彫刻、絵画等、諸芸術の起源は宗教、あるいは宗教的心性にあると言えるだろう。その起源は、決して現代人においてそうであるような「芸術鑑賞」のためではない。
しかし、宗教的背景をもった芸術であれ、個人の芸術体験のための芸術であれ、その時代の人間の心性(魂のあり方)を反映していることに違いはないだろう。
中世の宗教絵画においては、よく黄金の背景(地)が用いられた。黄金は、霊的世界、神聖な世界を表わすものである。遠近法はまだ存在せず、人物の大きさはその人物の重要性によって与えられている(本来の大きさに関係なく、重要な人物ほど大きく描かれる)。
ルネッサンスになると、黄金地はなくなり、遠近法が導入され、人物や背景もより写実的に描かれるようになる。心で見たものというより、目で見たものそのものが写し取られるようになるのである。こうした世界を客観的に見る態度は、近代科学に通じるものである。
このようなことからすれば、逆に描かれたものから、その作者やその当時の人々の心性を読み取ることができる。これを時代的に辿れば、人類の「意識の進化」を把握することもできるだろう。
現代において、芸術には主観的要素が強くなっているように思う。何が描かれているかわからない抽象絵画でも、「心(感情)に訴えるものがある」などと評価される。しかし、かつて絵画は、それぞれに「意味」をもって描かれていた。芸術的体験とは別に、その意味を見る者に伝えることが重要であったのだ。宗教絵画であれば、当然、神聖な存在を描いており、信仰の対象ともなったのである。
その意味は、その人のもつ知識に応じて解釈される。そこに秘密の知識が隠されていれば、その秘密の知識を持つ者のみがそれを理解したのである。そうした絵が、「二人の子どもイエス」で取り上げてきた絵である。
ここに、絵画に込められた客観的意味を問題とする絵画の解釈論が成り立つのだが、人智学派には、シュタイナーの教えに基づき絵画を論じた論考が色々存在する。
今回取り上げるのは、フェルメールとレンブラントに関するものである。
この両者は、芸術・絵画史において重要な地位を占める二人の巨匠だが、同時代のオランダに生きたという共通点がある。また2人とも、「光の魔術師」と言われ、光を巧みに表現した作品が多いとされる。そして、フェルメールの師は、レンブラントの弟子の1人であったというのである。二人の間には、何らかの因縁があるようである。今回はこれに関わるある可能性について述べたい。
まず、『ヨーロッパ人』誌(2023年7/8月号)の、フェルメールに関する記事を紹介しよう。著者は、色彩に関する博士号をもった絵画とオイリュトミーのアーティストで、現在はスイスのバーゼルに住み活動されているようである。
最近、日本でもフェルメールは人気のようだが、私自身は、特に関心のあった画家ではない。これまで主に宗教的絵画に関心が向いていたので、市井の人々を描いたフェルメールの絵は、絵としては確かに素晴らしいとは思ったが、あまり食指を動かされることがなかったのだ。
しかし今回この記事を読んで認識を新たにすることができた。ヨーロッパ人が、中世からルネッサンス、そして近代へと時代が移り変わる中で、個我を確立し、世界を客観的に認識していくという意識の変化、近代的人間の誕生を捉えて描いた画家と言うことができるようなのである。
そして、この文章には、そうした特筆すべきフェルメールという画家が生まれた背景への若干の手がかりも含まれているように思われるのである。
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世界と自己認識の統一
フェルメールの絵画「地理学者」について
最近、ドレスデン1 とアムステルダム2 で開催された展覧会は、オランダの巨匠ヤン・フェルメール・ファン・デルフトのために注目と関心を集めた。
ヤン・フェルメール3(1632-1675)は、当時ヨーロッパで最も豊かな地域であり、世界的な海外貿易で主導的な地位を占めていたオランダの「黄金時代」に生き、制作した。新たな発展、残虐な植民地主義、贅沢品の出現が、国と市民の生活を変えた。フェルメールの故郷であり、豊かなポーセラン都市デルフトもこの時期に全盛期を迎えた。そこは、同時に絵画の中心地でもあった。
それゆえ、フェルメールが「デルフトのスフィンクス」と呼ばれる所以である、フェルメールという人物についてほとんど知られていないのは意外かもしれない。フェルメールと同時代に活躍した画家についての研究はいくつかなされているが、フェルメールについては、家族を通して、あるいは目録や約束手形、オークションの記録などから、遠回しに推測するしかない。
画家としての修行を積み、聖ルカ・ギルドのメンバーとして尊敬を集めたこと、美術品の売買やイタリア美術の専門家であったことなどが知られている。裕福なカトリック教徒のカタリーナ・ボルネスとの結婚によって、彼は社会的地位を獲得し、ふたりは15人の子供をもうけた。彼の成功は、仏蘭西戦争(1672~1679年)によって中断された。フェルメールは、多額の借金を抱え、無一文のまま、短い闘病生活の末、43歳で亡くなったのである。
フェルメールの作品
フェルメールの作品はかなり少ない。彼が描いた作品は50点にも満たないと推測されているが、現在知られているのは37点である。19世紀に入ると、フェルメールの作品に対する関心と称賛が高まり、ますます研究が進んだ。
フェルメールの芸術的発展には謎が多い。彼の絵画は17世紀半ば頃から、まるで一挙に激変した。その理由はいまだ解明されていない。一方では、モチーフが歴史的・宗教的描写から風俗画へと変化し、他方では、構図の正確さ、空間の焦点の深さ、光と影と色のコントラストに対する感受性、画面の正確な描写など、絵画的要素の扱いにおける質の向上には驚かされる。色彩のコントラスト、微妙な光の効果による対象物の物質性の正確な再現など、他にもたくさんある。彼の絵画は、完全に同時代のものではあるが、その独創性において唯一無二のものである。フェルメールはまた、外界だけでなく、人間の魂的、霊的な現実についても非常に正確な観察者であった。
絵画の中では、すべてが(部分的に再現された)室内が舞台となっている。描かれる人物は、しばしば活動に没頭し、思索にふけったり、見る者を見つめたりしている。
絵に描かれているものは、地図、楽器、絵画、本、眼鏡、貴重な絨毯、真珠、絵、窓、手紙など、教養と富を示している。それらは、外界とのつながりを表している-内面的には非常に活動的であっても、人物の放つ静謐さとは対照的である。
絵から絵へ、しばしば同じ人物、同じ部屋、同じ物が描かれているのを見る。
外部の表現として知られているのは、2つの街の眺めだけである: 《デルフトの街並み》4と《デルフトの眺め》5である。
一瞬のうちに切り取られた日常の行為は、意味深い効果をもたらし、新たな時間の空間を切り開く。その一例が、牛乳瓶を持ったメイドの写真6である。このシーンは、その自然な佇まいが魅力的なだけでなく、何か原型的イメージを帯びている。牛乳瓶を持ったメイドは、冷静さの中に崇高さがあり、完全に仕事に没頭している。牛乳は尽きることがなく、女中自身も生命に満ちあふれているような印象を与えるので、日常的な動作が神話的で普遍的な出来事のように思えるのだ。
もうひとつの例は、絵画を超自然的な出来事にまで高めた寓意画『絵画術』7である。
地理学者
絵画『地理学者8』の内容を把握するためには、つまり、当時の地理学と、その活動を実践した代表者の具体的な特質を理解するためには、あらゆる細部に目を通し、それらを結びつけなければならない。観察し、思考により統合することは、個的なものから一般へとつながる科学の道である。絵の内容を正確にトレースすることは、絵の中に入っていく最初の段階に過ぎない。その意味と複雑さは、芸術体験の過程で見えてくる。鑑賞者は、その表現方法を意識的に体験することで、絵画の現実に入り込む。何を(表現の内容)は、どのように(形式的なデザイン)表現されたかに従って、自らを読み解いていく。
「地理学者』の絵は、『天文学者』9と対をなしている。両者は内容的に補完し合うように構想されている。どちらの絵にも同じ学者が描かれているようだ。描かれているのは、世界を捉えるために当時発展しつつあった科学を指し示している。航海、探検、戦争、貿易のために、天文学者、地理学者、地図製作家といった職業が高く評価された。そのため、地図、地球儀、コンパス、その他の航海用具の生産がますます盛んになった。
地図はまた、ブルジョワの家庭で人気のある装飾品であり、地位と教養の象徴であった。様々な地図が彼の絵に現われるので、フェルメール自身もおそらく地図資料を入手していたと思われる。
何が見えるのか?
絵には、画家のサインと制作年が記されている。「地理学者』というタイトルは画家自身がつけたものではなく、時を経て定着したものだ。部屋の一角が描かれ、手前のカーテンが寄せられて視界が開けている。窓から差し込む暖かな光が広がる。影、半影、陰の空間が生まれる。その中に、当時の学者のステータス・シンボルであった、着物のようなハウスコート、日本の上着を身につけた男の姿が見える10。
学者を包む光、オレンジ・赤・青の補色、そして特に彼の下着の明るい白が目を引く。テーブルクロスは地図を置くスペースを作るために脇に置かれている。
地図は光を反射する。カーペットは植物のような要素を示し、その物質性は男のコートの物質性と同様に見事に捉えられている。ラピスラズリの青が、くすんだ茶色と赤みがかった色調の間で輝いている。厚手の生地に光の点がきらめく。地理学者は広げた地図に思いを馳せながら、片手でノギス[定規]をゆったりと持ち、距離を測り記録している。テーブルの上に置かれた丸めた地図の隣には、さらに2枚の地図が床に置かれ、こちらも照らされている。窓の上部にはヤコブの杖[天測器機]が逆光に照らされているが、これは天体間の距離や地平線上の星の高さを測るためのものである。デルフトのモチーフで装飾されたタイルが幅木を飾っている。今でも、模様の入った布で覆われた椅子と、黒で縁取られた地図を見ることができる。この縮小地図は、半分しか見えず、完全な正確さではないが、実際の地図を再現したものと認められている11。ヨーロッパの海岸線が描かれ、当時の慣習に従って、北ではなく西を向いている。
学者の背後には、彼を「縁取る」キャビネットがある。キャビネットの上には、数冊の本と地球儀が置かれている。この地球儀もまた、ある特定の地球儀と同定されている12 。このことは、絵画『天文学者』に描かれた地球儀にも当てはまる。地球儀は、航路の計算、位置の決定、航海、航海術に不可欠なものであった。「地理学者』の絵では、地図は大西洋を、地球儀はインド洋を示している。このように、全世界を探検し、理解しようとする意志が絵画的に表現されている。地球儀のカルトゥーシュ[巻軸装飾]には次のように刻まれている。「慈悲深い読者の皆様、もし特定の場所についてより詳しい知識をお持ちでしたら、一般の人々のために快く教えてくださるようお願いいたします。一般大衆のために、それを私たちと分かち合ってください」13。
地理学者がこの依頼に応えようと躍起になっているのは明らかだ。しかし、彼が地図製作の道具から目を背けているのは注目に値する。地球儀と額に入った地図に背を向けているのだ。地理学的な道具は捨てられ、分割器だけがゆったりと手に握られている。テーブルの上の地図はきちんと広げられず、ヤコブの杖は窓際に吊るされ、角度のついたフックは横に寝かされている。全体として、ある種の無秩序さがある。地理学者が外面的な活動に没頭していないことは明らかだ。
最初は、周囲を取り囲むオブジェに囲まれてやや窮屈な印象を受けるが、やがて大きな書斎であることに気づく。このことは、前方に押し出されたカーテン、切り取られた椅子、地図、タイルが示している。部屋の片側を閉め切る窓は、穏やかな黄色がかった金色の光に部屋を開いている。地理学者と部屋を照らし、外と内の関係を確立する。この空間の広がりは、学者が一時停止することによって呼び起こされる思索の気分と呼応し、彼が経験したことの内的な豊かさと、彼の思索の深まりを指し示している。思索にふけり、頭をわずかに窓のほうに向けている彼の視線は、外を見ているようであり、同時に内を見ているようでもある。内なる光、思索の光と外界の光がマッチしている。作業部屋と標準器具は、絵の中で、この男の思考活動と融合している。
光
人間は時空の外側と内側をさまよい、自分の居場所を離れて考えることができる。時空構造は拡大する。外的世界は、変化し、消えていくものであるが、その起源は永遠のイデアの領域にある。思考する人間はこの領域に向かい、それによって永遠なるものに参与する。
地図と地球儀は、遠い世界を探検し、征服する可能性を表している。光は、魂的霊的に自身を認識しつつ、神の業としての遠い諸世界に取り組む可能性としての思考活動の比喩である。当時の科学の理解は、神の実在の確信と結びついていた。地理学者という職業は、神によって創造された世界の知識と探求のために奉仕した。世界の現実の認識と自己認識は互いに補完し合っていた。
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私の周りに感じる光...
私の周りに感じる光、それは世界の光;
私の中に感じる光、それは人間の光。
人間の光を世界の光として、世界の光を人間の光として。
(ルドルフ・シュタイナー、1919年以降、ゲオルク=モーリッツv.ザクセン=アルテンブルクのために、『エソテリックの教えの歴史と内容に関する出版物』、GA 268、第1版、1999年)
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ルドルフ・シュタイナーの言葉を借りれば、「人間は自分の中に神を見出すことができる。なぜなら、人の本来の本質は神から取られたものだからだ。」
「しかし自我は、人間の中で永遠の光として輝く光線を自分の中に取り込む。肉体と魂の経験を自我の中で結合させるように、真理と善の思考も自我の中に流れ込ませる。感覚的な現象は、一方から自我に、他方から精神に、その姿を現す。肉体と魂は自我に奉仕するために自我に自らを捧げるが、自我はそれを満たすために霊に自らを捧げる。自我は肉体と魂の中に生きているが、霊は自我の中に生きている。そして、自我の中にある霊のものは永遠である。なぜなら、自我は、それが結びついているものから、その本質と意味を受け取るからである。」15
絵画との関係
絵画を見ることで、人は、自己の知覚活動と絵画の要素を組み立てることに気づく。世界、人々、そして自分自身の存在について考えるよう刺激される。絵画と鑑賞者の間の極性は、芸術体験の中で廃棄される。絵画は、認識行為における自分自身の活動や意識の反映となる。芸術的経験もまた、科学的認識とは対極にある認識原理となる。しかし、両者は同じ源から来ている。イメージの経験において、芸術と科学は握手を交わす。
当時の科学者にとっても、芸術家にとっても、世界を探求することは同時にその神性を探求することであった。霊的なものに目を向けることは、現代に求められていることなのだ。フェルメールと同時代のブレーズ・パスカル[『パンセ』の著者]はこう言っている:
「私が尊厳を求めなければならないのは、空間と時間ではなく、思考の秩序においてである。この世を得ようと、私はもっと豊かにはなれない。宇宙は、空間を通して私をつかみ、点のようなに私を飲み込む。しかし、私は、思考を通して宇宙を把握する。」
ヤスミンカ・ボグダノヴィッチ
注
1 「Vom Innehalten」展(Gemäldegalerie Alte Meister Dresden、2021.09.10~2022.01.02)では、豪華に修復されたフェルメールの絵画《Brieflesendes Mädchen am offenen Fenster》が、9点の作品の中で展示された。
2 「フェルメールに迫る」展(アムステルダム国立美術館、10.02~2023.7.4)は、フェルメールの作品に関する最も大規模な特別展のひとつ。
3 ヨハネス・フェルメール(同時代のヨアニス・ファン・デル・メール、Joannis van der Meer)とも呼ばれる。
4 デルフトの通り、1657/1658、油彩・カンヴァス、54.3cm×44cm、アムステルダム、ライクス美術館蔵。
5 デルフトの眺め、1660/1661年、油彩・カンヴァス、98.5cm×117.5cm、マウリッツハウス、ハーグ。
6 水差しを持つ女中 1658/1660年 カンヴァスに油彩 45.4 cm × 41 cm、アムステルダム、ライクス博物館。
7 《絵画》1665/1666年頃、油彩・カンヴァス、130cm×110cm、ウィーン美術史美術館。
8 《地理学者》1669年、油彩・カンヴァス、51.6×45.4cm、シュテーデル美術館、フランクフルト・アム・マイン。
9 天文学者、1668年、油彩・カンヴァス、50.8×46.3cm、ルーヴル、パリ。
10 これはまた、主にオランダ東インド会社(https://de.wikipedia.org/wiki/Niederländische_Ostindien-Kompanie)を通じて実現した、オランダと外国との関係を示している。
11 地図、https://www.youtube.com/watch?v=oE6GX_xnzCk。
12 地球儀、https://www.youtube.com/watch?v=oE6GX_xnzCk。
13 https://www.youtube.com/watch?v=oE6GX_xnzCk より引用。
14 Rudolf Steiner: The Secret Science in Outline, Chapter: "Being of Humanity" (GA 13), 30th edition, 1989, p. 67.
15 ルドルフ・シュタイナー「神智学、第III章: 人間の霊的本質」(GA 9)、第 34 版、2021 年、50 頁。
16 ブレーズ・パスカル:「私とは私の思考からなる」。フランツ・ヨーゼフ・ヴェッツ編『パンセ』レクラム、ディッツィンゲン、2017年より - Blaise Pascal (1623-1662), Pensées.
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ボグダノヴィッチ氏によれば、「フェルメールの芸術的発展には謎が多い。彼の絵画は17世紀半ば頃から、まるで一挙に激変した。その理由はいまだ解明されていない。」ということである。
この「一挙に激変した」その理由について、何か手がかりはないだろうか。ボグダノヴィッチ氏は直接これに触れていないが、フェルメールが「聖ルカ・ギルドのメンバー」であったという記述は示唆を与えるものである。ギルドとは組合であるが、フリーメイソンの意味が「石工組合」であったように、ギルドが、その内部に秘められた知識を伝えている可能性があるのだ。
これまでこのブログで取り上げてきた「二人の子どもイエス」の絵画が、あのように時代を超えて、多くの画家により制作されてきた理由の一つとしても、やはりこのような知識を保持してきた画家グループの存在が考えられるのである。
しかし、激変の中身には技法的なものが含まれているだろうから(それによって「光の魔術師」と称されるようになった)、フェルメールのみを特異な存在としたのが、ギルドに伝えられてきた知識であったとする可能性はあるが、ギルドの構成員がみなアクセスできるものであったとは思われない(そうであるなら、他にも多くの「光の魔術師」が存在しなければならない)。
あるいは、激変が革新的手法ゆえであったのなら、むしろ、ギルドの構成員かどうかは別にして、そのような知識をもったある人物が存在し、彼により、その有能な才能を認められたフェルメールが選ばれて、その技法を特別に伝授されたのではないかということが考えられるのではないだろうか。
この場合思いつくのは、フェルメールがまさに同じ「光の魔術師」であるレンブラントの孫弟子に当たるという事である。ここでフェルメールとその師、そしてそのまた師であるレンブラントの3人の関係が問題になるが、フェルメールの師が「光の魔術師」ではなかったのであれば、やはりレンブラントから直接教えを受けたのだろうか?
では、次にレンブラントについてみていこう。
私は、以前からレンブラントには関心を持っていた。若い頃たまたま彼の画集を購入する機会があり、その絵画になじんでいたのであるが、更に関心を深めることとなったのは、実は、「二人の子どもイエス」に関連してであった。ブログで紹介済みのヘラ・クラウゼ=ツィインマー氏が、『絵画における二人の子どもイエス』でレンブラントの絵を取り上げているのだ(これはいずれ紹介したいと思っている)。
つまり明らかにレンブラントは、こうした秘教的知識を有していたのである。ただその起源は分からないが、一つは上のように、ギルド的な集団を通したものかもしれない。
だが、実は、人智学派の間には、レンブラントの「光の魔術師」に関する「伝説」が存在しており、それが関係している可能性もあるのである。
それは、レンブラントに画期的な光の扱い方、表現方法を伝授したのは、あの薔薇十字団の創始者クリスチャン・ローゼンクロイツその人であるというのである。
以下の論稿は、これに関連するクラウゼ=ツィインマー氏の『イマジネーションと啓示 Ⅱ』所収の文章である。
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心を揺らし、大祭司のように レンブラント
1984年、ディルク・フィスは、この絵の、誤った、また半分正しい伝承の訂正を試みた。それにより、伝承の驚くべきキメラが克服されたかは疑わしい。1983年に、ちょっと前に亡くなった人智学者が、この絵を裏返し、そこに、「これは、私に明暗の秘密を伝授した人」と書いてあったということが私に伝わってきた。その人物は、学識のある人であった。私の認識では、美術館で、絵を裏返すことなど想像できなかった。博物館に問い合わせると、何も書いていないという回答であった。
フィス氏は、レンブラントの手になる目録は存在しない、従って、この文章も読むことができない、とした。
フィス氏の引用した、リンドホルム女子の手紙からは、重要なのは、目録ではなく、レンブラントが自分の絵になしたメモであることが示されている。
この文章は、レンブラントにより書かれたのでないとすると、レンブラントの以前の全ての作品を侮辱することになるだろう。それは、レンブラントが肖像を描いている時、その人を知っていたとは、語っていないからである。
フィス氏は、絵の来歴を語っている。この絵は、収集者ルフオにアレキサンダーの絵として発注されたものである。それにより、人智学的伝説は全て払拭される、と。しかし、それは絶対に正しく、他の仮説はないだろうか。専門家の間で、その絵は、マーズ、ジュピター、兵装の男、アキレウス、そしてアレキサンダーとされてきた。フィス氏の書簡によれば、収集家ルフォにより、既に納入されたアリストテレスの対として注文された。彼は、「この絵は、4つのカンバスの断片が縫い合わされたものであると、非難している。・・・
肝心の事が抜けている。この絵は誰を描いているのだろう(モデルは誰?)。鎧を付け、盾と槍を持っているが、その熟慮しているような表情により、武具がむしろシンボリックに見える。胸のところは革の胸当てで、光が当たり十字のように見える。胸当ては、非常に明るく、白い白鳥の羽毛のようになっている。この部分は、革のベルトが横切っており、明るさが一層際立っている。姿勢は直立し、首から頭が少し傾いている。顎の下に、ペンダントのようにリボンがある。マントの力強い赤により、勇気の要素が加わっている。
二つの部分が特に輝いている。反射しているヘルメットと、羽毛の白い胸の部分である。
レンブラントが、自分でこの姿勢にして書いたのか、あるいは記憶で描いたのかは分からない。
顔からすると、35から50歳に見える。息子をアレクサンダーに扮して描いたとする説は、私には疑問である。アレクサンダーには、若さが象徴的であるのに、若者の顔をあえて成熟した男性に描かなければならないだろうか。
何より、通常の軍装は、十字にならず、羽毛も生えてこない。レンブラントは、これにより、この男の十字架との結びつきを描いたのである、特別な仕方で。彼は、テンプラー十字や対応する飾りを彼に付けることができた。そこにあるのは、非常に不自然な白鳥の羽毛である。そのようなものが、イタリアの収集家が依頼したアレキサンダーに必要だったのだろうか。
リスボンのアテナあるいはアレクサンダーの絵は、同様にルフォの注文であるが、明らかに若い。
羽毛に、高貴な形の兜が対応している。それは、白鳥の翼を想起させる。
シュタイナーが、この絵の写真の裏に、ヴァカノ夫人のために、ワーグナーのローエングリーンのエルザの言葉「私は岸を守る、彼は私の戦士でなければ」と書いたなら、この絵との関連を見るのに、熟慮は不要である。
絵の謎は、画家自身によって解かれている。
この絵を見ると、シュタイナーの、ゲールミュイデン夫人に「オランダで受肉」したサン・ジェルマンの絵を送ろうと思う、という言葉と一致する。シュタイナーが、印刷物を手に入れられると思っていたなら、知られた絵がそれでなければならない。この推察には、鎧の男が該当する。
照明はできないが、つながりが見える。レンブラントの描き方からすると、このお男は、キリスト教の闘士、それも霊的な闘士である。それを感じたシュタイナー夫人の言葉(「思い出」)により補完される。「他のどんな絵よりも、その兜、盾、槍は、その武具をただ人類に奉仕するために獲得した霊的闘士を表している。現代においては、霊的な内容をシンボルの中に再現する美的徳性に欠けるので、シュタイナーのもっとよいイメージをつくるっことはできない。」
その様な印象を持つのは、人智学者だけではない。カール・ニューマンは書いている。「彼は、宝、聖杯の守護者。モーツァルトの魔笛の、火と水のエレメントの門の前に立つ、鎧を付けた男を想起させる。」
芸術史的には、十字と白鳥の羽は問題とされてこなかった。そのような解釈は、困惑を生じるからである。しかしそれこそ、異常なことである。
暗い色調の絵は、夜の雰囲気を与える。
暗闇にいるこの人を照らす光は、街灯や松明とは考えられない。全ては、この絵の閉じられた世界を表現している。上を指している兜の頭の尖端は、彼がどこから覚醒と勇気の力をえているかを示唆している。この部分を隠すと、その姿は、地上的、閉鎖的になる。それは、この絵にはありえない。
鎧の男、知られざる闘士-白鳥の騎士のように、騎士団の印しを付けていない、超感覚的なものに導かれる十字の騎士、レンブラントは、そのすべてを私たちの感情に与える。彼は、そのような存在に、当時のある人間を認識した。その人は、誰であろうか。実際に直ぐに思いつくのは、シュタイナーの言葉との関連である。
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この文章でクラウゼ=ツィンマー氏は、クリスチャン・ローゼンクロイツの名を挙げていないが、代わりにサンジェルマン伯爵の名に触れている。サンジェルマン伯爵こそ、クリスチャン・ローゼンクロイツの当時の名前なのである。
またこの著作では、この文章の後に、更にこの絵にまつわる記述が続き、そこでも断定はしていないものの、「ここに描かれている男は、ルドルフ・シュタイナーが語った“オランダの転生であるサンジェルマン伯爵”の肖像画である可能性があると仮定する傾向がある。もうひとつの仮説は、レンブラントとコレクター、ルッフォとの往復書簡に基づくもので、その中に失われたアレクサンダーの絵を見つけたいと考えている。どちらか一方に惹かれるのも、両方を疑うのも自由である。ただ、一方の仮定をあり得ないとし、もう一方の仮定を明らかに証明されたものとして提示することだけは避けなければならない。」と記している。また更にこの文章に続くのが、「レンブラントとクリスチャン・ローゼンクロイツ 疑問と痕跡」という文章なのである。
クラウゼ=ツィンマー氏は、明確な証拠がないために、それを断定していないが、レンブラントの鎧の男の正体がクリスチャン・ローゼンクロイツであることを示唆しているのである。
さて、フェルメールとの関係に戻れば、当時、クリスチャン・ローゼンクロイツがレンブラントに接触していたとすれば、フェルメールにも接触した可能性があるのではなかろうか(私は、これに関する人智学派の論考をまだ見たことはないが)。これが、彼の「激変」の理由という事である。
秘儀参入者の仕事は多岐にわたる。人類のあらゆる活動がその対象となるからだ。芸術もしかりである。シュタイナーも、自らゲーテアヌムを設計し、キリスト像やその他多くの絵を制作している。シュタイナー自身も芸術家であったのだ。クリスチャン・ローゼンクロイツも同様であろう。
(上のフェルメールに関する推論は、いうまでもなく素人の戯れ言の類いである。レンブラントとクリスチャン・ローゼンクロイツの関係もあくまでも「可能性」であって、人智学派において有力な説ではあるが、断言できるものではないようである。フェルメールとの関係については、現段階では。更に根拠は薄いと言わなければならないだろう。)