このブログは主要なテーマを「二人の子どもイエス」として始まったのだが、そのうちに長い回り道(迷路)に入り込み、なかなかそこを抜け出せなくなっている。「二人の子どもイエス」を理解してもらうには、人智学一般の知識が必要なので、適宜これに関する解説記事を掲載している内に、コロナやウクライナの問題が出てきて、時事問題、社会問題にも触れる内に、「陰謀論」の世界にまで関わるようになってしまったという状況である。
そもそも人智学は人間の生全般に関わるものゆえ、取り上げるテーマが多岐にわたるのは自然な流れとは思われる。
だが、さらには、現在の状況における必然ということでもある。
当ブログが、「二人の子どもイエス」をメインテーマとしているのも、人智学をさらに世に知ってもらうためである。そして、人類の霊的進化に貢献するというのが、人智学の立場なのである。とすれば、現代の「黙示録的」状況を見たとき、これに対決していくことは避けられのだ。人類の霊的進化を阻止しようとする動きがその背後に感じられるからである。そうした状況をふまえて、このブログも、微力ながら、人智学の立場(私なりのだが)を発信していきたいと思うのである。
さて、「二人の子どもイエス」を語る上では、既に何度か紹介してきているヘラ・クラウゼ=ツィンマー氏などの人智学派の著作が欠かせないのだが、非人智学派(と思われる)の本としては、『二人の子ども』という本がある。これもこれまで何回か触れているが、この本の著者が今回のテーマとなっているデイヴィッド・オーヴァソンDavid・Ovason氏である。
彼の本は何冊か日本でも出版されているが、特にシュタイナー・人智学に関わる本を出したわけでもない(シュタイナーの名は、彼の著作の中にも多少でてくるが)ので、人智学を学んでいる人でも知らないという人は多いだろ。知る人ぞ知る人なのである。
日本で知られているとすると、おそらくノストラダムスやオカルトの研究家ということで、その界隈では、日本でもひょっとすると有名かもしれない。
なぜこのオーヴァソン氏について、今回の表題で「誰か?」という疑問符が付くのかということだが、実は、オーヴァソン氏の素性は不明なのである。
日本で出版されたオーヴァソン氏の本には、例えば、『ノストラダムス大全』(飛鳥新社刊)では、著者紹介に「イタリア生まれ。イギリス人と結婚し、フランス在住。後期中世文学研究へのヘルメス思想の影響を明らかにすべく研究に勤しみ、かたわら占星術を教えている。40年を超えるノストラダムス研究に裏打ちされたその著作は、西欧オカルティズムの世界で重みを増している。著書には・・・」とある。しかし、本の訳者後書きでは、オーヴァソン氏については、「西欧オカルティズムの奥義を究め、ノストラダムスが予言詩で用いた『緑の言葉』と呼ばれる隠語にも通じたイタリア出身の占星術師という以外、くわしいことはよく分からない。」とされているのだ。
また『秘密結社の1ドル札』(学研刊)では、同様な紹介となっているが、さらに訳者後書きには「オーヴァソン氏は、その経歴や業績をほとんど明らかにしていない。西洋の占星術、オカルティズムの奥義を究め、いくつかの秘密結社とも関わりを持っているようだが、著者のホームページにある自己紹介を見ても、『ノストラダムスの権威であり、象徴学と秘教史の専門家であり、特に興味を持っているのは占星学』という実に素っ気ない記述しかない。」とあるのである。
実際にオーヴァソン氏の原書をみても、『二人の子ども』(英語版)の紹介では、「オーヴァソンは、深遠な分野で3冊の本を出版している。彼の最初の本・・『ノストラダム・スコード』は、この種のものの傑作として絶賛されている。第2の本は・・・。第3の本は・・・。」とあるのみである。
また、現代において秘儀の世界に触れたとするマーク・ヘッセル(あるいはヘゼル)の「回顧録」を彼が編集し序文を書いたとされる『 The Zelator』という本によれば、彼は1953年に15歳であったとしているので、1937年か38年の生れとなる。また同書によれば、少年時代に秘教研究に目覚め、以後、研究を続けてきた、とされている。
以上が、オーヴァソン氏について公式の情報から知り得る経歴のすべてなのである。
私も、『二人の子ども』を読み、その和訳に挑戦していた時期、オーヴァソン氏についても調べてみたのだが、やはり詳しい情報は海外のネットでも見つけることが出来なかった。上の文章にあるように、オーヴァソン氏はホームページを持っていたのでそれを時々覗いてみたが、やはり上の通り、詳しい経歴を知ることは出来なかったのだ。
ただそこには、「ノストラダムスとシュタイナーに関する著作を執筆中」という予告があったので、それを心待ちにしていたのだが・・・
以上のことからすると、オーヴァソン氏は意図的に自己の素性や経歴を隠していたように見える。昔から秘教関係の書物には著者名を隠したものがあり、その様な類いなのだろうとは思うが、その本当の理由はわからない。今後明らかになることもおそらくないだろう。何しろ、当の本人が既に死去している可能性があるからである。
情報を得ることを諦めかけていたとき、突然、転機が訪れた。
「ノストラダムスとシュタイナーに関する著作」の出版が予告されていたため、出たらすぐに購入しようと思い、彼のホームページを時々覗いていたのだが、しかし、その予告を知ってから数年たっても、ホームページ自体が更新されることがないという状態が続いたのである。余りにも音沙汰がなかった(ホームページにはずっと「現在執筆中」とあるのみ)ことから、閃いたのである。もしかしてと。
私は、彼の名前に「dead?」を追加してインターネットを検索してみることとしたのだ。するとそこには、彼は亡くなっているという情報がでてきたのである。そして更にそこには思いがけない情報があったのだ。それは、「Way of the fool」及び「In Hynd sight」という2つのサイトであった。
それは今から3年ほど前のことなのだが、現在、この記事を書くに当たって、改めてネットを検索してみると、上の他にも、あのグラハム・ハンコック氏のホームページ上の意見交換スペースに同様の投稿記事があることが分かった。
以下、これらから得た情報をふまえて、オーヴァソン氏の謎について述べていくことにする。
先ず「Way of the fool」https://wayofthefool.wordpress.com/2015/12/05/who-is-this-fool-called-mark-hedsel/によれば、このサイトの作者が、前述の『The Zelator』のマーク・ヘッセルという人物の正体に興味を持ち、この本の発行に関わったとされる編集者マーク・ブース氏(彼は幾つか自身で、「ジョナサン・ブラック」といペンネームで本を著わしており、日本でも翻訳本が出されている。『秘密結社版世界の歴史』(早川書房刊)という本で、秘教思想を学ぶには良書の一つなのだが、どうもこの本は、デイヴィッド・オーヴァソン氏との「因縁」が存在するようである)に照会したところ、実はマーク・ヘッセルとは架空の人物で、『The Zelator』の内容は、オーヴァソン自身の体験に基づいているという回答があったというのである。
そして、「Way of the fool」及び「In Hynd sight」によれば、しかも彼の正体は、何とフレッド・ゲッティングズFred Gettingsという人物であり、オーヴァソンというのは、ゲッティングズ氏の偽名、もう一つのペンネームであるというのだ(他に「チャールズウォーカー」というのもあったらしい)。
では、フレッド・ゲッティングズ氏とは何者かというと、この人物については色々情報が存在する。彼も、神秘学やオカルト系の多数の本を出している有名な研究家、作家なのだ。
邦訳書では、『悪魔の辞典』(1992年、青土社刊)がある。その訳者・大瀧啓裕氏によれば、彼は、本来は美術史家で、かつてはイギリスの挿絵本の研究にいそしんでおり、その時の業績の一つに、コティングリー妖精事件の解明があるという。
それは、フランシス・グリフィスとその従姉妹エルシー・ライトが主張した「妖精の写真」の真偽をめぐって起きた、あのコナン・ドイルも巻き込んだ騒動で、この写真が、『Princess Mary's Gift Book』(メアリ王女のギフト・ブック)という挿絵本にある妖精の絵の模写を使った合成写真であることを見出したのである。
ちなみに、この発見をもたらした著者の特筆すべき眼力と「カメラのごとき記憶力」(大瀧氏)は『二人の子ども』においてもいかんなく発揮されている(同じ人物であるとするなら)。絵画や彫刻のどんな些細な部分も見逃さず、他の作品や文献、秘教的認識との関連を見出し、そこに隠された意味を的確に読み取っており、それは全く驚くべきものである。
また、彼は1975年に挿絵画家アーサー・ラッカムの評伝を刊行しており、その後、挿絵本の研究からは離れ、秘教的図像の読み直しを行っていったとされる。
「In Hynd sight」に記載の情報原(Prabook)によれば、1937年5月13日、イギリス、ヨークシャー、デューズベリー生まれで、1955-57年には英国空軍に従事し、1969年にサセックス大学の修士号取得とある。これらの真偽は確認できないが、ゲッティングズの『オカルトの図像学』(1994年、青土社刊)の訳者・阿部秀典氏は、同書で、やはりゲッティングズはヨークシャーで同年月日に生まれたとしている。また阿部氏によれば、彼は、地元の美術学校で教育を受けたのち挿絵画家となったが、また考古学や紀行関係を専門とするフリーの写真家でもあり、世界各地を歩き回っていたと記している(この時に、各地で秘教思想に巡り会い、また宗教施設等で絵画や彫刻等を見て回って取材した成果が、あの『二人の子ども』に現われているのかもしれない。)
このように旺盛な創作活動を行い、それが世界中で評価されてきたゲッティングズ氏であるが、その最後は決して恵まれたものではなかったらしい。
晩年彼は、精神を病んでいたようなのだ。「Craven herald & Pioneer」というイギリスの地方紙によると、彼は、自殺未遂のようなことを起こして精神病院に入院していたのだが、あるとき、病院から外泊した際に、妻の家で死んでいるのを発見されたのというのだ(自殺と判定されている)。それは、2013年1月9日のことで、当時76歳(?)であったという。元々の病気の原因が何かは分からないが、自殺を図った背景には、妻が他の男性と交際していたことがあると、新聞は示唆しているようである。
さて、オーヴァソン氏がゲッティングズ氏と同一人物であるということについては、グラハム・ハンコック氏のホームページ上のスペースでも情報交換がされている。これはそもそも、ハンコック氏の例のオリオン座の3つ星とピラミッドの関係を巡る議論の中で、オーヴァソン氏の『The Zelator』にも、オリオン座の3つ星とピラミッドについて語るアラビアの伝承が紹介されているという話題から始まっているのだが、そこに次のような文があるのだ。
「ロバート・ボーヴァル【注:大ピラミッドの配置がオリオン座の3つの星に対応していると最初に提唱した研究家】は、次のように書いている。「David Ovason」はペンネームです。どうやら彼の本名は、 ヨークシャー出身のフレッド・ゲッティングス(Fred Gettings)で、2013年1月、76歳で死去。『The Zelator』という本は、”マーク・ヘドセル“によって書かれ、デイビッド・オヴァソンによって編集されたとされています。」
そして、『The Zelator』の原稿の真の作者は、これを出版するために手を加え編集したとするオーヴァソン(ゲッティングス)氏自身であるということも触れられている。
ハンコック氏のホームページでは、ロバート・ボーヴァル氏が次のように述べている。
「マーク・ブースにも連絡を取りましたが、彼は“マーク・ヘッセル”は“合成キャラクター”だと言っています。どうやらヘッセルは“頭”(head)と“塩”(フランス語でsel)の錬金術的な構築物です。」「オーバソンはフレッド・ゲッティングズのペンネームです。ゲッティングズは2013年1月に自殺しました。彼は精神病院から出た後、妻の家で首を吊った状態で発見されました。“マーク・ヘッセル”は文学装置であり、彼自身の分身のようなものなのです。」
つまり、これらのことからすると、オーヴァソン氏=ゲッティングズ氏=ヘッセル氏だということになるのである。真にオカルト的な内容の本の著者の、何とオカルト的な真相であることか。
ちなみに、オーヴァソン氏は、ノストラダムスの研究で有名だが、自身も占星術の造詣が深い。そして彼をゲッティングズ氏と同一人物とする人の情報として、つぎのようなものがあるのである。
ゲッティングズ氏は、イラクのサダム・フセインについて、そのホロスコープから、彼がのどを詰まらせて死ぬと予想していたらしいのだが、それは2006年に、絞首刑として現実のものとなった。そして、サダム・フセインの誕生日は、1937年4月28日であり、ゲッティングズ氏は1937年5月13日である。ゲッティングズ氏は、自分がフセインと同じ星の下にあると知っていたのではないかというのだ。実際に、彼は、首をつって死んでいるのを発見されたのである。
また、ゲッティングズ氏は、1976年、サセックスのエマーソン・カレッジ(ルドルフ・シュタイナーの教えに基づく成人教育大学)にいたことを覚えているという人物の投稿があるので、彼は単にシュタイナーの書物を独学で勉強しただけではなく、直接、人智学関係者とも接触していたことがわかった。そのような人智学関係者から、彼がオーヴァソン氏であるという情報を得たという投稿もある。エマーソン・カレッジ以降も、彼の人智学派との交流は続いていたのかもしれない。
オーヴァソン氏が、実はゲッティングズ氏、そしてヘッセル氏でもあるということが真実であるかどうか、その真相はわからない。しかし、そうした主張が関係者の中に存在することは、上のように紛れもない事実である。
オーヴァソン氏=ゲッティングズ氏説については、上のサイトでは否定的意見もあるが、多くの投稿者はそれを支持している。中には、それを確認するすべはないが、オーヴァソン氏が『二人の子ども』を書く際に、イタリア語から英語への翻訳を手伝ったという人物が、両者は同一人物と主張する投稿もあるのだ。やはり、その可能性は高いのではなかろうか。
しかし、それではなぜ、ゲッティングズ氏は、デイヴィッド・オーヴァソンというペンネームを使ったのだろうか。確かに、著作にペンネームを使うこと自体はまれではない。しかし、それでも通常は、その著者の本名や経歴は調べれば分かるものである。しかし、オーヴァソン氏の場合、それが出てこない。意図的に隠されてきたのだ。素性が知られないように。なぜその様な必要があったのだろうか?
以下は私の推量(あるいは空想)だが、その理由の一つは、彼の本の内容そのものにあるのかもしれない。
ゲッティングズ氏の著作は、この方が数は圧倒的に多いのだが、どちらかと言えば、通俗的な本と言える。一般大衆向け(勿論この分野に関心のある人向けだが)と言っても良いように見える。
これに対して、オーヴァソン氏名義の本は、上級者向けである。この本の内容をよく理解するには、予備知識が要求されるのだ。より奥深い秘教的内容を含んでいるように思えるのである。真剣にこの分野の知識を求めている者に向いているとも言えるだろう。
これはまた、これまで秘匿されていた知識が公開されている可能性があるとも考えられる。例えば、ノストラダムスの本では、「緑の言葉」というオカルト関係者の間で密かに伝えられてきた技術を知らないとノストラダムスの予言詩の解釈は出来ないと述べて、実際にそれをもとに予言の内容を解明しているのだ(しかしその技術のルーツは明かされていない)。
だが、このようなことは、ある方面の人々には都合が悪いことであった可能性があるのだ。
実際に、「彼は、宗教的過激派による脅迫状や電話による迫害や、彼が私に“変人”と呼んだ人々による迫害のために、結局は自分の正体を隠さなければならなかったと私に言いました。」という投稿がある。
これは、例えば、秘教的内容であるがゆえに、どちらかといえば異端的なオーヴァソン氏の記述に反感を覚えた、熱心な「正統派」キリスト教徒がいたということなのかもしれないが、あるいは、秘教的内容の曝露に危機感を持った人達がいたということもありうるのではなかろうか。
秘密の暴露には危険が伴うものである。
古代の密儀においては、密儀の内容は秘密にされ、それを外部に漏らすことは禁じられており、その禁を破った者には死の罰が待っていたという。これは、当時においては正当化されるルールであった。当時の、それを受ける準備が出来ていない一般人にとって、その知識はむしろ危険であった。その乱用は避けられなければならなかったのだ。
しかし、時代は変わった。シュタイナーは、そうした秘匿されてきた知識は、現代においては公開されるべきであると考え、著作や講演で秘儀を公開していったのだ。
ところが、このために、秘密を独占したいとする利己的秘教主義者達の集団から、シュタイナーはその身に攻撃を受けていたとも言われている。秘密の知識を独占していることが彼らの力の源泉であったからである。そして一部には、シュタイナーの死のきっかけは、そうした攻撃によるものと主張する人智学者もいるのである。
オーヴァソン氏の身辺の危険性の正体が、実際にこのようなものであった可能性もあるのではなかろうか。そのために、より秘教的内容を盛り込んだ本の場合には素性を隠したのではないかという事である。
このことは、逆に言えば、オーヴァソン氏の本の内容の確からしさを傍証することにもなるのだが、もちろん、ペンネーム使用の真相についてのこの説は推論の域を出ない。
次に、ゲッティングズ(オーヴァソン)氏=ヘッセル氏説について考えてみたい。
私は、この説は多少修正が必要かと思っている。
『The Zelator』で述べられているヘッセル氏の年譜とゲッティングズ氏の年譜は合っていないのだ。『The Zelator』の中にオーヴァソン氏自身が登場しているのだが、彼はヘッセル氏よりずっと若い設定である。このため、『The Zelator』で語られるヘッセル氏の秘儀探求の半生と、オーヴァソン氏=ゲッティングズ氏として、ゲッティングズ氏について分かっている経歴とを比較した場合、それらが一致していないということである。
ヘッセル氏が、創作された人物で、その半生が架空の物語なら、それで理屈はできるのだが、それが、実際にはオーヴァソン(ゲッティングズ)氏自身の(創作の部分があるとはいえ)実体験であるなら、なぜあえて、時期的にずれた設定をしたのだろうかという疑問が生まれるのだ。
その一つの理解としては、その正体をオーヴァソン(ゲッティングズ)氏とさとられないように、あえて自分を登場させて、自分と異なる年代の人物としてヘッセル氏を描いたということがあげられるかもしれない。
しかしあるいは、別の理由も考えられないだろうか。それは、私はこちらの方に軍配を挙げたいのだが、『The Zelator』で語られているその半生は、実際にはオーヴァソン氏の体験が元になっているとしても、実際にヘッセル氏のような秘儀探求者が実在していた、そして、オーヴァソン氏は彼に教えを受けた、それは『The Zelator』の物語に一部反映されているということである。つまり、ヘッセル氏とは、オーヴァソン氏と彼の秘密の師の両者の体験や知識が合わさって生まれた人物ではないかと言うことである。
『The Zelator』の中で、主人公のオーヴァソン氏は、自分について、「私」ではなく「我々」という言葉を使っている。これについては、複数形を使うのは、古い表現の仕方とする見方(今でもその様な書き方をする方はいるが)があるのだが、しかし、自伝的な著作なのに、単数の一人称ではなく、複数の一人称を使うことに違和感がないだろうか。
また、「我々」の片方は「高次の自我」であるとする見方がある。秘儀参入とは、低次の自我から高次の自我に至る道でもあるからだろう。
そのようなことが実際ありうるとしても、あるいは、その著作の全体が、オーヴァソン氏とその師(ある意味で高次の自我とも言えるだろう)となる人物のいわば共著であることを示唆しているという見方は出来ないだろうか?
私は、この説を取りたいのである。
ヘッセル氏は、オーヴァソン氏でありまたそうではない、あるいは、オーヴァソン氏でありその師でもあるということである。
では、その師が実在するとして、それはどのような人物であろうか?ここからは、更に空想を膨らませることになるのだが、私は次のように述べてみたい。
私は、本の中の次のような言葉が気になっている。それは、オーヴァソン氏が、ロンドンの古書店で初めてヘッセル氏に出会ったときの、彼の印象についての文章である。
「・・・対照的に、ヘッセルはダンディだった。スカーフを首にゆったりとかけ、コートの上からエレガントに垂らしていた。実際、マーク・ヘッセルを初めて見たとき、それは、あの都会的なオカルティスト、ミステリアスなサンジェルマン伯爵の外見に見られたような、教養ある洗練されたタッチであった。私たちの人生が後年どのように絡み合うことになるのかまったく想像もつかなかったが、私の脳裏には、18世紀フランス革命前の宮廷を軽々とさまよい歩いた、潔癖症でまったく誤解されたイニシエートの姿が思い浮かんだ。」
つまりヘッセル氏は、あのオカルティスト、サンジェルマン伯爵をほうふつとさせたというのである。
人智学派によれば、サンジェルマン伯爵とは、薔薇十字運動の創始者であるクリスチャン・ローゼンクロイツの生まれ変わりであり、フランス革命の時期以降も、何度か地上に転生してきているという。
では、オーヴァソン氏の師とは、クリスチャン・ローゼンクロイツであろうか?
クリスチャン・ローゼンクロイツは、世紀毎に再受肉している可能性はあるのだが、前世紀については情報が無く、なんとも言えない。しかし、そうでない場合には、ローゼンクロイツ自身ではなく、その系統を引く者のうちの誰かということもあり得るのではなかろうか。
シュタイナーを最初に秘教的な教えに導いたのは、コグツキーという薬草売りであったとされるが、実は、彼は、ある秘儀参入者の使いであったとも言われている。秘儀参入者=マスターには弟子も存在したであろう。
クリスチャン・ローゼンクロイツの名がここに出てくるということは、オーヴァソン氏がクリスチャン・ローゼンクロイツ自身やその弟子に接触したかどうかは別にして、オーヴァソン氏が関わった霊統が、クリスチャン・ローゼンクロイツの流れをくむものであったことを示唆しているのは間違いないと思われる。
繰り返すが、これは私の勝手な空想である。
ただ、シュタイナーが、「二人の子どもイエス」の秘密を初めて世に公開したわけであるが、そしてそれを更に芸術史の中において世に広めた、『絵画における二人の子どもイエス』の作者ヘラ・クラウゼ=ツィンマー氏がドイツ語圏の人であったのに対して、同じような作業を、こちらは英語圏においてなした『二人の子ども』の作者がデイヴィッド・オーヴァソン氏であるという因縁を考えると、両者をつなぐものとして、シュタイナーは勿論だが、クリスチャン・ローゼンクロイツのような存在も考えたくなるのだ。
オーヴァソン氏とクリスチャン・ローゼンクロイツの霊統の関係を考える上で、更にヒントとなるのは、前回紹介した『シェイクスピアの秘密の書物』であると思われる。
この本には、前回の記事で述べたように、クリスチャン・ローゼンクロイツが創始したとされる薔薇十字運動に関わる秘密の教えが開示されていると考えられるからである。この本で、いくつかの秘教的文献をその教えにより明快に解説していくものの、オーヴァソン氏は、その知識が誰によってどのように伝えられてきたかは明らかにしていない。それがまさに秘伝であったからであろう。しかし、このことは、即ちオーヴァソン氏がそれを伝える秘儀に関わる人物や書物に触れていたことを意味している。
このことも、オーヴァソン氏が、(シュタイナーと同じように)現代における「秘密の開示」、薔薇十字運動に関わる秘密の公開という役割を負っていたことを示していると思われるのである。秘密を教示されただけでなく、それを知らしめる使命を受けたと言うことである。
オーヴァソン氏に霊感を与えたもの、それはクリスチャン・ローゼンクロイツ(の霊統)であったのではなかろうか?
オーヴァソン氏のホームページは、それが閉じられて久しい。オーヴァソン氏の、予定されていたノストラダムスとシュタイナーに関する著作は未だに刊行されていない。彼がゲッティングズ氏であったかどうかは別にして、彼が亡くなっていることはほぼ確実であるように思われる。彼のシュタイナー論をぜひ読んでみたかったのであるが、全く残念である。
最後にゲッティングズ氏の死に関して再度触れておきたい。これも、彼がオーヴァソン氏であったならという前提の話であるが、それが自死であったということに、私はどうも納得がいかないのだ。上のサイトの投稿の中にも、自殺は信じられないというようなものがあったが、秘教的知識にあれほど造詣が深く、秘儀参入者との接触の可能性も考えられる人が、自殺などするだろうかという思いがあるのである。
シュタイナーによれば、自殺した人間は、死後に非常に苦しむことになるという。空虚感と燃えるような乾きに襲われるという。
そのような事実を知っていたとしても、自殺を思いとどまることが出来ないほど精神的に追い詰められていたということになるのだろうか。その背景としては精神的病を抱えたことが考えられるが、そもそも、私生活でショックな出来事があったとしても、このような人ならば、それを超然として乗り越える精神力を培っていたのではなかろうか。
諦念とはまた違うかもしれないが、そうしたいやな出来事、人生における不幸も、カルマの法則からすれば理解できることだろうし、あるいは、それもまた精神的修練に資すものとして受け入れる心構えが出来ていなかったのだろうかと思うのである。
つまり、裏返して言えば、そこに何らかの外部からの働きがありはしなかったかと言うことである。
確かに、逆に、準備のないままにオカルティズムにのめり込みすぎて精神が破綻するということもありうるだろう。その様な可能性も確かに決して排除は出来ないとは思うのだが・・・
いずれにしても、秘教を公開するということは、周囲の無理解を含め、色々な意味で現代においても危険を伴うのかもしれない。勇気が必要だ。
私は、オーヴァソン(ゲッティングズ)氏の著作に大いに啓発されてきた。このような本を残してくれた”彼ら”に感謝したい。
今年はゲッティングズ氏没後10年という年である。いつかこのテーマの記事をまとめたいと思っていたが、今年の内に間に合って良かった。
人は死後、煉獄に赴くという。魂の浄化の期間である。それは通常、その人の地上における人生の3分の1ほどであるという。とすれば、ゲッティングズ氏はまだそこにいるのだろうか?
死後霊界で過ごす人に、地上の人間の故人への追悼は力を与えるそうだ。特に、死者を思いながら霊的な本を読むとかするといいらしい。
ゲッティングズ氏なら、人の死後のことにも十分な知識があっただろうが、氏を思う心が伝われば、幾分の力になるかもしれない。
この記事は、今は亡きゲッティングズ氏、そしておそらくだがオーヴァソン氏に献げる。