」を、カモとして、また厄介者として、利用できるところはすべて利用するつもりだ。

 世界には1つだけ大きな問題がある。またしてもロシアである。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ロシアでの指導を始めた当初から、執拗に中傷されてきた。第二次冷戦は、第一次冷戦の後すぐに起こったので、この二つは一つのものと見なすことができる。

 

ロシアは世界国家を苦しめる

 ロシアがグローバリゼーションに屈するかのように見えた時には、つかの間の権力の空白期間があった。エリツィン時代もそうだったが、ゴルバチョフ時代、共産党が権力を握っていた時代もそうだった。一夜にして強大なソビエト連邦が崩壊したのは、米国を拠点とする破壊工作と、ポーランドの「連帯」のような「反体制派」の支援、そして自らを国際的に通用するグローバリストの有名人と目していたゴルバチョフの計画倒産が相まって、長い間準備されていたものである。

 ロシアは1917年、金と革命の結びつきに屈した。革命運動は、1905年、反帝国主義のジャーナリスト、ジョージ・ケナンが、ウォール街のクーンローブ社のジェイコブ・シフから資金を得て、ロシア人捕虜の宣伝のために日本に派遣された時から、十分な資金を獲得していた。ケナンは、5万人の革命的幹部がツァーリに送り返されたと発言している。1917年3月、シフのツァーリ打倒への貢献はニューヨークで賞賛された1。その後、レーニントロツキーが率いるボルシェビキのクーデターがすぐに起こった。レーニンは、ロシアを戦争から脱却させるためにドイツに支援され、トロツキーは、ロシアを戦争に参加させるためにアメリカとイギリスに支援された。トロツキーは、イギリス陸軍内閣のロシア特務機関であるR・H・ブルース・ロックハートと密接な関係にあり、ロックハートの妻は、彼の同僚の多くが、彼がボルシェビキになっているとコメントするほどであった。レーニンがロシアにドイツとの休戦協定を主張したため、トロツキー外務大臣を辞任したことが、その線引きとなった。

 戦後、国際金融は、ソビエトの存立がせいぜい不安定な時期に、ソビエトから譲歩を得ようと躍起になり、グレーブス将軍率いるアメリカの「介入」は、赤軍を支持するために白軍を裏切ることに全力を尽くした3。『ロンドンタイムズ』の編集者ウィッカム・スティードは、パリ講和会議で、ボルシェビキの世界的な承認を求めていたのはシフのような国際金融業者であったと述べている(4)。 レーニントロツキーの体制下で、国際資本主義にとって事態は順調に進んでいた。ロシアは、外国の資本と技術に開放された。レーニンの死とそれに伴う権力闘争により、スターリンは1928年にトロツキーとその同人たちの影響力を排除した。

 第二次世界大戦における枢軸国との共通の戦いは、ソ連が世界秩序に組み込まれるためのさらなる機会を開いた。アメリカは、世界議会としての国連総会を通じて、そのような世界国家を提案した。ソ連は、このような議会の議決はアメリカが支配することを認識し、常任理事国の拒否権を持つ安全保障理事会に権限を持たせることを主張した。戦後の新世界秩序の第二の前提は、米国の「長老」と呼ばれるバーナード・M・バルークにちなんで名付けられた「バルーク・プラン」で示された、国連の庇護の下に原子力エネルギーを「国際化」する米国の提案であった。この時もソ連はノーと言った5。

 ソ連は単独で世界国家の樹立を阻止した。保守的右派は今日までロシアについて混乱したままであり、その多くは、彼らにとって新しいスターリンであるプーチンに対して、古い冷戦時代の反ロシア路線を続けている。

 

ソ連圏はいかにして崩壊したか

 枢軸国の敗北後、グローバル主義者が「世界平和」の名の下に世界国家を樹立する機会はソ連によって挫折したが、ソ連圏の崩壊は別の機会を提供した。西側の寡頭政治家はうぬぼれが強く、全世界が生産と消費の麻薬漬けになって、自分たちの「すばらしい新世界」の「自由」に憧れを抱いていると思い込んでいる。彼らは、ソビエト連邦の崩壊とともに、ロシアのカウンターパートと連携して、国際的な搾取体制を形成するものと思い込んでいた。レーニントロツキーがそうであったように、ミハイル・ゴルバチョフは彼らの部下であった。

 2011年にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたゴルバチョフの80歳の誕生日祝いでは、「映画スター、歌手、政治家が集まり、ゴルバチョフ氏がソ連の支配から東欧を解放し、冷戦を終わらせた人物として広く認識されている西側の有名人の地位を浮き彫りにしている。 ゲストの中には、ソ連崩壊後のポーランドの父であり、全米民主化基金(NED)から多額の資金援助を受けて「連帯」運動を行ったレフ・ワレサ、CNN創設者のテッド・ターナーイスラエルシモン・ペレス大統領、無名の「オリガルヒ」などが含まれていた。

 ゴルバチョフは、自分の誕生日に、プーチンに3期目の大統領を目指さないよう警告し、脅すようにアラブ世界の反乱に言及した。(訳注)

 

(訳注)アラブ世界で民主化を理由に政権を倒す反乱が起きたように、ロシアでもそれが起こされると脅したという意味であろう。

 

 1988年、ゴルバチョフは国連で「ソ連は東欧諸国の仲間を守らない」と宣言し、公然とソ連邦の反乱を誘った。この年、ソ連は「ロシアのベトナム」と呼ばれるアフガニスタンから撤退した。また、東欧諸国からソ連軍を大幅に削減することも発表した。ゴルバチョフは、国連機構の支援のもとで「新しい世界」を実現することを顧問に表明した。NEDは、ポーランドチェコスロバキアウクライナベラルーシ、ロシア、モルドバコーカサス中央アジアの反体制派の出版を支援するポーランドチェコ・スロバキア連帯財団を設立した。 ソ連圏の崩壊は、ゴルバチョフの裏切り、グローバリストの資金提供による破壊工作、米国が支援するアフガニスタン問題などが重なり、計画されたものであった。

 1991年、ゴルバチョフは国際社会経済政治研究財団を設立し、グローバリストのNGO、財団、シンクタンクの目もくらむばかりの連結した配置に、自らの意見を加えることにした。1997年に設立された北米支部は、「経済的自由化」を広めることを目的としていると述べている。

 

"間違った方向"

 1990年代を通じて、グローバリストにとって物事はうまくいっているように見えた。ロシアはついに解体され、「新世界秩序」に参加する準備が整った。ゴルバチョフが東欧圏の解体にゴーサインを出し、ウェストミンスター式のバカ民主主義への道を開いたのである。1985年にゴルバチョフの下で政治局員、モスクワ市長、その他の上級職として権力の座についた酔っぱらいのボリス・エリツィンが、金融資本主義のもう一つの植民地として世界にその地位を占めることができる新しい民主主義ロシアの到来を告げるのにふさわしい人物とされた。1987年に改革を急がないことを批判して、リベラル派としての資格を得たのである。1991年から1999年まで、民主的に選出された最初のロシア大統領であった。エリツィン政権下では、経済自由化の名の下に、ロシアの資産がオリガルヒに安値で売却された。大統領就任当初から、エリツィンIMF世界銀行、米国財務省からアドバイザーを招聘していた。彼の1996年の大統領選挙キャンペーンは、オリガルヒによって資金提供され、彼らのコントロールするメディアによって宣伝された。ボリス・ベレゾフスキーは、外交問題評議会(CFR)のアナリストであるダニエル・トリスマン(1997年に税制改革に関するロシアでの米国チームに参加)によって、「ゴッドファーザーゴッドファーザー」、つまり糞山の頂点に座るオリガルヒと評されていた。

 ロシアを荒廃させたエリツィンは、自分がもたらした破滅への許しをロシア人に請い、辞職した。1999年12月、プーチン首相が大統領の座に就いた。プーチンはロシアを吸血鬼化させ続けるだろうと予想されていたが、それ以来、グローバリストが「間違った方向」と呼んでいることをとった。外交問題評議会ポジションペーパー「ロシアの間違った方向」のタイトルである。2006年に書かれたこのCFRペーパーは、自由支援法への資金提供を増やすことを推奨し、この例では特に2007-2008年の大統領選挙に言及している。CFRの報告書の執筆者には、共和党の政治家ジャック・ケンプ、父ズビグニューがカーター政権で務めたように、クリントン大統領下でロシア・ユーラシア問題の顧問として国家安全保障会議を務めたマーク・F・ブレジンスキー、ソロス財団の創設事務局長アントニアW・ブイス、ロスチャイルド・グループの上級顧問ジェームズA・ハーモンらが含まれている。

 プーチンは自らの仲間のオリガルヒたちと付き合っていることで批判されてきたが、これらの実業家たちは、グローバリストの利益のためにロシア国家を弱体化させるのではなく、国家の強化のために取り込まれてきたのである。そうでない行動をとった人々は粛清され、反ロシアの利益団体によって「反体制派」や「人権」の擁護者として祭り上げられた。寡頭政治のゴッドファーザー」と呼ばれたベレゾフスキーは、イギリスに亡命していたが、絞首刑に処された。息子のパベルは現代ロシア研究所を主宰し、父が設立したオープン・ロシア財団の活動を引き継いで、「ロシアの民主主義共同体への統合」、つまりロシアの国際金融への従属を推進している。

 特に、プーチンは、ある著名なシンクタンクが21世紀を楽観的に表現した「アメリカの新世紀」という概念に挑戦している。プーチンは、「ビロード革命」によって東欧圏を蝕んだのと同じ破壊的ネットワークの影響力を制限するために、NGOの職員に「外国人エージェント」としての登録を義務付けるなどの動きを見せ、国は2013年3月にこれらの破壊者についての調査を開始した。この年、NEDはロシアで「人権」の名の下に国家を貶めるためのNGO、プログラム、セミナーに822万6487ドルを提供した16。 NEDは米国議会から資金提供を受けている。もしロシアがアメリカ政府を弱体化させる団体に資金を提供したら、「世界世論」の怒りを想像してほしい。これに加えて、ジョージ・ソロス・ネットワーク、USAID、その他大勢の人々がロシアを弱体化させるために注いできた数百万ドルの資金がある。2012年、プーチンは政府機関であるUSAIDがロシアの主権を損ねているとして、USAIDを排除した。

 地政学的には、グローバリストはロシアを包囲することを目的としている。プーチン中央アジアやその他の地域で作った同盟は、これが完全に成功したわけではないことを意味する。上海協力機構には、中国、カザフスタンキルギスタンタジキスタンウズベキスタン、そしてインド、イラン、モンゴル、パキスタンがオブザーバーの地位で加盟している。ベラルーシスリランカは対話のパートナーであり、トルクメニスタンはゲストとして出席している。

 しかし、グルジアウクライナなどの国家は、この戦略の重要な要素として買収の対象になっている。NEDは、2012年10月の選挙で有権者に投票の仕方を「教育」するなど、ウクライナ社会のさまざまな分野で若い幹部を熱心に後援している。2012年のNEDの財務報告書には、その年に338万834ドルを受け取ったウクライナNGOが記載されている17 。この金額は、NEDが世界中に送った資金の上限を示すものである。

 ウクライナ東部の親モスクワ派の分離主義者たちは、他の状況であれば世界のメディアや政治家から「自由の戦士」として賞賛されるであろうが、「テロリスト」として特徴づけられている。ロシアの敵は、最も非論理的なレトリックによって、マレーシア航空機の撃墜に個人的に責任があるとロシア大統領を非難している。この文章を書くにあたって唯一確かなことは、旅客機の撃墜によってロシアの利益がもたらされたわけではないということだが、これは反ロシア政策のための材料となる。ロシアは、ヨーロッパからさらに押し出され、中国と抱き合うようになる。

 ロシア人は、死の時代にある西洋の道徳的、文化的、精神的腐敗に比較的犯されていない、タフな人々の数少ない生き残りの一人である。ロシアには、少なくとも可能性が残されている。哲学者のニコライ・ベルジャーエフは、「ロシア国民は未来の人々である」と書いている。「西側諸国民がまだ決定する力を持たず、その深さにおいてさえ提起していない問題を、彼らは決定するのだ」。

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 最後に出てくるベルジャーエフとは、1874年生まれの、神秘主義に基づき文化や歴史の問題を論じたロシアの哲学者であるが、「ロシア国民は未来の人々」であるという主張は、シュタイナーの、現代の文化期の次に来るとされるロシア文化期を思い出させる。実は、このような発想は一部のロシア人の中で共有されていたようである。文化の欧米化に抗するロシアの特質の背景には、このような意識も影響しているのかもしれない。