k-lazaro’s note

人と世界の真の姿を探求するブログです。 基盤は人智学です。

太陽黒点と人間


 17世紀に活躍したジョン・ミルトンは、イギリスを代表する詩人(デイヴィッド・オーヴァソンによれば秘教に通じていたという)で、その代表昨は『失楽園』であるが、それは、当時の天文学の発見を数多く取り入れているとされる。その中に、魔王(サタン)が太陽に降り立つ様を描く描写があるのだが、その様子は黒点に擬されている。明るく輝く太陽の中に生じた黒い点、あるいは傷、それがサタンである。

 黒点はこのように、言わば太陽の傷あるいはしみのようであり、神とも崇められた存在にはそぐわない。直感的にそう思わざるを得ないのだが、実際にはどうなのだろうか?

 キリストは太陽霊(今は地球霊となっているが)と言われることからも理解できるように、太陽が神的な存在であるというのが、世界中の古代宗教あるいは秘教の教えである。

 では、黒点はどうかというと、シュタイナーによれば、何千年も前に、太陽に黒点はなかったという。ある時期から出現し、今もまたそれは増え続けている。それに伴い太陽は輝きを減じ、ついには全く黒くなって、衰微していくという。やはり不吉な存在である。

 黒点と人間社会の出来事に一定の関係があるのではないかという学説がある。「In Deep」さんによく取り上げられているテーマであり、詳しくはそちらをご覧いただくと良いだろう。これは科学的な話である。

 では、霊学的に見るとどうなのだろうか。1957年、ドイツ生まれのハルトムート・ラムHartmut Rammという方がいる。癌なども研究する人智学系の植物学者らしいが、黒点に関する本をだしている。『太陽の暗い斑点・・・若い宇宙的徴候の兆しにある千年紀の変わり目』という本である。これから中身を紹介したいところだが、なにせ厚い本なので(またまた読了していない)、この本のブックレビューを見つけたのでそちらの方を紹介することとする。

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 歴史と現代史のスケッチ
 「Der Sonne dunkle Flecken」(太陽の暗い斑点)

 

 これは、1998年にHartmut Rammが発表した本のタイトルである。それまで黒点の一般社会における意義や、それが地球上の人間の失敗により生まれることはほとんど知られていなかった。ハルトムート・ラムは、本質的な科学的知見をまとめ、ルドルフ・シュタイナーの最も重要な発言と結びつけている。この作品は、より多くの人々に理解されるに値するものであり、今日、宇宙の嵐が地球に及ぼす影響について考察することが焦点となるのである。

 

太陽黒点と地球のカタストロフィー

 1611年、ガリレオケプラーと同時代のイエズス会士クリストフ・シャイナーは、その年の3月6日に望遠鏡で黒点を発見し、統計的な記録を取り始めた。16世紀末、イエズス会が皇帝フェルディナント2世を呼び寄せた街インゴルシュタットで起こったことは重要なことだった。バイエルン公のいとこで、16世紀末にカトリック連盟の指導者であったマクシミリアン選帝侯(30年戦争を開始したイエズス会の2大子分)と、イルミナティ(1776年にアダム・ヴァイスハウプト、SJが創設)と最初のバイエルン大学(これもSJが創設)(その後ミュンヘンに移ったが、哲学科はこの秘密教団の指導下にあった)の設立場所でもある。

 太陽黒点の極大に対応するオーロラは、2001年のように中央ヨーロッパやアルプスまで見えるが、1611年以前からすでに同時代の天文学者によって観測されていた。太陽黒点は、1611年以来、恒久的に記録され、科学的・統計的に評価されてきたと、ハルトムート・ラムは証明している。太陽表面の巨大なクレーターとして想像できる黒点が、なぜ唯物論的自然科学の旗手となった17世紀初頭からイエズス会の研究者たちの間でしか注目されなかったのか、その理由は様々だろうが、すでに上で示した人間の影響により出現した黒点を当時から研究していたことは興味深い(重要な)ことだそして:[イエスズ]教団は、いわば、自らの地上の行いの痛ましい結果を太陽の中に観察していたのである。その少し前、1598年(前述のフェルディナンド2世がハプスブルク帝国から非カトリック教徒全員を暴力的に追放することに始まり、1618年にはプラハの脱北で30年戦争に発展)、1605年にはロシア、デメトリア、イギリスで火薬陰謀事件というイエズス会が主導するヨーロッパの大災害が発生したのである。(訳注)

(訳注)イエズス会はローマカトリックの言わば保守派で、教皇への絶対的な忠誠や軍隊的な性質をもっているとされる。ただ制限はあるものの科学を研究する会士も存在した。その戦闘的体質から、旧教を守るために激しい活動もあったようで、それが「ヨーロッパの大災害」をもたらしたということだろう。筆者は、その大災害が太陽の黒点に反映しており、それをイエズス会の会士が自ら観測しているというのだ。

 黒点の周期は約22年で、そのうち中間の11年は太陽表面で見ることができる。個々の周期が重なっているため、目に見える11年周期は必ず他の周期に続いている。特にこの11年の真ん中あたりには、黒点極大と呼ばれる巨大な暗黒斑が形成される。ラムの考察の核心は、黒点極大と地球上の大災害の同時性である。例えば、1918年以降のインフルエンザの大流行や、地震や火山噴火、洪水、鉱山での坑内ガス爆発などの大きな自然災害は、ほとんどが太陽黒点極大期に発生している。

 1692年から1920年まで、23回の大地震のうち、黒点活動が最大となった年に発生しなかったのは4回だけである。(引用:H.-W. Behm) 大災害の例として、1991年6月の黒点極大を考慮する必要がある。6世紀もの間沈黙を守っていたフィリピンのピナツボの噴火に、日本やインドでの火山噴火が重なった。さらに、ジョージアからビルマニュージーランド、サンドイッチ諸島、アメリカ西海岸などで地震が発生した(海底地震)。さらに、中国とインドでは最も激しい雨と洪水が記録され、ニュージーランドでは数十年ぶりの大雪を伴う極端な寒波に見舞われました。

 また、社会的な大惨事との同時性も印象的である。18世紀については1789年のフランス革命、19世紀については1848年の中欧の革命と1870/71年の独仏戦争がその例である。 1917年以降の社会的大惨事は、[大天使]ミカエルが時代霊として時代をリードする時代に入り、新しい質を持つようになるが、ラムによるその詳しい説明はこのレビューの範囲を完全に超えてしまうだろう。ここでは、ボルシェビキの10月革命が起こった1917年と、ウィルソン大統領率いるアメリカの参戦、そしてシュタイナーがしばしば引用する悪名高い14箇条(嘘の)プログラムに簡単に言及するにとどめることにする。

 

ゴルゴダの秘儀(訳注)

(訳注)イエス・キリストゴルゴタの丘で死に、埋葬された後、復活した出来事を、シュタイナーはこう呼んでいる。この時、地震が起きたとされている。

 私たちの中心の天体の外殻で起こるプロセスの科学的な説明は、ラムが膨大な著作の中で詳しく述べており、素人にも理解しやすい。この黒点からは、まず白色光噴出、そしてその直後にプラズマ噴出という強力な噴出が起きている。このようなことが、黒点の極大値が太陽の赤道上にあり、同時に地球に正対している、つまり光線が直接地球に届くような黒点期間の途中で起こると、上記のような地球上の大災害が起こるのである。しかし、ラムがシュタイナーの言葉を数多く引用しながら、その著書の中で詳しく述べている最も重要な精神科学的背景には立ち入らずに、著者が示したこれらの黒点活動の例、太陽での噴火の同時性、時系列と地上に引き起こされた大災害、歴史上の聖金曜日イースター日曜日の出来事をここで考察する必要がある。

- 太陽の白色光噴出は8分以内に地表に到達し、直ちに地球の磁場を揺り動かす。電離層を通過し、地球の中心部まで直接、放射される。

 すると見よ、神殿の幕が上から下まで二つに裂け、地は揺れ、岩は割れた・・・・・・

- 聖金曜日の日食(正午12時)または十字架上の死(午後3時)からイースター日曜日の夜明け(午前6時)までの期間は39~42時間である。これは、記述した白色光噴出から約24〜48時間後に、地球上で二次的効果が有効になるという天体物理学的観測に対応するものである。

 放射性フラッシュが直接地球を貫いてから1〜2日後、部分的に巨大な太陽プラズマの雲が地球の大気、特に地球の磁気圏を直撃する。このプラズマ噴出と呼ばれる現象によって、地球は再び芯から揺さぶられ、2度目の地震を誘発するのである。

... 日曜日の朝、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓の様子を見に来た。すると、見よ、大地震が起こった.

- Emil Bock6が書いている。

地震は、かつて(ソロモン)王が埋めたゴルゴダの原初の峡谷を再び切り裂いたのである。そうして、地球全体がキリストの墓となったのである」と。

「この墓は、ソロモンがエルサレム市を前にして切り開いた原始の谷に属していたのです。つまり、弟子たち7は空の墓だけでなく、不気味な奈落の底も見ているのだ。

 33年4月3日・5日の歴史的なゴルゴダの出来事には、人類の地上的発展にとって最大の救いの行為が含まれていたのである。しかし、その前に、銀貨30枚でユダが裏切り、大祭司アンナスとヘロデ王のルシファーが参加するという最大の裏切りも含まれていた8。ラムはこのモチーフを省いているが、ルドルフ・シュタイナーの「人間は宇宙を痛める」という言葉を真に受けるならば、黒点の大きさや噴火の激しさには一定の意味があるのだ。おそらく、1998年に出版されたとき、2001年の裏切り(訳注)というパラレル(平行事象)はまだ知られていなかったからだろう・・・。

(訳注)9.11アメリカの同時多発テロのことであろう。これは世界に対する裏切りである。

20世紀の太陽黒点

 ここでもう一度、時事問題に目を向けてみよう。

 ルドルフ・シュタイナーは、薔薇十字団の神智学に関する講義9の中で、太陽の黒点とその広範な起源に光を当てている、とラムは書いている。「1924年6月7日、コベルヴィッツでシュタイナーは再び黒点の意味を指摘した。1907年6月2日、彼は今日、太陽に現れる斑点を、その敵対する力が現代人類への最大の挑戦となっている悪の遅滞した力と関連付けた。1924年6月7日、コベルヴィッツでシュタイナーは再び黒点の意味を指摘した。"もし、人が物事をもっと詳しく見ようとするならば、例えば、社会生活の中で起こっている多くのことが、黒点の周期性を理解すれば、よりよく理解できるだろう "と述べた。」

 そして、ハルトムート・ラムは、11年間の平均的な黒点周期No.15から22に基づき、70ページにわたってソ連の症状史的な説明を行う。1917年11月の黒点極大:10月革命/レーニンによる権力奪取に始まり、1929年農民反乱/クラク人殺害、1937年スターリンによる見せしめ裁判、1948年東欧圏への進出、1956年ハンガリー動乱鎮圧、1968年プラハの春鎮圧、1979年アフガン侵攻、1991年エリツィンの8月クーデターに至る周期的なものである。

「人間は宇宙を痛める ...」

 と、ルドルフ・シュタイナーは、23年10月23日と23年11月17日にハーグで行った講演の中で述べている。ラムは、この本の付録の中で、このテーマに関するシュタイナーの最も重要な発言を、本編の執筆時には知らなかったと述べている。そして、98年6月のミヒャエル・カリッシュとの会話と、同年出版された彼の著書11に触れ、「10月23日の講演は、私の説明の中では、むしろ不当に小さく扱われている」と総括している。そして、「これら(シュタイナー)の言葉は、ナチスの恐怖による大量絶滅行為と1933年以降に著しく変化した黒点のダイナミズムも、法則的に互いに内部的に結びついていると見るべきことを示唆している」のでだ!

 ルドルフ・シュタイナーは、「人間が青酸カリで自分を殺すと、実は、人は太陽を破壊しているのだ」と言った。そして、すべての青酸カリによる死によりそのようになるのだ・・・」! このような事情から、ラムは症候学的な歴史観察を東方に限定しており、中欧や西洋は視野に入れていなかったのだ。しかし、忘れてはならないのは、チクロンB(訳注)は青酸カリの商品名にほかならないということだ。中欧と西欧の症候学的な歴史観察については、このような側面と、先に述べた2001年の並行事象を考慮したうえで、別の考察となるだろう。

(訳注)ナチスアウシュビッツで使用した毒ガスである。

         フランツ・ユルゲンスフライブルク

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 太陽黒点が多いと言うことは太陽活動が活発であるということであるから、それが地球やそこで生きている生命に影響を与えることは十分想定されることである。このようなことから、黒点と地球上の災害や騒乱と言った自然及び社会的事象に相関関係、同時性があると考えることに無理はないだろう。In Deepさんの記事でも、そうした研究が紹介されている。

 だが、シュタイナーが示唆し、ラム氏が考えているのは、実はその逆もあり得ると言うことのようである。人間が太陽の黒点に影響を与えている、その生成消滅に関わっていると言うことである。太陽は、シュタイナーによれば、その内部は空洞(というより虚の空間)であるとされ、その本体は霊的存在そのものである。人間も魂的・霊的要素をもっているので、例えば人間の汚れた情念や観念が太陽に影響を与えるということであろうか。(この辺の詳しい説明は、まだ学習不足なので、次の機会に譲りたい。)

 一時期、黒点が少なかった太陽が、最近は活動を活発化させているようである。ウクライナ危機により世界中で憎悪が広がっていることを反映しているのだろうか。

 なお、青酸カリによる死が太陽を破壊しているということについては、実は、その人間の魂も破壊するという重大な問題も含んでいるのであるが、これについても、今後紹介していきたい。

監視社会と人間性の破壊、アーリマンの受肉

シュタイナーの指示に基づくアーリマン像

 アメリカのバイデン政権が、「誤報(ディスインフォメーション)管理委員会」を創設すると報道されている。政府が誤情報を認定し、情報を規制するというのである。これには、ジョージ・オーエルの『​​1984』(全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いた小説)の「真理省」そのものではないかという批判が出されている。真理省とは、この小説にでてくる政府機関で、その実態は、名前とは真逆の、思想・良心の自由に対する統制を実施するプロパガンダ機関である。(ちなみに、他に、平和省:軍を統括、平和のために半永久的に戦争を継続、豊富省:食料や物資の配給と統制を行う、愛情省:反体制分子に対する尋問と処分を行う、という機関も存在する。)
 まさにフィクションが現実化するのである。アメリカの堕落と腐敗はここまで進んでしまっているのだ(このような国に従属し、決してものを言えない日本は、このことを批判できない)。
 コロナとウクライナ危機を通して、世界に嘘が蔓延している。その裏で、人類の真の危機は見えなくされている。そして、こうしたシナリオを書いている者がいる。それは、悪の霊的存在、アーリマンである。 

 シュタイナーは、このアーリマンが、3000年紀の早い時期に、この地上世界に肉体をもって現れると予言した。アーリマンは、自らの登場するにふさわしい舞台を自ら創作し演出しているのである。
 海外の人智学派にも、最近の世界情勢の背後にアーリマンの影を感じ、危機感を募らせている人々が増えてきている。今回は、人智学派の主流で指導的な位置にあるピーター・セルグ氏の、これに関係する本からその一部を紹介する。書名は『アーリマンの未来と魂の目覚め』といい、本来は講演のために準備された原稿のようである。シュタイナーの創作した「神秘劇」という戯曲に触れながらアーリマンの問題を扱っている。
 以下は、その後半の部分の要約である。

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アーリマンの未来と魂の目覚め

ピーター・セルグ著

 

人類の知性を巡る戦い

 ヨーロッパの社会は、「一層監視が進んだ空間」となってきており、これは人々に支持されている。「監視社会化が、中国ほどに進んでいないのは、技術の貧弱さゆえであり、西洋では、技術の可能性と共に、ゆっくりと基本的人権の溶解が進んでいる。」

 2020年3月の記事で、ユヴァル・ノア・ハラリは、次のように警告している。

 「監視技術は、危険なスピードで発展している。仮想の国家を考えてみよう。そこでは、全ての市民が、バイオメトリックのブレスレットの着用が命じられている。データが集められ、分析され、その人が知る前に病気であることが知られ、どこで誰と会ったかもわかる。その様なシステムでは、パンデミックもすぐに解決される。フォックスニュースを見るのか、CNNニュースを見るのかがわかれば、その人の政治信条や性格もわかってしまう。何に怒り、喜ぶのかも。企業や政府は、人の感情を予想するだけでなく、人を操作できるのである。」

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 カール・ヤスパースは、「我々が正しいと思う人類の姿自身が、我々の生の要素となるのである」と語った。アーリマンの描く人類の姿は、上で見たものが、大部分、未来の姿として決定的なものとなる。それは、倫理的個人主義、あるいは社会を形成し、社会的に考え、自己責任を持つ、自由で成熟した個人の姿ではない。ハラリ氏は、次のように要約する。「人々は、自分自身を、もはや自分の人生に調和した自分の意志に従う、自立した存在とみるのではなく、常にモニターされ、電子的アルゴリズムにより指示されるバイオメトリックな機械の集合体と見なすのである。」

ある意味、これは、ハラリ氏にとって、唯物的人間学に、アーリマン手書きの人間学に基づく限り、論理的に一貫している。「人間、キリン、ウイルスは、みなアルゴリズムである。コンピューターとの違いは、自然選択のきまぐれにより進化してきた、生命科学アルゴリズムであるということである。」「個人の真正の自己は、サンタクロースやイースターのウサギ以上にリアルではない。」自由のない人間という唯物主義的なアーリマン的思考と、自由のない世界を創造する技術を作り出すことは関係しており、分離できない。アーリマンが望んでいるのは、人々が、この新しい世界を、最も健康で安全、現代的で合理的なものとして支持し、あらゆる世界の中で最善であるとみなすことである。この世界は、彼らに、彼らの免疫システムをブーストする遺伝的技術によってだけでなく、精神的能力の領域、肉体的容姿と健康、望みどおりの生殖、そしてアンチ・エイジングにおいて可能性を高めることにより、自身の永遠の最善化(そして「不死」)の技術的見込みを与える。頭脳へのソフトウェアの直接的な導入も予想されている(そのビジョンでは、チップを通して遠隔でダウンロードされる)。そしてその逆も。神経リンクシステムにより、脳の内容がハードウエアにコピーされ、そのソフトウェアが存在し続ける「デジタル的不死」まで想定されている。

 既にシュタイナーは、1920年に、いつの日か「西側」に出現する「純粋にアーリマン的な理想」について語っている。それは、実際的な「機械的物質的原理の霊性との結合」として、機械に「移し入れられた」「神経バイブレーション」からなる。

 現在、まだ未来のこととみられている、マニアックな専門家の「トランスヒューマン」や「ポストヒューマン」のファンタジーは、実際には、億万長者達の資金により、長い間、発展を続けてきた。コロナ危機の最中である2020年の春に、空には、イーロン・マスク人工衛星が400個存在していた。彼とスペースX社は、インターネットのブロードバンド対応を最大化するために、既に40,000個の人工衛星を計画している。おそらく、その目的は他にもある。シュタイナーのアーリマンの受肉に関する講演の100年後、「地球の周囲」は、少なくとも人々の意識の中で、実際大規模に「霊がなくされ、魂がなくされ、生命すらなくされ」た。人の脳と機械との結合と最終的融合を目的とするニューラリンク社は、4年前に設立され、今、その活動は公から見えなくなっている。

 2019年11月、『人類の防衛』の序言で、トマス・フックスは次のように書いている。

 「倫理的観点からのヒューマニズムとは、テクノクラートのシステムの独裁、自己実現の実際的な制限、人間存在の科学技術化に抵抗することと同じである。我々は、自分を、アルゴリズムとしてであれ、神経により決定される器械としてであれ、客体(物)としてみるなら、社会工学的手段で操作し、コントロールしようとする者達の支配に入るということである。『人が、自分の望むものになるための個人の力とは、他者を彼らの望むものにする力である。』(ルイス)」

 シュタイナーの「神秘劇」(1910-1913年)以来、アーリマンは、冷たい知性、正確さ、並外れたスピードで、現実の「時の破壊的な流れ」の中で、印象的な成功の物語を書き記してきた。ルチファーと共に、彼は、既に人類の多くの部分をバーチャルな世界に導き、そこが居心地良く感じるようにさえしている。問題は、ほとんど完全なシミュレーションの世界に益々巻き込まれていっていることである。そこでは、「ものの仮象」が現実に優先するだけでなく、現実をすっかり置き換えることである。「オンラインのセラピストが、実際には単なるチャットボットであるということは既に可能となっている。精神病患者のための、最初のヘルスケア・ロボットは、既に試みられている。」(フックス) 人工的なシステムが、現実の関係性に置き換わってきており、ロボットが、幼い子ども達の友達として役立ち、社会性や情緒の発展を促すと考えられている。機械が、「関係性をつくる人工物」となるだろう。

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 アーリマンが意図し主導している、自動機械、人工知能に基づく技術に置き換えるプロセスは、職場で既に長い間進行している。しかし、コロナにより、シュワブとマルレが言うように、それは、予想外のブーストを得た。それは、人の労働を機械に置き換えていき、膨大な就業機会が失われるだろう。

 シュワブとマルレは、雇用喪失は残念だとしながら、「システムチェンジ」の文脈では必然であるとする。彼らは、オンライン・ワーク、オンライン・ショッピング、オンライン医療、オンライン・エンターテインメントを思い描いており、「実際、コロナ・パンデミックは、オンライン教育に恩恵をもたらすだろう。」

 シュワブとマルレは、多くの場所で子ども達が学校と学校生活、日常のそして社会的な生活を失っている状況にあることに触れない。おそらく、これらは、「オンライン教育の恩恵」なのである。子ども達は、アーリマンの計算とビジョンの中で中心的役割を持っていない。「パーソナル・リセット」、「我々の人間性」の、メンタル・ヘルスと健康の新しい定義は、オンライン・ワーク、オンライン・ショッピング、オンライン医療、オンライン・エンターテインメントの、急激に変化する世界を好み、支持する、変化に熱心な、主要な工業国の従順な大人をほのめかしている。シュタイナーは、神秘劇の中で既に次のように描いている。「技術のエネルギーは、配分される。それにより、全ての人が、好みに応じて整えた自分の家で、仕事に必要なものを快適に利用するのである。」

 シュワブとマルレの本には、子どもや社会的な人間関係、あるいは、ホーム・オフィスやバーチャル空間による人々の関係性の断絶について書かれていない。同じく、信頼の喪失、友達関係の終わりについても、ない。―これらはすべて、アーリマンの戦略である。マスメディアは、これに対して、非常に感情的に働いており、基準に外れる疑問、解釈や行動を笑いものにし、それに悪意と嘲りを注いでいる。「アーリマンの力はどこにあるのか? 人々を分断する力が入り込むところである。」と、1920年にシュタイナーは、記している。

 このような時代を背景として、シュタイナーの神秘劇やアーリマンの受肉に関する講演、彼の多くの警告の言葉を思い出すと、最後の神秘劇におけるヒラリウスの次の言葉に思いをはせるべきであろう。「私は何度もそれらを聞いたが、その意味する秘密を感じたのは、ようやく今になってである。」

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 今日、シュタイナーの、アーリマンに関する言葉に含まれている「秘密」は、一層、明瞭になっている。アーリマン的知性の文明上の現象とそのグローバルな力、「監視資本主義」(スノーデン)は、益々、急激なスピードで、シュタイナーが警告した個人の思考の抑圧を引き起こしている。(「・・・すべての個人の思考はシャットダウンされるだろう。」シュタナー) シュタイナーは、1919年に、「このことについて幻想を抱くのは助けにはならない」と語った。その数年後、「自体はこのように深刻である」ことを信じない者は皆、アーリマンの受肉を促進している、と語った。「境域の守護者」の8幕(1912年)で、アーリマンは語っている。「今まで、私はこれに成功しなかった。地球は私に降伏しようとしなかった。しかし、私は永遠に栄えるだろう。おそらく、勝利を得るまで。」2020年の終わりに、「おそらく」は、おおいにありうることとなった。

 シュタイナーは、来るべきアーリマンの受肉を止めることはできないと語った。しかし同時に、地球とその住民が完全にアーリマンのもとに降ることとならないための必要で可能な抵抗について語った。完全に降ると言うことは、「地球のゴール」が失われ、これまで「地球文明」として獲得されてきたもの全てが真に破壊されることを意味する。シュタイナーは、この危機的状況において、人智学とその霊学のための自由大学、そのアーリマンに関する知識、教育から農場までの多くの生活の領域におけるカウンター・イニシアチブを含むミカエルの共同体に信頼を置いた。「彼らは、注意して、彼(アーリマン)のことを考えなければならない。彼らの認識を彼が支配しようとするとき、彼を隠している多くの形態を特定しなければならない。」シュタイナーは、人智学派の人々の既存のサークルを超えた、ミカエルの弟子達の共同体の発展可能性に望みを託したのである。全く別の文脈に多くの「ミカエル派の人々」が存在する。彼らは、地球の未来、創造行為の新たな態度と新たな方法のため、エコロジーと平和のため活動するイニシアチブと勇気をもった、独立した創造的な個人である。彼らの活動は、聖フランチェスコ派、あるいは霊的な薔薇十字運動の傾向をもっている。彼らは、ほとんどこれらのグループに所属してはいないが。

 人類の前には、明らかに、「キリストのための文明を救済する」という使命が存在する。今のところ、これを達成できるというチャンスは大きくないように見える。一方、脅威を増す近年の危機を目にして、「魂の覚醒」が世界の多くの場所で起きている。40年前、チャールズ・アイゼンシュタインは、自著の序言で、「文明の大いなる危機と新しい時代の誕生」について書いている。彼の観念と意図は、各自の道を統合すべき人々の、地球上の益々増大する人々の感じていることを表現している。シュタイナーの考えている「抵抗」は、否定や拒否と同じではない。むしろ、それは、生(生活)に奉仕し、成長する文明における様々な領域における生(生活)のモデルと規範を創造することに導く、人の意識と、変化し拡張された科学の努力に始まる。

 シュタイナーは、『西洋の没落』のオズヴァルト・シュペングラーを批判し、次のように語る。「地球の未来は、人類自身のデザイン、人類自身の関心によるものでなければならない。」アーリマンと異なり、必要なのは人間の意識の問題である。-そしてまた、勇気、エネルギーそして意志の。「人類の進化は、霊的なもの、生への意識的で霊的なインパルスを必要としている。」(1921年

 道を求め、それを見つけ、従うなら、高次の世界の救いがやってくる。「勝利」は、単なる反抗的態度によって得られないことは、神秘劇の、やはり霊界からの救いを願う場面で触れられている。「今、人智学的に考え、感じるよう備えるとき、我々の前にあるのは、小さな決断ではない。大きな決断である。」と、1919年11月、シュタイナーは、アーリマンの受肉についての講演で語った。

 いつまでも全てが失われてしまうままなのではない。また、ある重大な大変動の後、別の時代と新しい社会秩序、経済とエコロジーが、人々の行動と霊界からの援助によりやってくる可能性があることを、多くのものが示している。キリスト者共同体の降誕節の書簡は、神々の生成を含む人間の生成のイメージについて語っている。シュタイナーは、1918年10月の講演で、「無意識(無力)」と無意識からの復活が、キリストの神秘と、現代のキリスト・イエスへの関係に関連している事を強調した。迫っているのはアーリマンの受肉だけではない。またエーテル界におけるキリストの再臨も迫っているのである。これに出会うことができるのは、「無意識(無力)」と無意識からの復活、重力の克服と死に行く地球存在の物質的衰弱という、エーテル界の真の生命原理を知る者だけである。

 ルカ福音書は、霊界の助けにより、個々の人間だけでなく、全人類を引き戻すことがまだ可能であることを示している。

 

力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。

そのみ名はきよく、そのあわれみは、代々限りなく主をかしこみ恐れる者に及びます。

主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、

権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、

飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

                (ルカ 1:49-53)

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 文中に「ミカエルの共同体」というような言葉が出てくる。シュタイナーは、これに望みを託しているようである。では、この共同体とは何か? 
 シュタイナーによれば、霊界は、来るアーリマンの受肉にそなえ、また人類の霊的進化を進めるために、ある計画をもった。霊界に、大天使ミカエルによる学校を創設したのである。そこに、地上を離れて霊界に存在する人々(ミカエルの弟子)が集まり、学んだのだ。こうした人々が、後に地上に受肉し、人智学協会やその周辺の人智学運動で活動したのである。
 しかし、実は、アーリマンも同じような学校をもっていた。そこでアーリマンの受肉を地上で準備する人間を養成したのである。またどこにでも魔は進入する。人智学運動も例外ではない。シュタイナーの死後、人智学協会は分裂の危機に瀕したのであるが、これもその影響であろう。そして人智学に対する攻撃は今も行なわれているようである(これについてはまた別の回で触れたい)。アーリマンにとって最も邪魔な存在だからである。
 今、世界の情勢を見ると、近い将来にかつてない激変が訪れると感じざるを得ない。それは、病気による大量死(これは既に進行しているが)、あるいは第3次世界大戦や大飢餓であるかもしれない。しかし、世界中の多くの人々は、それを準備しているものの真の姿を理解していない。
 今こそ「魂の覚醒」が必要なのだ。

自我と霊的経済


 以前「自我の秘密」で紹介した、人智学者のエルトムート・ヨハネス・グロッセ氏の『自我のない人々は存在するか?』から、今度は別の文章を紹介したい。

 人は、肉体のみをもっているのではなく、他の構成要素(あるいは体:この場合、体とは肉体ではない非物質的からだである)をもっている。それは、エーテル体、アストラル体そして自我である。そしてこれらは、独立した存在であるが、相互に浸透し、影響し合っている。
 肉体、エーテル体、アストラル体は、人が死ぬと消滅していくが、霊的発展を遂げた者のそれは、死後も残る。そのようにして、これらの低次の体を霊的な高次の体にしていくことが、人類の進化の道である。秘儀参入者やマスターと言われる者達は、通常の人間に先んじてこれを行ない、いわゆる霊的能力を獲得した者達である。
 シュタイナーによれば、このようにして霊化されたものは不滅である。また高位の存在により生み出されたものは、他の人間達もこれにあずかることができるのである。これを「霊的経済」という。ここで「経済」というのは、勿論、商業活動のようなことを意味していない。もののやりとりというほどの意味であろう。「経済的」と言うように、「効率的な」という含みもあるのかもしれない。
 最高のマスターはイエス・キリストである。その霊化されたからだのレプリカを、多くの聖人や芸術家達が受けいれていたのである。 

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人間の自我とその発展における霊的経済

 人間の進化のゴールは何かを明瞭にすることにより、霊的経済とは何かがわかる。人間の使命は、魂と霊の中で人格を発展させることである。

 シュタイナーは、人間は、霊的ヒエラルキーの一部でもあり、自身の意志と自由から進化全体に貢献できると述べている。

 

「人は、自分の未来を見ると、次のように言える。私は、行動のインパルスを私に与えるすべてのもののために、自分の最奥の存在を見るように-セラフィム(訳注)のように神を見ることによってではなく、自分の最奥の存在からである-求められている。そしてキリストは、それに無条件に従わなければならない神ではない。それは、自由の中で、彼に同意し理解する時にのみ従うよう働きかける神である。」

 

(訳注)セラフィムは、天使の位階の最上位にある天使である。従って、神に最も近く、間近に(「対面して」)神をみているのである。

 

 すべての地上生において、我々は、自らの発展の道を歩むように霊的指導を受けている。霊的指導を与える存在には、天使達の他に、マスター、ボディサットバ(菩薩)、アヴァター達がいる。シュタイナーは、マスター達を、「知恵と感情の調和のマスター」と呼んでいる。

 「グレート・ロッジ」あるいは「ホワイト・ロッジ」として人類を導くマスター達は12人いる。その真ん中に、13番目の存在としてキリストがおり、マスター達をその霊的力で満たしている。このマスター達のサークルは、12のボディサットバ達により貫かれている。ボディサットバは、高次の発展を遂げた人間で、エーテル体まで、大天使によって霊的力に浸透されている。(訳注)

 

(訳注)ボディサットバとは、仏教でいう菩薩である。菩薩が悟りを開くと仏陀となる。しかし、ボディサットバの概念は実は難しい。釈迦仏陀のように、菩薩や仏陀は人間であるが、霊的存在がそう呼ばれることもある。著者のこの文章も、解釈が難しい。マスターは霊的に通常の人間以上の進化をしているが、あくまで人間である。それに霊感を与えるのがボディサットバと言っているので、このボディサットバは霊的存在のようであるが、ボディサットバも人間であるとしているからである。ちなみに、人智学派には、人のボディサットバと霊的存在としてのボディサットバがいるとする考えもあるようである。

 

 霊的存在達は、相互に浸透することができる。人もまた、無意識にあるいは意識的に、他の-生きているあるいは死んでいる-人間に入り込み、また自身の存在を構成する要素の中に高次の存在達を受け入れることができる。

アヴァターとは何か。それは、人間の形を取って現れ、人類に霊的インパルスを与えて、助けるものである。彼は、援助や受肉することにより、何も自分のために求めない。既に進化の目的を達成しているからである。最大のアヴァターは、キリストである。彼は、ヨルダン川洗礼により人間イエスに完全に浸透した。

 

キリストが地上に降ったとき、特別なことが起きた。小麦の粒を植えると、育って、穂を付け、また多くの小麦を生み出すように、霊的世界でも同じようなことが起きる。ゴルゴタの出来事以来、キリストの力により、イエスエーテル体とアストラル体は、増えていき、その多数のレプリカが霊界に存在するようになった

  人は、地上生に降下するとき、エーテル体とアストラル体をまとう。イエスエーテル体とアストラル体のレプリカが霊界に存在することによって、そのようなカルマをもった人間には特別なことが起きた。それらのレプリカが、彼らに織り込まれたのだ。アウグスティヌスの場合、彼個人は、自分のアストラル体と自我を持っているが、イエスエーテル体のレプリカが、彼のエーテル体に織り込まれたのである。その様な人は、その偉大なインパルスを他の人類にもたらすのである。

 

 中世の多くのキリスト教絵画の画家達は、そのようなエーテル体のレプリカを持っていた。彼らの優れた絵画の背後には、画家達が体験したイマジネーションがあったのである。この絵画の伝統は、イエスエーテル体とアストラル体のレプリカが彼らに内在していたことに由来する。

 

ゴルゴタの出来事を描く絵は、イエスエーテル体が織り込まれた人々に由来する。これにより、彼らは、ゴルゴタの出来事とそれに関連するもののヴィジョンを得たのである。・・・キリストがイエスに入り込んだとき、キリストの自我の刻印がイエスアストラル体に造られてたのである。キリストの自我のレプリカは数多く複写され、霊界に保存された。」

 

人が、キリストの自我のレプリカを受けるには、十分に成熟していなければならない。

 

「次第に多くの人々が、キリストの自我の複写を受けとれるように人々を成熟させていくことが、霊的宇宙的潮流の使命の1つである。キリスト教の発展は次のようであった。先ず、物質的次元で幅広く伝道が行なわれ、次にエーテル体を通して、次にアストラル体-それは、しばしばイエスの再受肉したアストラル体であったーを通して伝道された。今や、キリストの自我本性自らが、一層多くの人々に、彼らの魂の最奥の存在として、現れてくる時代が来なければならない。」

 

 普通の人が死ぬと、彼らのエーテル体は、生前に純化された部分以外は、彼らを離れ分解していく。しかし、秘儀参入者が死ぬと、彼らは、浄化・霊化したエーテル体とアストラル体を霊界にもたらし、それらは、分解せず、生きている者達を助けるインパルスの源泉となる。これらの浄化された聖なる構成要素は、それに適した人間に織り込まれる。

 アッシジのフランチェスコは、イエスアストラル体を受け取った。マイスター・エックハルトヨハネス・タウラーは、イエスの自我のコピーを受け取った。それにより、彼らは、「キリストを担う者」、キリスト・インパルスの助力者になったのである。

 

 「トマス・アキナスアウグスティヌスを比べると、アキナスは、誤りに陥ることがなく、子ども時代から、疑念や信仰の欠如はなかった。洞察力と確信がアストラル体の中にあり、彼は、自分のアストラル体にキリストのそれを織り込んでいたからである。そのような構成要素が、人の体に植え込まれうるのは、外的な事象が物事の自然な進行を変化させるときのみである。アキナスにおいては、子どもの時に、稲妻が彼の近くに落ちて、幼い妹が亡くなった。この物質的出来事が、彼のアストラル体にキリストのそれを受け入れることを可能にしたのである。」

 

 シュタイナーは、物事の進行における変化の中で、霊的世界が直接、物質的世界に働きかけるという法則を述べている。

 キリスト教の秘密は、自我の秘密でもある。キリスト・インパルスは、自我をも強めるからである。

 自我の秘密への答えは、次の考えに示されている「全てのアヴァターは、上からの力により、霊界から地上へと放つものにより、人類を救済してきた。しかし、アヴァターとしてのキリストは、人類自身の力から彼が引き出したものにより救済するのであり、救済の力、物質を克服する力は、我々自身の中の霊を通して見いだされる。

 言い換えれば、物質的体は、そこに直接、キリスト・インパルスが流れ込めるほどに、自我により霊化されなければならない。こうして、物質は、霊により克服される。これを行なうのに、オイリュトミーが役に立つ。オイリュトミーでは、手や体の動きを通して、調和的な力が身体に向けられる。

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 キリスト教芸術には様式があり、中世の絵画はみな一様に見える。描かれた内容もほぼ同じである。イエスの生涯を表現しているその絵には、聖書の記述にないことも多く描かれている。聖書にないものは正典からはずれた外典等が根拠だろうとされている。そもそも作品は、教会が注文し、指示したものであろうし、それを受けた画家集団が、徒弟制度を通してそのような作品を伝承してきたと思われる。
 しかし、文章や口頭の伝承をもとに、目で見る具体的な作品をつくるのは実際には容易ではないだろう。画家達のイマジネーションが重要である。なるほど、画家達のイマジネーションの源泉は、上に述べられたビジョンであったのかもしれない。
 「二人の子どもイエス」に関わる絵についても、そのようなビジョンが背景にあったのかもしれない。

2022年 - ウクライナでの戦争

ウクライナのヒマワリ畑

 ウクライナ問題についてのテリー・ボードマン氏の論考が氏のホームページにアップされていたので紹介したい。内容は、これまで紹介してきた記事と重複するものもあるが、マスコミでは知ることのできない、大きな世界史的視点、人智学の視点でこの問題を理解するのに適した文章となっている。

 マスコミには決して登場しない専門家の多くが指摘するように、今回のロシアの行動は、英米ウクライナを使ってそのように仕組んだものである。その目的については、ロシアを支配し、富を収奪する、あるいはグレートリセットの実現に向けた一連の行動の一環など、複合的であると思われるが、シュタイナーによれば、その根本にあるのは、来るロシア文明期を巡るアングロサクソン系秘密結社の思惑であるようである。

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2022年 - ウクライナでの戦争

  中国の伝統的な暦ではたまたま寅年である今年、(西暦の)3月は月の名前の由来となった惑星、火星の動きによって支配された。2月24日にプーチンウクライナに軍隊を送ったとき、火星(低いアスペクト:攻撃性、高いアスペクト:勇気と大胆さ)は金星と合一し、この動きの速い二つの惑星は、(南)山羊座(特に政府と権威のサイン)で非常にゆっくりと動く冥王星(低いアスペクト:消滅、高いアスペクト:精神的直観と復活)と合一しようとしていた。 2月27日までに火星と金星が冥王星と合体し、ウクライナの空軍はすでに大部分が壊滅していた。この日、水星は土星と、太陽は木星海王星コンジャンクションしており、8つの惑星にとって重要な位置関係にあった。3月6日には、まだ一緒にいた火星と金星が山羊座から水瓶座に移動して冥王星から離れ、3月9日には火星と冥王星の合の効果は確実に終了していた。その後、ロシアの軍事的な勢いは弱まり始めた。しかし、3月中旬には金星が火星から離れ(ともにまだ水瓶座)、火星は牡牛座の天王星(ローアスペクト:革命的衝撃、ハイアスペクト:精神的光明)と90度のストレスフルなスクエア関係に接近し始める。このストレスフルなスクエアは3月22日にぴったりとなった。・・・3月下旬までに火星と天王星のスクエアが終了し、4月上旬には火星と土星の合、そして4月中旬の火星の魚座入りが、戦いが止まり平和になる兆候かもしれない。しかし、平和を望まない人々は、それらの天のエネルギーに気づいていて、自分たちの利益のためにできるだけ長く戦争を続けるために、おそらくセンセーショナルなフェイクニュースによって、それに対抗しようと努力するかもしれない。[このようなことが起こった:ブチャでのロシアの大虐殺のフェイクニュースは4月の第1週にでっち上げられた-TB]。戦争が長引けば長引くほど、ロシアとウクライナだけでなく、我々全員にとって経済的影響が悪化する。西側の対ロ制裁の規模、ロシアの対抗措置、世界経済における食糧や肥料を含むロシアとウクライナの原材料の重要性(ロシアはロシアのエネルギーに対してルーブルまたは金での支払いを強く要求するだろう)、ウクライナ以外の地域への軍事行動の広がり、さらにはロシアやNATOによる核攻撃の危険もあるかもしれない

 西側主流メディア(MSM)のウクライナ戦争に関する報道と、この紛争にコビド危機のときと同じような画一的集団反応で反応した西側政治家の発言から判断すると、ウラジミール・プーチンは12月から2月の間のある朝起きて、突然、こう思ったのかも知れない。:「ウクライナという国家は存在しないし、存在してはならないし、実はロシアの一部であり、ソビエト連邦を再建したいのだから、ウクライナへの侵攻を開始しよう。それと、ウクライナナチスだらけで、ドンバス地方でロシア人を虐待している。」

  MSMによれば、これらはすべてまったくの空想であり、「プーチンは正気を失っており、ミロシェビッチサダム・フセインカダフィ、アサド、そしてもちろん...ヒトラーのように“ルールベースの世界秩序”に対する重大な危険性を持った不安定な独裁者である」ということの表れであるという。したがって、彼も彼らのように、できれば自国民によって、追放されなければならない。今、我々は対ロシア制裁によって彼らの生活を惨めにし、彼らが彼を打倒するようにしなければならないが、核戦争を引き起こすかもしれないと恐れているので、そうすることはできない。その一方で、我々は1991年以来着実に進めてきたロシアの他の国境でのNATO軍の増強を進め、ウクライナには致死性の武器を送り続け、最後のウクライナ人、あるいはプーチンが死ぬまで、彼らが自国のために(そして我々のために)戦えるようにしよう

 これが皮肉に聞こえるなら、ヨーロッパの老いた政治家たちが、第一次世界大戦朝鮮戦争ベトナム戦争の惨禍の中で、何百万人もの若者を死に追いやる覚悟をしたかを思い出してみよう。あるいは、アメリカ初の女性国務長官、マドレーン・オルブライトが、国連大使(!)として1996年にアメリカの権威あるテレビ番組「60ミニッツ」で、アメリカのイラク制裁による50万人のイラク人の子どもの死は“支払うに値する対価”だと宣言した言葉を思い出してみるのもいいのではないだろうか?

 

 西側諸国の数え切れないほどの人々が、過去2年間コビドに関する政府とMSMの路線をうのみにしたように、プーチンウクライナ戦争に関するこのMSM版をうのみにしてしまったのであるさもなければ、反体制的でMSMを嘲笑する人たちは、ソーシャルメディアや代替ウェブサイトの影響を受けて、「プーチン、ゼレンスキー、バイデン、習近平、クラウス・シュワブは、コビッドのときと同様にみんなグルだ」と信じ、このウクライナ戦争はコビッドと同様に、シュワブの悪夢の「大リセット」への道のりの1歩、すなわち世界中の社会を億万長者のグローバリストエリートによって支配される全体主義技術社会への作り替えにすぎないと考えるのだろうか?

 

 しかし、この2つの見方はどちらも現状を正しく理解していない。この戦争は今年始まったばかりではないし、どんなにそう見えても、本当はロシアとウクライナの間の戦争ですらない。この戦争は、200年前、1815年にナポレオンがワーテルローで敗れた後、イギリスのエリートたちが、インド、ひいては世界の権力と富の多くを奪いうる主敵としてロシアを初めて本気で認識したときに始まった闘いの最新の段階にすぎない。 その深い根はそれよりもずっと前にある。1801年の皇帝パウル1世の暗殺へのイギリスの関与や、その1世紀前のピーター1世の法廷におけるイギリスの顧問、さらにその前の時代にさかのぼる。 1613年、ジェームズ1世がロシア北部の凍てつく荒野に軍隊を上陸させるために計画した遠征の先には、イギリスが世界の海を渡って拡大し始め、ロシアがシベリアという固い「海」を渡って拡大し、やがて200年以上後に中央アジアと北米で互いに対峙することになる時期があった...1570年にイワン雷帝が結婚のために女王エリザベス1世の手を求める無礼な手紙の先に... 1066年のヘイスティングスでの敗北の後、クリミアに定住したアングロサクソンの亡命者の向こう側...遠い9世紀、スカンジナビア出身のデンマークの異教徒のヴァイキングイングランドを征服して定住しようと努力し始め(1066年に終了)、スウェーデン出身の他の異教徒のヴァイキングもロシア北部に住んでいた異教徒のスラヴの支配者になるための招待を受けていた頃に戻るのである。

 異教徒のスカンジナビアから、イングランドの支配者(ヴァイキングとノルマン人)とロシアの支配者(ルオツィ:フィンランド語で「漕ぎ手」の意味)が、長船を漕いでやってきたのである。そして、この2つの国は、自分たちとは異なる、しかし、大きくは異ならない民族を支配するようになった。アングロサクソンケルト、そしてスラブ民族である。

 

2022年のウクライナと1914-18年のウクライナ:ごろつきと負け犬

 1914年、西側のMSMが「勇敢な小セルビア」「勇敢な小ベルギー」と呼び、オーストリア・ハンガリー帝国ドイツ帝国ゴリアテに対してそれぞれダビデのように命をかけて戦ったように、あるいは1939年9月に「勇敢なポーランド」がヒトラー・ドイツとその17日後にソ連の軍事機械によって侵略されたように、今日ではすべての目が「勇敢なウクライナ」に注がれている。しかし、2014年に始まったウクライナでの戦闘は、すでに何世紀も続いている、そしてまだ続くかもしれない、もっと大きな、世界をまたにかけた紛争の徴候に過ぎない。

 前世紀の他の多くの出来事と同様に、今日のロシアとウクライナの痛みを、残酷さの坩堝である第一次世界大戦の出来事と関連づけることができるウクライナは独立国家としてほぼ誕生したが、すぐにボルシェビキ国際社会主義者によって弾圧され、ロシア人自身もまた70年間弾圧され続けたのだ。第一次世界大戦の戦闘が始まった1914年7月28日、真の敵対者であるイギリス、フランス、ロシアは数日間戦闘に参加せず、参加した時も明らかに同じ側であった。

 第一次世界大戦の戦闘はどのように始まったのだろうか。1914年7月23日のオーストリアハンガリーによるセルビアへの宣戦布告を受け、7月28日にオーストリアハンガリーによるベオグラードへの砲撃が行われたからである。6月28日にオーストリア皇位継承者とその妻が、ベオグラードで暗殺を計画し訓練していたボスニアセルビア人学生によって暗殺されて以来、中央ヨーロッパの荒んだ帝国と、気むずかしくて小柄なバルカン諸国の間には1ヶ月間緊張状態が続いていた。オーストリア・ハンガリー帝国は、セルビアを、1914年以前に増加したオーストリア・ハンガリー帝国の高官に対する殺人や襲撃、1903年セルビア国王とその妻の残忍な殺害を長年にわたって行ってきたテロ国家とみなしていた。そして実際、暗殺の数日前まで、セルビア軍事情報部の司令官ドラグチン・ドミトリエヴィッチ大佐が率いる原メソニック秘密結社「統一または死(別名ブラックハンド)」が、殺人集団に武器や訓練の支援をしていたのである。

オーストリア・ハンガリー帝国も、セルビア人による帝国への侵略の背後には、ロシア、イギリス、フランスの奨励と武器供給などの支援があると疑っていた。オーストリア皇太子暗殺に使われた銃は、後にイギリスの息がかかったベルギーに送られ、セルビアに運んだセルビア人将校はベルギーのロッジとフリーメーソン的なつながりがあった。オーストリア・ハンガリー帝国は、セルビアがやがて自分たちの帝国を破壊するための大槌[攻城兵器]になるだろうと、先手を打ってセルビアに攻め込んだ。・・・ ドイツも、そうしなければ1917年までにロシアが十分に強くなり、自分たちを圧倒するだろうと考え、ロシアに対して宣戦布告している。ドイツはまた、ロシアの同盟国であるフランスに対しても、フランスがロシアの同盟国を支援するために戦争に参加することを想定して宣戦布告し、フランスは確かにそのつもりであった。イギリスは、ドイツが2年前に戦艦建造という海軍の競争を事実上放棄していたにもかかわらず、数年以内にドイツの経済力がイギリスを凌駕すると考え、先制的にドイツに宣戦布告をしたのである。

 ウラジーミル・プーチンは、オーストリアハンガリーセルビアを見たように、ウクライナを少なくとも20年の間、西側の勢力によってロシア(およびオーストリアハンガリー)に向けて鍛えられた槍と見なしているのである。

 1916年末の講演でルドルフ・シュタイナーは、「ロシア政府の保護下にある」「スラブ福祉委員会」という組織が、実は1880年代半ばからセルビアの親オーストロ・ハンガリー派のオブレノビッチ王朝を煽るために武器を密かに送っていたことが判明した、と指摘した。  ・・・1914年、三国同盟(ロシア、フランス、イギリス)は、オーストリアハンガリーとドイツに「政権交代」をもたらす道具としてセルビア民族主義を利用し、ヨーロッパ総力戦という手段をとったのである。英米はさらに、この同じ戦争を利用して、「同盟国」ロシアに政権交代を迫った。まず皇帝政権を臨時共和制政府に置き換え、次に1917年に共産主義者のレオン・トロツキーが(ニューヨークとカナダ経由で)ロシアに渡るのを容易にし、1917年11月にボルシェビキ革命派がクーデターを起こした後はこれを支援し、その後数年間、多大な支援を行った。いわゆる「ドイツの脅威」は、ロシアを大規模な戦争に巻き込み、皇帝制国家を転覆させるための口実に過ぎなかったのである

         

   ウクライナの歴史地図(1654年~2013年)。

 そしてここに、現在のウクライナ戦争が何であるかを知る重要な手がかりがある。なぜこの戦争が単なるロシアとウクライナの戦争ではなく、はるかに大きな意味を持つのかを理解するためには、少し回り道をして、1918年から21年にかけてウクライナが初めて独立国家として登場しそうになった第一次世界大戦の状況まで遡る必要がある。1914年にイギリス、フランス、ロシアの同盟国であった「勇敢なセルビア」は、1914年から1918年の戦争の間、西側の新聞で賞賛されたが、戦争が終わるまでに戦前の人口の4分の1(85万人)を失っていた。1918年の冬には、オーストリア・ハンガリー帝国は消滅し、その皇帝は亡命していた(ドイツ、ロシア、オスマン帝国も消滅していた)。西側連合国がセルビアに与えた「報酬」は、セルビアオーストリアハンガリーハプスブルク帝国の廃墟からユーゴスラビア王国(セルビア主導)を創設することであった。ハプスブルク帝国の崩壊は、戦時中、連合国、特にイギリスによって戦争目的として受け入れられていた。

 1880年代から1918年までセルビアがそうであったように、今日、ウクライナは利用されている。そして、オーストリアハンガリーに代わって、今度は、西側のエリート勢力がその天然資源を開発するために長年にわたって崩壊を望んできた、別の大きな多民族国家、ロシアが標的になっているルドルフ・シュタイナーは、1914-18年の戦争がイギリス、フランス、ロシアによるドイツに対する戦いだけではなく、それは物質面上での姿だと指摘した。精神世界では、西方の人々と東方の人々の生と死に対する考え方の根本的な違いから、英仏の魂がロシア人と戦っていたのである。さらに彼は、中欧と東欧の人々、ドイツ語圏の文化とスラブ文化、特にロシア人との良好な関係こそが未来への鍵であり、西側のエリートは、英語圏の人々がスラブ民族の運命を将来にわたって操作できるよう、これを防ごうとしたと主張している

 

西側の目標

 少なくとも1890年代初頭には、英国のオカルト界は、スラブ民族主義とスラブ「兄弟愛」の衝動によって勃発し、その結果、ロシアで社会主義マルクス主義)革命が起こり、ロシア帝国を破壊する「社会主義、政治、経済の実験を可能にし」、スラブ民族が「独自の知的生活を始め」、「もはや幼年期ではない」「汎スラヴ主義者の夢」が現実のものになるであろう、ヨーロッパの大戦争を想定していたことが知られている。このことは、1893年にロンドンで行われた「高教会」秘教主義者チャールズ・ジョージ・ハリソン(1855-1929)の講演で、ハリソンが「オカルト科学の基礎」だと主張した「三大公理」の最初の二つを例として語られている。

 

「1. 7は完全数である  2. 小宇宙は複製である 小宇宙は大宇宙の写しである 

 3.すべての現象は渦に起源を持つ」。

 

 ハリソンによれば、この近代(16世紀以降)において世界を支配する文化の支配者であると自認するアングロサクソン文化の指導者たちの目標は、英語圏の文化が「若い」スラブ文化の「家庭教師」「保護者」となり、将来、アングロサクソン文化の価値がスラブ文化、特に最大の文化であるロシア文化の価値にもなるようにすることであったという

 この運動は1889年に始まったもので、イングランド国教会の高教会派と自然科学や聖書批評の最新動向とを結びつけようとするものであった。エリザベス1世(1558-1603)の時代から英国国教会の信徒とされてきたエリート一族がガスコイン=セシル家であり、エリザベス女王とその後継者ジェームズ1世(1603-1625)に最強の官僚である国務長官を供給していた。ヴィクトリア女王(1837-1901)の首相は3度にわたってロバート・ガスコイン=セシル(別名ソールズベリー卿)であり、その息子のエドワード7世(1901-1910)の首相は3年間(1902-1905)ソールズベリー卿の甥であるアーサー・バルフォアが務めていたのである。

 この後世のセシル家の叔父ロバートと甥アーサーは、性格は全く異なるが、ともにアマチュア実験科学者であり、20年間(1887-1907)にわたって、イギリスの外交政策に驚くべき外交革命を起こし、イギリスのかつての宿敵フランスとロシアを同盟国に、かつて最も親しかったドイツとその同盟国オーストリアハンガリーを敵国に意図的に変貌させることに成功したのだ。

 その目的は何であったのか。それは、ドイツとロシアを大戦によって「屈服」させることであった。ドイツは近代におけるイギリスの新興のライバルであり、戦争によってドイツの経済力と増大する海軍力を低下させ、ロシアはより遠い将来における大英帝国潜在的ライバルであり、ハリソンが1893年に語った「社会主義マルクス主義)の実験、政治、経済」を実行することによってロシアのスラブ人を飼い慣らすことであった。とりわけ、これらの実験によって、ロシアの経済的潜在力が低下し、英米資本主義による搾取にさらされることになる。第三に、ドイツとの大戦は、帝国内の英語圏の領地をより強固に結びつけ、戦後数十年に わたって「赤い脅威」の絶え間ない脅威が、自治領やアメリカのエリートたちを怯えさせ、 英国と緊密に同盟関係を維持させるだろう。

 アーサー・バルフォア(1848~1930)は、おそらく叔父よりも先見性があり、 20世紀には英国の世界権力は他の新興国、米国と同盟してのみ保持できることに気づいていた。この考えは、鉱山王で大帝国主義者セシル・ローズ(1853-1902)と同じであった。1891 年、ローズは秘密結社「選帝侯会」を設立し、イギリスの世界支配の維持・拡大と英米の再統一を目指した(12) 。この目的のために、ローズは大英帝国の「心の故郷」であるオックスフォード大学、特にそのバリオールカレッジとオールソウルズカレッジを中心としたローズ奨学金を設立した。その後継者であるアルフレッド・ミルナー卿(1854-1925)は、1909年に円卓会議グループ(通称ミルナーグループ)を設立し、ロードスの事業をさらに大きく発展させた。このグループは、大戦前から大戦中にかけて自治領のエリートを束ね、英語圏外交政策シンクタンクである(英国)国際関係研究所(通称チャタムハウス)と米国外交問題評議会を設立(1921)し、今日、英語圏五カ国(米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)の「ファイブ・アイズ」同盟の基礎を築く上で有効な仕事をしたのであった。このように、まだ完全には実現していないが、ローズ、ミルナー、バルフォア、そしてミルナーグループの男たちの夢と目標は、130年以上にわたって維持されてきた(13)。

 セシル家とミルナー家は、その目標を達成するためには、ドイツとロシアの同盟や協力を何としてでも阻止することが不可欠であり、そのような同盟はイギリスの世界支配を危うくしかねないと考えたのであるこの考えは、1904 年のアーサー・バルフォア首相時代に、帝国地理学者でロンドン経済学 校の共同設立者(1895 年)および校長(1903-1908 年)であったハルフォード・マッキンダーが最も包括的に提唱したものであるマッキンダーの主な考え方は、世界のパワーの鍵は、彼が「ハートランド」と呼ぶ地域、つまり西はウラル山脈、南はヒマラヤ山脈、東は東シベリアの山々に囲まれた広大な地域にあるというものであった。マッキンダーは、この地域は昔も今も物質的資源と人口に富んでおり、(現在中国がユーラシア大陸に建設中のような)総合的な鉄道網が敷かれれば、英米の世界海軍力に対する有効な挑戦となりうる、と述べている。また、ハートランドのほぼ全域を支配するロシアと、ドイツや日本などの元気な文化圏との同盟は、英国海軍を破る海軍艦隊を構築し、大英帝国の時代を終焉させることも可能かもしれないのだ。

 それを許してはならないというのが、イギリス外交の舵取りをする者たちの固い意思であった。バルフォアが首相だった1902年、彼らはイギリス初の正式な同盟を日本と結び、そのわずか2年後には、日本がイギリスから(アメリカの銀行からも)資金提供を受けたロシアと日本の戦争を引き起こしたのである。日露戦争(1904-05年、日本軍は事実上イギリスの傭兵として活動)は、ロシアの東アジアでの進出を阻み、皇帝体制を大幅に弱体化させ、1917年の革命的騒乱の基礎を築き上げた。

 この戦争が始まって1ヵ月後、マッキンダー英米地政学を確立するきっかけとなる講演を行った。・・・1919年、マッキンダーは自著『民主主義の理想と現実』(150頁)の中で、地政学上の重要な洞察を簡潔な3行の叙述でまとめている。

 

東ヨーロッパを支配する者はハートランドを支配する。

ハートランドを支配する者は、世界の島を支配する。

世界の島を支配する者は世界を支配する。

 

 2013年以降、中国の輸送インフラ「一帯一路」がユーラシア大陸を横断し、ヨーロッパへと徐々に拡張されている今日、この格言はウクライナでの出来事を理解する上で大きな鍵となるマッキンダーは、鉄道網がシベリアや中央アジア内外のロシアの進出を容易にすると同時に、その周辺からロシアへの攻撃を容易にする可能性があることを見抜いていたのだ。

 

グランドチェス盤の中のウクライナ

 マッキンダー以来の英米地政学者、とりわけポーランドアメリカ人のズビグニュー・ブレジンスキー(1928-2017、ジミー・カーター大統領下の1977-1981年国家安全保障顧問)は、1997年の著書『グランドチェス盤-アメリカの優位性とその地政学的重要性』でマッキンダーの指摘に従い、対ロシア、さらには中央アジアに力を投じる東ヨーロッパの足場としてウクライナが非常に重要だと認識するようになるブレジンスキーは、現在の危機を理解するのに重要な文章をその本に残している。それは、「アメリカの欧州における地政学的な中心的ゴールは、次のようにまとめられる。より真の大西洋横断パートナーシップを通じて、ユーラシア大陸における米国の橋頭堡を固め、拡大する欧州が、ユーラシア大陸に国際民主・協調秩序を投影するためのより現実的な踏み台となることである」(14)と述べている。 1990年代の旧ユーゴスラビアアフガニスタンリビア、シリア、イエメン、そして現在のウクライナで、アメリカとその同盟国や代理人が戦った戦争に、この「ユーラシアへの(国際民主協力秩序の)投射」の結果を見たのだ! [強調-TB] なぜなら、アメリカは、ユーラシア大陸に「国際民主協力秩序を」投射するために、アメリカの同盟国や代理人が戦った戦争で、「民主協力秩序を」「ユーラシアに」「拡大」することができるのだから。[アメリカは20年(!)のアフガン戦争での行動を通じて、多くの努力にもかかわらず、結局、中央アジアのポストソビエト諸国に永続的な軍事的プレゼンスを確立することができなかった。また、インドは長い間ロシアと良好な関係を維持し、今もそうであるため、アメリカにとって、ユーラシアへの「踏み台」となりうるウクライナがより重要になった。「東ヨーロッパを支配する者はハートランドを支配し・・・」なのである。東欧を支配するものはハートランドを支配する......」とあるように、ウクライナは、ブレジンスキーがその著書『グランド・チェスボード』で注目した部分である。 (今年2月のロシアのウクライナへの先制攻撃を受けて、米国は冷戦を大規模に再開する用意があることを示したほどである。2007年のミュンヘン安全保障会議で初めて、プーチンの対米姿勢はより対立的になり始めた。

 ブレジンスキーは 1997 年の著書で、2005 年から 2015 年にかけて「ウクライナEUNATO の両方と真剣に交渉する準備が整うはずだ」と書いている(16) 2004 年のキエフでの「オレンジ革命」により、ヤヌコビッチ大統領を支持した選挙結果が覆され、アメリカが選んだヴィクトル・ユシチェンコが選ばれたことが、アメリカの干渉を示唆したことはロシアにとって明らかであった。ブレジンスキーにとって、ウクライナはロシアの動向を占う上で極めて重要だった。「ウクライナの損失は地政学的に極めて重要であり......地政学的触媒となった」(92頁)「それはロシアの地政学的オプションを劇的に制限したからである」(17頁)。「ブラックホール」(すなわちユーラシア)と題された章と「一つの選択肢のジレンマ」と題されたサブセクションで、ブレジンスキーは、ロシアには地政学的に一つの選択肢しかないと主張している:それは、ロシアが、ウクライナの分離国家とともに、EUNATOの構造における「大西洋横断ヨーロッパ」の一部となることである。「もしロシアが地政学的な危険な孤立を避けるためには、それが、ロシアが関係しなければならないヨーロッパである。」(18)と述べている。 「ロシアのアタチュルクは今や見えない」とブレジンスキーは1997年に書いているが(19)、ウラジミール・プーチンを見出すことはできなかった。しかし、ブレジンスキーは、ロシアにEUNATOの加盟というニンジンを差し出したのは不誠実であった。「ロシアが国内の民主主義制度を強化し、自由市場に基づく経済発展で目に見える進歩を遂げるならば、NATOEUとのこれまで以上に緊密な関係を排除すべきではない」(20)[強調-TB] EUとの「これまで以上に緊密な関係」は会員となることではない。1952年からNATOに加盟していたのに何十年も待っていたトルコが経験せざるを得なかったように、また2000年にプーチン大統領がロシアのNATO参加を提案すると、アメリカのクリントン大統領が「あなたは大きすぎる」と言って拒否しているのであるから、このことは明らかだ。

 いずれにせよ、ブレジンスキーは1997年秋の『フォーリン・アフェアーズ』誌への寄稿で、21世紀のロシアの将来は、単に3つの国家からなる緩やかな連合体であるべきだと提言している(21)。これらの国家は、「近隣諸国とより緊密な経済関係を築くことがより容易である」と主張したのである。彼の地政学的盟友である『エコノミスト』誌は1992年末、中国と謎の「イスラム国家」が2050年以前のある時期に南と東から襲いかかり、シベリアとそうした「極東共和国」を占領するだろうという予測をすでに立てていたのだブレジンスキーは、ロシアが西側の大西洋横断主義者の意向を受け入れることを拒否することは、「ユーラシアのアイデンティティと存在を孤独なものにするためにヨーロッパを拒絶することに等しい」と書いている。「ロシアとヨーロッパの関係(つまり、アメリカが支配するヨーロッパ!)が決定的になる瞬間は、まだしばらく先のことだ。- ウクライナがヨーロッパを選択することで、ロシアはその歴史の次の段階に関する決断を迫られることになる。ヨーロッパの一部となるか、ユーラシアのはみ出し者となり、真のヨーロッパでもアジアでもなく、(米英が推進する)「近接外交」紛争に巻き込まれるか、という意味での「決定的」なのだ...。 ロシアにとって、一つの選択肢のジレンマは、もはや地政学的な選択をする問題ではなく、生存の必要性に直面する問題なのだ」(22)。

 ブレジンスキー地政学上のライバルであり、アメリカ帝国主義の盟友である地政学者サミュエル・P・ハンティントン(左下の写真参照)は、『文明の衝突と世界秩序の再構築』(1996)という物議を醸した本の著者であるが、これもエコノミストに近しいアメリカ人で、ソ連後のロシアとの合意はほとんど期待できないと考えて、次のように書いている。

 「自由民主主義とマルクス・レーニン主義の対立は、大きな違いはあっても、自由、平等、繁栄という究極の目標を表向きは共有しているイデオロギー同士の対立であった。[伝統的で権威主義的、民族主義的なロシアは、まったく異なる目標を持ちうる。西側の民主主義者がソ連マルクス主義者と知的な論争を続けることは可能である。しかし、ロシアの伝統主義者とそうすることは、事実上不可能でしょう。もしロシア人がマルクス主義者のように振る舞うのをやめ、自由民主主義を拒否し、ロシア人のように、しかし西洋人のようには振る舞わなくなれば、ロシアと西洋の関係は再び遠く、対立的になるかもしれない」(23)[強調TB]。

 もちろん自分たちに都合がいいときには、イギリスのエリートは第一次世界大戦中に「伝統的、権威主義的、民族主義的なロシア」を同盟国として持つことに非常に満足していた。ちょうど第二次世界大戦中に「ソ連マルクス主義」ロシアを同盟国として持つことに非常に満足していたが、最初の同盟期間はわずか10年間(1907-1917)、2番目はわずか5年間(1941-1946)だったことは事実である(24)。

 ブレジンスキーにとって、ロシアが東西の「架け橋となる文化」になり得る意味はなかった。彼が言うように、ロシアは、アメリカが支配する「大西洋横断主義ヨーロッパ」(「ロシア」とは、ウラル山脈以西の本質的にヨーロッパのロシアを指す)にあるか、アジア、つまり中国になければならないのである。1990年代にブレジンスキーエコノミストのブライアン・ビーダムが掲げた目標、すなわちロシアをヨーロッパから中国に追いやり、そのためにウクライナを利用し、最終的には中国にロシアを攻撃させてその大部分を切断するという目標は、ここ30年ほど西側の地政学的戦略の長期目標になっている習近平と彼の汎ユーラシア的な「一帯一路」計画の登場(2013年)は、ロシアと中国がかつてないほど接近しているため、この目的に反するように見えるかもしれないが、この状況に似たことが以前にも起こったことを思い出すべきだ。-イギリスが、100年来の敵(ロシア)を同盟国にすることを選び、戦争で破壊しようとしたときである。2004年以来行ってきたように、ロシアと中国を一緒にすることで、西側エリートはまた別の世界的二元論を打ち立てることができる。彼らが好んで呼ぶ「民主主義対独裁」、「自由主義、ルールベースの秩序」対「無政府と野蛮のシステム」の闘いである。最終的には、西側エリートは中国を説得して、ロシアを裏切り、ロシアに寝返るように仕向けるだろう。70年代初頭、西側諸国は似たようなことをした。ニクソンキッシンジャーは、かつての共産主義者の同盟国ソ連と仲違いし、1969年には武力衝突までした共産中国と仲直りすることを選んだのである。現在、ウクライナ戦争が勃発し、欧米は中国に対して、ロシアとの関係を維持すれば制裁を受けることになると示唆し始めている。ロンドンとワシントンでは、中国がロシアに反旗を翻すよう「奨励」することを期待している。そうすれば、1992年に『エコノミスト』が予測したように、ロシアは貴重な鉱物、レアアース、石油、ガスをすべて含む広大なシベリア領土を失い、16世紀に初代皇帝イワン4世(大帝)がいたムスコビ国家の規模にまで縮小したヨーロッパロシアが「大西洋主義ヨーロッパ」に取り込まれるかもしれないのである。 (25) ジョージ・オーウェルが小説『1984年』で描いた3つの競合するパワーブロックとそれぞれの同盟国という世界像からすれば。「ユーラシア」(ロシア)はイースタシア(中国)に圧倒され、イースタシアはオセアニア(米英欧)に対峙することになる。20世紀の2つの世界大戦のように、中間領域(中欧:ドイツ、オーストリアハンガリー)が破壊され、東西両極が分断された世界で対峙することになる。

 西側諸国のエリートが、ロシアを弱体化させ、破壊することによってもたらそうとしているのは、明らかにこの厳しい二元論のシナリオであり、少なくとも2004年(オレンジ革命)以来、彼らはそのための打撃材料としてウクライナを準備してきたのである。まず、彼らはロシアを破壊しようとし、それが成功すれば、そして間違いなくインド、日本、韓国、ベトナムインドネシア、AUKUS諸国(26)の最終的な援助を受けて、中国に移り、ロシアのように、中国も破壊しようとするだろう(27)。

 今年1月、ロシアの南側中央アジア国境のカザフスタンでクーデターが未遂に終わり、カザフスタンと共にユーラシア経済連合(2015年)と集団安全保障条約機構(1992年)に加盟するロシア、ベラルーシアルメニアキルギスタンタジキスタンの軍隊の支援で鎮圧された。おそらく数年後には、1月のクーデターの試みは西側からの支援で行われ、ロシアに対して「ハートランド」に橋頭堡を築こうとしたアメリカの試みがまたもや失敗したことが判明するのだろう。確かに、2019年初頭、ランド研究所ペンタゴンから資金提供を受けている)は、ロシアに対する一連の攻勢に関する計画を発表した。そのタイトルは「ロシアの拡張」である。Competing from Advantageous Ground : "ロシアの軍事・経済および国内外での政権の政治的地位を強調する方法として、ロシアの実際の脆弱性と不安を利用することができる様々な非自発的措置を検討する。" : 「私たちが検討した措置は、防衛や抑止を主目的とするものではなく、その両方に貢献する可能性はある。むしろ、これらの措置は、敵対国のバランスを崩し、米国が競争優位にある領域や地域でロシアを競争させ、ロシアに軍事的・経済的に過剰な拡張をさせ、国内外での威信や影響力を失わせるような作戦の要素として考えられる。ランド研究所報告書はさらに、米国がロシアを弱体化させるために取り得る6つの「地政学的手段」を挙げ、そのうち4つはこの2年間ですでに実施されている。

  1. ウクライナへの致死的支援 2. シリア反体制派への支援を強化する 3. ベラルーシにおける政権交代を促進する 4.南コーカサス地域の緊張を利用する 5.中央アジアにおけるロシアの影響力を低下させる 6.モルドバにおけるロシアのプレゼンスに挑戦する。(30)。

 

ゼレンスキーとアレストビッチ

 喜劇役者ゼレンスキーが、右派セクターやエイダー大隊、さらには悪名高いネオナチ・アゾフ大隊といった極右超民族主義グループに資金を提供してきた億万長者のオリガルヒであるイホル・コロミスキーの支援を受け、2019年のウクライナ大統領に選出され(投票率73%)て以来、ドンバスとロシアとウクライナの緊張状態は悪化するばかりであった。 ゼレンスキーはドンバスの状況を緩和すると選挙民に約束したが、ウクライナ軍と治安国家の一部である超国家主義勢力がそれを許さないことにすぐに気づかざるを得ず、彼は引き下がり、彼らに協力せざるを得なくなった。また、彼はウクライナのロシア語圏の市民の言語権利状況を改善したわけでもない。

ウクライナ政府におけるゼレンスキーの非常に親しいアドバイザーの一人、オレクシー・アレストヴィッチは、最終的にNATO加盟となるならウクライナの「大混乱」は覚悟していると表明した(2019年)記録が残っているが、2019年に「ウクライナNATOへの正式加盟申請を行えば当時ドンバスで起きていた戦争はすぐに終わるか」と問われ、次のように彼は答えたという。「いや、ここで...戦争を終わらせるという話はできない。それどころか、ロシアがウクライナに対して大規模な軍事作戦を(開始)するように仕向ける可能性が高い。なぜなら、彼らはインフラ面で我々を劣化させ、ここをすべて廃墟に変えて、NATOが我々を受け入れるのを躊躇するようにしなければならないだろう」と。インタビュアー 「ロシアがNATOと直接対決するということですか?」 アレストビッチ:「いいえ、NATOはしない。我々がNATOに加盟する前に、NATOはしなければならない。NATOは、破壊された領土としての我々に関心を持たなだろう。99.9%の確率で、NATO加盟の代償はロシアとの全面戦争だ。そして、もしNATOに加盟しなければ、10〜12年以内にロシアに吸収される。それが私たちの置かれている状況なのだ。」インタビュアー「秤の上にボウルを乗せたら、この場合どっちがいいんだ?」 アレストビッチ:「もちろん、ロシアとの大戦争と、ロシアに勝利した結果としてのNATOへの移行だ。」インタビュアー 「そして、ロシアとの“大きな戦争”とは何でしょうか?」 アレストビッチはその後、2022年2月24日に始まった紛争で起きているほとんど全ての大きな動きを(2019年に!)説明した上で、「それが大規模戦争であり(=そのようになる)、その確率は99.9%だ 」と言っている。インタビュアー「いつですか?」 アレストビッチ:「2020年以降、2021年と2022年が最も重要で、その後2024年から2026年、2028年から2030年が重要な年になるだろう。もしかしたら、ロシアと3回戦争するかもしれない。」 インタビュアー 「ウクライナNATOとのMAP(加盟申請計画)を取得し、ロシアとの全面戦争に巻き込まれないためにはどうすればいいのでしょうか?」 アレストビッチ: 「方法はない、まあ、彼ら(西側)がロシアに、彼らはここでは歓迎されないことを明らかにする手段で打撃を与えることを除けば...制裁、禁輸...彼らはロシアの権力が変わるようにできる...自由主義者が来てロシアは再び良い国(=エリツィンの時代のように!-TB)になる...」インタビュア「平和的解決という選択肢は検討されているのでしょうか?」アレストビッチ: 「いや、それはないだろう。」

 しかし、アレストビッチ氏は、ロシアに対する制裁が有効だとは考えておらず、イランに対する40年にわたる制裁の失敗を指摘した。ウクライナにとって唯一の道は、ロシアとの戦争であり、その後に報酬がやってくるのだと彼は言った。NATO加盟である。彼はさらにこう言った。「ウクライナに中立はありえない。いずれにせよ、超国家的な軍事同盟の一つに流れ込むことになる。ただ、それは「タイガ・ユニオン」(ユーラシア連合)かNATOのどちらかだろう。私たちは「タイガ」(ソ連後の独立国家共同体)に所属していたが、個人的にはそうしたくない。NATOには入っていないのだから、入ってみよう。中立を保つことは絶対にしない。つまり、主な課題はNATOに加盟することであり、この課題に直面すれば、社会的・経済的犠牲はそのようなものではない[強調-TB]。たとえ米ドルが250になったとしても・・・NATO加盟の対価は、ロシアとの戦争かそのような紛争の連続になる可能性が高いのだ。この紛争において、我々は西側諸国から非常に積極的な支援を受けることになる。武器、支援、装備、ロシアに対する新たな制裁、NATO軍の派遣、飛行禁止区域の導入も十分あり得ることだ。われわれは負けないし、それはいいことだ」

 アレストヴィッチは、徹底的に皮肉屋でマキャベリストのような人物である。彼は、ウクライナの将来を確保するために必要だと考える一つの目標、すなわちNATO加盟を達成するために、自分の国や国民が荒廃するのを見る覚悟があり、現在もなお、他の目標、たとえば「フィンランドの解決策」と呼ばれるものが可能であるにもかかわらず、それを実行に移している。・・・

 しかし、ゼレンスキーとアレストビッチは、ウクライナフィンランドの解決策を採用しようとする気配がない。喜劇俳優のゼレンスキー大統領が、夜のキエフの外で(あまりにも明らかにグリーンスクリーンの前で)、また多数の外国の議会のビデオスクリーンに登場する行動や数々の演出は、今のところアレストビッチの2019年のインタビューで進められた路線に沿うようなものである。2019年、そして現在も、アレストビッチはウクライナが西側勢力圏の意志を後ろ盾にしていることを知っていたので、自信に満ちており、それが結果的にそうなっているのだ。西側のエリートたちは、全体として、COVID-19のロックダウン、制限、COVID-19に対する注射の背後にいたように、ゼレンスキーとウクライナの背後に、ほぼ一様に結集した。そして、同じエリートによってコントロールされている西側メディアの反応は、COVID-19をめぐる反応と同様に、一様で順応したものであった。

 

国家存続の動機

 ウラジーミル・プーチンは、自分の目的を達成するために、東ウクライナの一部を荒廃させる用意があるようだ(西ウクライナという非常に広い地域は、今のところ戦争によってほとんど手つかずである)。プーチンが復活させたいのはソビエト帝国というよりも、ロシア国家の偉大さであり、それはロシア人の偉大さを反映していると感じており、その偉大さを世界に認めさせたいと考えているのである。ロシア人は偉大な民族であり、偉大な文化を持っているが、ウクライナ人と同様に、ソ連が崩壊して以来、わずか30年しか政治的、民主的な経験がない。

 しかし、国家の存続という問題に直面したとき、ほとんどの国は国際法を無視する用意がある。例えば、アメリカは2003年、大量破壊兵器があると偽ってイラクに侵攻し、2001年には、間違いなくアフガニスタンに侵攻した。この不幸な国は、あまりにも誤りやすい証拠に基づいて、アメリカ主導のNATOに侵攻し、20年に及ぶ戦争と占領にさらされたのだ。アフガニスタンアメリカから何千マイルも離れている。一方、ウクライナはロシアと1282マイルの国境を接している。NATOの基地やミサイルがウクライナに設置されれば、戦争になった場合、ロシアにとってまさに存亡の危機となる。これは、1962年のキューバ・ミサイル危機の前にソ連がトルコにあるアメリカのミサイルを見ていたのと同じであるウクライナNATOに加盟していれば、ウクライナ北部のNATOミサイル基地からモスクワまでの距離は、ロンドンからエジンバラまでの距離よりも短く、ミサイルは撃墜されなければ5分以内にモスクワに到着することになるだろう。1962年、ケネディ大統領は、西半球でこのようなシナリオが起きないように、ソビエトに核戦争を仕掛けると脅した。トルコのミサイルも撤去するというアメリカの秘密の保証を得たソ連は、引き下がり、キューバからミサイルを撤去した。この時、ケネディは世界滅亡の危機を覚悟していた。ロシアは、手を引き、取引をすることで、世界をその運命から救ったのである。

 

ロシア文化の種をめぐる闘い

 ウクライナ戦争は、1914年(セルビア・ベルギー)や1939年(ポーランド)のように、主流メディアの魔法にかかった人々が考えそうな「龍のプーチンとその野蛮なロシアの大軍 vs 聖ジョージ・ゼレンスキーとその気高い苦しみのウクライナ人」という、いじめっ子と弱者の単純な物語ではなく、反体制派の多くが考えるように、Covidからの単なる気晴らしや、クラウス・シュワブの「グレート・リセットディストピアへの途上の次期段階に過ぎないのでもない。彼らの中には、ウクライナでの戦争を、衰退するアメリカ帝国が、アメリカ主導の「新世界秩序」を覆そうとするロシアと中国の動きをかわすための、世界秩序における大きな歴史的変化の兆候と見る者もいれば、ロシアと中国を、COVIDの流行時に見られたように、西洋と同様に悪く、技術的な専制主義者と見る者もいる。本当の戦争は、テクノクラート的なエリートが全人類に対して行っているのであり、ロシア・ウクライナ戦争は、そのエリートが彼らのアジェンダを推進するために利用されているに過ぎないと、彼らは主張するのである。

 「これは、テクノクラシーと世界の他の国々との間の戦争である。国民国家モデルの政府が解体されると、企業世界のリーダー、中央銀行のオリガルヒ、民間金融機関に取って代わられることになる。グローバルなサプライチェーンが崩壊する過程で、金融・通貨システムも崩壊し、中央銀行が緊急権限を持って通貨をデジタル通貨システムに置き換えることができるようになる。デジタル通貨にはデジタルIDが必要だ。デジタル・アイデンティティは、ユニバーサル・ベーシック・インカムと生活必需品の配給を可能にする。政府は頭を下げ、テクノクラシーが支配し、グレート・リセットは完了する」。

 しかし、この戦争には独自の発生、文脈、背景があり、それは、シュワブ、ゲイツ、マスク、フィンクらが「第4次ポスト産業革命」の彼らのテクノクラート、AI主導のワンワールド秩序に我々すべてを連れて行こうとする21世紀の大きな世界危機とたまたま重なっているのである。この戦いで、壁に背を向けている負け犬がいるとすれば、それは実はロシアである。いや、むしろロシアは、ロシアの熊を、英国圏のエリートの命令と、彼らが望ましいと考え必然としている、彼らによって導かれる世界政府に従うよう強制しようとする西洋の犬によって、餌付けされた熊なのである。ウクライナは過去20年間、西側諸国によってロシアの熊を突く棒として使われてきた。そして、熊は絶望的な怒りに駆られて、兄弟姉妹であるスラブ諸国に対して暴力を振るうようになったが、これは遅すぎたのだろうか。- 1904-05年の日露戦争で日本が欧米からロシアに対して利用されたように。欧米の支援がなければ、日本はロシアに勝利できなかった可能性が高い。その際、ロシアは中国東北部帝国主義的に進出し、同じく貪欲で帝国主義的な日本の野心にぶつかったことも一因であった。しかし、21世紀初頭の2004年以前は、ロシアは領土を拡大しようとはしていなかった。2008年のグルジア、2004年と2014年のウクライナで、ウクライナを対露兵器として用意しようとしたのは西側諸国であった。民主主義の経験がほとんどない不運なウクライナ国民は、国内外の不謹慎な勢力に操られ、西側の圧力と賄賂(特にジョー・バイデンとその息子ハンターから)にさらされ、国民を大きな危険にさらし、2004年以降の親欧米大統領すべての目標であるNATO加盟のために多くの国民を犠牲にしようとした一連のオリガルヒ主導の政府を選ぶことになったのだユシチェンコ(2005-2010)、トゥルチノフ(2014)、ポロシェンコ(2014-2019)、そしてゼレンスキー(2019-)である。

 

 この紛争の難解な側面は、ルドルフ・シュタイナーが「英米の富豪と中欧の人々との間のロシア文化の核心をめぐる争い」と呼んだものの次の段階であることである。「この戦争は、ドイツとスラブの文化が、西洋のくびきから人々を解放するという共通の目標のために団結するまで、何らかの形で続くだろう」と彼は言っている。そのひとつが、革命的な「自由」の衝動を擁護するふりをしながら、実際には資本主義的な手法で世界支配を行おうとしていることであるという。さもなければ、人々が抵抗せず、それらの嘘を明らかにしないならば、「将来、血を流すことによって、地球の真の精神的目標が、服従したドイツ・スラブ地域の人々によって救われるまで、英米世界の中のオカルト集団に世界の支配権を譲ることになるだろう」(34)[強調 - RS]と述べている。

現在進行する争いの第一の徴候は、ロシアからバルト海を渡って直接ドイツに送られるガスパイプライン「Nordstream II」である。このパイプラインを通じて、経済面だけでなく、ドイツとロシアの関係も拡大・発展するはずであった。しかし、ウクライナ戦争への欧米の対応によって、ドイツの指導者は、何人ものアメリカ大統領が中止を決定したこの問題のパイプラインを棚上げするように説得された。ドイツとEUには安価なロシアのガスの代わりに、より大量のアメリカのガスが、大西洋を渡って延々とタンカーで輸送されることになる。 このようなことは、長い間、英米の目標だった。英米西側がロシアとスラブの東側を支配するために、ロシアと中欧のつながりをできる限り少なくし、打ち消すことだ。

 100年前の中央ヨーロッパで、あまりにも多くの人々が国家権力に魅了されたために拒否されたような未来社会の別のモデルが生まれ、それが広く理解されない限り、世界規模のテクノクラシーや核による消滅という悪夢は現実のものとなるであろう。社会三層化運動として知られるそのモデルの提唱者であるルドルフ・シュタイナーでさえ、100年前の1922年に、彼が1917年に始め、1919年から公言してきた社会三層化運動の歴史的瞬間は過ぎ去った、再びそのための好機が訪れるまでもう100年待たなければならない、と述べているのだ。しかし、今、その時期は、好都合であるばかりでなく、決定的である

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 ボードマン氏は、プーチンにも批判的で、プーチンは「自分の目的を達成するために、東ウクライナの一部を荒廃させる用意があるようだ」と述べているが、これには異論があるかもしれない。東部を攻撃し荒廃させてきたのは、他ならないウクライナ政府であり、ロシアの今回の行動は、ウクライナが東部に武力侵攻し、その地をウクライナ政府に従属させようとする動きがあったことから、先制攻撃したものという情報も有るからである。また東部は、ウクライナからの独立を希望しており、ロシアはそれを承認している。その要請による行動であるなら、「集団的自衛権の行使」とも言えるわけである(英米及びその僕の国々は国際法違反と宣伝しているが)。冷戦が終わったのにもかかわらず、NATOがロシアを敵視し、攻撃する態勢を築いてきたのは間違いがなく、ウクライナには生物兵器の研究所が設置されていたとも言われており、ロシアにとっても自国防衛の行動であることは否定できない。
 ただ現実的に無辜の命が奪われていることについては、ロシアやプーチンもその責を負わなければならないだろう。

 一方、人類史的に見れば、シュタイナーの視点に立てば、これは、人類の未来を巡る戦いであり、いわばその主導権争いであるとも言えるだろう。英米の背後には、アングロサクソン系の秘密結社があるようだが、では、ロシアあるいはさらには中国ではどうなのだろうか。シュタイナーは、「東方の」秘密結社の存在も指摘している。プーチンの背後にもそのような存在があるのだろうか?
  いずれしらべて見たいと思っている。
 

「二人の子どもイエス」とは ㉔

タイナッハの教示画の全景

 秘教的キリスト教に伝えられてきた「二人の子どもイエス」の教えを公に説いたり、表現することは異端とされ、それは死をも意味した。しかし、それを密かに描く絵画や彫刻等の美術作品も存在した。これまで、これを研究したヘラ・クラウゼ=ツィンマーとデイヴィッド・オーヴァソンの著作を中心にそれをみてきたが、今回は、別の本を紹介したい。
 それは、エルンスト・ハルニッシュフェガー氏の『タイナッハの教示画の世界像 バロックの神秘』という本である。これには、邦訳があり、工作舎から刊行されいる。この本の著者略歴によると、ハルニッシュフェガー氏は、1924年ドイツ・ライプツィヒ生まれで、大学で美術史や哲学を学んだとされるが、フランクフルトの自由バルドルフ学校の校医を務めたとあるので、職業は医師であろう。バルドルフ学校に関係しており、この本の内容から見ても、ハルニッシュフェガー氏は人智学派であることが想像される。
 タイナッハの教示画とは、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州のバート・タイナッハという小村にある教会の、17世紀に半ばに描かれたバロック様式の翼付き祭壇画で、そこには、「ルネサンス・オカルト哲学の中核思想であるキリスト教カバラの世界体系が多彩に表現されている」という。それはまた、ドイツの薔薇十字運動の影響下にあったとされる。
 著者は、この絵を、カバラのセフィロトとシュタイナーの思想をふまえて解釈するのだが、そこに、二人の子どもイエスが描かれているというのである。
 以下、該当する部分を、工作舎刊(松本夏樹氏訳)より引用する。

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バロックの神秘

エルンスト・ハルニッシュフェガー著

 

七 破風とオベリスク

 地上的世界が、かつて人間が星々とその運動から神の支配を体験した天上のコスモスの穹窿に覆われているように、神殿の壁の正方形の上に高次な魂の諸領域の表現である破風の三角形が休らっている。この諸領域はかって観想的意識へ啓示として下つたが、今日ではもっぱら集中的な霊的修練を通して予感されるだけである。だがこの魂的実体から、今日のわれわれの日常的存在もまた発している! ここから、後でしばしば驚くような決断が不意に生じる。それは献身的な援助であり、真実の言明、日常的エゴイズムを軽蔑する高邁な公正さである。賢明な決心と決断への直覚は、もはや地上的ではないこの魂の世界から意識の中へと輝き出る。個々の人間の生を啓発するそうした体験は、模範的かつ尊重すべきものとされ、聖書の叙述のような聖なる物語の中や、また真の文学である英雄諄や伝説の中に、倫理的生を導く理念や規範として指摘されている。その成就は、心の中でひとつの恩寵として感じられ、感謝と共に受け取られる。われわれは、そうした行為が自分の意志の力ではなく、むしろ神的な助力、「ゎれらの内なるキリスト」に由来することを体験し聞く。

【中略】

教示画の部分(聖母と二人の子どもイエス

 霊的 - 人間的な層と神的な層との間にある境界領域の、明らかな強調がひとつのきっかけとなる。こうし視点から画面全体およびセフィロトの樹との関連で、破風の構成を今一度詳細に考察してみよう。
 霊・魂・体それぞれ三つのグループへの、セフィロトの既述の分類と同様に、左・右・中央に並ぶ三本の「柱」を考えることができる。審判と恩寵の面の間には、中央の柱がそびえている。この柱は、庭に歩み入る人間から上昇し、中心にキリストの立つ地上の円である庭を超えて行く。さらに、シェキナーあるいは「黙示録」の「女」(「ヨハネの黙示録」一二)とも解釈できる、弦月中に伏在する太陽面を象徴する月の像へと上昇する。つまり、人間の地上での使命の未来的展望に至る道を上って行くのである。その上に二人の子供と共にいる母が現われてくる。この真珠の額飾りを付けたティフェレートは、マリアの像の壮麗な再解釈で、愛の象徴であるペリカン、生命の印である卵を抱く雌鶏、死の暗示である鳩に取り巻かれている。彼女の背後には、受胎告知と、神殿で教えを説く少年イエスの二つの場面が描かれ、この再解釈(意味の変化)の正しさを証明する(引用者注)。そして一番上に、すべての創造の原 - 意志であるケテル、エン・ソフの流出である第一のエロヒム玉座についている。

(引用者注)この神殿の場面は、ルカ福音書に描かれており、二人の子どもイエスのテーマにとって大変重要な意味を持っている。この場面が描かれていると言うことは、暗に前景の二人の子どもが二人のイエスであることを示しているのである。

 さらに詳細に眺めてみよう。キリストが立つ生命の水の岩には「我」という文字があり、マリア - ティフェレートの下にはヘブライ文字で、「汝」と書かれ、そして第一のセフィラの下には「彼」と書かれている。この三つの言葉「我―汝―彼」によって、教示画は、より明確に人の子の受肉の図として、また人間の霊の秘儀参入の図として特徴づけられるのではないだろうか?

 だがさらにそれ以上の暗示が この図の中にはある! マリア像の背後、教えを説くイエスの上げた手から、 マリアの頭部へと一本の対角線が走っている。二本目の対角線は、鳩に生命の枝を捧げている少年の下げられた手から出発して、 マリアの頭部でもう一本交叉する。四角形を、 つまり地上的場面を貫通している対角線は、地上で起こる出来事は霊的世界において先行して生起し、神的なものに条件づけられていることをここで教えようしているのである。マタイとルカによる二つの系図へと、われわれの思考は向かわざるを得ない。そこには二人の異なる少年イエスが描かれている。ルドルフ・シュタイナーは、世界を決定づける、この二人の少年同士の複雑な関係を描き出す。宇宙的な世界精神であるキリスト(この深い洞察からなる像については、後の考察で明らかにされる)は、ソロモンの家系の少年イエスが人類文化の全密儀を通じて持ち来たった世界経験を必要とした。しかしまた一方、原罪に触れていない人間存在の核をもキリストは必要とし、この存在だけが、太陽の霊を肉の内に住まわせることを可能とする透明性を獲得できるのである。地上の罪へと堕ちた人間を神が謙譲と共に再び連れて行くという、 シェキナーの約束(原注50参照)が果されるなら、そのとき地上の運命は太陽の永遠性と新たに結合されねばならない。このように教示画は、神の三位一体とその地上的領域での反映像との間に、そうした出来事の原現象である救済の準備と、神と世界との新たな融合とを、二人の少年イエスに示している。ひとりはもう一方のために死へと赴いて己れを捧げ、その一方の少年は神殿で、両親と学者たちの驚く中、始源の叡智を初めて告知し得たのである。 マタイの述べる、叡智に満ちた幾多の受肉を通じて豊かになった少年の魂が、ルカの述べているナタン系の少年イエスの表現できないほどの純粋性へと入る過程はひとつの密儀であり、 このみごとな教示画の構成における第二の中心をなしている。地上的な知は神の啓示に己れを捧げる。かくして初めて、高次の叡智たるソフィアは地上のひとつの肉体の中に存在することができ、すべての人間の目に触れるかたちで生かされるのである。

 死と生と霊的誕生の三つは、すべて神の企てから、互いの活動の犠牲となるために派生した。ティフェレート - マリアと二人の少年は各々独自の在り方で己れを犠牲に捧げている。すなわち救世主の母として、地上の叡智の贈り主として、そして原罪を変化させる意識の未来へと向かう道、人類に与えられようとする犠牲の道の先行者として。世界精神の歴史、地上の現在、そして人類の未来を、教示画は神的予見の内にありながら地上の像として捉える。霊的過程が肉体的知覚によって把握され、真の意味での感覚の純粋な象徴となっている。

 ペリカンの像は、こうした愛の事象にふさわしい。この鳥がいるのは、金で囲まれた黒地にヘブライ語で「汝」と書かれた下、つまり、人間のもとでの愛の、そして神への愛の言葉の下であり、そこで己れの胸の血で五羽の雛を養っているのである(「一一 動物の象徴」参照)。四肢を広げた人間から生じる地上的数の五という数字が、 ここで意図されている受肉への道を指示しているのだろう。

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 工作舎刊の本から引用させてもらったが、実は、訳者の松本氏は、ハルニッシュフェガー氏のこの解釈について、教示画に関わる当時のキリスト教カバラ理念にこのような考えが包含されていたかは「いささか疑問」としている。
 これは、おそらく、シュタイナーの説は、あくまでシュタイナーが独自に唱えたものであり、ルネサンスに遡る歴史的背景はないと考えているからであろう。
 だが、これまで紹介してきたように、これは、ルネサンス期に西洋で新たな輝きを発したが、当然ながらキリスト教の誕生以来連綿と密かに受け継がれてきた秘密なのである。
 また、薔薇十字運動も秘教的キリスト教の流れの中にあり、薔薇十字運動もまたこの教えを伝えてきたと考えられる。実際、この教えは、ルネサンス期にイタリアを中心とする地域にのみ伝わったのではなく、大陸の他の地域とイギリスにもその影響がみられるのである。
 なお、イギリスでのそれを、デイヴィッド・オーヴァソンが、『二人の子どもイエス』とは別の本で述べているので、これもいずれ紹介したい。

 

 

「二人の子どもイエス」とは ㉓

システィーナ礼拝堂天井画

 久しぶりに「二人の子どもイエス」(ルカ福音書の伝えるイエスとマタイ福音書の伝えるイエス)のテーマに戻る。本ブログの目的の1つは、このテーマを多くの人に知ってもらうことであった。このテーマは、キリスト教の核心に関わり、また同時に極めて秘教的な内容であるが、聖書や他の様々な文献、伝承、そして美術作品に密かに埋め込まれており、見る目をもった者には検証できるものである。

 これを実際に検証したのがヘラ・クラウゼ=ツィンマーやデイヴィッド・オーヴァソンであり、その成果がこれまで紹介してきた二人の2冊の本であった。

 さて、二人の子どもイエスの秘密を込めた作品の多くは、ルネサンスに多く見られる。この時代の巨匠と呼ばれるほとんどの芸術家が、この秘教的知識に触れていたようである。このブログでも既にラファエロについて触れているが、今回紹介するのは、彼に並ぶ天才芸術家、ミケランジェロである。

 デイヴィッド・オーヴァソンの『二人の子どもイエス』からミケランジェロに関する記述を以下に紹介しよう。 

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ミケランジェロ‐システィナ礼拝堂の天井画

 システィナ礼拝堂のミケランジェロによるフレスコ画は、16世紀の10年代に製作されたものであるが、驚くべき芸術作品の一つである。この作品は正しくもフィレンツェの絵画作品の傑作とみられているが、ミケランジェロ自身はフレスコ画を彼の真の仕事とはみなしていなかったという事実を考慮すると(1509年に彼の父宛の手紙にそのように記している)、彼のなしたものは更に驚異的に思える。

 この傑作には当然のことながら多くのことが語られているが、私の知る限り、どの歴史家もその最も深い秘密について認識することはなかった。システィナ礼拝堂の天井画は、一人の教皇(ユリウス2世)を満足させ、すべての未来の教皇の宗教生活に奉仕するために描かれた。これが置かれている教会の軸線は、聖ペテロ自身の(棺の)軸線と全く平行であり、それはあたかもキリスト教の中心教義と自身をそろえているかのようである。そのような作品は、かくして西洋キリスト教の生命の心臓にあるのである。しかし、それは、彼が望むいかなる主題あるいはテーマでも描くことが許された天才によってデザインされ、そしてそれは二人の子供という隠れたテーマをオープンに扱うことに成功している(注)。

 

 (注) 礼拝堂自体は、教皇シクストゥス4世 Sixtus Ⅳ dell Rovereの監督のもとに建造され、1483年8月15日にマリア被昇天に捧げられた。それは困難な時代であった。その内部は簡素で、巨大な絵画のギャラリーとしての目的があることを示している。床の区画は、ミケランジェロの天井画を反映している。

 

 私は既に、ミケランジェロが礼拝堂の天井に描いたイエスの「先祖」の複合体に触れた。同じ文章で、ミケランジェロが、マタイ伝が提示する42人の名前の系図のリストに基づいていると指摘した。このことは、彼がイエスのソロモン系統を描いていることを意味している。

 系図のテーマのこの短い概要は‐天上のフレスコ画が描かれた外観に流れる幾つかの聖書のテーマの一つに過ぎないが‐多くの繊細なテーマのシンボリズムを隠している。この系統を深く考察するなら、システィナ礼拝堂における神秘的なシンボリズムの基本的な要素の少なくとも一つの深遠さに気づく。

 系図にかかる肖像画の比較的大きな部分は半円形部の両サイドに描かれている。礼拝堂の入り口の内壁の円形部は聖家族自身を描いている。左側では、体を丸め厳しい表情をした、ヨセフの父親であるヤコブが描かれている。彼の背後にいる子供はヨセフで、女性はヨセフの母親である。

 円形部の右半分では、ヨセフは今や成人として描かれている‐最近の修復まで、彼の姿は、フレスコ画の劣化ではっきりとはしていなかったが。マリアは膝に少年イエスを抱いており、イエスは左手をもう一人の少年に向けている。時間による劣化や不適当な修復で絵が書き換えられてしまっており、その少年がもっている容器に何があるのかを正確に知ることはもはやできない。-おそらくそれは水、あるいは炎であろうが。

聖家族


 もう一人の子供が誰かは知られていない。芸術史家シャルル・デ・トルネイは、この第二の子供が小さな洗礼者ヨハネであるとする驚くべき結論に達した。しかしこれには何の証拠もなく、ジョヴァンニは系図の中で何の役割も持っていない。実際、トルネイは、この絵の一般的な先入見を持った見方に陥らなければ、彼がこの集団について書いていることの背後にある深い意味を持ったあるものを見たかもしれない。トルネイは、全く正しくも、この第二の少年が胴と頭を、見る者から背けていることを観察している。この姿勢は、(これもまた全く正しい)ミケランジェロによる重要な発明であると彼は述べている。彼は、これを20年後、メディチ家の礼拝堂の聖処女像においてその胸にいる子供を彫る時に用いた。この創意に富む図像には深い驚きを与える何ものかがある。おそらく初めて、「見る者から(それは即ち世界から、また拝礼する者から)頭を背けるイエス」の像に我々は直面するのである。多くの芸術史家がメディチ家の礼拝堂の聖処女とイエス像の一般的でない様式についてコメントしているが、私の知る限り、トルネイは、この彫刻とシスティナ礼拝堂の絵のこの部分との関係を指摘した最初の人物である。

 システィナ礼拝堂の天井の絵画の原型に、我々は、正確に同じ姿を見るので、彫刻の子供イエスフレスコ画の子供を同じものと見るように-そう言ってもいいであろう-誘惑されるのである。円形部で聖処女の膝にもたれている第二の子供がもう一人のイエスであることを私は疑っていない。このことは、聖処女の腕にいる子供はソロモン・イエスで、地上に立っているのはナタン・イエスであることを意味している。

 ミケランジェロの一連の作品の秘密の一部は、人物を同定することにかかっている。この芸術家は、同定することを助けるために先祖の名前をその像の十分近くに置いた。しかし、この聖家族において彼はそのルールを破っている。ミケランジェロは、この絵において二人の子供のどちらもイエスとして意図的に同定されないようにしたかのようである。

 

 イエスの血統の最後の世代を指し示すこの二つの円形部は礼拝堂の入り口の上部にある。ミケランジェロ特有のシンボリズムの方法では、我々は、礼拝堂の下に向けてジグザグに先祖を追うとき、振り返って、東の端にある祭壇-もともとは系図の始まりであったもの-に向かう。ミケランジェロが天井画を終えた時、この始まりは、アブラハムとその直近の一族により印されていた。後に図像の計画が変更されたため、この部分は現在、彼の巨大なフレスコ画最後の審判」により占められている。大規模に意味を転換することにより、先祖たちを系図的に完成するのは、礼拝堂の空間の向こう側に、審判の席に座る大人のキリストを置くことによってなされた。そのシンボリズムは、本来は空間と時間の両方に関わるものであった。-聖家族の子供は、水平に礼拝堂の反対側を向いて彼らの初期の先祖たちを見つめている。初期の先祖たちに代えて最後の審判を置いたことにより、空間的、時間的な意味が変化し、新しい意味が礼拝堂の上部の空間に吹き込んだ。さあ、ミケランジェロの天才に感謝しよう。子供とキリストは互いに礼拝堂の同じ高さで見つめ合うのである。より深い意味で、時間と空間は、一つになった。過去(先の世代)は、未来により-時の最後に審判を下すキリストの姿によって-置きかえられたのである。

 聖家族の二つの円形部の間の上には、本をぱらぱらとめくっている姿の預言者ゼカリアの絵がある。彼の背後には、軽快な服装の少年たちが立っている。一人はもう一人の少年の首に親しげに腕を回している。実際、天上の預言者の多くは、彼らの預言とは関連もなさそうな一組の少年と関係している。ゼカリア、ヨエル、イザヤ、エゼキエルそしてヨナスはすべて、二人の裸のあるいは半裸の少年たちが背後にいる。ヨナスの脇の怪物の背後には、二人の少年の頭が見える。(私は、両方とも少年であることを疑っていないが、巨大な魚に近い方の少年は、少女であり、ニネヴェを擬人化する意図があると示唆されている。)

ゼカリア

ヨエル


 二人の例外があり、ダニエルは、(彼の本を支えている)一人の少年をもち、ジェレミアの背後には女性に見え確かに服を着ている女性がいる。

 この一組の人物が深い意味を持っていることは疑いない。ゼカリアの場合、このシンボルは彼自身の預言からとられただけでなく、二人の子供のテーマにまで触れるものである。それは、ゼカリア自身の「二人の聖別された者」がやってくるという文章-それはおそらくクムラン文書に現れる二人のメシアに対して最も近い旧約聖書の言及である‐に関連している。(紀元前520年頃に書かれた)ゼカリア書で、預言者は、黄金の燭台と、7つのランプ、そして二本のオリーヴの木について天使と対話している。ゼカリアは、天使に、燭台の両脇のオリーヴの木について尋ねている。

 

 彼が私に、「これが何かわからないのか」と言ったので、わたしは「主よ、わかりません」と答えると、彼は、「これは全地球の主の御前に立つ、二人の油を注がれた人たちである」と言った。(ゼカリア書4:13-14)

 

 ゼカリアの背後の二人の少年を「二人の油を注がれた人たち」として描くことにより、ミケランジェロは、この予言者の像の下のルネッタ(円形部)に描かれた二人の少年(訳注:前述のヨセフの家族の二人のイエス)が誰であるかを強調しているようである(注)。

 

(注) トルネイは、裸あるいは半裸のgenii(子供達)の様々なペアについて別な解釈をしている。ミケランジェロが二人の子供を伴う予言者たちを描いていることを認識して、彼は、これを、魂の二つの能力に関連するプラトンの教義を示唆するものとしている。この見解を支持する証拠は見当たらないようであり、トルネイが引用する以前の様々な類似物-主にニコロとジョヴァンニ・ピサノからのもの-は、これらのgeniiが翼を持っており、おそらく天使であるという事実によって正しくないことが分かる。ミケランジェロ預言者に、プラトンのパエドロスを読むのは間違っていると私は感じている。ゼカリアの背後の二人の少年を、ギリシア人の一つの書物よりこの予言者により書かれた文章に関連するものとして読む方がミケランジェロの象徴的技法にはかなっている。システィナ礼拝堂は、主にキリスト教の作品であり、ルネサンスの初期の段階で人気のあった新プラトン主義やプラトン的傾向はわずかに見られるのみである。

 

 ミケランジェロは、確かな確信を持った二人の子供という秘密についての彼の知識を偽装する苦労をしなかった。おそらく彼の唯一の偽装は、二人の子供に名前を与えることをしなかったことである。システィナ礼拝堂に散りばめられた他のキリスト教シンボルが異端審問の関心をそらすので、その図像はその背後に完全に隠されてしまうと、ミケランジェロは確信していたのは間違いない。すべての芸術家が彼のような自信を持っていたのではない。-言うまでもなく彼は天才である。結果して、二人の子供というテーマは、通常、曖昧さをもたらすためにすっかり隠されることとなった。するとそれは、二人の子供のテーマが明確に描かれていても、ほとんどの場合、その作品が他のシンボリズムのテーマにより説明されうるということを意味する。ローマの心臓にある巨大な天井画は、この一般的ルールの例外である。

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 イエスが二人いたとする考えは、勿論、公教的キリスト教にとっては異端である。それを説く者には死がもたらされる危険があったので、それを表現する場合は、第2の子どもを、例えば洗礼者ヨハネに擬するなどしたのである。ミケランジェロは、この例外であるというのである。

職業のカルマと未来

ラニド図形

 先に掲載した「古代メキシコの秘密とアメリカ」の記事を拝借した、カール・シュテッグマン Carl Stegmann氏の本、『もうひとつのアメリカDas Andere Amerika』から、別の章を紹介する。

 それは、やはりアメリカに関わることであるが、人間の職業活動の秘教的な意味が説明されている。我々は、そのような意義を意識することなく、生活の糧を得るために、言わば当然のこととして働いているが、それは人類の未来に関わる側面を持っているのである。

 以下の文章を理解するためにのは、これまでも何度か出てきたが、次のような予備知識が必要である。シュタイナーは、人体が、頭部系(神経・感覚系)・胸部系(呼吸・血液循環)・四肢系(運動・新陳代謝系)に三分節されているとする。そして、社会もまた一つの有機体と捉えるべきであり、人とのアナロジーから、社会も三つの部分、精神=文化領域、政治=法領域。経済領域の三つの部分に分節化され、それらが独立しつつ連携しなければならないとする。
 シュタイナーのこの社会論は、第1次世界大戦の勃発とその後の破滅的な社会の混乱の中で、社会運動として具体化するが、実を結ぶことはなかった。
 重要なのは、これは単に、物質的な社会の発展を目指したものではないということである。人が「社会的存在」である以上、その社会も「健康」でなければ、人の霊的な成長も阻害されてしまう。人類が霊的進化を遂げる上で重要な取り組みなのである。従って、この運動を敵視する勢力がまた存在しているのである。
 また、同じように、民族はそれぞれの特性を持っており、シュタイナーは、上の3つの要素に応じて、ヨーロッパの民族を西方・中央・東方に大きく分けて論じたのである。

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機械的オカルティズムと職業活動

   西方[英米]では、機械的オカルティズムが発展する。それには、西方では、特に経済の発展が関わっていることを合わせて考える必要がある。シュタイナーは、人類の新しい発展は、西方の経済的な、中央ヨーロッパの政治的法律的 な、東方の宗教的な要素への分節を理解することでのみ、理解される、と語っている

 電気、磁気、重力、原子分裂の、感覚以下で働く力に並んで、未来には、共鳴する振動の法則が働くようになる。シュタイナーは、それについて、機械的オカルティズムの、人類を破壊するような種類か、あるいは人類に奉仕する種類の二つの可能性を語っている。彼は、破壊的な機械を見て、「もし、現在動いている物の一部を見れば、我々の現代文明の一部は、全く、下降していく恐ろしい道に向かっていると言わねばならない。」と語っている。

 地上で人によりなされたもの、新しく造り出されたものはすべて、未来に対する萌芽である。それは、成長し、そのすべての発展と共に、後の、本来の意味を持つものへと成熟していく。職業生活、仕事を通して造り出されたものも同じである。それは、地球で発展し、更に木星、金星、ヴァルカン状態でも発展を続ける。その時ようやく、萌芽的原基で考えられているものが、姿を現わしてくるのである。当然、物質的な産物、機械、工作物などはすべて消えていく。先ず、それらは人から分離される。「一層増大していくであろうすべてのものを通して、人が職業活動により造りだしたものは、人から先ず離れ、客観的になる。そしてそれにより、それは、木星、金星、ヴァルカンを通して更に形成されて、土星、太陽、月を通して地球のために造り上げられてきたものと似たものになっていく。まさにこの分離によって。」

 「分離」は3重の意味がある。人が経済生活で、外的な産物として造ったものはすべて人から離れる。その時、-既に長い間そうなっているのだがーなすべき仕事への関心も離れる。もはや人は、以前、人に魂を吹き込んだ感激と関心をもって仕事を行なうことはない。職業との魂の結び付きは次第に消えていった。「職業生活がある方法により人間の関心から離れることにより、宇宙的意味を持つ関係」を発展させる」ある必然性が存在する。仕事へのより主観的個人的関係が沈黙することにより、何か別のもの、客観的なものが仕事に入り込むことができるのである

 私は、ずっと以前から、バイオダイナミックの農場の友達を持っている。4つの区画に分かれる農地があり、それぞれ別の人が耕作していた。同じように小麦の種を蒔き、同じ気候で育てていたが、その区画により元気に育ったものとそうでない弱々しい作物があり、その成長には違いが見られた。印象に残ったのは、ある農夫が、「私は、人の働きが植物にしっかりと伝わるように望みました」と語ったことである。人から、何かが植物に流れていったのである。シュタイナーは、引用している講演で、次のように語っている。「人の意志的生命と心情的生命にある繊細なパルスは、人が造り出すものに、次第にどんどんと織り込まれ、組み込まれるようになり、手が加えられた物質を、誰から受け取るかが重要になっていく。

 人の情感が沈黙すると、何ものかが人の意志的生命から離れ、それは人の造り出したものに結びつく。人の意志には、高次の霊的存在、例えば、次第に身体が形成されるように、自身の意志の実質を古土星期に献げたトローネの力が働いている。シュタイナーは、次のように語っている。「それが身体的仕事であれ、精神的仕事であれ、私たちが仕事の中で創造したものには、霊的存在が体をえる出発点が存在する。今日、これらの霊的存在は、地球期においては、まだエレメンタル的な種類のもの・・第4位階のものである。」我々の身体的、精神的仕事は、実際に、経済活動の生産物の中に流れ込み、それが物質的には消えていっても、それらに霊的現存を与えるのである。故に、経済的、また職業的生活には、見えない宇宙的霊的事象が結びついているのだ! 人は、これにより、職業と経済において生じるもののすべてに、しかしまた西方で準備されているものにも、全く新しい考え方を得るだろう。

 これには、別の事柄が結びついている。「人の職業上の仕事によりもたらされるものが、もはや特別な感激もなく造り上げられるほど、それは、必要な条件なので、そのように人間から流れ出てくるものは、運動に関する力になり得る。」それにより、人は、機械的オカルティズムが生まれる場所に立つ。驚くべきことは、人の経済生活、職業生活に共に働いている、大きな見えない宇宙的関係が、人の、霊的意志的なものからくる運動力の生成、機械的オカルティズムに関係していることである。「技術的発展の未来を今日予見できるものは、工場を動かす人に応じて、工場が個別に運転されることを知っている。心的態度が、一緒に工場に入り込み、機械が動く仕方に影響する。人は、客観物と共に成長するようになる。我々が触れるものはすべて、次第に、人の本質の刻印を帯びることになるのである。特定の印の振動により、「この印に適合したモーターが運くのである。」ここからわかるのは、運動力が地上で現実の物となる前に、霊的認識を持った人間が、先ず、それを生み出さなければならないと言うことである。シュタイナーの神秘劇のシュトラーダーが、その正しいモデルである。しかしそれは、すぐには機能し得ない。印の振動が欠けているからである。

 それには、シュタイナーが次に述べるような、強力に発展した倫理的力が必要である。「未来の正しく善良な人間、人間的心情において特別な高みにいる人間を考えると、彼は何ができるだろう。彼は、機械を製作し、また善良な心情の人々によってのみ実行されうる、それに対する印を定めることができる。」シュタイナーは、ここで、同じような心情の人から生まれてくる機械的オカルティズムについて述べているのは明らかである。ここで宇宙、天界が一緒に振動するなら、それは、正しく-つまり霊的な-見られた宇宙からくるのである。しかし、機械的オカルティズムを実現する、アーリマン的な可能性もある。人から意志的インパルスとして仕事に流れ込むものに、エレメンタル存在が受胎すると、我々は聞いた。「しかし、問題なのは、それがそもそも生まれてくることではなく、正しく生まれてくることである。世界プロセスに奉仕するエレメンタル存在も、それを邪魔するエレメンタル存在もあり得るからである。キリストに貫かれていない天使存在が、人間のアストラル体に創造的なイメージを形成しないなら、その際、人は自由なままでいられる。しかし、意識を迂回してエーテル体に形成されると、意志がアーリマンに攻撃され、意志のインパルスは変化し、アーリマン的破壊的になる。

 中央の精神から内的発展をなす人が、オカルト的装置を造るなら、憎しみ、反感の力により造ってはいけない。「それに対して、憎しみの本能から発展すると、その装置は、ある意味で、より遅れたオカルト的能力により支えられるだろう。」この現象は重要な意味を持っている。

 抽象的で非社会的な思考が、頭から意志の領域に侵入すると、従って意志が霊的認識により救い出されるのではなく、直接その様な頭脳的思考に捉えられると、批判、反感、そして憎しみが人間に生じてくる。それにより、アーリマンが活動できる破壊的な力が生み出されるのだ。その時、そこには、地球の電気、磁気、そして核分裂との破壊的関係が存在する。

 知性と力のみを取り入れるのではなく、共鳴する振動の法則により、それのみが知性と力、思考と意志を生産的なリズムにより結びつけることができる、人間のリズム組織(リズム的人間)をも考慮する機械がいつか生まれ出なければならない。このリズムは、太陽の周りを回転するような円周的動きではなく、そこでは上と下が交差して結びつく、動いている血液がレムニスカートの動きで循環する中間人間のリズムに現れる。それは、経済において、利己心、エゴイズムだけが支配的なのではなく、報酬と競争の戦いが協働を破壊することなく、経済が、より深い意味を持ち、自由の中でのみ成長しうる精神的生活、人間の平等を監視する民主的国家生活と並んで正しく分節化されるときにのみ、生じることができる。200年以上前、アメリカ建国の時には、そのような3層化された共同生活への端緒がみられたが、今日、すっかり見られなくなってしまった。

 アメリカで起きていることを霊的な光の下に見ることが、西方に与えるべき援助がわかる。世界に見かけ的には物質的なものとしてあるもの、経済生活をその霊的宇宙的な意味において見ることができるものが必要なのである

 霊的なアメリカが生まれることに対して、人の中のドッペルゲンガーが対抗している。西方で働いているドッペルゲンガーについての理解がなければ、可能であるもの、あるいは、避けることができない幻滅によって暗くされているものについての幻想に陥ることになる。それを知ることを学べば、実際に西方で起きていることを深く理解することができる。

 我々は、地球の西方に、真剣に追求すべき使命が浮上しているのを見ている。一方でアーリマンの側で、他方で、キリスト的霊的側で、ここで準備されているものについての意識を自分のものとする試みが求められているこれまで我々は、地球と人類の未来に起きる激烈な戦いで果たすべき使命をただ予感してきた。それをもっと正確に眼前に捉えなければならない。意識することが、発展を良い方向に向ける武器である。

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 上の文章でも触れられている、シュタイナーの職業をテーマとする講演は、日本語で読むことができる。それは、実は今回の表題をそれから拝借したのだが、西川隆範さんの『職業のカルマと未来』(風濤社刊)という本である。最初、「職業」と聞いて、こんな日常的なテーマの講演もあるのだなと、あまり食指を動かされなかったのだが、読んでみると意外に重要なことが書かれてあった。

 今の地球期の前には、古土星・古太陽・古月と呼ばれる時期があった。現在の物質的地球は、これらの時期を経て形成されてきたのだ。それに関わっていたのは高次の霊的ヒエラルキー達である。地球期の後は、木星期、金星期、ヴァルカン期が続くが、その形成に関わっているのが、実は人類自身と言うことである。

 物事にはすべて結果(カルマ)が伴う。たとえそれが物質的に消えて無くなっていたとしても、人間が作りだしたものは、未来に再びその結果を伴って現れるのだ。
 このようなことに関連して思い出されるのは、「人類のための戦い-新型コロナを巡って ⑥」に出てくる、次のような記述である。

  影のような知性は、鉱物、植物、動物、さらには人間界そのものにある鉱物的性質、粗雑な物質的性質しか把握できないので、現実性のないこれらの思考は、月が再び地球と一体化するときに、一瞬にして実質的現実性となるのである。そして地球からは、鉱物界と植物界の中間に位置する存在の秩序を持ち、圧倒的な知性の力を持つオートマタの群れ、恐ろしい存在の群れが湧き出るだろう。
 この大群は地球を捕らえ、植物よりも低次元の、しかし圧倒的な知恵を持った、おぞましい蜘蛛のような生き物のネットワークのように、地球上に広がるだろう。これらの蜘蛛のような生き物はすべて互いに連動し、その外側の動きにおいて、霊的科学による新しい形の想像的知識によって活気づくことを許さなかった影の知性から人間が紡ぎ出した思考を模倣することになるでしょう。そのとき、実体と現実を欠くすべての思考が存在感を持つようになります。  

 これは、月が地球と再び一体化する時期(今から7000年後頃という)の出来事というので、ヴァルカン期よりだいぶ前の時代なのだが、「蜘蛛のような生き物のネットワーク」というのは、まさに現代のインターネットのネットワークが、未来に再出現したものではなかろうか。

 また文中に、「特定の印の振動により」機械が動くとあるが、人智学派の間では、これはエーテルを利用するものと考えられており、一般にはサギとされている、アメリカの19世紀の発明家、ジョン・ウォーレン・キーリーの制作したいわゆるキーリー・モーターは、その先駆けとなる機械ではないかと言われている。それは、キーリーが一緒にいなければ作動しなかったのである。シュタイナーも、キーリーのことに言及していたという。
 印(Zeichen:合図、記号)により機械が動くというのは、あるいは、クラニド図形(金属・プラスチック・ガラスなどにピンと張ったラップなどの平面にスピーカーなどで振動を与え音程を変えると、共鳴周波数において平面の強く振動する部分と、振動の節となり振動しない部分が生じる。ここへ例えば塩や砂などの粒体を撒くと、振動によって弾き飛ばされた粒体が節へ集まることで、幾何学的な模様が観察される。Wiki)の現象が、その解明に役に立つのかもしれない。特定の振動が特定の図形を造り出すのであるから、その逆も考えられるのではなかろうか。

 さて、問題は、そのような力を誰が手にするかと言うことである。「機械的オカルティズムを実現する、アーリマン的な可能性もある」のである。それは、人類の未来を闇で覆うものである。
 現在、今の時代の次に予定されているロシア文明期に対する攻撃が強まっているようだが、その次に来るのはアメリカ文明期である。
 もともとアメリカはドッペルゲンガーやアーリマンの影響が大きい土地であるが、今や唯物主義の本拠地と化している。しかし、アメリカにも、それを霊化しようとする力は古代から働いていた。それに反抗し、更にアメリカをアーリマンの王国にしようとする勢力との霊的な戦いは、今も続いているのだろうか。