k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

ルシファーの受肉

シュタイナーによるルシファー像

 これまで何度か、アーリマンの紀元3000年紀における受肉について触れてきた。アーリマンとは、シュタイナーの説く、いわゆる悪魔の一種である。
 悪魔には種類があり、アーリマンと並び、あるいはその対極にいるのがルシファー(ルチファー)である。 

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 シュタイナーによれば、アーリマンが人間の肉体を持って地上に受肉するといわれているように(それは既に起こっているのかもしれない)、ルシファーも一度地上に受肉したという。それは、アーリマンの対極として、中心に位置するキリストの受肉を挟んだ紀元前3000年紀のことで、場所は中国であったという。
 人智学派では、それではこの受肉したルシファーは実際には誰なのかという考察が色々となされてきた。今回紹介する論考はこれに関わるものである。

 著者は、エリック・カニングハムEric Cunningham氏で、この方の『ルシフェリック・ヴァース The Luciferic Verses 老子道徳経と秘教的歴史における中国のルーツ』という本からとった文章である。
 カニングハム氏は、ワシントン州スポケーンのゴンザガ大学の東アジア史の教授で、現代日本史の他、禅仏教やカトリック教学、終末思想等の研究にも取り組んでいるようである。

  以下でも触れられているが、受肉したルシファーとして名があがっているのは、例えば中国の伝説の黄帝である伏羲や黄帝である。世界中の歴史がそうであるように、このような古代になると、伝説と史実が入り交じり、だれが実際に実在したのか、実在したとしてもどのような人物であったのかもわからなくなってしまうのだが、中国の古代史も同様だ。伏羲や黄帝となると半神といえるような人物で、その実在は疑問視されている。
 しかし、そうであっても、全くの無から創り出された想像に過ぎないのではなく、そのような存在を生み出す何らかの元となる出来事なり、人物が存在していたということは考えられるだろう。もともとが人間を越える霊的存在なのだから、そのような伝説的人物の方がふさわしいとも言えるだろう。
 だが、カニングハム氏の考えは、これらとは少し異なっている。この本が、老子とその教えをテーマとしていることから分かるように、ルシファーと老子との関係を説いているのである。

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ルシフェリック・ヴァース

ルシファーの中国における受肉

 

 キリストの前3千年に、アジア東部で、ルシファーが肉体への受肉が実際に起きたことは、重要で重大な事実である。そして、この肉体を持つルシファーの受肉から、―この存在が教師となったことから-キリスト教以前の異教文化として説明されるものが生まれ、初期キリスト教の数世紀のグノーシスにまだ残っているのである。

ルドルフ・シュタイナー「ルシファーとアーリマンの影響」(ベルン、1919年11月4日)              

アトランティス後の中国における黄帝

 ルドルフ・シュタイナーの主張の中でより不可解なのは、堕天使ルシファーが、ユダヤキリスト教神学ではエデンの園に蛇として現れ、紀元前3千年の初め頃に人間として再び地上に転生したことである。彼は人間の教師として、人類に「原初の叡智」*をもたらしたと伝えられている。シュタイナーは、この深遠な出来事の曖昧な詳細を、人間のルシファーはアジアの名門一族に生まれ、神秘の寺院の境内で成長したと語っている。少年時代のルシファーは、寺院の儀式に参加することを許され、アトランティス後の世界では聖職に叙任され聖別された者だけに許されていた神秘に親しむようになった。

 この人物は40歳かそこらで、ただ参加の熱狂に捉えられるだけではなく、それを通して自分で考えることによって神秘の意味を理解することができることに気づいた。それまで霊的な啓示によってしか理解できなかったことが、知性の営みによって理解できるようになったのである。人類が、知性魂の時代に入るのは紀元前747年頃のグレコ・ローマ時代の幕開けからという主張に照らして考えると、秘儀の知的把握が導入されるのは、シュタイナーによれば、まだ「おぼろげで本能的」だった人類の現状からすると、時期尚早だったようである。ルシファーの洞察力によって、秘儀は神官のエリート達が守り伝えるべきものであり、一般の人々には伝えられなかったこの時代に、霊的な神秘の知的な把握が始まったのである。このエリート達とは誰なのだろうか。

 シュタイナーは、アトランティス避難民の移住を扱ったいくつかの講義の中で、アトランティスの廃墟から東のゴビ砂漠に向かったイニシエートの小さなグループが、堕落した文明から秘儀の知恵の一部を維持していたと報告している。これらの避難民の中には、現在の中国や日本の人々の祖先も含まれており、彼らは地球上で最も古い人々の生き残りであるとシュタイナーは主張している。これらから明らかなのは、このルシファーの受肉は、インド、ペルシャ、中東で(順番に)行われていたアトランティス以降の歴史的発展の主流から地理的に離れた、非常に古い神秘の知恵の環境の中で行われたということであろう。シュタイナーが著作の中で繰り返し述べていること、しかしまた最も曖昧な表現にとどまっていることは、このルシファーの受肉は、古代ギリシャに至るまで世界中に広がっていた異教の知恵のインスピレーションをもたらしたことである。この原始の知恵が道教と同一である(そしてルシファーは道教を発明したか、ある種の道士になった)という安易な結論に急ぐ前に、もう少し対応する現象を見てみよう。

 『キリストとマヤ暦』(2009年)第2部の反キリストの出現に関する広範なアントロポゾフィーのエッセイの中で、共著者のロバート・パウエルは、リチャードとリス・チェン・ディケンズが書いた、ルシファーは有名な黄帝として転生したと主張している自費出版原稿『神聖なるソフィアと慈悲の女神(観音)』に言及している。1997年のディケンズの原稿は公開されていないが、ルシファーと黄帝を同一視する論文は、秘教研究者の間で真実として一定の評価を得ているようである。パウエルは、自身の占星術と数学の研究に基づいて、これらのデータはまだ公表されていないが、ディケンズの立場が真実であることを証明している。シュタイナー自身は、アントロポゾフィーの文献で見た限りでは、この主張を具体的にしておらず、またこの問題に関心を持っている人々には、例えば、ルシファーの正体は原始皇帝の伏羲、あるいは黄帝と戦争して最終的に殺された反逆の首長であるチヨウ(蚩尤)であるとしている者もいる。古代中国の曖昧な神話には、半神、トリックスター的霊、準神王が数多く登場する。その特徴がわかるとしても、その中で、どの原初の王や部族の神が最もふさわしいかを推量することはできない。確かに、ルシファーと黄帝の性格や形態が一致することは想像に難くないが、歴史や神話で確認されたものはまだない。

 黄帝は、中国の伝承では四つの面をもつ光の存在として尊ばれ、必ず竜王として描かれている。この人物の、輝きがあり蛇のような性質は、旧約聖書のルシファーと共鳴するものである。しかし、黄帝が実際に変身可能でない限り、ルシファーの受肉である人間と同一視することは難しいようである。中国の伝説では、黄帝は、最も優れた秘儀の教師が、その教師が単なる人間である場合に、可能と思われる以上に超人的な偉業を成し遂げたと信じられている。

* ルシファーが変身可能である可能性は、世界の伝説に登場するルシファー的存在がその能力を発揮していることから、もっともなことである。アステカ族の「羽毛の蛇」ケツルコアトルは、様々な姿をしており、時代の終わりに髭の生えた男の姿で現れ、アステカ族に文明をもたらすとされていた。フランク・ウォーターズ『メキシコ・ミスティーク』参照: 来るべき第六の意識世界。

 

 この偉大な皇帝は、中国人に法律と政治を与え、農業と畜産業を教えたとされている。彼は養蚕、音楽、軍事科学、文字の発明を促進し、中国に初めて人身御供**を持ち込んだかもしれない。中国の文化的民族主義者たちは、彼を漢民族の偉大な祖先とみなしており、第1章で述べたように、評判の良い歴史書でさえ、彼に単なる神話や伝説の王以上の実質的なアイデンティティを付与している。

 司馬遷の『史記』によれば、黄帝青銅器時代の中国における三大文化英雄の一人である。黄帝の在位期間は紀元前2697年から2.597年であり、それが、シュタイナーのルシファーの受肉にふさわしい候補者としており、少なくとも人間ルチファーの同時代人であることは間違いないが、黄帝の名前「Xuān Yuán 軒轅」が中国語で星「レグルス」を指すのに対し、ルシファーは元来「明けの明星(金星)」と結びついている。グレゴリオ暦は、明の時代にイエズス会の宣教師が来るまで使われていなかったし、認識もされていなかったのはいうまでもないことであるが、2697年から2597年までが皇帝の在位年として信頼できると判断したのは、マルティノ・マルティーニ神父(1614-1661)だったことがわかっている。「史記」の黄帝に関する記述は、黄帝が行った様々な供犠や、後継の王が黄帝に対して行った犠牲について繰り返し言及されているが、特に彼の国家運営に焦点を当てたものではない。全体として、黄帝中国文明の優れた多目的アイコンであるように思われるが、私の考えでは、古代世界全体に異教のグノーシスを広める原因となった闇の天使の受肉という肖像には、あまり当てはまらないように思われる。

 

*イタリアの宣教師で、中国の歴史や地理について多くの著作がある。中国の総合的な歴史書『Sinicae Historiae Decas Prima』は、彼の死後、未完に終わったが、1658年に古代世界からイエスの誕生までを描いた第一部が完成した。

 

 流布している黄帝説に対し私が疑問をいだく理由は、『史記』が黄帝の「教え」に繰り返し言及し、その中で黄帝老子と常に結びつけられているという事実である。司馬が示した「黄帝老子の教え」は、漢の皇帝の最高の者が習得したもので、一般に道教の教えと理解されている。

 もしルシファーが本当に中国で人間の姿をしたのなら、その受肉は実は老子自身である、あるいは少なくとも中国の歴史を通じて現れては消え、逆説的な洞察を与え、常識を覆し、正統派の人々の心を惑わす、ある種の聖人の最初の「老子」なのではないかというのが、全くの直観であるが、私の推測である。黄帝と道との結びつきがすべて老子を含むとすれば、黄帝の多義的なアイデンティティは、ある種のアバターとして老子を含むのかもしれない。この結論は、伝統的に伝えられてきた老子の伝説を考えるとき、また、ルシファーが人間の立場から世界を認識した場合、必然的に起こる変化を考慮し、霊としての役割の観点から『老子道徳経』を読むとき、非常に理にかなっていると思う。しかし、この文脈と変遷を最適に理解するためには、議論の余地のある問題に触れる必要がある。それは、ルシファーのあがないという難問である。

 

ルシファーのあがない

 ロバート・パウエルとケヴィン・ダンは、先に紹介した『キリストとマヤ暦』の中で、ルシファーが、自らの意志によって開始され、キリストの血と聖母ソフィアの介在によって実現した贖罪のプロセスに入ったという可能性を支持している。シュタイナーが最初に提唱し、人智学者からローマ・カトリックに転向したヴァレンティン・トンベルクが『キリストとソフィア』(2006年)で詳しく述べたこの議論は、要するに、ルシファーとアーリマンがイエス・キリスト磔刑に立ち会い、悔い改めた泥棒と悔い改めなかった泥棒を通して語ったとしている。

 ルシファーは、無実で公正な神の子が十字架にかけられるのを目撃したとき、イエスではなく自分が十字架にかけられるべきであったという悟りに「貫かれた」のである。人類の堕落を招いたのは自分であり、油注がれた者を苦しめたのも自分であることを知った彼は、悔い改め、イエスが自分の王国に入るときに自分を思い出してくれるようにと願った。イエスが悔い改めた泥棒を楽園に連れて行くと約束したことで、ルシファーの衝動はすべて贖罪と聖化の対象となった。すべてのルシファーの霊(すなわち、まだ世界を欲しがっている悔い改めない手下たち)が「自動的に」贖われるわけではないが、長い間人類の進化を妨げてきたルシファーの意識様式が、今や人類の進化を高めるために「転向」し、聖化できる可能性が存在するのである。シュタイナーが講義のあちこちで示唆しているように、ルシファーの衝動がなければ、ゴルゴダの出来事の真の意味は、その厳しく恐ろしい美しさとともに、秘儀を受けていない人類には理解することさえできないだろう

* シュタイナー、"アーリマンの欺瞞"。

 

 正統派のクリスチャンには、その様な主張は、良くて馬鹿げたものであり、悪ければ非常に危険であろう。もしルシファー(あるいはどんな悪魔でも)が贖罪にふさわしいなら、なぜキリストの贖罪が必要だったのだろうか。この世に悪が存在することによってキリストが歴史的世界に登場したのであれば、悪を罰する必要性がどうして満たされないのだろうか?これは論理的な質問だが、その答えはキリスト教の赦しそのものが持つパラドックス、つまり「つまずき」の中にある。「ルシファーでさえ贖罪できるのであれば、贖罪に、何か力が欠けているということがありうるだろうか?」と、簡単に問いかけることができるのである。これは、アレクサンドリアのオリゲン(184-z53)のような教父の意見の大まかな言葉であり、そしてその後の、すべての魂は、時が来れば、神の慈悲によって、神と和解すると主張するキリスト教の「万人救済論者」の言葉である。ルシファーの贖罪が本物であるとすれば、それは単に過去の罪を許し、忘れることではなく、本当の贖罪であることを忘れてはいけない。ルシファーが救われるためには、ルシファーが悔い改め、その悔い改めを実行し、キリストと聖母への奉仕のため自分の霊力を使うことが必要である。蛇の頭の上に立つ聖母マリアの図像を考えるとき、ルシファーが復讐心のある女性によって退治されているのか、それとも彼女の正当で理にかなった規律に自らの意志で服従しているのかは、大きな違いとなる。

 もし、ルシファーの救済が現実に進行中であり、ルシファーの受肉が「黄帝老子」の教えと密接な関係にあると、さしあたり仮定するならば(仮定するのは難しいが)、老子の物語、道教全体の意味、『老子道徳経』の解釈は根本的に変わってしまうだろう。

 まず、ルシファーの転生であるとする老子アイデンティティに立ち返ろう。老子は中国のどの資料にも偉大な英雄や半神として描かれておらず、シュタイナーはルシファーの転生である人間を強大な支配者として描写していない。伝統的な老子は、シュタイナーがまさに人間のルシファーを表現しているように、地方のエリート一家に生まれた知識人であり、職業は教師であり、皇帝ではない。キリスト教受肉の皮肉には、イエスが、完全に神でありながら、神との同等性を求めず、聖パウロが言うように、奴隷の形をとったことがある。同様に、人間の状態にあるルシファーが、天使の中で最も美しいという神話上の地位よりも、相対的に低い地位を占めるというのは、もっともありそうなことに思える。皮肉な老子儒者を相手にすると不機嫌になる、あまりにも耳が大きい老人は、その肖像にぴったりあてはまる。言い換えれば、ルシファーが火を噴くドラゴンとして古代中国の空をパトロールしようと思えば、霊のままでいられたのである;しかし、ルシファーは、人間になることで、イブとの偽りの約束によって、人間の状態が美しく、華やかで、壮大なものになったのではなく、むしろ退屈で、苛立たしく、絶望的であることを知ることができたと考えることができるのである。老子とルシファーが同一人物であるとすれば、ルシファーの嫌悪感は、次のグレコローマン時代に訪れる可能性のある救済への第一歩として、意味を持ってくるのである。老子が、明らかに人間のあり方について落ち込んでこの世を去ったとき、それは彼一人が責任を負った絶望的な状態であったのである。

 門番の無理強いで作られた知恵の集大成としての『老子道徳経』には、必ずしも懺悔を求めるわけではなく-少なくとも、まだない-、自ら作り出したかもしれない悲しみの重荷をまだ感じながら、疲れた魂の印象がある。老子道徳経の矛盾や謎は、この悲しみの証拠であり、大嘘から大パラドックスへの明確な動きを示している。この2つの違いは、まさに救済の秘密を握っている。ルシファーが主の完全さについてイブに語ったような嘘は、欺き、破滅させる意図と真実との故意の矛盾した言動である。パラドックスとは、明らかな事実の矛盾に光を当て、その問題をより深く考えるよう促すときに起こる明白な真実(部分的に明白であるにせよ)の、反転による曝露である。この誘いは、破滅ではなく、真の知恵へと導くものである。イエス自身、パラドックスを用いた。そして、我々の言語におけるパラドックスの存在そのものが、欺瞞全般の贖罪に向けた最初の通過点なのかもしれない。

 まとめると、これは整然とした結論ではないが、あがないが完全に実現するゴルゴダでの瞬間の前には、老子=ルシファーは、魂を病み、世界を疲弊させているように見える。彼の「道」は美を理解していたが、それは表面的な美であって、クリスチャンの美学では、十字架にかけられた救い主だけに属する完全な美ではない。老子=ルシファーはまた、パラドックスが二つの方向に作用することを理解したのかもしれない。プライドにあふれた彼は、自分の罪を自覚できるようになるずっと前に、自分がその退廃を引き起こした世界への絶望の中で、真実と罪の醜さを悟らねばならなかったのである。

 以上、老子の正体、ルシファーの受肉と贖罪について、私の考えを述べてみたが、いかがであろうか。文書記録によっても、アカシャのアーカイブを歩き回る専門知識によっても、この説を支持することはできないし、私の間違いを証明するような実証があれば歓迎したい。・・・・

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 冒頭に載せたシュタイナーの悪魔論、特にルシファーとアーリマンについてのブログ以下の最後に、ゴルゴタの丘におけるルシファーとキリストの会話について触れているが、実は、それは、上の記事にあるルシファーの「あがない」に関連するエピソードであったのである。

 ゴルゴタの丘には、ルシファーの他に、アーリマンもいたのだが、アーリマンはキリストに許しを請うことはなかった。アーリマンが本格的に活動するのは、ゴルゴタの丘における磔刑の時より後の方であり、そのピークが、地上における受肉だからである。

 なおの本には、アーリマンに関わる記述もあるので、いずれ紹介したい。 

【お知らせ】
 このブログは、週2回の更新を目標としてきましたが、都合により当分の間、週1回にペースダウンしたいと思います。当初、このブログは「二人のイエス」の紹介をメインとして出発しましたが、実は、これをテーマとするデイヴィッド・オーヴァソン氏とヘラ・クラウゼ=ツィンマー氏の2つの本を既に翻訳していたので、これを紹介する形であったため、ブログの更新も容易だと思っていたのですが、その後、ブログで取り上げるテーマが増えていき、最近は、ネット記事を取り上げる他に、新たに原書を読みながらブログ記事を作成するケースも増えてきて、結構時間を要することになってきたからです。仕事ではなく、あくまでも自分の生活上及び健康上で許せる範囲での活動ですので、今は、ブログによる情報発信を継続することを第一に、負担の軽減を図ることとしました。今後については、基本的に木曜を更新日にしたいと思います。
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