k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

意識には脳が必要か? ①

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 一般常識(科学的にも)では、意識は肉体(特に脳)と結びつけられている。臓器移植では、「脳死」が、人の死とされている。脳が機能しなくなれば、意識も失われるからである。

  しかし、秘教の教えでは、人間の意識(魂・霊)は、肉体を離れても存在しているとされる。シュタイナーは、人は、肉体の他に、エーテル体、アストラル体、自我(あるいは肉体、魂、霊)により構成されているとする。そして、意識(魂)が肉体を離れるというのは、実は、人が日常的に経験していることである。つまり、睡眠である。睡眠とは、アストラル体と自我が、肉体を離れている状態なのである。ちなみに、死とは、肉体から更にエーテル体も離れた状態である。

 まれなケースとしては、臨死体験において、死から蘇った人が、自分の体を「外側」から見ていたというようなことが報告されており、意識の独立性が示唆されている。

 更に驚くべきケースがある。どうも脳(少なくてもその一部)がなくても、人は普通の生活を送れるようなのである。脳の大半が失われているにもかかわらず、何の問題もなく日常生活を送っている人が存在するのだ。つまり意識が、脳に依存していないということをまさに示しているのである。

脳がなくても生きられる?

 最近では、2007年のフランスの事例がある。それは、44歳の男性で、公務員として勤務する2児の父親でもあった。

 ある日、左足に軽い痛みを感じた男性が、地元の病院で受診し、精密検査のためにレントゲン撮影を受けたところ、男性の頭の中はほとんどカラッポであることが判明した。頭蓋骨の中は空洞になっており、僅かな脳が頭蓋骨の内側に張り付くようにして残っていたのである。その後、この男性は詳しく診断され、科学誌「The Lancet」で詳細が報告されたのだが、それによると、この男性の脳は少なくとも50~75%が失われていたのである。

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脳内が空洞の人のレントゲン写真

 調査したマルセイユにある東地中海大学のイオネル・フュエ博士によると、運動や感覚、言語能力、視覚、聴覚、感情、認知という人間活動の重要な機能を担う、前頭葉から側頭葉、後頭葉が左右共に全体的に失われていた。

 人間活動の重要な機能を担う脳の部分がことごとく欠損しているにもかかわらず、これまで男性は公務員としてフルタイムで働き肉体的、知的に何の支障もなく生活し子どもの父親にもなっている。男性に知能テストを行なったところIQは75と一般より低かったが、社会生活を送るには何の問題もなかったのだ。

 さて、この男性の脳の萎縮については、生後6カ月に診断された産後水頭症が関わっていることが考えられた。

 水頭症とは脳内の髄液が通常よりも多く生産されてしまい脳室内にたまってしまう症状で、このため男性は乳幼児期に、脳にたまった髄液を腹部へと排出できるようにシャント(shunt)と呼ばれる管を埋め込む手術(シャント手術)を受けていたのだ。しかしその後、成長と共に管の長さが足りなくなったためか、それとも水頭症の症状が改善したと判断されたためなのか、14歳の時点で埋め込まれたシャントが除去されていた。

 しかしこの後、やはり少量ながらも髄液が脳にたまるようになったようで、以来30年間かけて溜まった髄液が濃縮されて頭蓋骨の中で脳細胞を浸食していき、44歳になった時点で、頭骸骨の内側に貼りつく脳組織を残すだけになったと考えられるようである。

 男性の左足の不調は、これが原因であることが分かり、この後再び行なわれたシャント手術によって左足の痛みは緩和したという。

 なお、この事例については、脳が持つ可塑性(plasticity)により説明されているようである。脳梗塞で脳の一部を損傷しても、身体の機能が復活することがあるように、脳のそれぞれの部分は、失われた部分の機能を補完する機能を獲得することができるのである。

 だが、この男性の場合、脳の大部分が存在していないのであり、可塑性のみで説明できるのだろうか?

 さて、もし脳がなくても生存できる、意識を保持できるとすれば、それはなぜであろうか? 人において、実際に意識をもたらしているのは脳細胞自体ではないことを示しているのだろうか?(意識が肉体から独立して存在しているとしても、人が日常生活を送るには意識と体を結びつけるものが必要とされると思われるが)

 

 これからは、私の推論であるが、意識と深く関わっているのは、頭蓋骨や脳細胞内の液体(水)、髄液ではなかろうか。上の男性においても、脳細胞はほとんど存在していなかったが、代わりに脳の部位を髄液が満たしていた。本来、脳は頭蓋骨のなかで 髄液(脳水)に浮いている状態で存在しており、髄液は脳内にも入り込んでいる。それと人の意識に関係があるのではなかろうか。

 ここでこれを示唆する事実について触れたい。

 

 全身麻酔の作用機序が実はわかっていない

 麻酔には局所麻酔と全身麻酔があるが、実は全身麻酔薬(吸入麻酔薬)がどのように意識を消失させるのか、その作用機序は未だによくわかっていないとされる。全身麻酔は、160年程前、米国で「笑気」による麻酔効果が偶然発見されたことにより始まったようで、初めからその仕組みがわかっていたのではない。その作用機序については、中枢神経系の神経伝達に絡むものであろうと推測され、現在提唱されている仮説は大きく膜脂質説と膜タンパク質説に分けられるが、どうも関係する物質が多すぎて、未だ完全な回答はないという。

 この問題について、ノーベル賞受賞者であるライナス・ポーリング博士が1つの仮説を提唱している。それは、「水和性微細クリスタル説」・「水性相理論」と言われるものである。

 ポーリング博士は、麻酔効果のあるキセノンを研究した。キセノンは不活性であるから、ほとんど化学反応を起こさないが、水分子をクラスター化する。水分子と水分子とがお互いくっつきやすい状態を作り、水分子のクラスターが結晶水和物をつくるのである。それが、脳内で電気振動のエネルギーを減少させ、意識が失われると考えられるようなのである。(但し、この結論の部分の説明は、実は、調べても詳しく書かれた資料が見つからず、多少推測が入っている。)

 そして、これをヒントに、脳の中の水分子の振る舞いが脳内の熱伝達を通して脳の活性/不活性に、つまり意識の発生及び消失に関わっているのではないか?と考えた方がいる。ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴画像)の世界的研究者で、新潟大学の統合脳研究センターのセンター長をしておられた中田力教授(故人)である

 中田教授は、ポーリング博士の研究に触発され、脳内の水分子の振る舞いこそが意識の根源に関わっているという学説を提唱されたのである。

 中田教授は、この考えのもとに『脳の中の水分子』(紀伊国屋書店刊)を出版されており、私も読んでみたのだが、これがまた難解で、正直言って十分に理解するには至っていない。ごく簡単に結論をまとめると、「熱放射が作り上げる大脳皮質全体の等価ノイズ。これが意識の根源である」ということらしいのだが・・・

 この本には書かれていないのだが、意識の消失の関係については、次のように考えられるのではなかろうか。「水分子がクラスター化、結晶化するということは、水が自由を失うと言うことであろう。水が、意識と肉体を媒介しているとすれば、それにより、その役割が失われる」と。

 以上の中田教授の話には、髄液は直接出てこないが、水が重要なファクターとなっている。

 中田教授は、次のようにも語っている。

 「人間は水中ではなく大気中で生活している。したがって、どうしても、大気中での環境を基準としてすべてを考えてしまう。しかし、生命を支えるさまざまな現象は、水中で起こっている。生命現象の基本となる法則は、水が存在する環境空間での法則に従うのである。水は、本当に生命の源なのである。」

 多くの人も、生命現象の根源は水であるということには納得がいくだろう。高次の生命現象の発露である意識についても水が関わっていることは、十分に想定されるのではなかろうか?

 水は、どこにでもあるが、実は、特別な存在である。そのことがここでもわかるような気がするのである。

 

 意識が脳とは別に存在することについては、人智学派の方の本がいくつか出されているので、この問題については、後日、更に述べていきたい。