k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

ドゥーギン氏の娘が暗殺される その狙いは?

ドゥーギン氏と娘ダーリアさん

 昨日ショッキングなニュースが入ったので(今日、大手マスコミでも報道されているようだ)、これについて紹介したい。
 このブログで、ウクライナ問題の関係で、プーチン大統領に影響を与えているというロシアの思想家アレクサンドル・ドゥーギン氏(60)を紹介したことがある。そのドゥーギン氏の娘ダーリアさん(29)が、20日夜、モスクワ郊外で自動車爆弾で殺害されたというのである。欧米だけでなく、日本を含むアジアでも報道されており、世界的なニュースとなっている。

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 ドゥーギン氏とダーリアさんは文学と音楽の祭典に参加した後、自宅に帰る途中で、当初、ドゥーギン氏は、爆破されたダーリアさんと一緒に同じ車に乗る予定だったが、直前になって別の車に乗ることになったようである。こうした状況からすると、明らかにこれは、ドゥーギン氏を狙ったものであろう。許されない卑劣な行為である。

 実際、上の記事によると「ウクライナ東部ドネツク州の親ロシア派指導者デニス・プシーリン氏は、ウクライナ政権のテロリストがドゥーギン氏を暗殺しようとし、娘を爆死させたと非難している。親ロシア派のSNSには、ウクライナが爆発の原因だと非難する声が多く寄せられ、ロシア国民に「復讐」を呼びかける投稿も相次いでいるという。」
 欧米では、ドゥーギン氏がウクライナ侵攻を背後で導いたと認識されているようで、欧米の報道を見ると、ドゥーギン氏を、「プーチンのブレイン」と呼んでいる。そしてドゥーギン氏を「右翼」、「超国家主義者」さらには「ファシスト」であるともしている。
 確かに、私も、彼は保守的であるとは思うが、ナチスのようなファシストではないとも思っている。そういうなら、今の欧米の指導者の方が、よっぽど独裁的であろう。プーチンに対すると同じように、過剰にドゥーギン氏を悪魔化していると言えるだろう。
 ドゥーギン氏のプーチンに対する影響だが、これには、過大視されているとする意見もあるようだが、世界から注視されていたことは間違いないようだ。ただ、ドゥーギン氏の親ユーラシア主義を、欧米の報道は「ロシアの覇権を拡大する考え」と表現しているようで、いわゆる「ロシアの覇権主義」の悪宣伝に利用されている可能性もあるだろう。

 暗殺の実行者とその理由であるが、これは今の段階ではなんとも言えない。ウクライナやその背後にいる欧米の特殊機関等、あるいはロシア国内の反対派等色々考えられるだろう。しかし、その理由は何であろう?
 爆殺ということは、個人的な反抗とは思われない。実行者は、何らかの専門的な組織であろう。ウクライナ東部ドネツク州の指導者の言うように、ウクライナ関係の組織だろうか。しかし、まさかドゥーギン氏を殺害すれば、ロシアの侵攻が止まるとか、攻撃が弱まるとは思われない。上の記事のように、逆にロシア国民を刺激するだけである。
 欧米の特殊機関なら、むしろロシアの攻撃を更に拡大させ、ウクライナ(実際はアメリカ・NATO)との果てしない消耗戦にロシアを導きたいとい
うことであろうか。

 他方で、ウクライナのサボリージャ原発への攻撃も続いている。日本の報道によると、「ロシアが原発を占拠している」としつつ、「ロシアとウクライナが双方で、相手が攻撃していると主張している」として、どちらが実際に攻撃しているかには触れない。どう考えても、自分が占拠している場所を自分で攻撃するわけがないので、ウクライナの攻撃である可能性の方が高いに決まっている。
 この攻撃は極めて危険である。下手をするとチェルノブイリの二の舞だからである(ロシアはそれをおそれて最初にウクライナ原発を占拠したのである)。ウクライナは、ロシアを撤退させるために、ロシアとぎりぎりのチキンレースをしているのだろうか。あるいは、ロシア支配地域でのウクライナからの独立を巡る住民投票が予定されているので、それを阻止するために、むしろ実際に原発事故を起こそうとしているのだろうか。
 しかし、西ウクライナにも多大な被害が及ぶはずであり、もしそうであれば、それはあまりにも愚かな行為である。実際にその様な判断をするのかと考えると、大きな疑問ではある。だが、ウクライナ政府は英米の言いなりである。事故による放射能汚染は当然他のヨーロッパ諸国にも及ぶが、英米にはそれほどではないだろう。ヨーロッパ諸国は、ロシアへの制裁でむしろ苦境に陥っており、それがまた米英の隠れた狙いではないかという分析もあるので、これも、その延長にあるのだろうか。
 また実は、原発攻撃には別の狙いも指摘されている。ロシアを犯人とするウクライナが、ロシアの攻撃は「ウクライナに対して戦術核を使用するための偽旗の口実を作る」ために行なっていると主張し始めているというのである。

halturnerradioshow.com

 そしてその裏には、NATOが、ヨーロッパ諸国への放射能汚染を理由に、つまり実質的なロシアの攻撃がNTO諸国にあったとして、集団的自衛権を行使し、ロシアと開戦する狙いがあるというのである。
 もし本当なら、極めて危険かつ愚かなことである。しかし、コロナの対応や、ロシアへの制裁により逆に自国民の苦しみを生み出すことを厭わない欧米諸国の為政者達の姿を見るとき、確かに異常ではあるが、それが今日においてはありうる話であると思わせるのだ。

 話を今回の暗殺に戻すと、これにより、ウクライナ問題が一層泥沼化するおそれがあるのだが、原発の問題も含めて考えると、先ず徹底的にロシアを弱体化させ、さらにはヨーロッパ全体の破局をも視野に入れた狙いが、一連の動きの背後にあると考えるべきだろうか。

 シュタイナー流に、表に現われた歴史の背後にある霊的原動力を考えるなら、これが、現在のアングロサクソン主流の文明期の次の文明期を巡る戦いであるとすると、最終的には、アングロサクソン文明が残るなら、他の民族がどうなろうとかまわないと、影のブラザーフッドは考えているのだろうか?
 しかし、西にあるように東にもブラザーフッドは存在するようだ。今回、ドゥーギン氏は、「偶然」によって命を救われた。しかし、これは本当にただの偶然なのだろうか?危機において、何らかのインスピレーションが与えられた結果であることは間違いないだろう。
 舞台の裏では、オカルティスト達の戦いが行なわれているのではなかろうか、とも思うのである。

 

左道のオカルト・ロッジで働く者はどこから来たのか?

 前回、左道のオカルト・ロッジの背後にある霊的存在の話を紹介した。今回は、その配下にいて、実際にそのロッジを支配している者達の話である。これも、前回と同様にエルトムート・ヨハネス・グロッセ氏の『自我のない人々は存在するか?』に基づく。

 この本の表題が示すように、もともとこの本は、人間の自我の問題、そして自我のない人が存在するという問題を扱っており、西洋のオカルト・ロッジの指導者の中には、その様な通常と異なる「人間」がいるというのである。

 ここで人間の成り立ちについて説明しておく。シュタイナーによれば、人間は、肉体の他に目に見えない霊的体をもっている。それはエーテル体、アストラル体であり、これら3つの体と、本来霊的な存在である自我により、人間は構成されているのだ。そして、更に自我の働きにより、新たな霊的構成要素が作られていくのだが、現在は、その内の最下層にある「霊的自我(霊我)」が形成されているという。それが、人間の進化の道である。

 これらの人間の構成要素は、相互に浸透し合っているが、独立したものでもある。そのため、それらが、ある人から抜け出したり、逆に外から新たに入ってくるといことがありうるのである。イエスが宇宙霊・ロゴスであるキリストを受け入れて、イエス・キリストになったように。

 また、人の本来の自我は、その人のカルマを担い、輪廻転生していく主体である。前世の過ち、不足する部分を次の生で補うというのがカルマの働きであり、そのため、それに適した体を自ら形成するのだ(その原基となる体は両親から与えられるが)。

 しかし、このような本来の自我とは異なる存在が入り込んでいる人間が存在するというのである。

 なお、以下の文章で、西(方)・中央・東(方)という言葉が出てくるが、この場合、西とは主にイギリスとアメリカ、東とはロシアなどの東欧とアジア、そして中央とはドイツなどの中欧を指すようである。

 また以下の訳は、要点をまとめたものとなっている。

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西・中央・東の人々の異なる本性と自我のない人々の出現

 

 社会三層 化運動を憎み破壊する意図との関係で、シュタイナーは、自我のない人々について語っている。

 「新時代の霊的、知的な発展にあるもののすべては、個人の人格を促進する傾向がある。西では、西のやり方で、商業的なやり方で、中央では、今や時代遅れになった、国家-政治-軍隊的やり方で、東では、時代遅れで退廃した古い霊性のやり方で。これは、霊界によって進められなければならない。西方と東方では、それは、非常に重要で奇妙な現象の出現によって進められている。通常の再受肉のコースを示していない比較的多くの人が生まれているのである。その概観だけが、地上の生を繰り返す個人的主体であるように見える人々に会うことがあるのである。彼らは、肉体、エーテル体、アストラル体では人間であるが、この個人を利用する存在達がそこに入り込んでいるのである。例えば、西方には、基本的には、真っ直ぐに再受肉した人間ではなく、実際には、人間の形にはもっと後の進化段階で現れるべき、進化の時期尚早なコースを示している存在を担っている人々が多数いる。」

 

 時期尚早で人間ではない、とはどのような意味だろうか。時期尚早な出現とは、世界カルマによって、この種の存在は、進化のもっと後の時代に現れるべきで、今日彼らが活動するのは異常であるということだろうか?また彼らは、アーリマン的存在であり、また自分が人間でないことを知っているのだろうか?

 シュタイナーによれば、それは、アーリマン的存在のようである。

 「これらの存在は、西方の個人の全組織ではなく、メタボリック組織を主に使う。それを通して、物質界に働きかけるのである。これにより、大きな影響を持つアングロサクソンの秘密結社のメンバーは、そのような早熟な存在を担っているのである。あるセクトの指導者達、特に、西方に多くの支持者を持っている世界中に広がっているセクトの大多数は、そのような人間からなっている。従って、今日の人類には、全く種類の違う霊性が働いているのだ。」

 これらの存在は、人間の体を、正常な進化から逸脱するあるものをなすために用いている。これらのグループは、非人間の目的をなす目的を持った、非人間種の存在に支配されているのである

 シュタイナーによれば、西方には、人間の体を利用している3種類の存在がいる。

 「最初の種類は、地球のエレメンタル的力に引きつけられる霊達である。彼らは、地球の気候と他の自然条件に応じて、特定の場所でどのように植民できるかについて、あるいは、そこでどのように交易を結べるかについて知覚することができる。」

 第2の種類は、特に律動[心肺]組織で働く。シュタイナーは、はっきりこれを述べていないが、文脈から理解できる。彼らは、他の人々の意識魂を抑圧し、これらの人々が、彼らの行動の真の動機を気づかないようする、一種の中毒的無視をもたらしている。これは、浅薄さ、空虚な紋切り型の言葉、そして不正直へと導く。

 第3の種類は、人の神経組織に入り込みそれを利用する。それらは、個々人が、霊界から、また前世から持ってきた個別の能力を忘れさせる。その能力は、それにより、その人の民族や国家性のステレオタイプなありきたりなものになってしまう。それらは、人が個別の霊性に至るのを妨げることをその使命としている。

 それらの本性のため、これら3つのグループが他の人に及ぼす効果により、勧誘されていく信奉者や弟子は、伝染病的に増えていく。

 彼らは何をしようとしているのだろうか?

 「彼らの目的は、全生命を、単なる経済的生命のままにし、知性と霊的的生命である他の部分を次第に絶滅させ、最も活動的なところで、しかしピューリタニズムの抽象性へと縮こまっているところで、霊的生命を根絶やしにし、次第に政治と国家の生命を衰弱させ、経済的生命によりすべてを飲み込むことである。彼らは、社会三層化運動の真の敵、対抗者である。

 霊的歴史的視点では、西方は、経済生命を発展させる、経済の重要性を把握する思考様式を発展させ、その知識を実践に向けることという使命を持っている。

 シュタイナーが経済的思考様式と言うのは、それにより意識魂が発展できるものという意味である。それが発展するのは、人が日常生活から学ぶよう自分を訓練することによってである。それにより、我々は、過剰となりやすい意志の本性の傾向にバランスをもたらすことができる、日常生活の事実への客観的な基本的態度を確立するのだ。その思考様式には、意志の力の発展、強化も結びついている。起業家であると言うことは、計画を理解し、その過程に状況を適合させる能力があるということである。意志の力は、このようにして発展できる自我の力でもある。今述べている自我のない人々は、強い影響力を持った自我パワーをもっているが、しかし人間ではないのである。それは、これらの人々が事実から学ぶことができないということに見ることができる。彼らは、指針に堅くこだわり、プログラムやイデオロギーを実現したいのである。彼らには、意識魂の発展はない。社会三層化運動で求められる経済生命における友愛的態度に至るには、その様に働く人が、一般生活で求められる以上に強く意識魂を発展させなければならない。その経済活動に、利己的利益を超える考え方を発展させなければならない。それは、西方が今まで発展させてこなかった、深いキリスト教的なものとなるだろう

 逆のことが起きている。西方の市場経済イデオロギーは、世界中に広まり、人々を休みない競争に駆り立てている。結果して、西方の自我のない人々が指導権を握り、彼らのイデオロギーを暗示的力で教養・文化に押しつけている。現代のリーダー達は、あまり学ぶ意欲がない。そしてそれは、霊的なそして新しい方向性が固められる前に、巨大な、特に経済的なカタストロフィを引き寄せるだろう

2008年のリーマン・ブラザーズの世界的経済破綻は、我々を待つカタストロフィの穏やか前兆にすぎないのかもしれない。

 同じ講演で、シュタイナーは、東方に目を向けている。「東方はかつて卓越した霊的生をもっていた。人智学で求められている、あるいは新しい形を取ろうとするもの以外、基本的に東方の伝統である。しかしこの生得のものは、東方の人にとって障害でもある。それは、本来の霊的高みになく、退廃しているからである。その効果により、東方の人々は、容易に、霊媒的状態に陥り、東方の存在は、人々が睡眠中に人々に影響を与えることができる。東方の人々-アジア人とロシア人-は、体によりゆるく入り込んでいることから、容易に霊感を受け取る。これらは、西方と異なり、人間の体に受肉せずに、夢の中で影響を与える存在から発する。社会三層化運動に対抗するのは、また3つのグループの霊である。

  第1のタイプは、人々が自分の肉内に浸透し、完全に所有するのを妨げる。これにより、人は、経済的生命あるいは周りの公的生活で起きていることに結びつくことができない。これらの霊は、東方で、経済生活が良く機能し、組織化されるのを妨げるのだ。

 第2の種類は、人々が、「非利己的利己主義」を発展させるように働く。これらの人々は、「完全に良くありたいと思う。誰でもなり得る限り良くありたいと。これもまた、利己的な感情である。これは、パラドックスであるが、イメージされた無私により造り出された利己主義である。」次の生で快適な生をおくれるように、良くありたいと思うなら、それは二重の利己主義である。次の生で褒美を受けるために、倫理的であろうとするのだ。この態度は、法律と権利の領域を破壊する。

 なぜなら、法がどのように機能するかを霊的観点から見る者は、様々な能力、環境にある人々は、法の前では、平等に扱われなければならない-そうでなければ、正義は精義でなくなるから-ことを受け入れているからである。

「非利己的利己主義」の自己像は、自分一人の切り離された存在を彼は求めているので、霊的な法の前には存在しえない。

 第3の種類によって、霊的生命は、曖昧な神秘的雰囲気により窒息させられる。うだるような熱を持った神秘主義は、主に東方でなじみのものであり、詩人に良く書かれている。

 東方の霊は、以前の時代に完成の段階を通ったが、今日後退的になっている、「発展を止められた霊」と言われる。彼らは、ルチファー的存在である。

シュタイナーは、この西方と東方の霊を、社会三層化運動との関連で述べている。彼は、超感覚的レベルからくる、社会三層化運動に対する敵意に注意を向けている。我々のテーマの観点では、現代の人類の状況を診断するのに、自我のない人々が特別な役割をはたしているので、彼の語っていることは鍵となる。

 中央の人々は、西方と東方両方の存在の化身(受肉)により、危険にさらされている。彼らは、目覚めているときは、西方の霊の、眠っているときは東方の霊の影響を受けている。しかし、彼らはその影響にあまり敏感ではない。

今や、問題は、自我のない人はどのようにして認識されるかと言うことである。

 一つの例は、ヒットラーである。彼は、周囲に対する暗示的影響をもっており、ドイツの人々に心理的エピデミックを引き起こした。

 エリザ・フォン・モルトケ(1859-1932)の、シュタイナーとの次のような体験が記録されている。

 「他の時、シュタイナーとモルトケは、街路を一緒に歩いているとき、誰かが運転しているのを見た。すると、シュタイナーは、次のように語ったという。「あの人は、この生を完成するのに十分な自我の力を持っていない。まして次の生に対しても。」その見解により、現代における、自我の消滅のようなことが存在することが示されている。

 自我のない人々は、何よりも運命の動機をもっていないことで、区別される。彼らは、カルマのない異邦人であるが、その異質性は、彼らは周りにすぐ適合するので、すぐには明らかにならない。

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 上で、西のロッジのメンバー等に入り込んでいるのは、「人間の形にはもっと後の進化段階で現れるべき、進化の時期尚早なコースを示している存在」とあるが、これがどのような存在であるのかは、よくわからない。

 シュタイナーによれば、天使達も以前は、人間の段階を経ているというので、本来は、我々が人間である今の時代の次の進化の時代に、人間段階を経る(人間より下位に位置する)存在ということなのか、あるいは、あくまでも今の人間と同じ存在であるが、本来は、もっと後に、地上に受肉するように予定されている存在ということなのかいろいろ考えられる。

 これについて、ロシアの人智学者G.Aボンダレフの『善と悪の間の人智学のインパルスに関連する記述があった。やはりシュタイナーの講演を引用し次のように述べている。

「これらの存在は、『不規則的な仕方で人間の体を用いるように、進んできてしまった。それらは、自分たちの再受肉の段階に至っておらず、現在の人間よりも、本来、後の発展段階で出現すべきであった。従って、それらは、人間より進んでいるが、現代の真のインパルスである、社会有機体の3層化のインパルスに対抗するために、ある関心のもとに、人間に受肉したのである。』 
 彼らは従って、骨の髄までアーリマン的である。結果、彼らは、非常に知的であるが、同時に、アーリマン存在の意思に貫かれている。少なくないその様な人間が、社会生活の多くの領域で影響力を行使している、アングロサクソンの秘密結社の中で指導的な地位を占めている。」
 このような文章からすると、通常の進化のコースを歩まない存在がいるようで、この場合、「時期尚早」とは、「人間より進んでいる」ので、本来は現在の人間の体に受肉すべきものではなく、もっと後に受肉すべきであったということらしい。つまり、本来の人間を超えて進化しているということであると思われる。そのような存在(これも「人間」と言えるかどうかはわからないが)にとって、現在の人間の体は実際には適していないので、「不規則な仕方で人間の体を用いる」ことになってしまうのであろう。

 しかし、それらは、いずれにしてもアーリマン的存在であり、人類の本来の進化を妨げる働きをしているようである。

 もしその様な存在であるなら、彼らは、現在の人間をどのように感じているのだろうか。むしろ、その人間の方が自分とは異質なものであり、人間にとっての動物や虫けらのように感じており、そもそも、その進化を妨害するためにやってきたのであるから、自分にとって無価値なものと思っているだろう。。

 その様な存在であれば、戦争を起こしたり、疫病をはやらしたり、またそれに対して実際には危険なワクチンを使って多くの人間を殺したりすることに、彼らは、躊躇を感じないのではなかろうか。

 私は、今世界中で進んでいることが意図的であるとすれば、そこに人間性のかけらも見られない(あるのは悪意のみとも言えよう)ことを不思議に思っていた。つまり、人間が同じ人間に対してやれることではないと感じていたのだが、その理由は、上のことにあるのだろうか?
 シュタイナーによれば、同じ人間の形をしていても、その中身が異なる「人間」がいるということであるが、この問題は、非常にセンシティブな問題でもある。世の中には、「レプティリアン」なる言葉もあるが、実は、シュタイナーは、このような話は、人智学系のキリスト者共同体の牧師メンバ-にのみ語っていたとも言われている。センセーショナルに語る話ではないのである。
 ただ、霊学を学び、人類の本来の進化の道を求める場合、避けては通れない話かもしれない。

オカルト・ロッジと儀式魔術、その背後にいる者


 シュタイナーの歴史観は、表で起きていることは、その背後の霊的事象の徴候にすぎず、その霊的事象を認識することが重要であるということである。人類の歴史の基本的な流れとは、人類は霊的に進化していくということであり、これを推進するのが、霊的ヒエラルキー(天使)達であり、またこれに対抗する勢力が存在する。これらの勢力間の相互作用の中で、歴史上の出来事が生じているのである。
 霊的進化に対抗する勢力には、霊界のものと、地上界のものがある。当然、両者はつながっている。地上界の代表は、左道のオカルト結社である。そうした結社も色々あるのだろうが、その一般メンバーの多くは、実際には、その結社の本当の目的を知らず、結社の指導者に利用されているようである。

 これまで掲載した記事の中で、左道のオカルト結社(影のブラザーフッド)では、人を操作するために、実際に魔術的なことも行なわれているということも触れられていたが、今回は、これに関する記事である。
 これまで何度か掲載したことのある、人智学者のエルトムート・ヨハネス・グロッセ氏の『自我のない人々は存在するか?』から、関連する部分について、その要約を以下に載せる。

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儀式魔術-オカルト・ロッジのテクニック

 人智学によって、人々を霊的自由に導くことができる文明への完全な革新が可能となった。科学、芸術、宗教において、感覚世界から超感覚的世界へと架かる橋が構築できるようになったのである。これは、内面の自由による独立した霊的成長を人に許さない勢力と必然的に対立するものである

 霊へと至ること、物質主義の克服、霊的自由に基づく文化を妨げるロッジやセクトが存在する。この点で、東西の多くの様々な秘密結社が一致している。指導的役割を発揮しているのは、アングロサクソンのオカルト・ロッジである。彼等の目的は、アメリカニズムの世界帝国を築くことである

  場面の背後で働き、霊的障害をもたらす、問題のあるオカルト・パワーに注意を向ける必要がある。問題は、日常の意識で、国家のリーダーがオカルト・ロッジの計画に気づいているかいないかと言うことである。

 シュタイナーは、このようなことに政治家はほとんど気づいていない、と語っている。「ノースクリフ、あるいはロイド・ジョージですら、これのイニシエーションを受けているか、どの位階にいるかなどと問う必要はない。重要なのは、彼らが、これらの力の関心の中で活動できるかどうかである。彼らは、これらの力の傾向を本能に吸収しさえすれば良いのである。それは可能であり、起きている。」(ルドルフ・シュタイナー、以下同じ)

 ロッジは、どのようなテクニックを用いるのだろうか?

 シュタイナーは、次のように語っている。「彼らは、ある意味、唯物主義を過物質化しようとしている。彼らは、人類の進化の中で自然に生じる以上に、世界に唯物主義を生み出したいのである。」

 それは、儀式魔術を使って行なわれる

 「儀式魔術では、実際に、人々の肉体器官に影響を与える。儀式魔術のある働きにより生じた霊的要素が神経組織、脊髄組織に作用することができるのだ。」人々が、その様な儀式が行なわれる集会に参加すると・・・

 他の霊より、死者が、そのようなサークルに参加している者に影響を及ぼす可能性が生まれる。しかし、それによって、我々の時代の唯物主義は、過度に物質化されうる。世界観だけでなく、感情、感受性のすべてが唯物主義的性向をもっている人が、西洋(西方)には非常に多い。彼らの物質的性向は非常に強く増幅されるのだ。するとその様な人は、生きている時だけでなく死後においても、物質世界に影響を与えたいという衝動を強く抱く。死んだ時に、地上に残してきたあるいは自分のために訓練した、生きている人にそこから影響を及ぼせる場所を欲するのである。死後に物質的支配を保証するための道具が、ある種の儀式魔術の場所なのである。

 

 死者の権力衝動により強められた者は、政治の場で働いており、そのスピーチ、言論において、暗示的なパワーを持っており、彼らの意志や目的が、彼らの同時代人の意識下に吸収されてしまうのだ

 このように「スーパー物質主義」に入り込んだ者は、アーリマン的不死を求める。それは、霊界にではなく、物質世界にである。彼らにとって、「彼らが加わった結社は、本来は物質的な死までのみ生きるべき彼らの力が、死後も生き続けることを保証するものである。今日、霊的に見て、オカルト的に見て、アーリマン的不死への「保険会社」である結社が存在する。」

 「このようなことを知っているのは常に少数のメンバーである。このような結社は、決まって、儀式魔術が、知識のない人々に特に影響をもつように、組織されているからである。このような人は多い。それを望むのは、実際最悪の人々ではない。少数のグループが、儀式魔術に入ってきた他の人々を道具として用いるのである。

 

 低位の位階に隠された目的を持っている高位の位階を持つオカルト・ロッジ結社には注意をしなければならない。

 秘密結社のリーダーは、オカルト的な方法で、死んだ彼らの先達の霊的力を活用しようとする。彼らは、死の世界から地上に働きかけ続けようとしており、物質的な不死を得るのである。儀式に参加する、生きている者の無意識の魂領域がこのようにして影響を受けるのである。しかしそれにより、そのメンバーは、特別な霊的存在から来る更なるオカルト的影響に自らを開くこととなる。すべての人は、天使と、肯定的、援助的関係をもっている。しかしエジプト・カルデア時代以来、逸脱(停滞)して、アーリマン的になった天使がいる。この天使にも、儀式の参加者は結びつくのだ

 「この退行した天使は、このようなオカルト結社で大きな役割を果たしている。それらは、援助しまた指揮する霊である。そこでは、エジプト・カルデア時代の要素を現代にもたらそうとしている。」(訳注)

(訳注)シュタイナーの歴史論によると、後アトランティス時代は7つの文明期に分か れており、現在は第5の文明期である。それは、第4のギリシア・ローマ文明期を全体の折り返し点として、第3のエジプト・カルデア文明期と鏡像のような関係にある、という。エジプト・カルデア時代の要素を現代にもたらそうとする霊にとって、現代は都合が良い文明期なのである。

 

 これにより、ロッジは強力な魔術的力を持つ。それは、真実でないものに真実のスタンプを与える能力に何よりも現れている

 「そのように、真実でないものをそれが真実のように世界に広げるのは、実際、重要な魔術的操作である。この非真実の働きには、悪の巨大な力が存在するからである。」

 

 このロッジから放たれるオカルト的力は、自分をこれらのインパルスに心理的に開いている政治家の本能にも作用する。

 ここでドイツ、ドイツ文化・言語への憎しみという問題を考える必要がある。シュタイナーは、イギリスの政治に関連し、儀式魔術に参加していたノースクリフとロイド・ジョージに触れている。

 アルフレッド・ノースクリフ子爵(1865-1922)は、ジャーナリストで新聞業界の大物であるが、第1次大戦以前に、ドイツに対して言論の攻撃を加えていた。彼は、長年、ドイツのすべてに敵対する人間であった。

 ロイド・ジョージ(1863-1945)は、首相になり、1919年のパリの講和会議で、すべての責任をドイツに押しつけることを助けた。

 すべての国は、自己の使命を持ち、民族霊により霊感を与えられている。民族霊は、大天使の位階の霊である。

 ドイツの民族霊の仕事は、魂の体験を観念による理解に翻訳することである。ドイツ人は、魂の中で観念自体を体験する能力を持っているのである。この体験の中で、彼らは、無意識に霊界への敷居を通るのである

 しかし、観念は、把握と伝達に言葉を必要とする。シュタイナーが、人智学に体を与えるために、中欧ヨーロッパの言語という体を必要とした理由がこれである。(訳注)

(訳注)シュタイナーは、各言語には、それぞれ特性があり、ドイツ語は、霊学を表わすのに適しているが、英語は適していないとする。英米の左道オカルト結社には、この英語を世界支配言語にしようとしているものがあるという。

 

 彼は、ドイツの民族霊を未来に無力化する傾向を見ていた。秘密結社は、既に19世紀の末に、この目的の下に働いていた。シュタイナーは、第1次世界は、1888年に起きる可能性があったと述べている。

 シュタイナーがドイツの文化圏に生まれたのは偶然ではない。ドイツ文化が、人類共通の発展に貢献できるのは、人智学を引き継ぐことである。ドイツ語は特にこれに適している。それは、柔軟だが、形成的な強い力を備えている。思考においてこの内容を理解する者は、霊界への敷居をまたぐ思惟へと入っていく。

 ドイツがその様な霊的内容を吸収する能力を持っているなら、なぜヒットラーナチスの支持者となったのかという疑問が浮かぶ。答えは、彼らは、ヒットラーのもつ存在に誘惑されたと言うことである。

 ヒットラーは、自我を持たない、空っぽの容れ物だったのである。ソラトの僕であり、それに憑依されているときには、その体は、とてつもない強力な影響力をもったのだ。その効果は、ドイツ帝国の後継であるワイマール共和国が成功しないことを確実にすることにより、注意深く準備されていた。ヒットラーに対して、アメリカの銀行や実業家が巨大な財政支援をしていたことを忘れてはならない。(訳注)

(訳注)ヒトラーがオカルト研究に熱心だったことは有名である。ナチスの母体の1つの「トゥーレ協会」という秘密結社があるが、『ロンギヌスの槍』という本には、次のようなエピソードが書かれている。トゥーレ協会は、亡くなった結社の会員の霊を呼び起こす心霊術会を行なっており、その中で、ある「霊」から「ドイツの救世主が現われる」という預言が語られた。しかしまた、別の「霊」による預言もあった。それは、トゥーレ協会の支配権を握る男は、偽予言者であり、国の権力を掌握し、ドイツ全土を荒廃させる、というものであった。
 また同書の著者トレヴァ・レヴンズクロフトの恩師である歴史学者ワルターヨハネス・シュタイン氏は、若い頃のヒトラーと交流があり、イエスの聖遺物であるロンギヌスの槍を二人で見に行ったときのヒトラーの変化が、同書には次のように記されている。「彼の傍らには、ヒトラーが自失の表情で立っている。・・・彼を取り巻く空間は、不思議な明るさを帯びて生き生きとしているように見えた。心霊体の光である。彼の顔つきや姿は、あたかも何か強大な霊が魂に入り込んだように変わって見えた。」
 ヒトラーは、その後第1次世界に従軍するのだが、戦場でヒトラーは極めて勇敢であったらしく、勲章も受けている。あえて、危険な行動に志願したのである。それは、彼が、自分はある使命のもとに「守られている」という確信があったからである。ある時は、不思議な声に導かれ爆撃を避けることができて、九死に一生を得ることがあったという話も伝わっているようである。

 

 ヒットラーとその助力者がドイツにもたらした状況は、人智学とその人智学教育、農業等の姉妹運動に向けられ、それらは禁止された。戦後には、人智学協会は再建され、活動を再開した。精神科学の種が肥沃な大地にまかれたのである。

 しかし、それは、ドイツの人智学者だけではない。すべての文化と言語が人類の文化の再生に貢献した。それは、物質主義を克服し、霊的基盤に生を形成することであった。

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 よく「陰謀論」には、フリーメーソンイルミナティ等の秘密結社が出てくる。そしてある者によれば、その組織の最上位にいるのは、人間ではなく、ルチファーであるという。
 シュタイナーによれば、それはむしろアーリマンというべきかもしれないが、ルチファーというのは、この場合、ルチファーとアーリマンの区別もわからず、単に悪魔を指す言葉として用いられているのかもしれない。

 オカルト・ロッジは、実際に儀式を通して、その組織の人間をこの悪魔の道具にしており、政治家達をも影響下に置いているのだろうか。ここ数年のコロナやウクライナに関わる世界の主要国での動きを見ると、「常軌を逸している」と思わざるを得ず、その理由はやはりこのようなことにあるのかもしれない。

 アーリマンであるが、もしその地上での受肉がなされ、力を発揮し始めるなら、今まで以上に影響を及ぼすことだろう。我々は、それに備えなければならないのである。

二人の子どもイエスー神殿の出来事 ①

 

エクステルンシュタインの磔刑レリーフ

 このブログでは「二人の子どもイエス」のテーマが、主要なテーマの1つとなっている。私がこのテーマを初めて知ったのは、大学生の時で、先にシュタイナーに出会って、彼に関連する本を色々物色しているときに見つけた、これまで紹介してきたヘラ・クラウゼ=ツインマー氏の本によってであった。

 同じテーマを扱っている本を出しているデイビッド・オーヴァソン氏に出会ったのは、それから何年も後のことである。

 二人に共通するのは、絵画などの芸術作品の中に密かに込められた「二人の子どもイエス」の秘密を解明していることである。二人の違いは、クラウゼ=ツインマー氏は、人智学派であり、当然、シュタイナーの主張をもとに論じているが、オーヴァソン氏は、シュタイナーを評価しているものの、人智学派ではなく、独立した研究者であることである。独自の研究、あるいはシュタイナーとは別の秘教的源泉から知識を得ているようなのである。
 二人は共通する主張をしているが、二人の源泉は異なっている。それは、その主張の正しさを傍証しているように思われるのである。

 さて、このブログでは、二人の本からいくつかの絵を紹介してきた。それらは、主に性格の異なる二つのタイプの聖母子の絵や、一人の聖母マリアに二人の子どもが一緒に描かれた絵であった。そこに二人の子どもイエスが描かれているというのであった。

 ところで、「二人のイエス」と言わず、あえて「二人の”子ども”イエス」と述べているのには、理由がある。キリストを受け入れる人間イエスは当然一人である。つまり、大人のイエスは一人であり、イエスが二人いたのは子ども時代に限定されるのである。

 二人の子どもイエスとは、一人は、マタイ福音書の伝えるイエスであり、もう一人は、ルカ福音書の伝えるイエスである。この両福音書を詳しく読めば、それぞれの描くイエスに性格の違いがあることや、福音書間でその記述に矛盾が存在することがわかる。最も端的なのは、イエス系図の違いである。特に、ダヴィデ王に続く子どもから2つの系図は全く別の名前を挙げているのである。実は、聖書自身が、イエスは二人いたと正確に語っているのだ。

 では、二人いた子どものイエスは、どうして一人になったのか。今回のシリーズでは、このことを今後、解説していくこととする。なお、従来の表題「二人の子どもイエスとは」を改め、今後は、適宜内容に合った表題を付けることとする。

 

 先ず、今回は、導入部として、オーヴァソン氏の『二人の子ども』から引用する。

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〔「第5章 神殿の出来事」より〕

 ドイツのデトモルト近くのエクステルンシュタインの古代の遺跡はまさに有名である。ここでは、異教の密儀とキリスト教に関係する図像が並んでいるのを見ることができる、世界でも残存する数少ない古代の場所である。・・・

 エクステルンシュタイン自身は、教会、階段、独居房そして秘儀参入のための部屋が掘られた岩の巨大な露出岩よりなっている。2000年以上にわたり、巨大な岩の表面に自然の渦巻きから北方の異教のオーディンの苦悶の形を表すものまで人の手により彫られている。・・・

 この巨大な人物像の北に、やはり木につるされた他の人物を彫った他の岩面がある。これはおそらく12世紀に造られたキリスト教の彫刻である。それは十字架から降ろされているキリストを表している。

(冒頭の写真の左上部の線描画)


 十字架の骨組みの上に父なる神の像がある。彫刻家が異教のオーディン像を救済しようと試みていることが確かだと思わせるのは、おそらく十字架のキリストよりもこの主要な像である。何故ならチュートン人の神は、彼らの信者から「全‐父Allfather」と呼ばれていたからである。後の時代の方のイメージでは、父なる神は、キリストの魂を彼の左手で保護し(注)、腕を下に延ばして右手で死せるイエスを祝福している。

 

 (注) キリストの姿は、今はひどく腐食している。アリマタヤのヨセフは曲がったイルメンサル(異教の聖なる木)の上に立ち身体を支えている。ニコデモスは死んだ身体を支えている。(今は頭を失っている)マリアの像は、泣いている太陽を擬人化した存在の下におり、一方聖ヨハネは、嘆き悲しんでいる月を擬人化したものの下にいる。。

 (訳注) 線描画の中心に描かれているのが父なる神で、その左腕の子どもがキリストである。そして、イエスの遺骸は、その下にあり、父なる神はそのイエスを祝福しているのである。

 私は言葉を注意深く選んだ。神は、キリストが受肉したイエスの死せる身体を祝福しているのである。十字架から降ろされている体躯は「キリストではなくイエスの身体」である。彫刻が明瞭に示しているように、キリストは神の腕にしっかりと保たれている。 

 これはキリスト教の偉大な神秘である。即ち、イエスはキリストという宇宙的霊の人間の器なのである。後に見るのだが、この結合は、キリストが(よりよい言葉が見つからないのだが)イエスの身体に生まれた洗礼の時になされた。磔刑の時、キリストは十字架上で死に、3年間住んだイエスの苦しみの身体から去ったのである。

 

(訳注)キリストは宇宙霊(ロゴス)であり、イエスが30歳の時に行なわれたヨルダン川での洗礼に際してイエスの体に降り、33歳の時の磔刑によりイエスが亡くなるとその体を去ったのである。(「「二人の子どもイエス」とは⑲」参照)

 

 もしこれが磔刑の時に起きたことの筋の通った見解であるなら、それは福音書を新たな視点で見るように我々を導く。もしイエス・キリストが十字架で死んだなら、二人のうちどちらのイエスがこの運命に向き合ったのかを知るために、福音書を探求しなければならない。福音書には、二人の子供イエスが幼年期を終わった時に起きたことについて何らかのヒントがあるのだろうか

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 「二人の子供イエスが幼年期を終わった時に起きたこと」とは何か。それは、ルカ福音書に書かれている「神殿の出来事」である。それは、イエスが12歳のときの出来事であった。(以下②に続く)

シンクホールの出現の意味するもの

チリに出現したシンクホール

 最近、チリでシンクホールが出現したというニュースが流れた。シンクホールと

は、ようするに地表に突然できた巨大な穴で、直径が数十メートルに達するものもある。地質学的には、ドリーネと呼ばれ、石灰岩質のカルスト地形で、水による浸食で地中に空洞ができ、天井部が陥没してできると説明されている。

 ただ実際には、カルスト地形以外でもシンクホールが出現しており、その形成の原因は他にもあるのだろうと思われる。

 今回のチリのそれは、アタカマ砂漠の銅鉱山地帯でできたものなので、鉱山の採掘と何らかの関係がある可能性があるが、まだ原因は特定されていない(8月4日現在)。

 日本でも2016年に福岡県の博多の街中で出現しており、これは多くの人の記憶にまだ残っているだろう。このシンクホールを含めて「In Deep」さんが、ブログに記事を載せているのだが、この記事の冒頭の部分に、シュタイナーが出てくる。シュタイナーの例の「地球の頂点は日本」という概念から、世界と日本の照応関係について触れているのだが、私は別の観点から、シュタイナーの話したこととの関連を考えている。今回は、これについて論じたい。

 

 シュタイナーによれば、地球は、人間のように輪廻転生してきた。最初のその状態は、古土星と呼ばれている。当時は、今のような物質的な地球ではなく、原初の熱(現在の物理世界での熱とは異なる)の状態であった。現在の物質的地球は、その後、古太陽期、古月期を経て、現在の地球期に出現したのである。

 そして、地球期においても地球は変化してきている。地球は1つの有機体である。そして全ての生命がそうであるように、地球も、誕生・成長・衰退・死滅のサイクルを経るのである。現在の地球の表面に見られる鉱物世界は、その意味では、死滅した地球有機体の残骸なのである。このことは、「岩石と鉱物は生あるものから生まれてきた」で触れている。

 これに関連するシュタイナーの講演から次に引用する。

 現在の地球の進化には、オカルト科学で一般的に説明されている主要なエポック、すなわち第一期と第二期、レムリア時代、アトランティス時代、アトランティス時代以降の私たちの時代、そしてその後に続く二つの時代に区別する必要がある。アトランティス時代は、地球と人類の両方がその中間点に達していたと言えるだろう。それまでは、すべてが成長と発展であった。しかし、アトランティス時代以降、いくつかの点でこのようなことはなくなった。地球に関して言えば、確実にもはやそのようなことはない。私は何度もこのことを述べているが、今日、私たちが土の上を歩くとき、私たちは崩れ落ちつつあるものの上を歩いているのだ。アトランティス時代の中頃までは、地球はもっと成長し、芽を出す有機体だったのである。そして、その時に初めて、今日のような割れ目や亀裂のある岩石が発達したのである。このことは、今日の人智学の世界だけでなく、広く知られていることだ。エドアルト・ジュースの優れた科学的著作『地球の顔』には、現在の地球の破壊、粉砕についての優れた記述がある。 スースは、鉱物、岩石、地表と地中に見られるさまざまな地層の特性、および地上の領域に存在する有機生命体の特性を概説し、広い筆致で現在の地球の外形、いわば地球の顔を示している。そして、科学的な事実に基づいて、地球は腐敗し、崩れ去っているという結論に達した。(闇の精霊の堕落 GA 177 5. 人類の霊的構成の変化 1917年10月7日、ドルナッハ)

あるいは、

 霊的科学によれば、地球は、土壌を形成している鉱物界がまだ再生の力、建設の力を含んでいる時点をはるかに超えて進化しているのである花崗岩、片麻岩、片岩、そして私たちの畑の土に至るまで、これらすべては絶え間ない破壊の過程にある。私たちは、新しい形成力を秘めた土の上を歩くのではなく、地球が進化の中間点を過ぎたために、すでに分解され、破壊の過程にある土の上を歩いているのだ。私たち自身の進化は、地球の進化と完全に一致している。私たちの身体は徐々に衰えているが、それは克服できるものだ。しかし、土の中には破壊のプロセスに関与しているものがあるのである。谷や山は、地殻が崩れてできたものです。霊的科学は、私たちは崩れつつある地球の上を移動しているのだと教えてくれる。山に登るとき、私たちはここで何かが崩れ、分裂し、先に進む発展過程がないことに気づかなければならない。アトランティス時代の半ば以降、私たちは地球の進化の中間地点を超えてしまった。それ以来、私たちは、崩れつつあり、いつか死体のように崩れ去る地球の上に生きてきたのだ

 秘教の時代区分はすべてそうなのだが、時代は7つに分かれている。地球期も、過去の非物質的な時代を繰り返した後、物質的時代に入るのだが、この時代もまた、大きなエポックとして7つの時代に分かれる。この時代区分に寄れば、4番目の時代が中間点、折り返し点となる。この場合は、アトランティス時代である。それまでは、地球は、生きた有機体として発展してきたが、それ以降は、崩壊の過程に入っているというのだ。

 ここで出てくる、Eduard Suessエドアルト・ジュース (1831 年 8 月 20 日、イギリス、ロンドンで生まれ、1914 年 4 月 26 日、ウィーン、オーストリアで死亡) は、現代の地質学のパイオニアで、古地理学とテクトニクスの基礎を築くのに貢献したという。ゴンドワナ大陸の名付け親でもある。

 なお、シュタイナーは、講演の中で、彼の次の言葉を引用している。「... 地球の崩壊は、私たちが目撃しているものです。確かに、それはずっと前に始まっていた。だから、人間の寿命の短さが、私たちに元気を与えてくれる。」つまり、既に地球は崩壊してから長い時間が経っており、やがて完全に崩壊してしまうだろうが、人類は寿命が短いので、それまで生きていないだろう、ということだろうか。

 しかし、そうではない。地球は人類の進化のステージであり、人類の進化と共にある。むしろ人類の進化にあわせて姿を変えるのである。物質的死は、霊的誕生とも言える。人類は、物質化してきたが、今後は、再度、霊化し、霊界へと上昇していくこととなる。地球はそれを支えるために、同じように変化していくのである。

 この地球の物質的崩壊の1つの徴候が、ひょっとしてシンクホールではないかと思うのである。

 火山活動や地震などの破壊的な地質現象の原因は、悪の霊的衝動に結びついた人間(死者を含む)の魂的霊的活動に求められるが、シンクホールは、そのようなものとは異なるように見える。
 地球の鉱物界は人間でいえば硬い骨のようなものだとすると、年を経ると人の骨の密度が低下するように、地球の鉱物界も密度を減らしていくのではなかろうか。シンクホールは、その様な現象とは言えないだろうか?

光は東方より

アレクサンドル・ドゥーギン

 先日テレビで、あまりにもばからしくて冒頭を見ただけなのだが、プーチンウクライナ侵攻に、ドストエフスキートルストイの影響があるとする「専門家」の分析を放送していた。ロシア人がこの二人の文学者から影響を受けているのは当然のことである。それを今回の軍事侵攻と結びつけるのは、物事の表層しか見れない日本人特有の浅薄な判断としか言い様がない。

 そもそも、マスコミは、真の原因の多くは英米にあるということを無視し、侵攻の責任をロシアに、それもプーチン一人に押しつけているが(ウクライナ侵攻を「プーチンの戦争」とすら呼んでいる)、いくら「独裁者」とは言え、あれだけの国を一人の判断だけで動かせるはずがないだろう。彼を支えている勢力があるはずである。それは、思想を共有するグループという意味である。英米の政府の背後に、ブラザーフッドがあるように。

 このブログでは、以前、「プーチンとは何者か?」で、そのような関係に触れてきた。そこで真にプーチンに影響を与えた人物としてアレクサンドル・ドゥーギンと言う人物に関する記事も紹介した。今回は、このなかでも出てきた、ソ連・ロシアのオカルト的潮流について研究している、人智学派の歴史学者マルクス・オスターリーダの論稿を紹介する。前出の論稿よりまた古いのもののようであるから、そこに出てくる思想グループとプーチンとの関係が、その後変化している可能性はあるだろうが、現在の動きを見る限り、その影響は確かに残っているように思える。

 キーワードは、「ユーラシア主義」である。ユーラシアとは、アジアとヨーロッパを一続きの大陸(ユーラシア大陸)と考えたときの呼称であるが、この場合、ヨーロッパと言っても主に東欧の地域を示す地政学的用語である。

 地政学というと先ずでてくるのが、このブログでも何度も登場するイギリスの地理学者・政治家のハルフォード・マッキンダーであるが、上のユーラシアは、彼の提唱する「ハートランド」(地理的なユーラシアの内陸部とされる)とほぼ重なる。

 彼のハートランド論は、次のように主張する。―①世界は閉鎖された空間となった。②人類の歴史はランドパワーとシーパワーの闘争の歴史である。③これからはランドパワーの時代である。東欧を制するものは世界を制する。

 ランドパワーとは、ハートランドの支配者で、シーパワーとは世界の海洋を支配するもの、つまり英米のことである(日本はこれに従属する)。

 これは、前世紀の理論であるが、現在の状況からも明らかなように、英米の支配層はこれに未だ固執しているようである。なぜなら、この思想の隠れた根源は、このブログの以前の記事にあるように、ブラザーフッドに有るからである。

 このような考えだけを見ると、単なる世界の2大勢力の戦いのように見えるが、秘教的観点からすると、人類の未来を巡る戦いであることは、これまでの記事から理解できるだろう。

 シーパワーは、英米なので「大西洋主義」ということもできるが、これとユーラシア主義との性格的な違いは他にもある。大西洋主義において、支配者はあくまでも英米(その支配層)であり、他国はそれに奉仕する従属国にすぎない。英語を世界言語にしようとするなど、文化的な世界支配をも意図している。これに対して、ユーラシア主義は、総じて、各民族、文化の共存を指向しているように見える(これを利用し一極支配をもくろむ者がいないとも言えないが)。

 今の他民族国家としてのロシアの現状は、(勿論、限られた情報であるが)ユーラシア主義のこうした思想を反映しているのではないだろうか。

 以下の論稿には、「シャンバラ」という言葉が出てくる。ご存じの方も多いと思うが、オカルト界隈では有名な言葉で、「世界の王」が住むという伝説の都市の名である。チベット仏教の経典にも出てくるようで、以下の文章でもロシアとチベットを結びつける役割が指摘されている。

※以下の翻訳では、途中、意味がわかる範囲で文章を適宜省略した。

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東からの光?

ユーラシア帝国としてのロシアとシャンバラの帝国

 

 ソビエト連邦崩壊後の社会は、アイデンティティと意味の危機を経験している。それは、少なくとも古いイデオロギーが残した精神的、文化的、社会的、経済的、生態的な瓦礫によって引き起こされている。偶然とはいえハルフォード・マッキンダー,、サミュエル・ハンチントン、または ズビグネフ・ブレジンスキーの大西洋横断デザインの「負の破壊」のように見えるのである。

 このようなデザインの中心には、「大西洋-西洋」と「ユーラシア-ロシア」(ロシアではない)の存在圏の両極の非互換性があり、絶対的なものとして理解されている。

そうして今日、ロシアでは、この10年間でますます浸透してきた「ユーラシア思想eurasischen Idee」が再認識されつつあるのだ。

 

イラン対トゥランとグレートゲーム

 ロシア帝国が極東、中央アジア、トランスコーカシアに植民地主義的に進出(1806-1884)したため、19世紀半ばからロシアの知識人の間で、ロシアとアジアの関係、ロシアの歴史的役割について議論が起こった。人々は、ツァーリ帝国のシベリアや中央アジアの領土を、新しい視点で見るようになったのだ。特に、ゾロアスター教の神話にある、光の神アフラ・マズダの文化を創造する農民(「イラン」)と、文化を破壊する、闇の王子アーリマンの遊牧民(「トゥラン」)との闘いは、アジアの被支配遊牧民とロシアの関係を特徴づけるために引用された。

【訳注】アフラ・マズダは、古代イランのゾロアスター教最高神、アーリマンは、それに反逆する悪神。アフラ・マズダは、原始的なイラン民族に文明をもたらした神でもある。

 

 ロシアはアジアにおいて「イラン化」する文化的使命を負っているという見方が広まった。「ロシア人はヨーロッパ人であると同時にアジア人でもあるからだ」4。トゥラニア・アジア」は、旧世界の破壊、現況の変革の象徴であった。イラン」と「トゥラン」という言葉は、魂とアイデンティティの対立の象徴的なメタファーとなった。

中央アジアに進出することで、ロシア皇帝大英帝国が自国の利益のために不可欠と考える勢力圏に入ることにもなった。イギリスから見れば、ロシアの進出はインド洋に向けられたものであり、ひいてはインドそのものに向けられたものと思われた。その結果、イギリス人が「グレートゲーム」と名付けた競争が生まれた。

 

シャンバラの王国とラマ教汎仏教

 アジアにおけるロシアの影響力を早くから擁護したのは、ブリヤートモンゴル族に属するシベリアの民族)出身のピョートル・A・バドマエフ(1851-1919)であった。大学を卒業後、外務省アジア局に勤務し、同時期に大学でモンゴル語を教え、チベット医学を学んだ。アレクサンドル3世は、彼が正教に改宗した際の名付け親でもあった。1893年、バドマエフは中国への鉄道延長を提案する覚書をツァーリに提出した。ラマ教の世界では、「白いツァー」はタラ【タラ菩薩か?】の体現者として崇められるており、人々はロシアとその文明に引きつけられるだろう。ロシアのアジア進出は慈悲深いものであり、ジンギス・ハンの7世紀後には、ロシアから「白旗」が出て、モンゴルは「白い皇帝」に服従しなければならないと予言されていたのだ。ロシア解放後は、ロシア人、モンゴル人、中国人が団結して、西欧列強に踏み荒らされた中原の再興に取り組むことになるのである。

 

 数年後の1896年、バドマエフはモンゴルを訪問した際、多くのラマ僧からラマ教中央アジアにおける皇帝の支配拡大要求を聞いたことを皇帝や、若き王位継承者ニコライ2世に伝えた。

 エスパー・ウチュトムスキー侯爵(1861-1921)は、かつて保守派のメスセスキー侯爵の部下で、新聞「ペテルブルグスキヤ・ヴェドモスチ」の編集者だったが、若いニコライ2世と親しく、1890年の東アジアへの旅に同行したことがある。ウチュトムスキーは、神智学とオカルト仏教の信奉者であるイエレナ P. ブラヴァツカヤと知り合った。彼は、ロシアがアジアと本質的に親和しているというテーゼをいち早く提唱し、1904年には、モンゴル民族やアジア全般を含む古代・中世の伝統的な世界帝国思想はすべてロシアに受け継がれているので、「汎モンゴル主義」は決して帝国にとって危険ではない、と記している。大英帝国アジア諸国民を搾取し、法廷で不平等に扱ったのに対し、帝政ロシアの法学は、非ヨーロッパ諸国民に対し、平等の原則に基づき、対抗したのである。

 バドマエフとウチュトムスキーの激しいロビー活動は、第9代パンチェン・ラマ、チェッキー・ニマ(1883-1937)の指導の下、チベットラマ教信者たちが始めた外交攻勢と関係があった。すでにバドマエフと接触していたもう一人のブリヤート出身のラマ・アグヴァン・ドルエフ(Dordziev、1854-1938)は、特にこの点で顕著であった。ドルジエフは幼少の頃、ダライ・ラマ13世にラマ教の神学を指導していた。

 それは、中央アジアと東アジアにおけるロシアの政治的影響力に有利に働き、さらにツァーリ帝国と西ヨーロッパにおけるラマ教思想の普及と定着に有利に働くという、二重の政治的役割を果たした。

 1901年、ドルジエフはパンチェン・ラマから聖なる贈り物、秘密の密教と「シャンバラの祈り」の瞑想を受け取ったが、これはドルジエフの今後の活動にとって決定的な重要性を持つものだった。

 彼は、カラチャクラ仏教に伝わる、チベットの北にある沈んだシャンバラ王国が、ある種のメシア的な黄金時代に輝くカルキ王によって支配されているという神話を利用して、北シャンバラを新しく体現するのはロシアであると、皇帝とその政治家たちを説得するために行ったのである。というのは、ロマノフ家はシャンバラ・スチャンドラ王朝の子孫であり、ブリヤート人からモンゴル人、中国人からチベット人までのユーラシア民族のラマ教・仏教連合体を、未来のカルキとして支配するように託されたからである。

【訳注】ヒンズー教ヴィシュヌ神は、カリユガ(暗黒の時代)が終わるとき、カルキというメシアとして地上に現われる。白馬に乗った騎士、又は馬頭の巨人として登場し、世界の悪を滅ぼすという伝承がある。ヒンズー教では、ブッダヴィシュヌ神の化身であったとされており、カルキの予言は、一部の仏教にも存在したのであろう。

 

 ユーラシア主義のメシア的使命感の台頭にとって、シャンバラ神話の意義は決して軽微なものではないのだ。カラチャクラ体系では、シャンバラの軍隊の勝利によって仏教が全地球に広がり、未来の弥勒菩薩が現れる新しい世界時代が到来すると説いているが、この神話的・神秘的な期待は、ロシア正教の終末思想と、あるいはキリスト教の多くの宗派の終末思想、ロシアのシーア派のマフディー教、初期のボルシェビキ共産主義の「明るい未来」の実現に向けた千年王国的な希望とも親和的なものである。このように、シャンバラの神話は、特別なものとして理解され、この地域のすべての宗教を受け入れ、統合することができるユーラシアの霊性の実際の基盤を今もなお形成しているのである。

 ドルジエフは、1920-1924年に社会革命的、解放的な「無神論の宗教」として仏教を語った。「仏教の教義」は「現在の共産主義の伝統とほぼ適合する」ものだった。

また、いわば元祖ボルシェビキもいうべき釈迦の精神が、レーニンの中に新たに生きていたのである。ボルシェビキ支配下で、ロシアは「至高の地」の名にふさわしい共産主義帝国を築き上げることができた。

【訳注】「釈迦が元祖ボルシェビキ」というのは、いきすぎた表現であり、著者としてはウイットのつもりかもしれないが、いわゆる万民が平等であるという思想で共通するということであろう。共産主義は、本来、その様な社会を目指す思想であるが、過渡的に「労働者独裁」が認められており、結局その弊害が修正されないうちに、終焉を迎えたのである。労働者階級の「開放」から万民平等の社会が未来に実現するという歴史観は、「メシアによる救済」に通じる思想であったのである。

 

 画家で詩人のニコライ・コンスタンチノビッチ・リョーリフ(1874〜1947)は、1909年以降、師であり指導者でもあったドルジエフの努力を引き継いで最も成功した人物である。神智学に接近したリョーリフは、妻サポスニコワとともにラマ教を基礎とする独自のオカルト・エソテリック体系を構築し、「アグニ・ヨーガ」と名付けた。この体系では、再興されたシャンバラ王国神話が、ユーラシア「大仏教連合」の思想的結集点として教義の中心をなしている。リョーリフもまた、ボルシェビキの間で自分の精神的・神秘的な信念を広めることに何の問題も感じていなかったようだ。

 ドルジエフ同様、リョーリフは、レーニンはまだシャンバラ・カルキの化身ではないかもしれないが、少なくとも「燃えるような菩薩」であるとの確信を表明した。

いずれにしても、仏教と共産主義は「同じもの」であり、ブッダレーニンも、「仏教とレーニン主義の結合によって、ヨーロッパはその根底から揺らぐ 」という世界平和と兄弟愛の教義を宣言していたのである。

 在ウルムチ(新彊)ソ連総領事アレクサンドル・ビストロフ・ザポルスキーは、リョーリフのプロジェクトについていろいろと興味深いことを話している。その話によると、「彼らは仏教を学び、マハトマとつながり、マハトマから何をすべきかの指示を受けることが多いということであった。

【訳注】マハトマあるいはマスターは、表舞台に立つことのない隠れた人類の指導者である。神智学のブラバツキーもマハトマから指導を受けていたとされる。リョーリフについても同じような状況であるが、このマハトマの真の正体については、また別の項目で触れることになるだろう。

 

 また、同志シチェリンとスターリンに関するマハトマの手紙もあった。マハトマに課せられた使命は、仏教と共産主義の結びつきを確立し、共和国からなる東方大連合を作ることであった。チベットやインドの仏教徒の間では、ロシアからの赤軍(北方赤軍シャンバラ)だけで、外国人のくびきから解放されるという信仰(予言)があった。リョーリフはこの種の予言をモスクワに持ち込むだろう・・・。[パンチェン・ラマとともに]イギリスからチベットを解放するための精神的な旅に出たいと考えている。」

 しかし、リョーリフは、以前のドルジエフのように、ダライ・ラマとその汎仏教・ユーラシア的なビジョンから離れ、ダライ・ラマとにチベット仏教の衰退の責任があるとした。

 しかし、ボルシェビキとの協力は、彼らの協力ではシャンバラのプロジェクトが実現できないことが明らかになったため、保留されることになった。1930年代初頭、リョーリフは神智学に熱心なアメリカ農務長官ヘンリー・ウォレスを通じて、フランクリン・D・ルーズベルトの政治的・経済的支援を求めた。ルーズベルトは、シベリア、カザフスタン、中国西部の国境地帯であるアルタイ山脈に、パンチェン・ラマの指導によるシャンバラ・コロニーのモデルを実現するために協力することにした。ラマ教の宗教、マルクス・レーニン主義の社会的な教え、そしてアメリカの資本が、この地で記念すべき実験を行うことになったのである15。

 

「ユーラシア」運動

 このような背景のもと、1920年ブルガリアユーゴスラビアからの移民の間でユーラシア運動が起こった。その主要な代表者のうち、ピョートル・サヴィツキーと、後にアメリカのイェール大学で働く歴史家ゲオルギー・ヴェルナドスキーの少なくとも二人は、ニコライ・リョーリフと何年も連絡をとり、彼の基本思想の一部を「科学化」した。ユーラシア主義者は、ロシアの十月革命を、深刻な内的疾患、すなわち初歩的な「存在の基本的文化形態の変化」の結果であると解釈していたのである。

 革命は、ヨーロッパ化の過程とヨーロッパ文化の崩壊に対するロシアの反応であった。革命は、ロシアがヨーロッパにもアジアにも属さず、あるいは両者の混合でもなく、スラブ、イラン、トルコの要素を包含する独自の有機的に自己完結した文化世界を形成しているという考えを明らかにしたのである。このユーラシアとは、ヨーロッパの東部とアジアの北部を指し、基本的にはツァーリ帝国と後のソビエト連邦の政治的境界線に含まれる地域である。

 ユーラシアのテーゼは、ロシアの宗教、文化、政治、社会生活は、東洋、アジアの文化と密接に結びついており、彼らとともにしかその歴史的成就を見出せないというものであった。一方、西スラブ人も参加したヨーロッパの文化は、ルサンチマンの本質からすると異質であり、有害でさえあった。その合理性は、ヨーロッパ人を最も露骨な物質主義に導き、「物体崇拝」に走らせたのだ。したがって、ロシアをヨーロッパ化する試みは、10月革命の破局に終わらざるをえなかったのである。

 ユーラシア史観を最も完璧に定式化したのは、アメリカのイェール大学教授だったゲオルギー・V・ヴェルナドスキー(1887-1973)である。ヴェルナドスキーは、ロシアの歴史を年代順に見るだけでなく、空間的、地政学的に見るべきであると、友人のサヴィッキーと意見が一致した。ヴェルナドスキーはこれを「空間開発(mestorazvitije)」という言葉で表現していた。ロシアはユーラシア大陸で天寿を全うしなければならなかったのだ。外来の要素(カトリックの信仰、ヨーロッパの文化的影響)は、ロシアに深刻な内乱と衰退をもたらすだけであった。したがって、ロシアの東方への進出は、「帝国主義」ではなく、発展の歴史が課した運命の成就とみなすべきものであこのユーラシア思想の歴史的・理論的正当化は、主に 1920 年代に行われたが、ペレストロイカの時代には、ピョートル・サヴィツキーや ゲオルギー・ヴェルナドスキーの著作から本質的刺激を受けた、ニコラジ・グミルヨフ(1912-1992)と アンナ・アフマトヴァの夫婦の息子で民族学者のレフ・ニコラエヴィッチ・グミルヨフ(1912-1992)の著作によって復活した

 

ネオユーラシア主義

 1989年以降、アイデンティティと自分自身の社会の存続に関する最も深い不確実性の段階において、新ユーラシア運動が、大国としてのロシアの国家権力の非共産主義的統合を新たに目指す愛国的勢力の結集運動であり、同時に超民族、国家-地理的なアイデンティティを再定義しなければならないという目的を持った、ほとんどが反西洋的な「民族-愛国的野党」の中に現れた。このような前提のもと、1990年代前半にロシア連邦で形成され始めた新ユーラシア運動は、その最もカリスマ的存在であるアレクサンドル・ゲリエヴィッチ・ドゥーギンが、生命体の「有機的階層性」という見方をとっている。

 それは、さらに、西ヨーロッパの秘教的・霊的伝統主義の代表者たち(ジュリアス・エヴォラ、ルネ・ゲノン、ヘンリー・コービン、ジョルジュ・デュメジール、ミルチャ・エリアデ、ヴァレンティン・トムバーグ)が説いた、精神エリートやカーストの形成と崩壊、「精神の貴さ」についての見解に知的基盤を見出すことができる。 ヨーロッパ大陸の伝統主義や「新右翼」の代表者とのさまざまな接触によって、ドゥーギンのような新ユーラシア主義者は、「西洋文明」全体を全面的に非難することから離れ、代わりに、伝統文化と地理的位置から見て、中立で統合可能な要素としてユーラシア大陸に確実に近いロマン・ゲルマン系大陸ヨーロッパと、孤立または海洋性の英米圏を区別するようになったのだ。この海洋の英米圏は、ユーラシアの生活世界の実際の、マッキンダーの意味での「永遠の」対立者として、対応する地政学的目標と見解をもつ「大西洋」反対極として同定されている。

【訳注】従来のように、西洋全体を批判すべきものとしてみるのではなく、同じ西洋でも、ユーラシアに統合、連携が可能な西・中央ヨーロッパの大陸の国々と、ユーラシアとあくまでも対立する英米とを区別したのである。マッキンダー地政学にこだわり、英米自身が、ユーラシアを従属させるべき相手と見ているからであろう。

 

 さらに、「宇宙の循環」や「聖なる地理」が本質的な役割を果たすという空間志向の歴史観形而上学的側面は、ヨーロッパ大陸の秘教的・霊的伝統主義から取り入れたものである。空間的に循環的に発展するユーラシア、「伝統の世界」は、時間的に直線的に発展するイギリス系の西洋、特に経済分野においてグローバル化の助けを借りて世界支配を達成する傾向を持つ(ネガティブに破壊的な)モデルの世界と対照をなしている。

【訳注】ヨーロッパ大陸の秘教的・霊的伝統に、現代に続くロシア文明期を説くシュタイナーの思想が含まれるのかはわからない。著者が、人智学派であることから、実際にそうであればそのことに触れそうではあるが、ここでは語られていない。しかし、直接シュタイナーからの影響がないにしても、他の霊的潮流においても共通の秘教的歴史認識をもってはいただろう。英米ブラザーフッドがそうであるように。以下の文章はそれを示唆している。

 

 1990年代初頭に書かれた著書『Konspirologija』では、ドゥーギンの地政学的思考の「形而上学的」な背景を概説している。その中で、「大西洋主義者の秩序」と「ユーラシア主義者の秩序」のオカルト的な地政学的戦争のシナリオが展開されたのである。ドゥーギンは『コンシュポロジー』26号で、彼の地政学的思考の「形而上学的」背景を概略しており、二つの対立するオカルトパワーの間の闘争であり、その不倶戴天の対立が世界史の論理を決定していると語っている。

 ドゥーギンは、地政学的な主要著作である『Üsnovi Geopolitiki』(1999年)において、同じ理論的アプローチでありながら、やや冷静なアプローチをとっている。これは、サミュエル・ハンチントンズビグネフ・ブレジンスキーが提唱したアメリカの覇権主義的な考え方に対する一種の対案といえるものである。その中でドゥーギンは、マハンとマッキンダーの理論から、「積極的なグローバル化という形で大西洋主義者が繰り広げるランドパワーとシーパワーの間の永遠の闘争は、ロシアにイデオロギーの前提に至るまで、根本的に反西欧的に振舞うことを要求する」という結論を導き出した。「・・・ロシア国民の戦略的利益は、ロシア文明のアイデンティティを保持するという必要から生じる反西洋でなければならず、かつ文明の拡張可能という観点から、そのような戦略的利益となるのだ。」

 したがって、ロシアは、帝国的大陸的ユーラシア空間の中でしか生存できない。同盟は、大西洋の主要勢力、アメリカの世界的な戦略的支配を拒否するという共通の利益に基づいて締結されなければならないだろう。このため、ドゥーギンはモスクワ-テヘラン軸の重要性を強調すると同時に、カスピ海周辺のイラン勢力圏を提唱し、近隣の弱小国がその保護下に置かれるようにすることを主張している。また、中欧を大西洋の影響から守るためのモスクワ・ベルリンの戦略的関係の発展や、潜在的なライバルである中国を封じ込める汎アジア同盟の前提としてのモスクワ・東京の軸を主張している。このような同盟は、「多くの帝国の中の帝国」をつくることで、ロシアの野心を受け入れることができるのである

【訳注】冒頭の写真の背景の地図を見ると、ドゥーギンのユーラシアは、東欧と、日本を含むアジア全域を含めた地域を考えているようだ。「中国を封じ込める」とは、秘教的歴史観によれば、ヨーロッパの最大の対抗勢力はアジア、現代では特に中国であり、それとの戦争の可能性も考えられており、逆にアジアとの連携が人類の未来を左右するということが背景にあるのだろうか。日本は、大西洋主義者にとって、アジア大陸支配の橋頭堡として重視されてきたが、だからこそか、ユーラシア主義にとっても連携すべき対象のようだ。プーチンが、現在はさすがに違うだろうが、日本にシンパシーをもっていたのは、こうした背景もあるのだろうか?

 

アレクサンドル・ドゥーギンとプーチン政権下の外交政策

 近年、ドゥギーンの「無名の神秘主義陰謀論者」から「ユーラシアのハンチントンまたはブレジンスキー」と呼ばれる大統領半公式顧問への止まらぬ上昇は、一時的にクライマックスに達した。1998年以降、ドゥーギンは政治的に過激で革命的なシーンからますます距離を置き、国家を支援し、政府を重視する人物としてのイメージを作り上げようとしている。有力な外交防衛政策会議のメンバーでさえ、ドゥギン流の新ユーラシア主義を支持する発言をするようになり、国家の崩壊に対抗し、その国際的重要性を回復するための唯一の手段だと考えている。

 2001年4月21日、汎ロシア的な社会運動「エブラジヤ」が発足した。エブラジヤ運動は、マニフェストの中で、「大西洋主義の共通の敵」に対するヨーロッパとロシアの結束の必要性を明確に指摘し、ロシアを通じて「世界悪」の源であるアメリカのくびきからヨーロッパを解放することまで語っている。1999 年 12 月にロシア連邦大統領に就任したウラジーミル・プーチン外交政策には、何よりもユーラシア主義の軌跡が見られるが、プーチンは、公にはそれに関わっていないのが巧みである。アナトリー・クバイのような西側から尊敬されているロシアの「リベラル派」の側からも、「自由資本主義」は軍事力や新帝国主義と結びついてのみ実現されると考える声が次第に聞かれるようになっているからである。これは、ジョージ・W・ブッシュ政権下のアメリカの新保守主義指導部の関連プロジェクトにたいする対極的対応である。

 プーチンが、2000 年にカザフスタンのアスタナにあるレフ・グミリョフ大学を訪問した際、壁にはドゥーギンの著作のスローガンが飾られていた。また、2000 年 11 月に論説で彼は「ロシアは常に自らをユーラシア国家と考えてきた」と書いた。それゆえドゥーギンが、この言葉を「ロシア政策の東への転換」として賞賛し、プーチン大統領が「ロシアの東への転換」の創立大会で講演したのも不思議はない。

 2001 年 4 月 21 日にモスクワで開催されたユーラシア・ムーブメントで、ドゥーギンは、エブラジヤ運動もプーチンの「ロシアは大国として存在すべきか、そうでないか」という発言を肯定していると指摘した。ドゥギーンにとってプーチンは「政治家らしい愛国者であり、ロシアのルーツに忠実な正教徒だが、他の宗派には寛容」であるという。また、ロシアの地政学的同質性の強化を優先し、新興富裕層のオリガルヒに反対し、分離主義と戦うことから、大統領の内政を支持している。

 

プーチン外交政策とニコライ・リョーリフの影響力

 しかし、プーチンのユーラシア思想への「転向」は、進取の気性に富むアレクサンドル・ドゥーギンによる影響だけではない。アンドロポフ、ゴルバチョフ、プリマコフ、プリンなど、旧ソ連諜報機関の内部にいた人物たちの出自と、彼らが提唱する団体や思想の間には、政治的な統一だけでなく、精神的な統一を促進する関係もあるからだ。

 ユーラシア地域の統一は議論の余地がない。ソ連時代には、ユーラシア思想は主に軍部とKGB界隈で流布していた。特に、ユーリ・アンドロポフの下で1974年に悪名高いKGB第7部の一部として設立された対テロ特別部隊アルファ・グルッパ(またはスペックグルッパA)には、ユーラシア思想が流布していたのである。アルファグルッパのメンバーの多くは、1990年代にユーラシア運動に参加することになった。ドゥーギン自身は KGB の将校の息子であり、ドゥーギンの片腕であるピョートル・ススロフは元外国警備局 SVR(Sluzba Vnesnej Razvedki)長官である。また、ユーラシア運動は今日の国家保安局 FSB(連邦保安局)からかなりの資金を得ているという話が繰り返されている

 興味深いことに、1993年、共産主義時代を生き抜いたユーラシア主義者の秘密組織「アガルタ」の核が軍事機密機関GRU(Glavnoje Razvedyvatel'noje Upravlenije)にあるという陰謀論的な噂を流したのはドゥーギンであった。ゴルバチョフも、プーチンと同じように、すでにその使者となっていた。形而上学的な見解に対するこの教団の開放性は、秘密情報部が行った数々の超心理学的実験の例にも表れている

【訳注】ソ連は、いわゆる超能力に関する研究を公に行なっていた。ちなみに、米軍も、一時期遠隔透視の部隊を設立し、訓練とその実践的運用を行なっていた。

 

 第一次イェリン政権において、リョーリフ財団は、大統領府の文化代表であるセルゲイ・J・リョーリフに支持された。

 プリマコフもまた、ゴルバチョフやその亡き妻ライサと同様に、ニコライ・リョーリフの仕事を公に支援した。

 1998年から1999年までFSB長官を務めたプーチンは、就任後、13年前のミハイル・ゴルバコフと同様に、少なくとも中央アジアインド亜大陸におけるリョーリフの名声を、リョーリフの実際の秘教思想に何らかの形で近かったかどうかはともかく、アジア地域におけるロシアの長期的地政学的目標を固めるための一手段として利用した

 2000年10月初旬、『India Today』と『The Russia Journal』の2誌の編集者との50分間のインタビューの中で、プーチン大統領は、インドとの関わりを尋ねられたとき、まず、その人生はすべての民族を結びつける精神の親密さの驚くべき例となったオカルティストのニコライ・リョーリフの名を挙げた。

 そして、プーチンが2002年12月4日にニューデリーでロシアとインドの諜報機関や特殊部隊の協力に関する会議を開いている間、妻のリュドミラ・プチナは「ヒマラヤのサガ」と題する巨匠リョーリフの絵画展を開いた。

 インドの元首相ラジーヴ・ガンジーの家族と親交のある著名な東洋学者・インド学者アレクサンドル・M・カダキン大使は、インタビューで、インドの将来について、また、アフガニスタンでの出来事はハンチントンのいう文明の衝突なのか、という記者の質問に対して、次のように述べている。「ロシア、中国、インドというアジアの3巨頭には、素晴らしい未来があることは間違いない」と、ユーラシアのメシアニズムという意味で全く明瞭な答えであった。「東方で夜が明ける」というのは正しい表現である。

 ユーラシアの思想は、新しいロシアのアイデンティティを定義する要因のひとつとなり、連邦の地政学的・戦略的計画の柱となることが期待される。その支持者や代表者たちは、ユーラシア主義を、ユーラシア空間に新たな文化的・政治的目標を与える原動力とみなしている。ユーラシア主義は、そのアンチテーゼである大西洋主義と言う悪魔を、対極化の助けを借りて、常に呼びだすことにより、自身の霊的精神的価値を決定し定義しようとするからである。

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 ウクライナ侵攻後、プーチンやラブロフ外相は、米英の一極支配の弊害を述べ、それは過去のものになりつつあるというような主張をしている。どうやら、米英支配の構造から脱却する構想を持っているようで、そのために、西側とは一線を画する経済的な諸国連合を築いてきている。それは、アメリカのドル支配の終わりを意味し、アメリカの没落の始まりとなるものとの指摘もある。
 これも、米英に対抗するユーラシア主義的発想のように見る。

 今後の世界の趨勢は、前世紀の地政学者の予見の通り、ランドパワーとシーパワーの闘争により決着するのだろうか?

アーリマンの目的とは ②

アーリマン(下)とルチファー(上)の間のキリスト

 前回は、「アーリマンの死後生への働き」について見てきた。今回は、後半として、カルル・シュテッグマン氏の『もう一つのアメリカ』をもとに、更にアーリマンが自ら地上に受肉することにより何を目指しているのかを探る。(「 」内は、『もう一つのアメリカ』より引用)

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アーリマンの受肉と彼の目的

 「正しい瞬間にアーリマンが地上の肉体に場所を得るために、ある人間が準備される。彼が既に多くの人間をとおしてあらゆる分野で執筆者として活動しているのは、それを進めているのである。

 アーリマンは、自分の受肉を自ら準備している。それは、その受肉する体そのものであり、またそれが活動しやすい社会である。「執筆者」とは、アーリマンが、地上の人間をとおして、アーリマン的思考方法や文化を世界中に流布しているということである。現在であれば、書籍だけでなくネットに流れている情報も含めてであろう。

 実際に受肉すると、その活動は更に強化される。

 「シュタイナーは、次のように語っている。『アーリマンが正しいときに、西方で受肉すると、彼は、秘密の学院を創立するだろう。そこでは、途方もない魔術の技が追究され、通常は努力してのみ獲得されるすべてのものが、人類に注がれるだろう。』(以下、引用文はシュタイナーによる)彼は弟子達に、彼らの思考を変えることなく、超感覚的な知識を伝えることができる。アーリマンは、現在ある思考を維持したいのだ。

 かつて、アーリマンは、ミカエルの霊界の学院に対抗して、地下に学院を置き、自分の配下の人間や霊的存在を教えてきた。ミカエルの霊界の学院が、その後、地上で人智学として結実し、多くの人智学徒を生んだように、その受肉後は、地上に魔術の学院を置くということであろう。秘儀参入において霊的能力を得るには、道徳面を含め、厳しい修行が必要であるが、アーリマンの学院ではそれが容易に得られるようになるのである。

 さて、しかし、「アーリマンは、一方で、著述家として、今日の知識と思考を作り出すために、あらゆる事をなすなら、なぜ、人間に霊視力を与えるのだろうか。」本来の霊視力は、エーテル界のキリストを見る能力でもあり、アーリマンにとって不都合なはずである。なぜか?

 「アーリマンは、人間に起きることを、霊的側面についてもよく知っており、人類が自然の霊視力を獲得することも、それがエーテル界でのキリストの出現に向かうことも知っている。この能力は、今、次第に強くなっている。全てが一度霊的なものに移行するのである。これを、自分の考えで造り出したいのだ。アーリマンがもたらす霊視は、霊学[人智学といっても良い]が発展させるものとは根本的に違うものとなるだろう。アーリマンにより作り出された霊視では、各人が自分の主観的なビジョンを持ち、他の者のビジョンとは異なるものとなる。人々は、ただ争うようになるだろう・・・しかし、人は、結局自分の物語に満足するようになるのである。』・・・現在の知的思考、感情生活、自分の中の衝動世界を変化させようとしないなら、・・・アーリマンが本能と衝動の世界を捉え、それを霊視的イマジネーションに変えるだろう。

 つまり、アーリマンが与える「霊視」は、本来のものではなく、各人の主観が造り出した偽りのものなのである。制御すべき放縦な本能と衝動が霊視的イマジネーションとして現われ、むしろ人々の間に混乱をもたらすものである。

 「『本来は利己的で、その人にのみ属する衝動世界は、そこに生きるヤーヴェ神から解放される。するとそれは、浮上してきて作用するが、意識されずに、表象世界をそのイマジネーションで貫く。彼は、霊視、ビジョンを得るのである。しかし彼が体験するのは、すべて、自分の衝動世界にあるものである。このもやのようなイマジネーションが、全宇宙であるかのように人を欺くのである。』人は、自分自身を体験しているだけである。

 『重要なのは、霊視であるこの未来の英知から、アーリマンを遠ざけることである。・・・それには、アーリマンが地上に現われるまでに、自己の努力により、霊学の内容を獲得することである。』・・・アーリマンは、地球の支配者に、ドッペルゲンガーは、人間の発展の支配者になろうとしている。」

 実際世の中には、多くの「霊能者」がいる。しかし、その見えているものは、実際には、単に主観的なものが投影されているのかもしれない。やはり判断の基準となる人智学等の知識や冷静な理性が必要であろう。

  各人が自分の世界で生きるというのは、まさにコンピューター上の仮想世界で実現している。現実の自分を離れて、自由に自分の欲望を追求できるのだ。あるいは、映画「マトリックス」のように、脳神経を操作され、現実と仮想の区別がつかなくなり、各人がそれぞれ別の仮想世界にいながら、それを知らずに生きていくというような事態がやってくるかもしれない。

 

 キリストによるゴルゴタの秘儀は、霊界から引き離され、悪の霊に支配されつつあった人間を救い出すためのものであった。

 「『ゴルゴタの秘儀が起きなかったら、これらの存在は、人間に死がカルマとして予め定められていても、人間の中に留まり続ける可能性を獲得しただろう。それらは、人間の発展に対する勝利を得て、地上における発展の支配者となっただろう。』これらの存在は、人間本性の死を獲得しようとしているが、まだそうなっていない。キリストは、ゴルゴタの秘儀を通して、復活した体、ファントムを造り出した。それによってのみ、人は、死後において完全な自我意識を保持し、不死性を獲得できる。自分自身を知り、それにより、霊的に地球と結びついたままでいることができる。不死性とは、死後も自分の意識を保つことである。」

 シュタイナーは、キリストが復活してもたらした復活体をファントムと呼んでいる。これは、エーテル体とも異なり、形態体とも呼ばれ、人間の形態、すなわち実際の肉体の超感覚的な原型のことを言う。それは、ルチファーの働きによって破壊が進んでいたのだが、それをキリストが修復したのである。それにより、人は、死後も自我意識を保持し、霊界を上昇していくことができるようになった。これに対してアーリマンのもたらす不死性(アーリマン的霊的体)が実現していたら、アーリマンは、死者を支配し、人の死後にそれを本来去らなければならないドッペルゲンガーは、死後も人に取り憑き続けることができるようになるのである。

 

 人間を地球に押し留めようとする霊的存在は他にも存在する。

 「シュタイナーは、違法に地球に住んでいる、月、金星、水星存在について、次のように語っている。『これらの存在は、私がアーリマン存在に分類しているものと同じものである。彼らは、人間を可能な限り地球にとどめることを使命としている。』」

 これらの存在は、地球は一度物質的に消滅し、木星状態に移行していかなければならないのだが、「これらの存在は、それを阻止しようとする。彼らは、人間が、定め通りに地球と共に最後まで発展を遂げ、木星状態に成長していくことを阻止しようとする。地球を今のままの状態にとどめたいのである。人間の未来を奪い、全く異なる発展をさせたいのである。

 『これらの違法な存在者達は、睡眠中の人間に地球のエーテルからエーテル体を与えようとしている。それはほとんどうまくいかないが、ごくたまにうまくいくのだ。』正常なエーテル体は、宇宙的な世界エーテルから集められる。地球のエーテル体は、宇宙の英知を自身に担うことはできない。地上の英知、地上の思考を担えるだけである。人は、そのようなエーテル体によって地球に縛り付けられ、宇宙から切り離される。『アーリマン存在が、それを成し遂げると、人間は、死後、自分をエーテル体にとどめておくことができるようになる。普通、死後、エーテル体は2,3日で分解していく。しかし、人間は、エーテル体に留まるようになり、次第に、エーテル的な人間種族が生まれてくるのである。するとそれによって、地球は保持されることができる。実際、地球の固体及び液体の構成物の中には、地球の終わりまでに人類を次第にエーテル的幽霊にしてしまい、正常な地球進化が達成されないようにしようとする存在の一団がいるのである。』人は、死後地球のエーテルにより新たに造られたエーテル体に留まるようになるだろう。このエーテル体は分解しないからである。宇宙の高みにのぼることができず、自我のない魂存在としてずっと地球に縛り付けられるのだ。シュタイナーは、この事象を、「死者における霊体の地球(地上)化」と呼んでいる。」

 「違法に地球に住んでいる、月、金星、水星存在」とはどのような存在なのかについては、よくわからない。シュタイナーはあまり説明をしておらず、霊的ヒエラルキー(天使)の一種なのか、そうでないのかなど、人智学派の間でも見解が分かれているようである。

 人のエーテル体は、本来、宇宙エーテルからできているのだが、それを、地球エーテルに置き換えようというのである。それが成し遂げられると、人は、死後、その地球エーテルに留まり、その先のより高次の霊界に赴くことがなくなるのである。そこに新たに、エーテル的な人類が生まれるのである。

 さて、現在、ワクチンによる大量殺戮が進んでいると言われる。そのワクチンを打つと、死後に、地球に縛られることになると語る人智学者もいる(このブログの記事「コロナ・ワクチンー霊的観点から」参照)。これはまさに、アーリマンやドッペルゲンガーのための新たな人類を創造する思惑と関連しているのだろうか。

 ワクチンの目的は人口削減にある、という主張が存在する。しかしなぜ、支配者達の生活を支えるために本来必要なはずの人間達を、既に従順でおとなしくワクチンをも受け入れるようになった人間達を大量に殺戮しなければならないのかという疑問がある。悪の霊的勢力は死者の力を自分達のために利用するというので、それが理由かと思っているが、それにしてもワクチンにより結果的に将来に向けてもたらされる死者は膨大になることが予想されることから、何か他に理由があるのかと思っていたが、上にあるように、アーリマンの影響下に死んだ後に生まれる「エーテル体幽霊」を作り出すことが目的なのだろうか?

 

 更にアーリマンの目的が語られる。

 「ルチファーの受肉の使命は、物質的な器官である脳を創造し、地上に思考を生み出すことであった。ルチファーは、地上で、初めてこの頭脳による思考活動を行なった存在である。アーリマンは、これと対極の目的、つまり、物質的頭脳に依存しないようにすることを使命としている。彼は、地上で知的な活動をしている思考を手に入れたいと思っている。これは、地上の知識とそれにより今日の思考方法もまた数多くの本の中で保存されている多くの図書館で見ることができる。

 実は、シュタイナーによれば、文字や印刷術の出現自体にアーリマンが関わっているという。それらは、思考を固定化するものである。死んでいる思考とも言えよう。確かに、文明の発展はこれらなくしては存在しないが、文字によって人間や宇宙の存在全てを表現することはできない。人の営みについても、書き記された歴史が歴史となるのだが、それが真実を伝えているとは限らないことは言うまでもない。

 「アーリマンが、一方では、物質的地上生に保持するだけでなく、唯一の認識の源泉にしようと望んでいるこの思考は、他方で、死後に、人間のエーテル体とともに分解していくことはない。脳と離れて、更に生き続けるのである。それにより、アーリマンは、それまでもてなかった権力をもつようになるだろう。エーテル体は、生きている思考体である。しかしそれは、その生きた力を失い、干からびてしまうこともあり、すると純粋な頭脳思考が生まれる。エーテル体のうちに生きているものは、宇宙のエーテル的実質から人間に織り込まれたものである。それは、宇宙から完全に引き剥がすことはできない。それは、引き続き、宇宙的なエーテル事象を人間の体組織に送り込んでいる。この人間の内部で継続されているものが、エーテル組織なのである。ゆえに、死後、人が自分のエーテル組織の中にいることを意識する瞬間、この意識は、宇宙意識へと変様し始める。人は、世界エーテルを、自分のエーテル組織と同様に自分自身の存在の中にあるものと感じるのである。エーテル体は、すぐに世界エーテルに分解していく。』エーテル体の分解は、地球意識の宇宙意識への変様を意味する。また人が宇宙の中で発展を続けることを意味する。

 エーテル的思考と物質的思考がある。エーテル体は、宇宙エーテルと常に交感しており、つながっている。それで、死後、人はそれを認識するようになり、エーテル体は世界エーテルへと分解していくのだ。

 アーリマンは、脳に結びついた知的で干からびた思考を造り出そうとしている。それは、人間を離れて存在し続ける。それが具象化したものが書籍や、現在であればコンピュータの記憶媒体に保存されたデータであろう。

 これに対して、

 「干からびた思考に生命を与え、それにより思考をエーテル化、霊化することが、人智学の使命であるそれにより、思考は脳から次第に自由になる。それは自らを宇宙に開く。」

 人間の意識は、本来、身体(脳)に依存しない。所謂「臨死体験」は、それを表わす現象である。霊界を認識するとは、脳から自由になることなのである。

 アーリマンは、キリストに対抗し、「復活体」を造る。

 「アーリマンの『復活体』は、思考する意識を、死を超えて人に与え、『永遠の命』を与える。しかしそれは、ただ保存された地球とのみ関わる。キリストは、古い地球から新しい地球-木星状態-を造ろうとしている。アーリマンは、それを包んでいるエーテルと共に古い地球を、自分の住処とし、そこから新しい自分の惑星を造り出すために、保存し、濃縮し、硬化しようとしている。知的な思考を、『地球化されたエーテル体』により死後の生-もはや物質的脳がないにしても-のために保存しようとしている。」

 神々の定めた地球の進化によれば、地球段階の次は木星段階となり、キリストはそれを目指しているが、アーリマンは、それを奪い、自分の惑星を造ろうとしており、そこで用いる思考をも準備しているのだ。

 ここで思考があたかも1つの「もの」のように語られていることは奇異に感じられるかもしれない。これはつまり、常識的には、脳が思考(その内容)を造り出していると考えるからである。しかし、事実は、人の意識は本来肉体に依存しないし、思考により生み出されたものは、人を離れて霊界に存在することになる。あるは、古代においては、思考は、空気のように外から人の中に「入ってくるもの」であった。その様な時代には、まだ人間は、自分で思考を造りさせなかったのだ。

 アーリマンは、死者を地上エーテル体に留めるように、地上において生み出された思考を保存したいのだ。

 

 既に何度か触れてきた、欧米のアーリマンに奉仕するオカルト結社について、次に述べられる。

 「その中では、しばしば参加者を死後も結びつける魔術的儀式が執り行われている。結社の目的のために、死後も活動しようとしているのである。『ある種の儀式的魔術的結社のサークルに入った者達は、死を超える力、言わばアーリマン的不死を得る。彼らが属する結社は、彼らにとって言わば城であり、本来は物質的な死までしか生きるべきでない彼らの力が、死を超えて生きているのである。このような考えが今日、多くの人に生きている。人が、個人として活動するだけでなく、その様な結社の道具として活動することにより成り立つ、アーリマン的不死を獲得するという考えである。』

 この儀式で何が起きるのか? 逸脱した天使が、儀式の間に、人に意識されることなく、人々のアストラル体エーテル体、肉体に、それらを造り変えるために作用するのであるそれにより、もはや、輪廻を生きていく永遠の人格を保持することができず、代わりに、アーリマン的不死を求めるのである。アーリマン的不死には、地球状態を保持するという目的が加わる。」

 アーリマン的不死とは、自我(魂)のない不死である。生き続けると言っても、主体性はなく、言わばアーリマンの道具として存在を続けるにすぎないのだ。

 

 「シュタイナーによれば、『人は生まれるときに、新しい意志を持ってくるが、思考は、それとは離れて、人の脳を発見する。意志は、体の他の部分を自分のものにする。生きている間は、意志と思考の間に不断の相互作用が存在する。意志が思考を支配しており、人は、意志と思考から構成されたものをもって再び死を通っていかなければならない。アーリマンは、それを阻止する。意志が分離され、思考がただ人の中でのみ形成されることを望んでいる。それが実際に起きてしまうと、人は完全に人格(個体性)を失ってしまう。人は過重に本能的に形成された思考を持って死ぬこととなる。しかし、人は、この思考を保持できない。アーリマンは、それを自分のものにすることができる。そしてそれを残った世界に加えると、この思考は、残された世界で働き続けるのである。現在の唯物主義が続くと、アーリマンの力が強くなり、人から思考を盗み取り、それを地球に付与して作用させることができるようになる。すると、本来は、滅んでいかなければならない地球が保持されるのである。アーリマンは、一方で、思考を獲得するために、意志のない思考を望んでいる。他方で、宇宙的意識に導く宇宙的エーテルでなく、地上的エーテルから織りなされたエーテル体を人間に付与したいと望んでいる。自我のない思考を造り出せば、この思考を自分のものにして、自分の考えで用いることができるのである。地球を硬化するために、地球にそれを注ぐのである。」

 人の意識作用には、感情、思考、意志があり、アトランティス時代にそれらは不調和に陥ったと言われる。独立性をもっているのである。意志は自我意識と結び付きが強い。思考は意志から分離されることにより、アーリマンに奪われてしまうのだ。思考の主体は自我であるが、地上においてはアストラル体エーテル体が必要であり、アーリマンは地上的エーテル体を造り、地上的思考を担わせ、それにより自分の地球を造ろうとしているのだ。

 

 アーリマンが受肉するということは、アーリマンの地上での働きが頂点に達するということである。すると、彼と彼の従者達が長い間努めてきたが、今までなしえなかったことが可能になるという

 「地上的思考を人間の脳から切り離し、それを死後の世界に持ち込むのである。これをアーリマンは数百年の間実現しようと努めてきており、一部は、自分の力で、可能となるだろう。その時、彼の道を歩む人間達は、死後も自分の思考を保持し、思考力だけでなく、記憶も維持して、自分が造り出した知識を持ち込み、拡張することができるようになるのだ。それにより、そうした人は、肉体がなくなっても、地上での自己意識を維持できるのである。しかしそれは、実際の自己存在の意識ではなく、制限された地球エーテル的意識である。人々は、自由な自我を展開することができず、アーリマンの道具である、一種の思考する集団的存在になるのである。それは、地上の人々への影響力と世界を破壊する力の点で、従来の死者達よりずっと強力になる。加えて、不正に地球で活動する、月、金星、水星存在達によって、地球エーテルだけからなる新しいエーテル体を人間に植え付けることに、アーリマンは成功するだろう。そのエーテル体は、持ち去られた意志のない地上的思考の、記憶と死後の新たな自己意識の担い手になるだろう。それによって、ドッペルゲンガーによっても、その様な人間が死んだ後にもそこに留まることができるようになるのだ。ドッペルゲンガーは、人が死後宇宙意識に移行することにより、もはや自分の意識が消え去るおそれがない。地上的になったエーテル体と地上的思考に住み続けるのである。そして、死者を、その地上に向けられた思考と行為に強めるのである。」

 このようなアーリマン的不死を獲得する最初の者は、アーリマンに奉仕し、儀式を行なう結社の指導的人間だという。彼らは、死後も、その目的をより高められた意識で継続して追求できるようになる。

 アーリマンの王国の住人には色々な種類がある。

 「アーリマンの無意識的な道具である人間、意識的な、共に働く人間、天使、大天使、アルカイそして堕落した形態の霊としてのアーリマンである。」

以前「古代メキシコの秘密とアメリカ」で触れた「メキシコの黒魔術師」のような、秘儀を受けた者達もいる。彼らは、

 「キリスト意識を地球から取り去り、宇宙の光が輝かないように地球を暗くし、地球発展の主導権をえるための認識を発見でき、宇宙に、地球圏を越えて昇っていくことができるようになるだろう。黒魔術的秘儀参入者の困難は、生命を殺して、冷たい、心のない思考を自分の内に造り出すことにより、強く地球の重力に捉えられ、自分の力では宇宙的高次世界に昇れないことであった。彼らは、驚きと共に地球を去る犠牲者の魂の中で、自らを望む世界へと運ばせるために、人々を殺さなければならなかった。その様な高次世界への上昇は時々しか起こらなかったので、常に秘儀参入者は努めたのである。アーリマンは、地上への受肉と、それにより強まった力により、これを可能にする。

 アーリマンの受肉は、その従者達の力を強めるのである。こうして、アーリマンは、彼に結びついた人間達と霊的存在達を正当なヒエラルキーから分離し、自分自身のヒエラルキーを造るのだ。神々に対抗するアーリマンの軍団である。

 本来の天使群であるヒエラルキーの大天使は、人間に、人類意識を与え、それが、人間を正当なヒエラルキーに結びつけるのである。人類意識の発展により、地上的拘束、国家的言語や、民族、血族的共同体から人は自由になるのだ。しかし、

 「アーリマン的大天使はそえを妨げるのである。彼らは、今やアーリマンの道を歩まなければならない。新しく獲得された彼らの力により、アーリマンは、ローマ時代から努力してきたことがうまく行くようになるのだ。それは、強固な中央集権により、内と外に向けて、地上に支配権を獲得し、更に地上における全ての自由な自我の発展を不可能にする新たな世界帝国を打ち立てることである。

 このようなアーリマンにとって最大の敵は、真の霊的認識、宇宙的英知である霊学である。アーリマンは、地上から霊学が消え去ることを望んでいる。

 「アーリマンは、新しい認識、発見、発明、人体の操作により、人間の魂の形成に決定的な影響を与え、技術の分野で、機械的あるいは唯物主義的なオカルティズムの方向に更なる成果を導入することに成功するだろう。アーリマンは、自分の受肉により新しい惑星への礎石を置くのだ。

 新しい発見、人体への操作とは、まさに、遺伝子技術を利用した現在の「ワクチン」ではないか。死者も生者も、アーリマンによって操作され、本来の自然のあり方を奪われるのだ。それがアーリマンによる新しい惑星創造の出発点なのである。

 今、ネットでは仮想世界の構築が本格化してきている。日本でも「ムーンショット計画」なるものが政府により打ち出されている。「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」するというのだが、本当にこんなものが必要なのだろうか。そんなものを求めている人がどれほどいるというのだろう(実際に求めているのは、これに関わる業界くらいだろう)。

 これは、アーリマンによる新しい惑星(世界)のカリカチュアに他ならない。あるいは、それへ進むために、人々の潜在意識に訴える前段階の役割を担うものだろう。

 

 アーリマンの受肉により、地球を巡る戦いは、決定的な段階に入っていくことになる。 これは恐ろしい戦いである。しかし、人類に迫っている危険に、怖じ気づくことなく、はっきりとみつめなければならない。

 アーリマンとの戦いは、それを人類の霊的発展のために役立てることでもある。そのためには、アーリマンの働きをしっかりと認識することである。

 「シュタイナーは、次のように述べている。『人間の次の文明発展のための使命は、アーリマンの受肉がより高次の霊的発展に役立つように、完全に意識的に、アーリマンの受肉に対峙することである。』受肉の前、さなか、その後に、アーリマンの働きを、人類のより高次の発展に奉仕させることは可能なのである。」

 それに役立つのが、人智学(精神科学)などの霊的認識である。

 「『いつも秘儀参入者により語られたことは正しい。霊的な英知からくるものが人に流れ込むとき、アーリマン的諸勢力にとって、それは闇という大きな恐怖であり、また燃え尽くす炎である。今日、アーリマン的学問で一杯の頭の中に住むのは、アーリマン的天使には良いことである。しかし、霊的英知に満ちた頭は、アーリマン的天使にとって、燃え尽くす炎や、暗闇の大きな恐怖と受け止められるのである。その様なことを真剣に受け取れば、アーリマンの諸勢力と正しい関係を築くことができ、世界の救済のために、燃え尽くす犠牲の炎の場所、有害なアーリマン的なものに闇の恐怖が差し込む場所を、我々自身が打ち立てるのである。』その様な場所が、西方には必要である。」

 アーリマンは、人に知られることを恐れている。知るとは、その本質を認識することである。人は、アーリマンをも驚かすような「霊的英知に満ちた頭」を造らなければならないのだ。

 一方で、アーリマンに対抗する地上の霊的潮流への攻撃は強まっていくだろう。おそらく、第2次世界大戦においてナチスにより人智学が攻撃されたように、今後、人智学などに対してあからさまな攻撃が起きることも考えられる。

 現在は修復されているようだが、人智学協会は、シュタイナーの死後、指導者間の分裂対立を起こしたことがある。これは、内部に入り込んだ魔の力の影響もあるだろう。これまで密かに行なわれてきた攻撃が、今後、表立って行なわれる可能性があるということである。

 コロナやウクライナ問題においては、政府に反対する人々は排除されてきている。このようなことはあらゆる分野に拡大していくだろう。「非正当的な考え」がパージされるのである。

 ネットでは、「非科学的」な内容の排除が既に進んでいるようだ。このブログのような人智学を扱うブログが排除されたとき、アーリマンが受肉しているのは間違いないだろう。