k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

地政学の秘教的背景

アルブレヒト・デューラー「黙示録」

 現在「BRICs(ブリックス)」の会議が南アフリカで行なわれている。この会議は、今後の世界情勢にとって大変大きな意味を持っているが、西側ではそれがあまり一般国民には伝えられていないようである。この組織は、従来の欧米、特にアメリカの世界支配を覆す力を持っており、その具体的手段の一つとなるのが、現在の世界の基軸通貨としてのドルに代わる新たな通貨の創設である。BRICs諸国では、既に貿易の決済におけるドル使用を止めてきており、それはアメリカの影響力の低下となってきているのだ。これが進めば、アメリカの特権的立場は失われるのである。
 このようなときに、ショッキングなニュースが飛び込んできた。ロシアのワグネルの代表者プリコジン氏が乗っていた飛行機が墜落して死亡したというのである。ロシア軍が撃墜したという情報もあるようだがまだ真偽は分からない。

  ただそのタイミングである。BRICsの会議の他に、実は、同じように欧米の世界支配を揺るがす動きが今アフリカで起きている。ニジェールの「クーデター」である。これは、実際にはヨーロッパの旧宗主国に対する反乱である。アフリカの植民地は、独立後もその旧宗主国に経済的に支配されてきたのだ。国内で対立を煽られて政情を不安定化され、豊かな資源を実質的に奪われてきたのだ。
 これが今回の「クーデター」の真の原因であり、今後の推移によっては、それがアフリカ中に拡大しようとしているのである。これを抑えようと欧米は、軍事介入をちらつかせて脅しているが、これに対抗するためにニジェール側が頼っているのが、ロシア、そしてワグネルなのである。

 これらは対岸の火事ではない。私たち日本の周辺も大変きなくさい。
 今、世界は大動乱の様相を見せていると言えるだろう。各国の生き残りをかけた「地政学的戦い」があちこちで起きようとしているのだ。

 このブログで取り上げてきた記事にはよく欧米の「地政学」的戦略が触れられてきたが、今回は、この「地政学」に関する話である。

 私は、もともと「地政学」という言葉に興味を引かれていたのだが、この言葉を初めて聞いたのはいつだろうか?今になっては正直に言って思い出せないのだが、若かりし頃であった。記憶の糸を辿ると、それは、ヒットラーとオカルトの関係について触れた本か何かであったようにも思う。ブログで触れたシュタイナーの文章に触れるずっと以前に、地政学とは出会っていたのだ。

 

   ウィキペディア地政学についての記述によれば、「19世紀から20世紀初期にかけて形成された伝統的地政学は国家有機体説と環境決定論を理論的基盤とし、ドイツ・イギリス・日本・アメリカ合衆国などにおいて、自国の利益を拡張するための方法論的道具として用いられてきた。第二次世界大戦後の国際社会において、地政学という言葉はナチス・ドイツの侵略行為との結びつきから忌避されてきた・・・」とある。

 伝統的地政学の元祖は、地理学者のフリードリヒ・ラッツェルという人物のようで、彼は、生物学者でもあり、「進化論の枠組みを国家においても適用し、諸国家は自らの“生存圏”を拡張しようとする生物的本性を有しているとする、国家有機体説を唱えた」という。

 ブログにも出てきた、イギリスの地理学者・政治家であるハルフォード・マッキンダーの名も、当然ウィキペディアにでてくるのだが、第1次世界大戦後のドイツ地政学の中心人物として名があげられているのが、カール・ハウスホーファーである。そしてこの人物こそが、ナチスとオカルトを結びつけた人物の一人でもあるのだ、

 ナチスヒトラーがオカルトに関心をもち、研究(そして実践?)を行なっていたことは今や周知の事実であるが、ハウスホーファーとの関連を含めこのことについては、『ロンギヌスの槍』(トレヴァ・レヴンズクロフト著 学習研究社刊)という本が参考になるだろう。ちなみに、カール・ハウスホーファーは、日本を訪れたことがあり、その際に、日本の秘密結社と接触を持ったという話もあるようである。

 地政学は、第2次世界大戦において、侵略を正当化する根拠として、ナチス・ドイツや日本などに利用されたため、地政学はその後、芳しくない評価を受けるようになったとのである。

 このようなことからすると、そもそも地政学にはオカルト的匂いがすると言えるかもしれない。だから自分もずっとこの言葉に興味をひかれたのだろう。

 さて、地政学ナチス・ドイツとの関係に若干触れたが、勿論、地政学を利用しているのは、英米も同じである。それは、これまでのこのブログの記事でも分かるだろう。そして、現にこの理論のもとに、現在、ウクライナが戦場にされているのだ。

 英米の理論的支柱となったのは、イギリスのハルフォード・マッキンダーである。彼の理論は、ウィキペディアによれば次のようである。彼は、世界を「ハートランド」「外部弧状地域」「内部弧状地域」に区分し、コロンブス以前のヨーロッパはユーラシア大陸中央部(ハートランド)を拠点とする騎馬民族に蹂躙されていた・・・マッキンダーいわく、新大陸発見により、ヨーロッパ人が世界の海洋に進出するようになると、シーパワーがランドパワーを優越する時代が到来した。彼は、19世紀後半以降、鉄道の発達にともない、再びランドパワーが優位にたとうとしているが、シーパワー国家であるイギリスはこの変化に対応できておらず、ハートランドを占拠する勢力であるドイツとロシアが同盟することを阻止しなければならない」、また「東欧を支配するものはハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島[ユーラシア大陸とアフリカ大陸]を制し、世界島を支配する者は世界を制する」と主張した、という。

 この最後の言葉を達成するために、英米の権力者達は現に動いているわけだが、それは理解できるものの、しかし、この記述には、なぜハートランド支配が世界支配につながるのかの説明がないのだ。確かにユーラシア大陸は地球上で最大の面積を有し、資源も豊富なようであるからそうなのかと納得するしかないのである。

 地政学について知り、関心を持ちながらも、私は、このことにずっと引っかかっていたのだが、最近、ようやく一つの回答を得ることができた。今回は、これに関わる論考を紹介したい。

 

 その著者は、マルティン・バルコフMartin Barkhoffという方で、『ヨーロッパにおけるミカエルの戦い』という本に収録されている。バルコフ氏は、アントロウィキによれば、「弁護士、雑誌「ダス・ゲーテアヌム」の編集者(1982-1995)。1997年以来、彼はドイツの人智学協会の報道スポークスマンとしてしばらく働き、現在、北京(中国)に住んでいる」という。この本は、シュタイナーの「地政学」についての講演に、バルコフ氏が解説を加えたものである。

 この本の成り立ちにはちょっとしたエピソードがあるようである。

 本の発行は2022年なのだが、収録されているシュタイナーの講演は、1914年に行なわれたもので、当然、この講演自体は、シュタイナーの全集に収録されている。だが、編集者はその内容をよく確認しなかったようで、フィンランド北欧神話「カレワラ」に関するものとされていたのだ。従って、この講演の本来の内容である、シュタイナーの地政学としての理解が、この本まで本格的に行なわれなかったようなのだ。講演の100年後にようやく、その真の内容が評価されたということである(本の表紙にそのような文章が添えられている)。

 地政学に基づいた世界的動乱が進行中というようにも見える現在、このような時期に本書が出版されたことに因縁を感じるのは私だけだろうか?

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ルドルフ・シュタイナー地政学的思考

 “地球の関係と魂の関係は、相互に影響し合っている。自然の歴史と人間の歴史は相互に関連している。自然の神々が歴史の神々の舞台を整え、歴史の基本的なインスピレーションを与える。”

 

 近代以前は、このような考え方は当然のことであった。近代が始まると、人間は自らを自然から分離された存在として経験しなければならなくなった。自然はもはや、歴史や社会的・政治的出来事を観察する上で障害物以上の役割を果たすことはなかった(ハンニバルはどうやってアルプスを越えたのか?) もはや、自然は霊感の源泉ではない。(ヌマ・ポンピリウスは春の精から何を学んだのか)。アカデミックな知識生活は、歴史に影響を与える自然をもはや想像することができなかった。

 しかし、歴史の実践者である本物の政治家たちは、偉大な思想や決断は自然の力と本質的に結びついていなければならないと感じていた。彼らの本能は、このような関係がなければ、人は世界の力から見捨てられると告げていた。外交官、提督、ビジネス・リーダー、大衆指導者たちがこの関係を培った最後の残滓的な考え方は、陸と海の力の対極という考え方だった。イギリス帝国は、障害物としての水を克服するために、その艦隊を使っただけではない。いや、海の力に愛され、励まされ、守られた。必要であれば、海は「無敵艦隊アルマダ」全体を破壊し、水のインスピレーションに開かれていた被保護者であるイギリスを救った。帝国の[フリーメイソン]ロッジでは、ヤキンとボアズという柱の形で海と陸の力の象徴に出会う。聖書には、片足を陸に、もう片足を海につけた強い天使のことが書かれている。その天使の脚は、2本の柱だった。アカデミックな科学と並んで、一般向けではない深遠な学問が、芸術的な動機付けとなる知識としてそこに残っていた。

 そしてアメリカの提督マハン【訳注】は、それについて丸ごと一冊の本を書いた。その後、ハルフォード・マッキンダーを中心とする英米学派、ヒルツェルを中心とするドイツ学派、そしてフランス学派と、現在地政学と呼ばれている学派が生まれた。地政学とは、すでに起こったことに目を向けるというよりも、より良い成功のために、将来起こること、世界により望まれていることを整えることに従事するものである。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄鋼』はミリオンセラーとなった。そしてヘンリー・キッシンジャーが絶賛したロバート・D・カプランの著書『The Revenge of Geography』は、地理学の復讐、避けられないものについて語り、副題でこう約束している: 「来るべき紛争と定められた運命との闘いについて、地図が教えるもの」

 

【訳注】アルフレッド・マハン:アメリカの海軍士官・歴史家。1890年に『海上権力史論』を発表し、「シーパワー」の概念を唱えた。

 

 ルドルフ・シュタイナーは、古代の薔薇十字団が自然と社会的な力の相互作用を理解していたことを指摘している。そして、もし社会的なものと自然性-地理的なものを相互作用の中で理解する力を持たなければ、ルドルフ・シュタイナーの社会的衝動を見逃すことになる。この欠落の典型的な特徴は、「社会三層化」の話であり、それはどこかで語られるだろう。人は、大衆向けに作られたルドルフ・シュタイナーの立派なキャンペーンの語彙に固執し、彼の政治的・地理的思考を無視している。ルドルフ・シュタイナーは、社会三層化キャンペーンにおける彼の考え方が、彼の協働者の小グループにさえ理解されなかったという事実を、公の場ではっきりと述べている。とりわけ彼は、このキャンペーンの根底にあるミカエル思想が理解されなかったと述べている。さて、今日、100年経過したキャンペーンの語彙は、何度も何度も、基本的な考えや衝動に触れることなく、鸚鵡返しに繰り返されている-実りなき無謀な企て-。

 

1.「社会生活において三重の衝動が語られるとき、それはある程度、ミカエルの理念がすでに強く、そのような衝動が時代を形成している力から直接流れ出ることを感じることが可能かどうかのテストであった。それは、ミカエルの思想が多くの人々の中で十分に強いかどうかという、人間の魂のテストだった。テストの結果は否定的だった。ミカエルの思いは、その時間を形作る力と強さのすべてを本当に感じられるほど、少数の人々の間でさえも強くはないのだ。」 1923年4月2日、GA 223

 

 ルドルフ・シュタイナーの政治社会分野へのアプローチは、最初から地政学的なものだった。シュタイナーは『隠秘学』の中で、霊的なヒエラルキーの範疇における現代的思考を公に紹介した後、「神々のレベルで考える」ことに関する一連の講義を行った: 宇宙における神々の働き(デュッセルドルフ)、自然の王国における神々の働き(ヘルシンキ)、自然の神々と文化の神々の相互作用(オスロ)。これはいわゆる民族魂のシリーズであり、そこでは個々の民族魂については実質的に何も語られていない。その代わりに、魂における第3ヒエラルキーエーテル的な周囲の力における第2ヒエラルキー、そして肉体における最高位の第1ヒエラルキーの作用領域が提示される。この講義は、ゲルマン神話、さらには正しくスラブ神話の説明で最高潮を迎えるが、そこでは魂の霊(民族、時代)が自然神(第2、第1ヒエラルキー)の働きに再統合されているように見える。【訳注】

【訳注】霊的ヒエラルキーは、大きく3区分され、それぞれがまた3つのグループに分かれる。第1ヒエラルキーが最上位で、第3ヒエラルキーが最下位であり、その最も下のグループが(守護)天使である。

 

 速記された何百もの講演シリーズの中で、ルドルフ・シュタイナーが、後から修正・編集する手間をかけたのは、この講演シリーズの原稿だけであった。これは、マックス・フォン・バーデン皇太子に、彼の「三層化のキャンペーン」の考え方を紹介するためであった。人は理論によって現実を認識するのではなく、ある現実を別の現実の中に映し出すことによって現実を認識する。社会的なものを理解するのは、それが宇宙にどのように反映されているかを知るときであり、宇宙的なものを理解するのは、それが社会的なものや他の地上的な対となる像の中にあることを発見するときである

 

 では、世界大戦が始まり、ドイツが取り返しのつかない形で沈没することになったとき、ルドルフ・シュタイナーは何を行なうのか?ルドルフ・シュタイナーは、4つの最も重要な戦争の力の霊的・基礎的関係を描き出すために、地政学を導入することで、未来の中央ヨーロッパ文明のための仕事に道を開いている。オスロヒエラルキーの講演サイクルでは極めて抽象的であり続けたものが、今や日々の政治と戦争解釈という点で具体的になっている。感情をかき立てることなくそれを行なったそのやり方は、彼のキリスト教的分別にとって、模範的であった。ゲーテアヌムの観客席には、ロシア人、ドイツ人、イギリス人など、彼の協働者たちが座っていたのだ!彼は、彼らとともに、平和を構築する仕事を平和的に続けようとしたのである。

 11月9日(!)から始まる3つの講演の中で、彼は最も重要なこと、そして最も気がかりなことを最初の講演で述べている。西洋文明の人々は一般的に、エーテル界におけるキリストの新しい体験が歪んだ形になるような魂の状態で死んでいく。これらの魂は、完全に硬化したエーテル体をもっている。人々はこれらにしがみつき、エーテル体は解消されない。こうして亡くなった魂は、できる限り地上的、物質主義的なメンタリティの中にとどまる。彼らはまた、生きている人々をこのような態度につなぎ止める。ミカエルは、混じりけのない(実際の)キリスト体験を可能にしたいと考えている。そのため、ミカエルは東の死者、特にロシア人を集める。彼らは地上におけるエーテル体が容易に溶解し、そのためすぐに「彼らの天使の目を通して」世界を見ることを学ぶのである。こうした状態だけがキリストとの出会いを可能にするのである。【訳注】

【訳注】20世紀初頭より、キリスト(霊)は、地球のエーテル界に再臨(再出現)している。これを、人類は、自然に得られた超感覚的知覚能力により認識するようになると、シュタイナーは予言していた。しかし、特に物質主義に染まった西洋人においては、正しく認識することができない。またそのような人は、死後も、霊界に赴くことができず、地上にとどまり、地上世界に悪影響を及ぼすおそれがある。これに対して東、特にロシア系の人々の心性は、キリストや霊性により親和的であり、そのことから、来る次の文明期を担うように期待されているのである。これがまた、英米のオカルティスト(それに従う権力者、エリート)がロシアに対してもっている敵意の背景となっている。

 

 ルドルフ・シュタイナーは、当時の聴衆の前で詳しく述べてはいないが、敵対する勢力が、ミカエルに対立する目的のために、西側の魂たち、特にフランス人の魂たちを勧誘していることは容易に想像できる。ここで問題となるのは、キリストの出現に対して世界的必然をもって、対照的に対抗するアーリマン=ソラト【訳注】の受肉を準備するためであろう。諸民族の運命は、地上における結果を求めて戦っているミカエル派とアーリマン派の魂の戦いに深く関係しているのである。人類の分裂が始まっている。

【訳注】本来、アーリマンとソラトは別々の悪魔であり、21世紀に受肉するとされるのはアーリマンである。「アーリマン=ソラト」の表現の意味は分からないが、アーリマンの背後にソラトが存在することは多くの人智学派も指摘している。

 

 ルドルフ・シュタイナーはこの対立を、地政学の深化した概念を用いて、地理的、基本的に読みとれるようにしている。彼がここで提供しているのは、通常の海と陸のパワーの考え方をはるかに超えたものだが、最終的には、地政学的思考のこの原初的な弁証法を正確に捉え、それによって細部と宇宙的視点の両方を照らし出している

 次のように言ってみよう。陸地の意味は水の中に見出すことはできない。それは、大地の要素自身からインスピレーションを得なければならない。「水」には魂の力が備わっている。大地にだけ自我が備わっている。そして、キリストがゴルゴダの秘儀によって自らを大地と、地上のものと一体化させて以来、地球の神となって以来(彼は、『人間』となっただけでなく、『地球』となった。)、キリストは、その核において、この大地の要素と結びついたのである。

 ルドルフ・シュタイナーは次のように述べている: すべての地球以前の霊性、すべての土星的、太陽的、月的霊性は、水を通して人間に語りかける。それは、水を通して人間に与えるのである。そのために、すべての文明が、水、大河、海岸、海から始まるのである。しかし、人間がこの道でどのような能力を身につけたとしても、この道では自我の主人にはなれない。人間が自我のレベルで新たにそれを獲得して初めて、その人のすることすべてが完全に人間的なものになるのだ。このように、水のインスピレーションには、必然的に大地のインスピレーションが続く。こうして、小さな規模でも大きな規模でも、水の文明の後には陸の文明が続くのである。こうして、叡智の宇宙からの行いの後には、愛の宇宙からの行いが続くのである。

 これまですべての地政学において、単なる対立関係として捉えられてきたものが、これらの視点によって、事実として連続性の中に位置づけられる。それは質的な理解を可能にする。ハンザ同盟の市民文化がなぜ海岸で始まり、それが地上の都市文化に完全に取って代わられるまで、はるかな内陸にまで広がっていったのかが理解できる。ギリシャ人、そしてローマ人が古代文化を支配した理由がわかる。アメリカの外交政策を形成する地政学的学派が、なぜ自国の帝国を最後の最大の海洋文明とみなし、いつかは偉大な陸上文明であるユーラシア大陸にバトンを渡さなければならないと考えているのかも理解できるマッキンダーブレジンスキーハートランド・ドクトリン)。

 これは、以下の講義の序論として十分であろう。その新版が必要になった。というのも、これらの基本的な説明は、編集部の誤解によって、美しい民俗叙事詩『カレワラ』とフィンランド人についての講義と誤解されているからだ。フィンランド人についてではなく、世界大戦についてなのだ。そしてこの戦争もまたマーヤにすぎない。世界大戦と、その基盤となっている同盟関係を幻想として透明にすることだ。ルドルフ・シュタイナーの作品の中で、キリストのイメージが埋もれたままになってはならない。

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 海と陸は、水と土であり、地球及び人類は、水のエレメントから土のエレメントへと進化してきたのだ。

 現在の地球期以前に、土星、太陽、月期が存在する。鉱物=土が出現したのは地球期においてであり、それ以前は、水、空気、熱のエレメントが支配していたのだ。そして、地球期の使命は、人類が自我を確立することであり、そのためには、人が2本の脚で立って活動できる大地が必要であったのである(自我と土エレメントとの関係は更にこの本の後半で解説される)。

 地球期においてもこの進化が繰り返されており、各文明の勃興盛衰も、この水から土への流れにおいて起きているということだろう。

 

 さて勿論、上の記事を呼んでも、理解するのは容易ではないと思う(私自身も含め)。もっと詳しい説明がほしいところである。ただ、地政学の基本的概念には、本来、秘教的意味合いがあったことは理解されるだろう。歴史の必然、進化の必然がそこにあるのであり、それを知るからこそ、英米のオカルティストはこの地政学にこだわるのだ。

 

 人類は、自我や自由を獲得し、自然とは一定の距離を保つようになってきたが、依然として自然の影響下にある。民族性なども、まだ居住する地域の影響によるところも大きいだろう(大陸、島、南方、北方等)。

 既に述べてきた霊的ドッペルゲンガーも、自然とは切り離せないとされる。地磁気とも関係しており、南北に山脈が流れる地域ではその影響が強まるとされる。

 人間は、無意識のうちに、こうした影響を受けているのだろう。

 このような知識を改めて復活させていくことが必要とされているようだ。

 

 ちなみに、ドッペルゲンガーの関係だが、日本列島は、東日本では南北に山脈が流れ、西日本では東西に流れているように見えるが、その場合、ドッペルゲンガーの影響はどうなってくるのだろうか。シュタイナーは、たまに日本にも言及しているが(日本は地球の頂点など)、ドッペルゲンガーとの関連の発言は目にしたことがない。

 案外、日本列島の東西における文化の違いなどもこうしたことが影響しているのだろうか?