k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

フリーメイソンと世界大戦①

フリーメイソンの18世紀の備品

 人類の歴史は今大きな曲がり角にあるようだ。

 コロナ、ウクライナに続き、今や中東に世界を揺るがす出来事が起きている。中東では、世界中の人々の衆人環視の下にジェノサイドが行なわれており、さらに戦火は拡大する様相を見せている。

 断末魔のウクライナは、ロシアの戦略ミサイル基地への攻撃を始めているという。戦略ミサイルとは核ミサイルである。当然、ロシアは、この攻撃が続けば核攻撃により反撃すると主張しているが、ウクライナの狙いはこれをむしろ引き出すことのようだ。それにより、ウクライナでの闘いをNATOアメリカとロシアの戦争に拡大しなければ、ウクライナの敗北と指導者の責任追及が必然だからである。

 1月15日から世界経済フォーラム(WEF)の年次総会「ダボス会議」が開かれているが、その議題の一つは、「コロナより致死率が20倍高い疾病Xへの備え」だという。これについては、むしろ新たなパンデミックの「予告」と指摘する者もいる。

 ますます世界中で狂気が支配するようになっているのではなかろうか?

 

 このブログでは何度か、「オカルト・ロッジ」(あるいは「ブラザーフッド(同胞団)」)について取り上げてきた。そこでシュタイナーが語っていたのは、第一次世界大戦勃発の背後にはアングロサクソン系の影のブラザーフッドの働きがあったということであった。例えば、ドイツに対する嫌悪を世界中で煽ったのだ(これは、今ロシアに対して行なわれている。)

 これはおそらく第2次世界大戦においても同様であったのではなかろうか(ナチスソ連ボルシェヴィキに対して西側の資本家の支援があったことが指摘されており、一つのシナリオがあった可能性がある)。とすれば、フリーメイソンの高位団員であるアルバート・パイクの「予言」にあるように、今、第3次世界大戦が引き起こされようとしているのだろうか?

 

 ちまたではよく、フリーメイソンイルミナティなどの「秘密結社」があり、世界的な陰謀を進めているなどと語られる。これらはどちらかというと政治的色彩が強い組織と言えるだろう。

 しかし、本来のブラザーフッドは、「秘密の教えを守り伝え、メンバーに伝授してきた団体」という意味では秘密の組織だが、決して謀略を目的としたものではない。

 前にも述べたが、フリーメイソンの源流は、「神殿伝説」のヒラム・アビフの物語が関係する出来事にあり、このヒラムは、薔薇十字運動の創設者とされるクリスチャン・ローゼンクロイツの前世に他ならない。フリーメイソンは、薔薇十字運動と同様に、人類を指導する、いわゆる「ホワイト・ロッジ」の側に属していたのだ。

 そして、本来は陰謀と関係ないのだが、歴史的出来事の背後にこうした組織の活動があった(またたぶん今もある)というのは、おそらく正しいのだ。しかし、これまでの記事にあるように、その本来の目的は、人類の霊的進化を進めるということにあり、決して「世界支配する」ことなどではないのである。

 だが、世の中には、これを阻止しようとする勢力も存在しており、やはり密かに活動しているらしいのである。

 このような組織は一般に「左手のオカルト・ロッジ」「影のブラザーフッド」などと呼ばれる。実際の陰謀の背後に存在するとするなら、こちらの組織がそうなのである。

 シュタイナーは、その存在を西側の、特にアングロサクソン系、あるいは英米系のブラザーフッドであり、自分たちの利己的欲求のために、秘密の(霊的な)教えを利用しているとする。第一次世界大戦もそのために利用されたのである。

 そしてこれらに関係する組織もまた「フリーメイソン」を名乗っているのである。

 つまり、本来のフリーメイソンは、その一部が、ある時期に変質したか、あるいは敵対勢力の側に乗っ取られてしまったのである。

 

 さて、人智学派による「オカルト・ロッジ」研究については、既に、「フリーメイソンとは何か?」で、ハインツ・プファイファーHeinz Pfeiferという方の論考を紹介している(『影のブラザーフッド 隠れた敵対勢力の働き』)。これは、ロッジの中でも主にフリーメイソンについて語った部分である。

 https://k-lazaro.hatenablog.com/entry/2023/04/13/083916

 実は、プファイファー氏の本よりずっと以前に出版された人智学派の関連本が存在する。その著者は、カルル・ハイツという方で、シュタイナーの同時代人なのだ。シュタイナーの示唆を受けてその本を著わしており、シュタイナーがそれに序文を付したという。

 シュタイナーは、第一次世界大戦の背景について、西側の秘儀参入やオカルト・ロッジが暗躍し、ドイツに対する憎悪をヨーロッパ中に巻き起こしていたと指摘した。それが、いわゆる協商国と言われる国(イギリス、フランス等)の秘密結社、ロッジで、その中心が、具体的にはアングロサクソン、あるいは英米系のフリーメイソンなのだが、これを受けて、カルル・ハイツ氏は、シュタイナーの主張を裏付ける『協商フリーメイソンと世界大戦』という本を、膨大な関連資料を基に著わしたのだ。

 

 今後、このカルル・ハイツ氏の本から何回かにわけて紹介していくこととする。今回掲載するのは、『協商フリーメイソンと世界大戦-世界大戦の歴史及び真のフリーメイソンの理解にむけた論考』の本の序文である。ここでは、主に、本来のフリーメイソンの姿、その変質前の歴史が説明されている。(私がもっている本は、復刻版なのだが、残念ながらシュタイナーの序文は付いていなかった。)

 なお、文中に「団員」という言葉が個人名の前に頻繁に登場する。これは原書で”Br.”と表記されているものだが、”Bruder”(兄弟)の略語と思われる。おそらくその人物がフリーメイソンの団員であることを示しているのであろうから、以下では団員と訳してある。

 また、ハイツ氏の説明はかなり詳細で、登場人物が多く、引用文献も多いのだが、あまり一般的でなく、また既に過去の記憶となってしまったものも多い。従って、それらの文献や人物には今の日本では調べようがないものもある。かつ、私は、フリーメイソン自体はそれほど勉強していないので、的はずれな訳となっているかもしれない。この点はご容赦願いたい。

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協商フリーメイソン 

カルル・ハイゼ

 

はじめに

 フリーメイソンが、多くの、しばしば古代の秘密のシンボルを所有していることは、誰もが知っている。このようにフリーメイソンは、精神世界に関するある種の伝統の継承者であり、またあることにおいては、物理的世界における出来事、すなわち霊的世界の階層的世界からの啓示のように「現実」となりうる出来事を先に知る者でもある。メイソンのあるサークルでは、「イデアの世界」から引き出されたオカルト的な知覚と知識に基づいて、特定の出来事が起こる前から、まさにこれらの「特定の出来事」が論理的かつ無条件に特定の条件の下で起こるに違いないことが知られている。このようなオカルト的知識は、メイソン以外のさまざまな世界、とりわけカトリックの世界でも見出すことができる。ロヨラのイグナチオの観想-カトリック世界からの例を挙げるとすると-は、ある種の超自然的な認識につながることがある。1)

 

1)ロヨラのイグナチオ(実際はイダルゴ、ロペス・レカルデ)はバスク地方のスガニオール家の出身である・・・1534年から1540年にかけて、ロイネズ(ライネイ)、サルメロン・イ・アル0リソ(サロモン)、ピエール・ルフェーヴル、クサヴェル(聖フランシスコ)らとともに「イエズス会」を設立した。-イエズス会」はオカルト的教育に基づいていた(『アルマーネンシャフト』I; 5. 69でV: Listが指摘しているように、またブラヴァツキーが説明しているように)。- イエズス会の秘密組織は、1761年に初めて明るみに出た。次のような学位があった・・・ニッコリーニの『イエズス会史』によると、これらの上には、終身会員に選ばれた教団総長と少数の最高位会員のみが属する高位会員がいる。・・・

 

 このような事柄に少しでも見識のある人なら、メイソンリーとカトリックの修道会、メイソン主義の自由主義者ローマ教皇庁の忠実な信者の間にある多くの相互敵対関係を簡単に説明することができる。カトリックの宗教団体は、いくつかの点で古い秘儀学院から生まれた1)、あるいは、より高次の知恵の地上の担い手としての古い "石工(メイソン)組合 "2)を模範としたものであることを見落としてはならない。

 

1) グイド v.リストはその様々な著作の中で、古代のヴォータニスト【オーディン教?】兄弟団から様々な聖職者修道会が形成されたことを論じている。リストによれば、中世最後のヴォータニスト兄弟団は「カランダー」のものであった。リストによればまた、聖ヨハネ騎士団(マルタ)、テンプル騎士団、薔薇十字団、チュートン騎士団を、3つの最古の騎士団として、またベネディクト会、シトー会、プレモンスラテンス会などの修道会も、もともとはゲルマン=ヴォータニスト的であったが、その後キリスト教化された「大神秘」にまで遡る。

2) 中世の純粋な "石工(メイソン) "については、"Herolds2unft"(紋章術)と同様、スカルド教団から生まれたものであり、Jenningの "薔薇十字団と密儀"もまた重要である。

 

 今日、フリーメイソンの中にも、「石工」は元来、それが職業的な価値しか持たなかった時の「職工長Werkmeisterei」であると誤って主張する者がいる。しかし、これは全くの間違いである。真のメーソンの「仕事崇拝」とは、人間と人間のモラルを洗練させることである(人間の魂は「宝石」、すなわち「蓮の中の宝石」であり、それは「研磨」された後、「哲学者の石」、「ラピス・フィロソフォルム」となる)。それが「石工」という仕事が本当にただの「石工」であったことを「証明」することになる、「石工」や「レンガ職人」の見習いや職工の職位には一定の規則や規定があるものの、このような規制は、ロッジ(ロビー)3)で重要視されていた高邁な精神の隠蔽、表象にすぎず、「作業場」で培われた精神性の冒涜を防ぐためのものであったことに留意すべきである。このようにして初めて、ロッジ、ホール、作業場、職員組合を建てるという意味での「ロッジ」という言葉がありふれたものであり、誰もそれを不快に思うことはなかったが、実際にはこの言葉の背後には、聖域、神殿、祭壇を所有し、「あらゆる世界を建設する崇高なマスター」に敬意を表して儀式的行為を行う、神を深く崇拝するイニシエートのサークルがあったことも理解できる。例えば、「スウェーデンの教え」では、その「マギスター・テンプリの緋色(高位聖職者)の位階」において、カトリックのバシリカにあるような特別な聖遺物、すなわち、有名な神殿騎士団のグランド・マスターの団員Molayが団員 Beaujeatiに遺贈した洗礼者ヨハネの人差し指を崇めていたのである。

 

3)「ロビア}は、ケラー博士によれば、古高地ドイツ語の "Loubjä "や "Louba "に由来する。博士の "Die Großloge Indissolubilis "によると、ロンバルディアピエモンテ、中世初期のカタリ派やワルデン派のカルトで使われ、13世紀以降はフランスの語彙でも使われるようになった。

 

 団員Archvrat  Dr.Georg Schuster (『秘密の結社、組合と団体』は、12世紀と13世紀のドイツとフランスとイギリスにおける "石工 "の兄弟団を "Hüttenjungen des lieben Herrgotts "と呼んでいる。彼によれば、最古の石工小屋はストラスブール【フランス東部】にあるもので、同じく独創的で神を畏れる大聖堂建築の巨匠エルヴィン・フォン・シュタインバッハの指揮下にあった。このロッジへの入会は、石工の守護聖人である洗礼者聖ヨハネを招き、福音書に誓いを立てて行われた。英語の「フリーメイソン」という言葉は、(シュスターによれば)1350年に初めて記録されている。有名なメイソン作家の団員ガブリエル・フィンデルによれば、「最初の」イギリスのフリーメイソンのロッジは、ドイツ人によって海峡を渡って移植されたものだという。「私たちのポピュラーな結社でさえ、フリーメイソンのロッジから-これが神殿騎士団員の薪の山から生まれたように【訳注】-生まれたのである。」とH.イエニングス(薇十字団、その風習と神秘)は、『チュイルリー城』第8巻から引用している。

 

【訳注】神殿騎士団員がフランス王の弾圧に遭い火刑により殺されたことを指すのだろう。これは、フリーメイソンが、フランスにおいて滅ぼされた神殿騎士団の流れをくんでいることを示唆していると思われる。

 

 B.カーニングによれば、フリーメイソンは(そのさらに深い起源は別として)最初のグランドロッジ「聖アルバヌスSt. Alban 」【訳注1】にさかのぼることができる。このグランド・ロッジは、"ブリテンアウグストゥス "と呼ばれたローマ皇帝カラウシウス【訳注2】のもと、297年にイングランドで設立された。その後、メーソンはイタリアでオストロゴート王テオドリックの時代(5~6世紀)に栄え、ゴシック様式はこの時代に由来する。その後(8世紀)、カルル・マーテルがキリスト教・ゲルマン・メーソン文化の担い手となった。さらにその後(9世紀)、エセルヴルフ王の文才豊かな息子、後のイギリス王アルフレド大王【訳注3】が、メーソンの旗を掲げ、教育と自由を広めた。そしてついに、彼の孫である皇太子エドウィン Edwinが、神の思し召しにより、かつての聖アルバヌス・メーソン規約の最後の断片を発見し、他の多くのメーソンの伝統と組み合わせて、926年に新たに編集することになった。その後、スコットランド人のアンデルソン1717年に新しいイングリッシュ・グランド・ロッジを設立しようとしたとき、エドウィン公の儀式はこの新しい組織に移された。

 

【訳注1】聖アルバヌスあるいはオルバン(?-209年頃)は、イングランド最初の殉教者。キリスト教聖職者をかくまったために、斬首されたローマ兵。

【訳注2】カラウシウス(Carausius)は、「ブリタンニアローマ皇帝(在位:286年-293年)を名乗った人物。・・・メナピ族の貧しい家庭に生まれたとされる。ローマ帝国の軍人として身を起こし、マクシミアヌスに仕えてガリアのバガウダエを鎮圧」などで軍功を示したが、「マクシミアヌスは、彼のあまりにも華々しい戦果に疑念を抱き、彼を逮捕して処刑するよう秘密の命令を出した。この陰謀を報されたカラウシウスは、それまで彼とともに戦ってきた軍隊に守られてブリタンニアへ逃亡し、286年に軍によってローマ皇帝として宣言された。カラウシウスを認めたブリタンニアの軍団は完全に彼の支配下に置かれ、また同様に彼の活躍を知るガリア北部の沿岸地帯も大部分がカラウシウスに加担した。」(ウィキペディア

【訳注3】アルフレッド大王(Alfred the Great、古英語ではÆlfred、849年 - 899年10月26日[注釈 2]、在位:871年 - 899年)は、「七王国ウェセックス王。兄エゼルレッド王の死後、王位を継いだ。約100年続いたデーン人(北欧ヴァイキング)の侵攻を食い止め、衰退したイングランドキリスト教文化を復興し、古英語での読み書きを習慣化した。アングロ・サクソン時代最大の王とも称せられる。

 

 イングランドのメイソンのギルド伝説によると、エドウィンの死後、アゼルスタン王(925-940)【訳注】自身が、936年にヨークで開かれた当時の「イングランド・グランド・ロッジ」を保護し、それは、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、その他の関連文献から会則を作成したという。赤いバラに象徴される「ヨーク儀式」という言葉は、当時すでに使われていた。ヨークとは対照的に、「ランカスターの白いバラ」が「ヨーク儀式」の象徴として登場した。(しかし、当初から、赤と白のバラは、秘教のイニシエーションの象徴として存在してた。)エドウィンの後、アテルスタン王がグランドマスターとなり、聖ダスタン(カンタベリー大司教)とエドワード懺悔王がメイソンのトップとして続いた。1485年にヘンリー7世(Henry Tudor)がイングランド王となったとき、ロードス島マルタ島聖ヨハネ騎士団(その後援者はエドワード7世であった)は、ヘンリー・チューダーがグランド・マスターとなった。ヘンリー7世のもとで、「赤いバラ」である「チューダーのバラ」は、ヘンリー7世が好んだガーター騎士団の騎士たちの間で特別に目立つようになった。(エドワード。イングランドエドワード3世は、聖母マリアに敬意を表して1344年頃にガーター騎士団を創設した。)

 

【訳注】アルフレッド大王の子でその後継者エドワード長兄王の子で、エドウィンの兄弟。

 

 ラザールB.ヘレンバッハは『ある哲学者の日記』(1881年ウィーン、122ページ)の中で次のように述べている:「エジプト、インド、エレウシスから、テンプル騎士団、聖アンデレ騎士団、薔薇十字団、そしてフリーメイソンのロッジに至るまで、あらゆる結社に赤い糸が通っている。」団員オリバーとイグナティウス・ドネリーは、フリーメイソンの内的内容を、彼らにとっては霊的なものである、地上における人間存在の全起源にまで遡ぼらせている(つまり、唯物論的な自然哲学や歴史の寄せ集めの意味ではなく)。H.P.ブラヴァツキーによる『宇宙創世記』には、「サンクトペテルブルグ帝国図書館には、ロシアでフリーメイソン神秘主義者の秘密結社が妨げられることなく繁栄していた時代、すなわち8世紀末にも、まだ多くの霊性が存在していたと思われる文書がある。すなわち、18世紀末から19世紀初頭にかけて、中央アジアの未知の地下聖堂に知識とイニシエーションを求めて、ウラル山脈を越えてチベットまで旅したロシア人神秘主義者(とメイソン)が何人もいた」とある。

 『イシス』第1巻で、同じメイソンの著者であるH.P.ブラヴァツキーは、フリーメイソンがノアの洪水以前の起源であることを示し、エノクとその息子メトヒュサラーがある地下保管庫-その要石は最も本質的なものであり、その原像をエノクは幻影で観た-の創造者であると語っている。しかし、この最古の「石工の神殿」の秘密は、メイソンからは完全に失われてしまった。- これらの秘密は、エッシム(こて)とミオルニル(ハンマー)の扱いを本当に再び学んだメイソンにのみ、再び明らかにされると私たちは信じている。・・・

 団員 M.レゲリーニ・デ・スキオは、また別のことを知っており、フリーメイソンはエジプトの神秘と関係があると述べている

 団員 アンダーソンの『Book of Constitutions』によると、ペルシアのマギ達【訳注】はツァラトゥストラの弟子であった(また彼は、キリスト教以前の時代の最高度の秘儀参入者であり、太陽のオーラから“アフラ・マツダ”が降りてくるのを霊視し、予言した)。・・・そして、アンダーソンによれば、「マギはフリーメイソンの前身である。・・・」

 

【訳注】マギとは、イエスの誕生の時に現われた東方の博士(王)のこと。シュタイナーも、マギ達がツァラトゥストラの霊統にあることを述べている。

 

 フリーメイソンエッセネ派またはエッサイ派とも関連づけられている。最初の言及によれば、エッセネ派(およびそれに類似のセラピスト派)は、紀元前166年に、4000人ほどの団員がいたと言われている。彼らは「厳格な律法」を形づくっていた1)。洗礼者のヨハネもまた、そのナジリハ的黙想的な生き方において彼らの中に数えられており、それゆえに彼は今日でもフリーメイソンの大部分から「新しい契約の明けの明星」として、また揺るぎない真実性の、メイソン的行状の雄々しいがしかし分別のある模範としてみなされている。

 

1)ルド.シュタイナー博士は、ペルシャの魔術師(ツァラトゥストラは、ツラニア人のイニシエートである「左の手」アルドシャスブの対立者である)とエッセネ派の原理と教えの両方について、卓越した方法で説明している。

 

 さて、メイソンの起源をあちこちに遡るなら、『フリーメイソンの普遍ハンドブック』は明らかに正しい。「フリーメイソン(政治的フリーメイソンではない)の真髄は、人類そのものの本質にほかならない。: だからこそ、メイソンの原理は常に人間の間で有効であり、フリーメイソンは最初の人間とともに生まれたのである。」そして、H.P.ブラヴァツキーが付け加えているように、良心に恥じることなく、「最初の教皇の何人かはイニシエートであり、彼らの学問の最後の断片はイエズス会の手に落ちた」のである

 より正確には、約2,000年の間、2つの霊的な潮流が常に並走していたと言うことができる。一方は、より思弁的・自由な精神の、他方は、より神権政治的(教会)なものである。しかし、両者の流れは常に多かれ少なかれ互いに影響し合い、他方向の個人やグループ全体を惹きつけることもまれではなかった。このようにして、長い世紀を通じて、あちこちで相互に稔りを得て、しかしまた、実際に確執もあった。このようなつながりは、8世紀から15世紀にかけて広く存在したカランド同胞団【訳注】によって形成された。彼らは、秘教的な意味を隠すという特別な意図をもって、教会や世俗の問題と密接に接触していた。(これらの「カランド同胞団」のひとつが、1440年にフリードリッヒ2世、フォン・ブランデンビュルク選帝侯によって、超感覚的意識を覚醒し続けるという使命のために設立された「シュヴァーベン同胞団」である。というのも、「白鳥の乙女たち(たとえばゲルマン神話に登場する)の消滅は、『人間の魂が超感覚的な意識を失った』ということ以外の何ものでもなく、いまや『白鳥の乙女』は『地上の感覚では見ることのできない土地』に住んでいる」のである2)。 この2つの潮流が時折合流することで、団員F.カッチュ博士が、真正のクリスチャン・ローゼンクロイツ(1378年~1484年)の薔薇十字団(「神の友」と彼らは自称していた)-有名な教育者でフリーメイソンのコメニウスも所属していた-を近代のフリーメイソンの基礎とみなした理由も説明される。1) カツチュによれば、30年戦争の結果、多くの者がイングランドスコットランドに逃れ、そこで活動を続けていた薔薇十字同胞団(スコットランドのキルウィン・ロッジの原型を含む)が、「フリーメイソン同胞団へと姿を変えた」のである

 

【訳注】カランド(カランド同胞団)は、中世にドイツ北西部の多くの都市に広まっていた聖職者と平信徒の同胞団に付けられた名前。カランドという言葉は、ラテン語の「カレンダエ」に由来する。それは月の1日を意味し、その日に礼拝のために定期的に集まるカランドのメンバーの習慣を指す。

 

1) 「しばらくの間、薔薇十字団とフリーメイソンは密接な関係にあり、それはその後かなり広範囲に広がっていった」と、1786年にライプチヒで出版された著作の中で、ハレのヨハン・ゼムラー教授は述べている。また、団員Dr.エルンスト・フリードリヒ(ベルリン)の小冊『ロシアとポーランドフリーメイソン』では、フリーメイソンと「厳格な規律」の兄弟たちや薔薇十字団を直接結びつけている。彼は「厳格な規律」をテンプル騎士団から導き出し、「ロシア・メイソンの父」は薔薇十字団のヨハン・オイゲン・シュヴァルツであり、ロシア・フリーメイソンの継続者である「モスカウアー・ツァイトゥング」の元編集長であった。

 

 この2つの流れの間には、ミンネとマイスタージンガーの兄弟団(その学院には、見習い、歌手または詩人、フリージンガーまたはマイスタージンガーの3つの位階があり、「監視者メルカー」は全権委任の試験官として所属していた)によっても同様のつながりがあった。そこでは、「自立した宗教的確信の堅固なシステムが生き生きとしていた。」マイスタージンガーミンストレルは「人間とその最高の利益を促進するための秘密の保護者」であり、「彼らの目に見えない学院は深い秘密のうちに会合していた」(参照:団員シュスター) "イルミナティ "、 "光明者 "の同胞団も同様でありえた。そこには例えば、ワイマールのフリーメイソン公爵カルル・アウグスト、ゲーテ、ヘルダー、スイスの学者ペスタロッチ、イエズス会大司教Karl Theodor Anton Maria Da1berg、Freiherr von Kniggeが所属していた。イエズス会の信徒でフランス啓蒙思想の研究者であった、教授でゴータ宮廷顧問のインゲルシュタットのアダム・ヴァイスハウプト3)-彼は1777年以来、ミュンヘンで、厳格な規律のメイソンロッジ「カール・テオドールの良き助言」のメンバーであった-の基礎も同様である。一般に、イルミナティ団のすべてのアレオパギットや部門責任者は、フリーメイソンの3つの第一階級の保持者でもあることになっており、イルミナティ団は、いわばフリーメイソンのより高いレベルを示したいと考えていた。(1785年3月2日、バイエルン選帝侯は「イルミナティ」の政治的活動疑惑のために、「イルミナティ」のさらなる存在を禁止したが、1880年に数人のメイソンマスターの指導の下で復活し、国際的に広まった。

 

 3)現代の政治的スパルタ主義運動に関して、団員ヴァイスハウプトが総帥として、「政治的スパルタ主義」運動に参加したことを知ることは、興味深いことである。ヴァイスハウプトは、イルミナティの総帥として、自らを「スパルタクス」と名づけた。彼は、トラキア奴隷解放スパルタクスに似せたかったのであり、紀元前7世紀のスパルタクスのように、イタリアのプロレタリアのように、「奴隷となった魂」に革命を起こしたかったのである。

 

 しかし、この2つの並行する流れを本当に理解するためには、さらに遡る必要がある。ビザンツ皇帝ゼノン(474-491)とアナスタシウス1世(491-518、ゼノンの未亡人の後の夫)のもとで、キリストの神性をめぐる宗教的な戦いがすでに起きており、皇帝ユスティヌス1世(518-527、アナスタシウスの後継者、元貧農の若者)が「聖職者の寵愛によって王位を維持していた」とすれば、今度は、ユスティニアヌス1世【上述のユスティヌス1世の養子】 (527-565年、コンスタンチノープルの聖ソフィア教会[ギリシア十字架の形をした「アヤソフィア」]の創設者であり、同時にヴァンダレン帝国とオストロゴート帝国の破壊者であり、ユスティニアヌス法制の創始者でもある)は、アリストテレス的知識を含む自由な精神の潮流を彼の帝国から追放した。この自由な精神の潮流は、やがて思弁的な流れへとつながり、今度はツァラトゥストラの祖国、ペルシアへ逃れた1)。現代の思弁的で人文主義的なフリーメイソンもまた、アラビア(十字軍の文化的歴史的帰結も到達した)、スペイン、イスラムを経て、オランダで花開いたスピノザ哲学を経由して、前述の、更に広い道を通り、この流れに流れ込んだ。しかし、純粋なフリーメイソンの真の意味と性格は、決して一方的な抽象的思索にあるのではない。

 

1) 自由精神的な潮流は、その偉大で「決して軽んじられることのない」思想のいくつかにおいて、オルムズド(あるいはアフラ・マズダオ、世界の創造者にして救済者)とアングラ・マイユ(あるいはアーーリマン、蛇の悪魔)の対立を教えた「14のザラトゥストラのうちの最初の者」の叡智にも遡る。

  「オルムズドの教義は、その豊かな思想内容によってギリシアの思想家たちの好奇心をかき立てた。ピタゴラス、エンペドクレス、デモクリトスプラトンペルシャに渡り、その源流を研究した。アシルス、テオポンポス、プルタークも(ザラトゥストラの)二元論的な信仰の輪を知っていた。・・・

 

 ビザンティウムではすでに攻撃されていたこの自由な精神の運動と並行して、神権的・教会的な潮流は、機知に富んだ弁舌家で学者であり、ある種の科学的・芸術的な試みを推進したアグスティス帝(ガイウス・ユリウス・カエサル・オク=タヴィアヌス、紀元14年)の治世にまで遡ることができる。神権的衝動のローマの第二の担い手は教皇グレゴリウス1世で、彼はローマ・フランクの階層を優遇し、ラテン語の賛美歌を導入し、その見返りにドイツ語の賛美歌を禁止した。また、"スカルデンタム"(今日でもドルイド教団がそれを思い出させる叙任式2)の廃止に努め、キリスト教以前の時代から残っていた古い慣習を、彼特有の教会概念の教義的性格に対応するように作り変えた。

 この神権主義的な原理もまた、現代に至るまでますます受け継がれ、思弁的・人文主義的なフリーメイソンのサークルの中で最も多様な人物達は、私たち自身の認識から確認することができたように、しばしば最も激しく敵対したにもかかわらず、いまだにこの原理と結びついているのである。

 しかしながら、これらすべてにおいて、古代においては、「メイソンは後になったようなものではなかった」と断言することができる。それは政治的な組織でも、(一方的で教条的な)キリスト教組織でもなく、真の秘密組織だった。それは、良心の自由という計り知れない善を得ようと熱心に努力するすべての人々に兄弟愛のきずなへの参入を認めていた。(『ベールを脱いだイシス』)。しかし、世の中のあらゆるものと同じように、メイソンリーは、結局退堕落していった。- このことは、今日の協商諸国【訳注1】と地方長官の統治国のフリーメイソンに特に当てはまる。追随者たちは、高貴な "先祖 "の精神を尊重する方法を知らない。一例を挙げれば、「団員グランド・マスター、アドリアーノ・レンミ【訳注2】は、イタリアで、その地の「グランド・オリエント」とイタリアの「最高コンセイユ」を率いた。それは、「友愛の交わり」の中で、ベルギー、イギリス、フランス、デンマークギリシア、オランダ、ノルウェーポルトガルスウェーデン、スペイン、エジプト、ホルランド、ノルウェー、フォートゥガル、スウェーデン、スペイン、 エジプト、北米合衆国、南米諸国、オセアニア諸国、そしてドイツ自身の周りを、メイソン連合の鎖で包囲した。ゆえにそのころには、後の協商同盟関係は、純粋に政治的なものとなっていた。そのため、1889年には早くもイタリアの代議士団員ジョヴァンニ・ボーヴ は、ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟に関し、自由主義者の基本政策を示したロッジの演説の中で、次のように語った。

 

 「われわれは、われわれの文明化の任務を果たさずに、われわれを出し抜くような国家と同盟を結ぶことはできない。」

 

【訳注1】協商国とは、第一次世界大戦中に、イギリス、フランス、ロシアを中心とする連合国。

【訳注2】アドリアーノ・レンミ(Adriano Lemmi、1822年4月30日 - 1906年5月23日)は、イタリアの銀行家。イタリアのグランド・オリエントのグランド・マスターとなりマッツィーニを支援した。

 

  1881年5月15日、グランド・マスター、レンミは、タリア人の団員であるボヴィオヴェルターニ、カステッラーニ、マリオ、サフィらとともに、イタリア民主党を代表してフランスのメイソン、ヴィクトル・ユーゴーに書簡を送ったが、その中で、前述の人々が、チュニスにおけるビスマルクの政策と独仏協調政策に抗議している。

  1. P.ブラヴァツキーは、『ベーメを脱いだイシス』の第2巻で、オカルト・リベラルとカトリック界における不和の原因について、貴重な情報を提供している。時代の流れの中で、古い根源的な知識から、「原初の叡智」から、多かれ少なかれ逸脱してきたさまざまなオカルト潮流と並んで、依然として真に、人間が存在の神聖な秘密に立ち入ることができる限りにおいて、依然として真に「秘儀参入」した、限りなく限られたサークルが存在する。神智学者やスピリチュアリストもまた、彼らの大半が同胞団体に属しているわけではなくても、理念的には「メイソン」に数えられるべきである。そして彼らの多くは、リベラルあるいはカソリックの同胞団に属していなくても、多くに分かれており、低次の、そして高次の、しかし今日では少なからず外部に現われた団体存在として、人間と世界の根底について洞察を持つことが出来るのだ。神智学者が「ラムスキン」や「白いエプロン」やレガリアを身につけるかどうかにかかわらず、すべての神智学者がメイソンである、と言うことが出来る。もちろん、神智学者達も、彼らの個人的発展程度が異なるように、霊的ヒエラルキーに関する知識において互いに異なる。しかし、彼らによって達成される「新しい方向性」のレベルは、彼らの知識と理解に応じたものである。そして彼らは、人生と組織におけるより純粋な目標に向け、今新たに動き出している共通の福祉のための闘いの最前列に実際にいるはずである。もちろん、協商に忠誠を誓う神智学者や神秘主義者がいることも、中央国に忠誠を誓う神智学者や精神主義者がいることも、前者は、イギリス人女性アニー・ベサント(Annie Besant )のメイソンの保護下にあるときには、誠の道を放棄しやすいことも、経験が示している。. . .

 われわれに関しては;そう、われわれは、(文献の調査を通じて)メイソンの協商ロッジがその目標として「ドイツ憎悪の高邁な政治」を好んで選んだこと、そして-オカルト的な知識を持っているにもかかわらず、あるいは、まさにその結果として-彼らがこうしてますます誤った道に行き着いたことを最大の無念とともに確信しなければならなかった。なぜなら、その高位階会員の多くは、まさに彼らに残されていた霊視能力や、秘儀参入により、そしてあるいは自然の遺伝が先祖返り的に働いて獲得したオカルト的実践のために、左の道を歩むことを余儀なくされたからである。しかし、このようにして、これらのロッジとその指導者たち(グランド・マスター、役員、兄弟)は、かつて彼らが持っていた豊かな信頼をすべて失ってしまう。そして彼らが、彼らに降ってきた“神々の黄昏 "の薄明を受けて、転覆と諸国民の誘惑への道を平らにしてきて、また今もしていることを、深い嘆息をもって人は知らねばならない。もちろん、これによって、この協商のメイソンが、普遍的な人間性のために、さらなる、高邁で、良き未来の使命を担っているという信念はすべて消え失せる。

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 以上の文章で、著者カルル・ハイゼ氏は、フリーメイソン関係者自身の資料等をもとにフリーメイソンの歴史をたどりつつ、本来のフリーメイソンは人類の歴史と共に存在する秘教的知識に関連する組織であることを訴えている。フリーメイソンは、「古代においては、後になったようなものではなかった。」「それは政治的な組織でも、(一方的で教条的な)キリスト教組織でもなく、真の秘密組織だった」のである。

 そしてそれを変質させ、自分たちの利益のために世界のメイソン組織を利用したのが、文章の最後の部分で出てきた「協商のメイソン」なのだ。

 

 今、フリーメイソンと言えば、一般的には、謎めいた秘密の組織であり、「陰謀論」論者から見れば、それこそ陰謀の中心にある組織と思われているのではなかろうか。しかし、一方で、公に存在するフリーメイソン組織には、例えば建物の内部も公開し、決して陰謀を図るような組織ではないと訴えるものもある。ホームページを見ても当然陰謀とは無縁で、友愛を旨とする組織だなどと述べられており、「陰謀論」の印象とは異なってくる。

 大多数の人は、「陰謀論」は荒唐無稽だと頭から思っているので、フリーメイソンは多少秘密めいているが、社会的には特に害のない存在だと思っているのではなかろうか。それは、おそらく、実際に-当然、どのようなフリーメイソンかによるが-それに属している多くの人も同じである。なぜなら、彼らにその真の姿は教えられていないからである。

 実際に多くのフリーメイソンは無害だろう。だが、それは一種のカモフラージュなのではなかろうか。

 シュタイナーやハイゼ氏の主張を信じるなら、現在の一部の(しかし、影響力を持っていると想定される)フリーメイソン団員の真の姿はそのようなものではないと思われるからである。

 フリーメイソンは神秘的な秘密めいた儀式を行なうとされる。本来それらは、実際に秘教的な意味があるのだが、その意味を実際に知る者は限られる。それをよく知る者ほど階位が上になるのだ。これらを全て把握している者もおそらくいるだろう。その様な者は、表には出ず、組織の奥の見えないところにいて指示をしているのかもしれない。

 しかし、彼らが、人類の発展や幸福のために活動しているとは限らない。霊的知識を独占し、自分及びそのグループの利益(それには人類の霊的進化を阻止するということもある)のために利用している可能性がある。その様な者達が左手のブラザーフッドを構成し、いわばフリーメイソンを利用しているのである。

 

 シュタイナーの時代には、既にフリーメイソンは変質し実際に世界の裏側で策謀を巡らせていたのだが、フリーメイソン自体は影に隠れて、表で働く別の、例えば社会変革や革命を標榜する団体を利用していた。この構造は、現在にも引き継がれているのだろうか?

 私には、WEFなどはその様な組織に見えてしょうがない。この組織は、未来志向で、進歩的なイメージを振りまいているが、それは果たして人類全体の福祉のためなのだろうか?

 

 次回以降は、フリーメイソンの変質の歴史がさらに詳しく語られていくことになるだろう。