k-lazaro’s note

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ジャンヌ・ダルクの使命 (後半)


 前半に続き、ジャンヌ・ダルクの霊的使命にについて述べているジョーン・M・エドマンズ氏の『ジャンヌ・ダルクの使命』から紹介する。

 エドマンズ氏は、世界史的使命を担ったジャンヌの誕生と死の日付けにまつわる意味を次のように語っている。

 

 ジャンヌ・ダルクが誕生したのは、このような宇宙の大きな出来事を背景にしたもので、霊的魂あるいは意識魂が誕生した年の前の1412年であった。ルドルフ・シュタイナーは、彼女の誕生にまつわる謎についてこう語っている。

「もし魂が『高次の世界の知識はどのようにして達成されるか』で説明されているように意識的にイニシエーションを求めるのではなく、あたかも自然のイニシエーションによってキリストの衝動に浸透されるなら、このプロセスにとって最も好ましい期間は12月25日から1月6日までである......」。人が生まれる前の最後の数日間、彼は母親の子宮の中で夢を見ているような、眠っているような状態で生きている。彼はまだ外の世界で何が起こっているのか、五感で感じていない。もし、その人のカルマが、子宮の中の最後の数日間にキリストのインパルスを受け取るのに特に適しているとしたら、この数日間は自然なイニシエーションの日にもなり得る。キリストの衝動によって強化され、飽和状態にあるそのような人は、1月の6日に生まれなければならないだろう。ジャンヌ・ダルクもその日に生まれた。1月6日に生まれた彼女は、クリスマスからエピファニー[1月6日]までの間、母親の胎内で特異な睡眠状態にあり、そこで自然なイニシエーションを受けたというのが、彼女の特別なミステリーである。さて、私たちが歴史と呼ぶのに慣れている外的な展開を超えた深いつながりを考えてみよう。歴史的に決定的な意味を持つのは、ジャンヌ・ダルクが1月6日にこの世に送り出されたことを示す暦の明白な日付である。このように、超自然的な力は感覚的世界で活発になるのであり、私たちはこの事実を示すオカルト的なサインを読まなければならない。それは、肉体の誕生以前に、オルレアンの乙女にキリストの衝動が、あたかも自然なイニシエーションによってであるかのように、すでに彼女の中に流れ込んでいたことを教えてくれるのである。」

 ルドルフ・シュタイナーはさらに、ジャンヌの誕生前のこの時期に、彼女の魂とアストラル体に彼女の使命を深く印象づけたのは大天使ミカエルであり、人間の生活においてアストラル体が誕生する時期、ジャンヌの場合は12歳から、彼女は初めて透視と霊視の目覚めを経験して、ミカエルの存在に気づいたと説明している。ジャンヌが生まれたこの時期を考えるとき、1年のサイクルの中で、地球がある意味で完全に天と一体となる時期が2つあることがわかる-エミル・ボックが表現したように「地球の魂がその息をころす時」である。聖なる夜、大地が最大限に呼吸し、最も霊的な状態にあるとき、この時、ジャンヌが物質世界に誕生したのだ。そして、この時から彼女の使命が始まるのである。聖夜とは対照的に、真夏の聖ヨハネの祭日[6月24日]は、大地が息を吐き出し、その魂が天に向かう時であり、この時、ジャンヌは、意識的、精神的な目覚めという2度目の「誕生」[物質的な死]を経験することになるのである。

 

 さて、次は現代におけるジャンヌ・ダルク復権の物語である。

 エドマンズ氏は、ジャンヌ・ダルクは、19世紀に再び脚光を浴びるようになったとする。むしろ「19世紀初頭まで、ジャンヌヌ・ダルクの生涯の歴史的な詳細はほとんど知られていなかった。彼女の名前は何世紀にもわたって生き続けてきたが、伝説と神話とが絡み合っていた。」

 それが、19世紀以降、ジャンヌの生涯の詳細が明らかになっていったのである。ジャンヌが有罪宣告を受けた裁判の内容を記した5冊の年代記装飾写本が、19世紀に古文書の中から発見され、この発見からまもなく歴史家たちの手によって、宣誓供述書や異端審問裁判でのラテン語で書かれた有罪宣告書の下敷きとなったフランス語での覚書など、ジャンヌの復権裁判の全記録も見つけ出されたからである。

 エドマンズ氏は、この歴史的意味を次のように記している。

 

 ルドルフ・シュタイナーが語るように、物理的世界に隣接する精神世界で大きな戦いが繰り広げられていた1840年代の初めに、ジャンヌ・ダルクはヨーロッパの意識の前にはっきりと姿を現したのである-大天使ミカエルが彼の敵である力と別の争いをしている時に、ある意味で、ミカエルの僕が世界の視野の中に入って来たのだ。

 この時期にジャンヌ・ダルクの生涯の歴史的事実が明らかになり、私たちが今日生きている時代の先駆者である者についての真実が徐々に知られるようになることは、実に重要な意味を持つのである。19世紀には彼女の人生に対する関心が高まり、その流れは20世紀にも及び、1920年の列聖で最高潮に達した。

 1841年、フランスの著名な学者であるジュール・キシェラは、フランス歴史学会のためにジャンヌに関する膨大な史料を収集し、翻訳した。彼の研究は、「真正文書」として知られるラテン語化された公式の裁判報告書をもとにまとめられたもので、現在でも価値があるが、後のヨハネ学者によって、フランスの様々な公文書館にある文書からかなり拡張されている。一般に、この膨大な証拠とは、まず、ジャンヌの死を招いた「断罪の裁判」と、その後シャルル7世によって起こされた、一審の冤罪を完全に晴らした「更生の裁判」と呼ばれる訴訟手続きのことを指す。この二つの裁判は、ジャンヌ自身の人生と使命について、実に生き生きとした描写を与えている。ジャンヌの生涯と使命は、彼女自身の言葉、そして彼女を生前から知る村人、友人や仲間、フランスの貴族たち、共に戦った騎士たち、敵、そして敵対する聖職者たちの言葉の両方によって、実に生き生きと語られている。これらはすべて、ジャンヌ・ダルクの人生という大きなドラマを明確に物語っている。このように非常に詳細な証言があるばかりでなく、彼女の生涯が、唯一、法廷での宣誓によって歴史に残され私たちにもたらされたものであるということもユニークな事実である。

 

 そして、この時、ジャンヌ・ダルクの真の姿を語ることのできる人間が現われたのである。即ちルドルフ・シュタイナー1861年 - 1925年)である。

 エドマンズ氏は語る。

 

 ルドルフ・シュタイナーの持つ偉大な霊的洞察力によって、私たちはこれまで隠されていた真実を知り、ジャンヌ・ダルクの人生と使命の真の意味を発見することができるのだ。ルドルフ・シュタイナーの導きによって、私たちは彼女の人生に敬虔な気持ちで接することができるようになった。1911年から1924年にかけて、ルドルフ・シュタイナーは何度もジャンヌについて話している。特に1914年の第一次世界大戦の開始時と1915年には、ヨーロッパの進化と霊的・意識的魂の出現に対する彼女の人生と使命の意義について、鮮明かつ決定的な詳細にわたって説明している。彼の言葉は、私たちがついに、西洋文明の歴史に並ぶもののない出来事の真の解釈を持っていることに疑いの余地を与えない。ヨーロッパの歴史における重要な段階について、ルドルフ・シュタイナーは、西洋世界全体の発展に影響を与えた2つの出来事について話した。ひとつは、AD312年にマクセンティウスとの戦いに勝利し、ヨーロッパの対外的な宗教生活にキリスト教を導入したコン・スタンティン大帝の勝利である。第二の決定的な出来事は、14世紀から15世紀にかけて起こったイングランドとフランスの百年戦争と呼ばれる長い闘争である。この戦争は、基本的に両国の王家の間の王朝の争いであった。

 この混乱から遠く離れたフランス北東部の小さな村に、二つの国の運命を決することになる、わずか12歳の少女が、初めて強大な霊的存在の存在を体験した。その存在は、最初の優しい導きから、その後何年にもわたって、彼女が果たすべき大きな運命を次第に強めながら明らかにしていくのであった。

 

 しかし、このようにして神霊存在が人間に現われることができるのは、これが最後であった。ジャンヌ・ダルクの時代から、人類はまた進歩しているのである。

 

 エドマンズ氏は、人類の意識の進化について触れている。

 

 ルドルフ・シュタイナーは、中世において、すべての組織、すべての共同体の生活は、「ローマによって形成された強力で権威ある普遍主義的なカトリックの衝動に浸透し、支配し、その上に印を押された」状態であったと指摘している。」

カトリック」とは「普遍」という意味でもある。ローマ・カトリックは世界を普遍的に支配しようとする衝動をもっているのだ。

「人間の生活のあらゆる側面がローマ・カトリックの衝動に従属する限り、国家のアイデンティティもまた同じ運命をたどることになる。」

 しかし、人間が個人意識を発展させるには、その普遍性を離れ、先ず自己の属する民族、国家の意識をもつことが必要なのである。そのために、ヨーロッパにおいては、フランスとイギリスが先ず分離される必要があった。

 「この2つの国が別々の国家として存在することを可能にしたのは、ジョアンヌ・ダルクの使命であり、人は国家の一員としての自分自身を新たに意識するようになったということを見てきた。ジャンヌはそれを「神はフランスをフランス人にお与えになった」という言葉で表現した。

 それ以来、人々の意識はさらに発展し、現在もなお続いている。人々は先ず自分を個人として意識するようになった。まず国家という概念があり、次に個人的人間という概念があるのである。

 

 そしてまた、人類は、単なる個人意識に留まってはならない。再び霊的認識を獲得しなければならないのだ。しかし、これまで「人々は個人的、分離的な生活を発展させながら、精神的な洞察や世界に対する精神的な知識を持たずにそうしてきた・・・自然科学や、後には技術や物質主義に押されて発展してきたのであって、人間の精神的な本質を考慮したものではなかったのである。」

 

 次の段階は、「現代にも続いている段階である。私たちはまだ「意識魂」の時代の3分の1を経過していないが、進化はさらに進んでいかなければならないにもかかわらず、現代はさらに、生命の純粋な物理的・物質的側面の研究と追求に没頭しているように思われる。

 しかし、今、我々はその先の段階に達したのである。それは、人間が精神世界と、精神的に進化する存在としての自分自身についての知識を得ることが可能になった段階である。」

 エドマンズ氏は、それが可能となったのは、シュタイナーの「精神科学の導きに」よってであるとする。

 

 そして、改めて、これらの地上における出来事の背景として霊界における出来事が語られ、ジャンヌ・ダルクルドルフ・シュタイナーという二人の希有な存在の人類史的意味について触れて本書は終わっている。

 

 そして、中世以来のこれらすべての発展から、この可能性が生じ始めたのは、19世紀-ミカエルとルシファーとアーリマンとの間で人間をめぐる大きな戦いが起こっていた時代、特に、アーリマン勢力がその全力を世界に投入していた時代-にさしかかったときであることがわかる。

このとき、ジャンヌ・ダルクの生涯と行いが、非常に明瞭かつ詳細に、人間の意識の前に再び現れるのである。ただし、これは外側の徴候にすぎない。霊界では、ミカエルとその助力者たちが、ミカエルが時代霊としての役割を担うときのために、活動の強力な更新を準備していた。他の大天使たちは、時代を超えて、それぞれ指導的な霊としての役割を果たしてきたが、今、人間のさらなる霊的成長にとって最も重要な時期が近づいていたのである。

 ルドルフ・シュタイナーは、ジャンヌ・ダルクの時代と現代をこのように対比している。

「キリストの衝動はミカエル霊を通して働き、15世紀には人類の救済と進歩のために偉大な仕事を成し遂げました。そこで私たちは、神聖な霊力が、人間の魂の最も繊細で優しげな、最も純粋な親密さを通して、入り口を求めることが必要であった時代を見ているのである。

しかし、それは、そのようなことが起こらなければならなかった最後の時代であった。今日、神の霊力がそのような親密な方法で人間の魂に降臨することはもはや不可能である。

現代においても、大きなつながりを秩序づけ、支配しているのはすべて霊界から来るのものであり、物事を実現する力と衝動は霊界から来るという事実を意識しなければならない。この点では、オルレアンの乙女の時代も今日も同じである。しかし、時代は違う。あの時、特殊な方法で行われたことは、私たちの時代とこれからの時代では、別の方法で実現されなければならない。というのも、私たちの時代はそれ以来まったく変わってしまったからである。人類は、オルレアンの乙女がそれに基づき働かなければならなかった衝動を呼び起こした時代とはまったく異なる方法で導かれているのだ。

将来、キリストの衝動は魂と一体化しなければならない。それは、中央ヨーロッパにおいて、目覚めている意識の中で、肉体とエーテル体にある意識的な霊的力の努力によって、自分の自我とアストラル体をもキリストの衝動と一体化させる人間が存在することによってである。

 

 ルドルフ・シュタイナーのこの言葉に、私たちはミカエルのもう一人の僕を認める。彼は世界の進化における別の重要な段階において、今日の状況について、また人間が未来に向かって前進するために必要なことをどのようにしたらよいか、その偉大な洞察から話すことを使命としている。

 ミカエルと人類に課せられた使命について、これほど明確に世界に語りかけた人は、ジャンヌ・ダルク以来、誰もいない。しかし、今日その様なことはできない。時代は完全に変わったのである。15世紀にはミカエルは指導霊ではなく、ルドルフ・シュタイナーがもたらした霊的科学に導きが到来している今日のように、人間の理性と理解に働きかけることは、当時は不可能だったのである。

 ルドルフ・シュタイナージャンヌ・ダルクも、この世に必要で重要な行いをするために生まれてきたのだ。ジャンヌ・ダルクの生涯において、彼女は魂の奥底から語りかけ、周囲の人々を鼓舞して、その時代に必要な物理的な行いを成し遂げた。そして今日、彼女の最後の行いである殉教の知識と理解は、人間の心に生きるインスピレーションとなりうる。

 今日、ルドルフ・シュタイナーは、私たちの時代に必要な行い、すなわち私たちの思考の行いについて、私たちに語りかけているのである。それは、彼が語るように、変様しうる。

ジャンヌ・ダルクのような性質がルシファーの力に積極的に立ち向かわなければならなかったように、今日の人間はアーリマンの力に対して抵抗を示さなければならない...彼らに対して自分を強くしなければならない...ミカエルの時代にはふさわしいように。」

                         

 ジャンヌ・ダルクルドルフ・シュタイナーは、共に神々を見て、人々に伝えたのである。