k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

 フランチェスコとモラルの力

着物を返す聖フランチェスコ

 2月15日は、釈迦の命日(入滅の日)である。

 表題のフランチェスコとは、カトリックの聖者フランチェスコのことであるが、実は、今回の記事は仏陀に関連するものでもあり、書いている途中でいろいろ調べていたら、この日が仏陀の地上における最後の日であることを知ったのだ。これも何かの因縁かと思い、冒頭にこれについて触れておくこととした。

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 ローマカトリック教会の現教皇は、フランシスコ教皇であるが、彼は、フランシスコという名を持っているものの、フランシスコ会の出身ではなく、史上初のイエズス会出身のローマ教皇である。

 イエズス会は、人智学派にとって因縁のある修道会である。これまでのこのブログの記事で分かるように、シュタイナーは、たびたび批判的に語っており、逆に激しく攻撃されたからである。

 イエズス会は、1534年にイグナティウス・デ・ロヨラを中心として、フランシスコ・ザビエル、ピエール・ファーブルら7人によって創設され、1540年にローマ教皇により承認された。当初から世界各地への宣教に積極的に取り組んでおり、日本に初めてカトリックをもたらしたのもその宣教師である。「神の軍隊」、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれ、軍隊的な規律で知られるが、このような会風は、創立者の1人で・初代総長のイグナティウス・デ・ロヨラが、修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊で過ごしたことと深い関係があるとされる。

 フランシスコ教皇について、トマス・メイヤー氏は、「イエズス会は形式的には教皇に従属し、無条件服従を義務づけられているが、イエズス会士として自ら教皇に選ばれるという偉業を成し遂げた教皇が率いているのである。イエズス会士であるフランシスコ法王は、それゆえ、同時に自分自身に服従しているのです」と多少揶揄した表現で語っている。

 

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 イエズス会は、ローマ教皇(そしてイエズス会の指導者)への絶対的な服従という原則をもっており、その服従すべき相手に、自身がなるという矛盾が生じているというのである。

 

 さて、教皇の名に関係するフランシスコ修道会であるが、これは、13世紀のイタリアで、アッシジのフランチェスコ(フランシスコ)によって始められたカトリック教会の修道会である。フランチェスコが托鉢しながら平和と愛、清貧を唱えていくうちに、しだいに互いに「兄弟」と呼びあう同志が増えていった。こうして集まった12人の仲間と結成した「小さき兄弟の修道会」がその始まりである。

 そしてこのフランチェスコもまた、一時軍隊の経験を持っていたのだ。

 

 私は、このフランシスコ修道会にシンパシーを感じるのだが、一つは、一昔前に有名であった、ウンベルト・エーコの世界的ベストセラー『薔薇の名前』によるものである。といってもこの本自体は読んでおらず、その映画を見たのである。これは、1327年、教皇ヨハネス22世時代の北イタリアのベネディクト会修道院を舞台に起きる怪事件を巡る物語で、その謎を解決する主人公が、フランシスコ会アヴィニョン教皇庁のあいだの「清貧」を巡る論争を調停する会議を準備するために、この修道会を訪れていたフランシスコ会の修道士だったのである。

 ちなみに、フランシスコ会を舞台とする映画には、かなり古いが「汚れなき悪戯」というものもある。1955年製作のスペイン映画で、主題歌「マルセリーノの唄」は、当時日本でも大ヒットしたようだ。映画の内容は、このマルセリーノという少年を巡る奇跡の物語なのである。これは自分が子どもの頃に見て、やはり感動したのを覚えている。

 またフラチェスコ自身を主人公とする映画もある。有名なのは、1972年のイタリア・イギリスの合作映画『ブラザー・サン  シスター・ムーン』であろう。フラチェスコの半生を題材としているが、「青春映画」の分類に入るようだ。実は、フラチェスコは、若い頃は、宗教とは無縁で、むしろ放蕩とも言える生活を送っていたのだ。それがある日改心して神の教えに目覚めたのである。このようなドラマチックな半生から青春映画に適していたのだろう。

 

 さて、前書きが長くなったが、今回の本題は、このフランチェスコ仏陀の関係である。

 キリスト教と仏教の関係については、これまで何回か触れてきた。紀元前に生まれた仏教は、地上におけるキリストの出現により新たな命を吹き込まれた。また釈迦仏陀は、仏陀となって以降は、地上で肉体をもつ必要がなくなったが、引き続き、霊界から地上に霊感を送り続けてきた。イエスの誕生に際しても、そこに臨在していたのである。

 この仏陀は、フランチェスコにも霊感を与えたと、シュタイナーは、語っているのである。

 

 フランシスコ会は、貧しいイエス・キリストの生涯を範として、人びとに「神の国」と悔い改め説いた。彼らは粗衣に裸足で宣教しながら各地をめぐり、とくに会として個人として一切の所有権を放棄し、貧しいなかで手仕事により生計を立て、不足する部分については他者の喜捨にたよっていたという。

 このような修道会の様子は、何か、仏教の托鉢僧や修行のあり方を連想させないだろうか。またフランチェスコは、人間だけでなく、動植物をも尊重する考えを持っていたとされる。
「フランチェスコが求めたものは・・・小鳥やオオカミなどをふくむ神のあらゆる被造物を自分の兄弟姉妹のように愛し、福音を伝え、単純と謙虚の道を歩むことであった。・・・ウサギ、セミ、キジ、ハト、ロバ、オオカミに話しかけて心がよく通じ合ったといわれる。魚に説教を試み、オオカミを回心させた伝説が知られ・・・同様の伝承は数多く伝えられている。・・・フランチェスコにとっては、人類すべてのみならず、天地の森羅万象ことごとく、唯一神たる天の父とマリアを母とする兄弟姉妹なのであった。」(ウィキペディア

 これもまた、万物に仏性が宿るとする「一切衆生悉有仏性」の仏教思想に近い様に思える。釈迦が涅槃に入るときには、最後の説法を聞こうと様々な動物たちが集まったという伝説も思い出させる。
 フランチェスコや、フランシスコ会にはどこか東洋的雰囲気を、私は感じるのである。これはやはり仏陀の影響なのだろうか?

 

 それでは、シュタイナーは、両者の関係をどのように語っているかを具体的に見てみたい。

 それは、「モラルの霊的基礎」という講演(1912年5月28日)で述べられている。以下そこから関連部分を抜粋しよう。

 

 まず、フランチェスコの誕生に際しての伝説にかかわる霊的事実が語られる。

 

アッシジのフランチェスコの誕生と生涯について伝説として語られていることは、オカルト的な事実と完全に一致している。・・・アッシジのフランチェスコが生まれる前に、かなりの数の人々が啓示によって、重要な人物が生まれようとしていることを知っていたことは、まったく事実である。歴史的な記録によれば、重要な人物が生まれようとしていることを夢見た、つまり予言的なビジョンを見た多くの人々の一人が、聖ヒルデガルドであったということである。・・・彼女は夢に、顔が血に塗れた女が現れ、その女が彼女に言った。“鳥には巣があり、狐にも穴がある。“ヒルデガルデはこの夢から覚めたとき、この人物がキリスト教の真の姿であることを知った。そして、他の多くの人々も同じような夢を見た。彼らは、自分の知っている知識から、教会の外的な秩序や制度が、真のキリスト教のための容器、覆いとなるには不適当であることを知ったのである。」

 

 ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、カトリックの聖人で、たびたび霊的なビジョンを得たと言われている。「顔が血に塗れた女」は、その当時のカトリック教会を表わしており、形骸化したその組織は真のキリスト教にはふさわしくなくなっていたのだ。それを改めるという目的が、フランチェスコにはあったのである。

 

 「ある日、アシジのフランチェスコの父がフランスに出張しているとき、これも事実であるが、ある巡礼者がピカの家に行き、アシジのフランチェスコの母のところに行き、こう言った。“あなたの産む子は、豊かなこの家で産んではならない。馬小屋で産まなければならない。藁の上に寝かせなければならない・・・”・・・父親は仕事でフランスにいたので母親がこれを実行し、アッシジのフランチェスコの誕生は実際に馬小屋で藁の上に行われたというのは伝説ではなく事実である。・・・

 また、霊視能力がまだ活発だった人たちは、アシジのフランチェスコの誕生の時に鐘の音を聞いたという。

 ・・・母親は、この子を“ヨハネ”と呼ぶべきだという独特の印象を抱いて、この名前をつけた。ところが、父親がフランスから帰ってきて、商売がうまくいったので、それを記念してフランシスという名前に変えたのである。しかし、もともとこの子はジョンと呼ばれていた。」

 

 「ヨハネ」とは勿論、洗礼者ヨハネ福音書記者ヨハネヨハネであるが、シュタイナーによれば、このような名前は、その人が特別な能力、役割を担っていることを表わしているという。従って、後からその名を受けることもあるのだが、福音書記者ヨハネの場合がそれであった。フランチェスコも、そのように特別な人間だったのである。

 

 「・・・青年時代のアシジのフランシスコはどんな人物であったのか。北方から移住してきた民族がどのように混じり合ってきたかを考えると、これは驚くべきことではないと思われる。勇敢で、戦争好きで、戦争の武器で名誉と名声を勝ち取るという理想に満ちていた。それは、アシジのフランシスコの人格の中に遺産として、人種的特徴として存在していたものであった。

 古代ドイツ人が内面的な魂の質として持っていた資質が、より外面的に彼の中に現れていると言えるかもしれない、アッシジのフランチェスコは“浪費家”だったのだ。当時、金持ちだった父親の財産を浪費した。彼は仲間や遊び仲間に惜しげもなく施した。子供じみた戦争的な遠征のたびに、彼が仲間たちからリーダーに選ばれ、本当に戦争好きな少年と見なされていたのも不思議はない。・・・」

 

 この場合、「浪費家」とは、物惜しみしないと言うような意味である。それは、大胆さ、剛毅などとも通じる性格である。

 

「その後、騎士道精神に基づき、ナポリに対して必要な遠征を行おうとしていた時、彼は夢の中で幻を見た。彼は大きな宮殿と、いたるところにある武器や盾を見た。それまで彼は、父親の家や仕事場では、あらゆる種類の布しか見たことがなかった。そこで彼は、これは私に軍人になれというお告げだ、と言って、遠征に参加することにした。その道中、また遠征に参加してからも、はっきりとした霊感があった。“これ以上進むと、あなたにとって大切な夢の絵を間違って解釈してしまいますよ。アッシジに戻れば、正しい解釈が聞けるぞ。”

 彼はこの言葉に従い、アッシジに戻ると、見よ、ある存在との内なる対話のようなものがあり、その存在は、次のように彼に霊的に語りかけ、“あなたは、外的な奉仕に騎士の地位を求めてはならない。あなたは、自分が自由に使えるすべての力を魂の力に変え、自分が使うために鍛えられた武器に変えるよう運命づけられている。あなたが宮殿で見たすべての武器は、慈悲、思いやり、愛という精神的な武器を意味します。盾は、慈悲と哀れみと愛の行為に費やした人生の試練にしっかりと立ち向かうために、あなたが行使しなければならない理性の力を意味しているのです。”

 その後、短期間ではあるが危険な病気が続いたが、彼はそこから回復した。その後、彼は自分の人生全体を振り返るような体験をし、その中で数日間を過ごした。大胆な夢を抱いていた若い騎士は、偉大な戦士になることだけを切望していたが、今は慈悲、同情、愛のすべての衝動を最も真剣に求める人物に変貌していた。彼が物理的世界のために使おうと考えていたすべての力は、内的生活の道徳的衝動に変えられたのだ。・・・

 この凝縮された衝動は、彼の勇気を魂の力に変え、彼の瞑想の中で特別な観念を生み出し、十字架とその上の救い主として彼の前に現れるように発展していったのです。このような状況の下で、彼は十字架とキリストに内面的な個人的関係を感じ、このことから、彼の中に流れている道徳的衝動を計り知れないほど増大させる力が生まれたのである。」

 

 こうして改心したフランチェスコは、当時はやっていたハンセン病患者の看護を献身的に行ない、治療していくのだが、その癒しの力は、彼の魂の中にあった。それは、彼が実際に持っていたモラルの力である。

 

「つまりアッシジのフランシスコの中には、私たちがヨーロッパの古代人の中に勇猛果敢として見出したものが、魂と霊に変化して、その後に精神的、霊的に行動するという形で、途方もない精神生命の蓄積があったのである。古代において、勇気と武勇として表れたものが、個人的に力を費やすことにつながり、若い頃のアッシジのフランシスコに浪費として表れたように、今度はそれが彼を道徳的な力の浪費に導くことになったのです。彼は道徳的な力で溢れかえり、それが、実際に彼が愛を向ける人々に伝わったのです。」

 

 フランチェスコには、先祖の北方のヨーロッパ人の勇敢な心性が宿っており、それにより若いときは放蕩にも溺れたのだが、それが今や、霊的な改心を経て、病人をも癒す愛の力となったというのである。

 

 さて、では、「そのような魂の力は、どのようにしてアッシジのフランシスに宿ったのだろうか」。ここでいよいよ、シュタイナーは、仏陀を登場させる。

 

アッシジのフランシスコのような魂は、果たしてどこから来たのだろうか・・・

 インドの古いカースト制度は、仏教によって最初の打撃、最初の衝撃を受けたことを忘れてはならない。仏教がアジアの生活に導入した他の多くのものの中に、カーストへの分断を正当なものと認めず、アジアで可能な限り、人間にとって可能な最高のものに到達する各人の力を認めるという考え方があったからだ。私たちは、それがブッダという比類なき偉大で強大な個性によってのみ可能であったことも知っている。・・・

 この菩薩から仏陀への発展と関連して、私たちが見失ってはならないことがある。それは、菩薩として幾多の転生を経て仏陀に昇華した個性が、仏陀になったとき、最後に地上の肉体に宿らなければならないという事実である。このように、菩薩から仏陀に昇った者は、本人にとって最後の転生をする。このときから、そのような個性は霊的な高みから下に向かって働くことになる。彼はまだ働いている、ただ霊的に働くのである。・・・

 しかし、仏教は続いた。アジアだけでなく、当時知られていた世界全体の精神生活にある種の影響を与えることができたのだ。・・・もっと隠れた、ベールに包まれた形で、ヨーロッパの精神生活にも広がっていった。・・・

 黒海の岸辺には、キリスト教時代まで続いたオカルト学院があった。この学院は、今述べた釈迦の教えの一部を最高の理想として据え、それとともにキリスト教の衝動の中に自らをおいて、キリスト教の初期に、釈迦が人類に与えたものに新しい光を投げかけることができたある種の人間によって導かれていた。・・・

 もともと物理的な世界に外部の教師を持っていた人たちが、そこに集まってきた。彼らは仏教から続く教義と原理を教えられたが、それらはキリスト教を通じて世界にもたらされた衝動によって浸透させられた。そして、弟子たちが十分に準備された後、弟子たちの中に眠っている深い力、知恵の深い力が引き出される場所に連れて行かれ、霊界のヴィジョンへと導かれ、霊界を見ることができるようになったのだ。このオカルト学院の生徒たちが最初に到達したのは、たとえば、もはや肉体の次元には降りてこない者たちを認識することであった。・・・彼らは仏陀を知るようになった。・・・

 さて、このオカルト学院の生徒たちは、彼らの成熟度に応じて2つの異なる部門にグループ化され、より進歩するほど、小さな部門へと選ばれた。これらの生徒の多くは霊視ができるようになり、自分の衝動を物理的世界に伝えようと全身全霊で努力する存在(仏陀)と接触し、彼自身はこの世に降りてこなかったが、仏陀の秘密と彼が達成したいと願ったことを彼からすべて学ぶことができたしかし、中には、知識と霊視能力に加えて、ある種の謙虚さ、高度に進化した献身的な能力と切り離すことのできない霊的な要素を著しく発達させた弟子もいた。そして、これらの人々は、まさにこのオカルト学院で高度なキリストのインパルスを受け取ることができるところまで到達したのだ。彼らはまた、聖パウロの特別に選ばれた従者となり、キリスト衝動を生の中に直接受けてることができたのだ。

 

 このように、この学校からは、いわば二つのグループが生まれた。1つは、仏陀の名前は出てこないけれども、仏陀の教えをどこにでも伝えたいという衝動を持っているグループ、もう1つは、それに加えてキリストの衝動を受けているグループであった。この2種類の違いは、その特定の転生ではあまり強く現れず、次の転生で初めて現れた。キリストのインパルスを受けず、仏陀の衝動だけを得た弟子たちは、人間の平等と兄弟愛を教える者となった。一方、キリストの衝動も受けた弟子たちにおいては、次の転生でこのキリスト衝動がさらに働き、彼らは教えることができただけでなく(彼らはこれを自分の主たる仕事とは考えていなかった)、特にそのモラルの力によって働くようになったのだ。

 黒海のオカルト学院のそのような生徒の一人は、次の転生でアッシジのフランシスとして生まれた。・・

 さて、このキリストの衝動は、彼の次の転生において、さらにどのように作用したのだろうか。それは、アシジのフランシスコが次の転生において、古い病気の悪魔が特に活動している共同体に関係したとき、このキリストの衝動が、彼を通じて病気の悪魔の悪しき物質に接近し、それを自身の中に吸収し、こうして人間からそれを除去するように作用したのである。・・・その結果、彼の道徳的な力は非常に強くなり、病気を発生させた有害な霊的実質を取り除くことができるようになったのだ。私があなた方に古いアトランティスの要素の後遺症として説明したものをより高度に発展させ、ヨーロッパをこれらの実質から浄化し、地上から一掃する力が生み出されたのは、ただこれだけであったのである。」

 

 最後の部分は、当時ヨーロッパではやった伝染病のオカルト的背景と、それを治癒したフランチェスコの力の背景の説明である。

 

アッシジのフランチェスコの生涯を考えてみてみよう。彼は1182年に生まれた。私たちは、人間の人生の最初の数年間は、主に肉体の発達に専念することを知っています。肉体の発達は、主として外的な遺伝によってもたらされるものである。したがって、彼の中には、まず第一に、ヨーロッパ人の外的遺伝によって生まれたものが現れた。これらの性質は、彼のエーテル体が7年目から14年目まで発達するにつれて、他の人間と同じように徐々に出てきた。このエーテル体には、黒海の秘儀の中でキリストの衝動として彼の中に直接働いていた資質が主に現れていた。14年目から、彼のアストラル生命が発達を始めると、キリストの力が彼の中で特に活発になり、ゴルゴダの秘儀以来、地球の大気と結びついていたものが、彼のアストラル体に入り込むようになったのである。アシジのフランシスコは、キリストの、外側に現われる力に浸透された人格であった。それは、彼が前の転生において、キリストの力を、それが見出されるべき特定のイニシエーションの場所に求めたからである。」

 

 シュタイナーは、更に、人類における善と悪、道徳的な力の問題について述べていく。

 

「人類の進化をさかのぼると、ポスト・アトランタ時代からアトランタ大災害を経て、アトランタ時代に入り、さらにレムリア時代へと戻る。そして、地球人類の出発点に到達すると、人間が、その霊的資質に関してだけでなく、神によりはるかに近く、霊的生活からだけでなく、道徳からも初めて発展した時代に到達するのである。ですから、地上の進化の初めには、非道徳性ではなく、道徳性が見出されるのです。道徳は、はじめに人間に与えられた神の贈り物であり、それは、人間が最も深く降下する前に人間の本性に霊力があったように、人間の本性にある本来の内容の一部であったのだ。根本的に、非道徳的なものの大部分は、私たちが述べたような方法で、すなわち、古代アトランティス時代における高次の秘儀の裏切りによって、人類に入り込んだのである。」

 

 アトランティス大陸を滅亡させたのは大規模な洪水であるが、そもそもその原因は、アトランティス人が、秘儀の英智を乱用し、悪の道に染まったことにある。

 

「このように道徳とは、人類の中で徐々に発展してきたものと言うことできず。人間の魂の底に存在するあるもので、後の文明によりただ覆い隠されてきたのである。私たちがこの問題を正しく見るとき、非道徳が愚かさによってこの世に生まれたと言うことさえでない。それは、知恵の秘密が、それを受け取るのに十分成熟していない人々に開示されたことによって生まれたのだ。それによって人々は誘惑され、屈服し、そして堕落していったのだ。したがって、彼らが上昇するためには、人間の魂から道徳的衝動に反するものを一掃するようなことが起こることが何よりも必要であった。これを少し違った形で表現してみよう。

 目の前に犯罪者、特に非道徳的と呼ばれる男がいるとしよう。この非道徳的な男には道徳的衝動がないと考えてはならない。それは彼の中にあり、彼の魂の底まで掘り下げれば見つかるだろう。人間の魂で、道徳的に良いことの基礎がないものはない-黒魔術師は例外として-のである。人が邪悪であるとすれば、それは時間の経過の中で霊的な誤りとして生じたものが、道徳的な善を覆っているからである。・・・したがって、道徳的な誤りは、時間の経過とともに、人間のなかでもう一度善いものにされなければならない。悪が病気の悪魔を生み出すような強大な後遺症を持つところでは、アッシジのフランシスコにあったような超道徳的な力もまた活動しなければならないのである。

 

 アシジのフランシスコは、罪人によって、罪の罰がある意味で外部にどのように現れるかを見たが、彼はまた、人間の本性に善を見、各人間の底にあるものを神の霊力として見たのであった。アシジのフランシスコを最も際立たせていたのは、たとえ罰を受けている人間であっても、それぞれの人間の中に横たわる善を崇高に信じたことであった。」

 

 もともと全ての人間に善の本性が存在しているのだ。そして、神霊存在は、常に、罪を犯した人間を含めて全ての人間を救おうと働いており、フランチェスコを地上に送ったのもその一環であったのだ。

 仏教も、親鸞の「悪人正機説」が有名であるが、罪ある人を含むすべての人間の救済を説く。上の最後の文章からは、こうした仏教の思想に通じるものを感じるが、宗教とは本来その様なものなので、当然と言えば当然である。

 今、統一なんとかという団体のせいで、宗教への偏見が強まっているように思える。これとは別に、一端組織ができてしまうと、どうしても利害関係や組織防衛などの問題が生じてしまうもので、宗教においてもそれは残念ながら避けられず、色々な弊害を生んできたのは事実であろう。
 しかし、それをもって宗教を否定することはまた問題である。一般の人々にとっては、霊的認識に至る一つの道であるからである。